渇望

人は死んだらただの肉塊になる。
死んだら。
心臓が止まったら。血液が身体の内を流れなくなったら。魂が身体から離れてしまったら。
その肉塊になんの意味があるっていうの。
それでも、胸が締め付けられて、呼吸が苦しくなって、涙がこぼれて。
そんな感覚を始めて経験したのは、もう何年も前で、最初の鮮明さも強烈さも、とうになりをひそめていた。それは、慣れなのか、適応なのか。

彼の唇が、なまえの腕をなぞっていった。掌の側から上の方へ、かさついた唇と妙に熱い舌がゆっくりと移動していく。くすぐるようなその仕草に、背筋がぞくりと震えた。
「……や」
脇の下を捉えられて、なまえが身をよじると、嬉しそうに持ち上がった彼の唇の端が目に映った。その瞬間、腕を押さえつけられ、身動きがとれなくなったところに更に容赦なく舌でなぞり上げられる。
びくん、と震える身体に、滑稽さと、気恥ずかしさが相俟って、顔が熱くなる。自由なもう片方の手で彼の肩を押し返しても、抵抗らしい抵抗などできるものではなかった。彼のその鍛え抜かれた身体は、びくともしない。
こんなとき、嫌というほど思い知らされた。
兵士としてどんなに鍛えていても、男と女の圧倒的な体格差は埋まることがない。
そのうち彼の唇は、なまえの胸の頂へと移動していった。
ぺろりとわざとらしく舐められ、優しく吸われれば、下半身が次第に疼いていく。だんだんと息が上がっていくなまえを彼は満足げに見詰めると、その胸を乱暴に揉みしだき、乳首を噛んだ。
「痛っ」
苦痛に歪むなまえの表情を、彼は楽しんでいるのだろうか。

(死んだら人は、ただの肉のかたまりなんだよ。)
今日もたくさん死んだ人を見た。
それは先輩だったり、同期だったり、あるいは入ってきたばかりの新兵だ。
最初に心を占めていた衝撃は、もうなくなってしまった。
そのかわり、自分もいつかはそうなると、そんなことばかりが頭をよぎっていく。
肉の塊が身体の狭い部分を押し開いていく。その圧迫感に、なまえの腰が引けていった。滑らかなシーツが身体をベッドの上の方へと滑らせていく。彼が少し身体を離すと、みっちりと埋め尽くされた中のものが、少し引きずり出される。
きゅんと疼くような刺激に、なまえはため息のような声を漏らした。
もっと欲しい、物足りないくらいがきっと丁度いい。それなのに。

「まだだ」
非情な彼の言葉に絶望で頭が真っ白になる。
彼はなまえの足をその肩に持ち上げて、腰を引き寄せると、ぐっと体重をかけた。もっと深いところまで貫かれる。先端が子宮口に押し付けられ、容赦なく圧迫される。最奥のさらに先まで。きっとそうでもしないとすべて埋まらないのだろう。
もう無理。苦しい、でも気持ちいい。
ぎゅっと目を瞑ったら、彼の手が髪に差し込まれ、少し上へと引き寄せられる。彼の顔が目の前にある気配がする。
嫌な予感。
「目を開けなさい。なまえ」
促されて渋々目を開けると、鮮やかな青色が飛び込んできた。彼の瞳の色だった。
なまえは彼と目を合わせるのが苦手だった。

エルヴィン・スミス。
調査兵団の団長であり、なまえにとっては絶対に逆らうことの出来ない上官。
崇高な志を宿した澄み切った青い瞳が、今は淫猥な色を映して、零れ落ちそうに潤んでいる。
決して侵されることのない彼の一番美しい部分。

だから目を合わせるのはひどく恥ずかしい気がしたし、何もかも見透かされているような逃げ場のない状態に追いやられるのも怖かった。
くちづけられると、お酒の匂いがした。彼が好む、度数の高いクセのあるお酒のその匂いは、いつもより強く感じてクラクラする。分厚い舌が差し込まれ、口の中も深いところまで暴かれて、彼の唾液が流れてくる。
身体中、なにもかもが彼で充たされていく。

(ただの肉のかたまりなのに。)
その肉の塊に蹂躙され、弄ばれている自分をなまえは滑稽に思う。
(私が死んだら、この人はどう思うんだろう。)
繋がったまま、なまえの全身に彼の体重が掛かった。そうしながら、ずるりと引き出され、また押し戻されを繰り返される。痛いと言ってもやめてくれない。彼の汗ばんだ胸板を、両手を握りしめて押し返す。そんななまえのささやかな抵抗を嘲笑うように、彼は身体をなまえに押し付けた。
諦めて、彼の背中に手を回すと、しっとりとした肌が手に吸い付くようだった。熱いのに、冷たい。
きっとこの違い。

唇が離されると、また彼と目が合う。
思わず目を離してしまうと、また容赦なく身体を揺さぶられる。少しでも気を緩めればどこかに飛んでいってしまいそうな心地がする。
(ううん、この人がいなくなったら、私の方が。)
それ以上考えたら怖いような気がする。
恥ずかしいことより、痛いことより、もっと心から恐ろしいような。
幸いにも、なまえの思考は彼によって妨げられることになった。
多分今夜は二人ともこうなりたかった。思考を停止させた、欲望だけをまさぐる、ただの肉の塊に。


(2015.9.18)

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