ディナーより先に君を
2014ハロウィン番外
ぱちぱちと暖炉の中で燃える薪が音を立てていた。橙色に染まる燃え口は優しそうに見えるのに、途方もない熱を放っている。外の凍てつくような寒さも、この熱い炎も、どちらも相反して強すぎるものだ。ちょうどよいところはないのか、と不毛なことをこの季節に思う。
なまえは暖炉の前に敷かれた毛皮のラグの上に寝そべるようにしながら、その様子をぼうっと眺めていた。
暖かい空気に満たされるこの居間の一角に設置された大きなクリスマスツリーは、エルヴィンによって一月も前に飾られたものだ。季節ごとのしつらえに屋敷を整えるという執事としての仕事に余念がない。
なまえは長過ぎる時間を、完全に持て余していた。屋敷内の図書室で読書をすることにも、刺繍やレース編みなどといった貴婦人の嗜みとされていることにも随分前に飽きてしまっていた。
夫であるリヴァイが既に使い切れないほどの財産を手にしながら事業に勤しみ、エルヴィンが殆ど道楽といっても過言ではない執事業に従事する理由が少し解ったような気がした。
今日はクリスマスだから、とエルヴィンは朝から厨房にこもりきりだった。さっき覗いたときには一体誰が食べるのだというほどの大きな三段重ねのケーキを飾り付けているところだった。コックの白い衣装に身を包み、鼻歌まで歌って酷く楽しそうな様子のエルヴィンになまえは声も掛けられず、そっと厨房の扉を閉めた。今夜はお腹いっぱい食べることになりそうだ。
しかし食べ物で胃を満たしても、なまえ達の飢えは満たされる筈もなかった。互いの血で互いの飢えを補い合うという、永遠の時間を手に入れた代わりにまるで罰のように科せられた本能的で衝動的な行為を夜毎繰り返して。
ただ、それ以外は至って普通の生活だった。だからこそ、その三人の関係と行為が異常で罪深いものに思えるのかもしれなかった。
暖炉のぬくもりの前に、なまえは知らない間にうとうととしていたようだった。ふと側に気配を感じて顔を上げれば、リヴァイが何をしてるんだと言いたげに覗き込んでいた。眉間に皺が寄って、いかにも不機嫌そうに見えるけれど、それが彼の普通だった。しかし間近で寝顔を見られていたことに焦り、なまえははっとして飛び起きた。
「なまえはお昼寝の時間だったのか?」
「……あ、ごめんなさい。そろそろお茶の時間……?」
リヴァイは日に何度も紅茶を飲んでいた。貴族の習慣でもあるが、それ以上の必要性が彼にはあった。血の代わり、だという。神が創造した純血の吸血鬼である彼はエルヴィンやなまえ以上に吸血衝動が強いらしかった。
執事業に忙しいエルヴィンの代わりに、午後からのお茶の時間をなまえが受け持つことになったのは、つい先日からだ。
「待っててください。今、準備を……」
慌てて起き上がろうとするなまえを、リヴァイは左手で簡単に制し、彼女に覆い被さった。
「ダメだ。待てない」
ふわ、と彼の匂いがなまえの鼻孔をくすぐった。肩を軽く押さえつけられ、さっきよりも間近に彼の顔が迫る。
鋭く光を放つ彼の瞳を一瞬だけ認めると、次の瞬間には首筋に齧り付かれて、その残像だけが瞼の裏に残った。驚くほど静かに、しかし強烈な衝動をもって皮膚を貫き、首筋の血管の奥に入り込む彼の犬歯を、なまえは息もできずに必死で受け入れた。
いつもどおり、殆ど毎日されていることなのに、未だに少し緊張を伴った。ごく、とリヴァイの喉がたてる音や、じゅる、と血をすする音だけが耳に響く。心臓が高鳴り、背筋が痺れるような心地がした。血を吸われるという行為自体が何かの呼び水のように、なまえの身体の熱を燻らせていく。
ようやく解放される頃には、身体の力が抜けてぐったりしてしまっていた。リヴァイは血を啜っていた首筋からつうっと上に唇を這わせて、なまえに深く口づけをした。甘い味がなまえの口内に広がっていく。最初の頃にしていた抵抗が嘘だったかのように、差し入れられたリヴァイの舌に自らの舌を絡めた。
「ふ、あ……」
リップノイズを立てて互いの唇が離れると、なまえはようやく満足に呼吸をすることができた。早まり続けた鼓動は胸を締め付けるようで、切なさと苦しさで涙が滲み視界もぼやけてくる。そんななまえの姿を見れば、なし崩しのように、互いの欲が行き着く所まで行為に及んでしまうことになった。執務室に残した仕事が脳裏を掠めながら、リヴァイは湧き上がる欲に抗えず、思わず自らを嘲笑するように呟いた。
「チッ、10代の若者かよ……」
「もう何百年も生きているというのに、嘆かわしいことだな。あ、また今日一つ歳を取るんでしたっけ?」
リヴァイが再びなまえの唇に重ねようとした瞬間、背後からわざとらしく声を掛けられた。声の方向を向けば、丸焼きにした七面鳥の器を手に乗せたエルヴィンが少し離れた距離に立っていた。口の端を持ち上げているが、目は笑っていない。少し機嫌を損ねているようだった。
「もうすぐディナーの用意が整います。それまでお預け……できますよね?」
「チッ……」
エルヴィンに負けじと不機嫌そうに悪態をついて、リヴァイはなまえを抱き起こした。
「ほら、立てるか?」
「ん……」
なまえは引っ張られた腕に力を込めるが、うまく入らない。引っぱり起こされる形になって、リヴァイに背中を支えられた。
「どうせ加減せずに、遠慮なく大量に吸ったんでしょう? 可哀想に……」
「うるせぇ」
「リヴァイ、私……」
言いかければ、どうした?と覗き込まれる。リヴァイのその表情でこれは本気で心配されているのだと解って、申し訳ない気持ちになる。
「ディナーまで部屋で休むか?」
「ううん、違うの……、私……」
「うん?」
「……血が欲しい。リヴァイの」
見上げれば、リヴァイは驚いたように目をまん丸くしていた。そう言えば、なまえから血をねだるのは初めてかもしれない。飲めと言われて仕方なく齧りつくか、エルヴィンの血を貰うことも多かった。
「 なまえ?」
「……あ、ごめんなさい。変なこと言って……」
「いや、そうじゃない」
リヴァイは調子を狂わされ、呆気にとられていた。彼の様子がいつもと違うことで、なまえも不安げな顔になってしまった。ぎくしゃくとした空気に助け舟を出してくれたのは意外な人だった。
「ハァ……いいですよ。ディナーまでに済ませてくださいね。今日は特別な日ですから」
譲ってやるだけだ、そう言い放ってエルヴィンはダイニングの奥へと消えていった。
エルヴィンのそんな姿に、今は危ういバランスを保っているだけだということをなまえは思い知らされる。どちらかを愛しすぎたら、きっと壊れてしまう。均衡が破られるのはきっとこんな日だけなのだ。
「……ふふ」
クスクスと声を殺して笑うなまえに、リヴァイがどうした?と不思議そうに問い掛けた。
「さっきのリヴァイの顔、……可愛いかったから」
「なまえ」
「不思議。どうしてかわからないけど、幸せなの」
「ああ」
抱きついたリヴァイの首筋に顔を埋めれば、リヴァイの匂いがした。紙とインク、それから微かに血の匂い。
「ずっと側にいてくれ」
背中を抱き締め返されると、衝動はより大きくなる。ぞくりと背筋が震え、その先を想像するだけでどうにかなってしまいそうだった。
なまえがリヴァイの薄い唇にキスをして、その唇を離して、じっと見つめれば彼の顔が少し紅潮しているのが解った。
「好き」
照れくさそうに頷くリヴァイを見れば、ますますその気持ちが強くなる。もうどんな景色も色褪せそうなほどの時間を共に過ごすことになっても、この想いだけはきっといつまでも鮮やかなままだ。
みんなあなたを愛しているんだよ。
毎年この日にたくさんのごちそうに囲まれて、暗く重い枷を忘れるほどの笑顔に出会えるのも、今日がクリスマスで、そしてあなたが生まれた日だから。
(2014.12.26)
遅刻しちゃったけど、兵長お誕生日おめでとうございます。