青くて純粋で尊い

 行き過ぎた忠誠心は信仰にも似ている。
 壁の外へ自由を求めて命懸けで戦う、崇高な志を持った集団と言えども、巷で話題になっている胡散臭いウォール教とそう変わらないのかもしれない。
 世間からどんな視線を向けられても盲目を貫き、悪口雑言に耳も貸さず。ある意味でとても純粋だ。


 そんな風に向けられた忠誠を、簡単に利用できるのは立場故のものだ。文句を言う者などいない。こちらもいつしか麻痺してしまった。いや、慣れてしまったと言うべきなのか。
 心臓を捧げよと平気で命じることに。もちろん、自分もその内の一人であるのが大前提ではあるが。


 忠誠とはまた違った意味で近付いてくる者もいる。大抵が華やかな容姿をしていて、自信に満ちあふれている女。兵士でも貴族でも同じだ。大した地位も権力も持たない私に彼女達が近付く理由はすぐに解った。
 くだらない。
 それでも、組織同士の立場や思惑、本音と建前、戦略と計略でがんじがらめになっている身には至極安心出来る存在でもあった。浅はかだと半ば蔑みながら、なんてわかりやすいんだ、と慰めにも似た思いを抱く。
 そんな者も利用するのは簡単だった。自分で手を伸ばすこともあれば、相手からの誘惑をじっと待つときも。
 こんなに死の近くにいる男なのだ。後腐れのない関係の方がお互いに有益だろう。彼女達に本気になることなどなかったし、そんな私の態度に彼女達が見限って離れていくのが常だった。どんな悪い評判が立つのかと思いきや、堅物だとか、女に見向きもしないとか、巨人が恋人だとか言われるようになったのは想定外だったが、ともかく刹那の情事を適度に楽しむのにも慣れた頃。


 まさにそんな事後、団長室にノックが響いた。そもそもそんな所でやるのが悪い。時計を見遣れば定時を過ぎた頃で、まだ日も落ちきっていない。どうせリヴァイかミケだろう、と思って適当にシャツを羽織ってドアを開けたのが運の尽きだったのかもしれない。


 ドアの前にいたのは予想だにしない人物だった。
 女。
 たしか、なまえ・みょうじという名だっただろうか。
 
「……あ」
「……」



 まるで言葉が出てこなかった。一般の団員の前では厳格な団長を気取っているつもりだった。曲がりなりにもここは一兵団で、それなりにお固い規則もある。
 一方でなまえは真っ赤になったと思ったら、今度は真っ青になった。

「だっ……団長っ、すみません!! これ、頼まれていた書類です」

 彼女はそう言って書類を押し付け、言い訳する猶予も与えてくれずに足早に去ってしまった。
 午前中に、なるべく早くと頼んだ資料だった。分厚いその書類が想像以上に早く届いたのも思わぬ誤算だった。
  


 通常指揮官が配置される次列中央の比較的安全な箇所でも、ごく稀に巨人が入り込んでくることがある。なまえはその時のための精鋭の一人だった。班を任せるには少々心もとない、しかし確実に経験を積んで生き延びている者だ。
 彼女について取り立てて印象はなかった、というのが正直なところだった。次列中央の同じ班にいて、直接仕事を命じるほど近い距離にいたはずなのに。

 翌日、なまえを探すと資料室に詰めているのを見つけた。真剣に書類に向かうなまえの顔を改めてよく見てみると案外整った顔をしている。こちらの視線に気がついたのか、顔を持ち上げたなまえと目が合うと、すぐに逸らされてしまった。なんだ、このくすぐったさは。

「やあ、なまえ。昨夜はすまなかったな」

 話しかけると、やはり目も合わせずに、形式張った返事が返ってきた。

「いえ、こちらこそ団長の都合も考えずにすみませんでした。急ぎだと言われたので早くお届けした方が良いかと思いまして」
「……ああ、君があまりに早く持ってくるから驚いたよ。お陰で助かった」

 近付いて耳元で囁けば、なまえは真っ赤になって俯いている。彼女の胸の鼓動が伝わってきそうな程だった。

「昨夜のことは、口止め料を払った方がいいのかな?」

 そう思わせぶりに言うと、急に彼女の表情が暗く沈んだ。
 彼女から向けられている気持ちを確信した上で、わざと言った。

「必要ありません。誰にも言っていませんし、今後も言うつもりはありませんから」
「そうか。助かるよ」

 資料室を後にするとき、背中に痛いほどの視線を感じた。
 忠誠でも誘惑でもない、純粋な好意に対処する術は持ち合わせていなかった。そもそもそんなもの、いつ死ぬかも分からない兵士には不要なものだろう。





 それからは普段通りの生活だった。しかし気付いたこともある。
 清潔に整えられた執務室、窓辺に飾られる季節の花。何か仕事を頼めば最速で遂行してくれる。彼女のさりげない心遣いが、既に私の生活の中に溶け込んでいたことに。
 いつものように利用してしまえ、と私の中の悪魔が囁く。きっと私のためなら何でもしてくれるだろう。どんなに汚いことでも、危険を伴うことでも。だがそうできなかったのは、僅かに良心が残っていたからなのだろうか。
 彼女の名を聞くたびに、彼女を目にするたびに、彼女が気になって仕方がなくなった。しかしその度に、その純粋な思いと相反する自らを比較して遣る瀬なくなってしまう。相応しくない。私にも、あの子にも、と。
 ただこの穏やかな日常が、いつまでも続けばいいと生温いことを願っていた。



 壁外調査でも、なまえは変わらず私の班にいた。班の後方で同じ速度で馬を駆けながら、時折上がる煙弾を見ながら進路を変えていく。
 右翼後方から上がった黒い煙弾が気になっていた。もう少し南東に進めば巨大樹の森がある。そちらに進路を向かわせていた頃、嫌な予感が的中した。

 右翼側に奇行種が、もう目視できるところまで来ていた。隣の班の兵士が応戦するが、すごいスピードでこちらへ向かって来る。

「もうすぐ巨大樹の森だ。このまま撒くぞ!」

 駆ける速度を上げて、一気に目的地を目指した。

「団長、奇行種が……、こちらへ向かってきますッ!」

 悲壮感に満ちあふれた女性兵士の声が耳を掠める。それがなまえの声だったのかなど考える余裕などなかった。

「このままでは我が班も損害を受けてしまいます! 応戦します!」

 そう言って隊を離れて奇行種のもとへ向かうなまえに、団長として許可するとも却下だとも言えなかった。

「お前達はこのまま巨大樹の森へ向かえ」
「了解っ、……エルヴィン団長!?」

 自分でも無意識だった。
 奇行種のもとへ向かうなまえに、全速力で馬を駆けさせる。団長になってからというもの、巨人と間近で相対するのは久しぶりだった。身体中の血が沸騰するような、妙な興奮が身体を駆け巡るような気がした。
 なまえの存在に気付いた奇行種が、彼女を捉えようと手を大きく動かした。初めから囮になるつもりだったのだろうか、なまえは応戦体勢を取ろうとせず、馬で駆けながら奇行種の腕の動きをかわしていく。

「何をしているんだッ、なまえ!」
「エルヴィン団長!?」

 こちらに気付いたなまえは目を丸くしている。

「早くっ、」

 逃げろと命じる前に、奇行種に囚われる寸前のなまえが目に入る。
 考えるより早く身体が動いていた。重力に逆らって空中を駆け、奇行種の項を削ぐというよりは力づくで叩き切っていた。
 

 なまえは放心状態だった。そんな彼女を起こし、同じ馬に乗せて巨大樹の森まで駆けた。
 
「久しぶりに巨人を討伐したよ。リヴァイのように綺麗には削げなかったな」
「……っ、どうして……、どうして私なんて助けたんですか?」
「……解らない」

 解らないんだ、と呟きながらも、ずっと胸に抱えていた靄が晴れたような気がして思わず笑ってしまった。自分の中にこんなにも純粋な気持ちと衝動がまだ存在していたのかと。
 そんな私の顔をなまえは不思議そうに覗き込んでいた。リヴァイなどには気味悪いとか言われて、あまり人前では笑わないようにしていたのに。

「だが、君のことは助けなければと思ったんだ」
「だん、ちょ……」

 片手で手綱を取りながら、もう片方でなまえを強く抱きしめていた。

 
(2014.10.12)
 


団長が巨人を倒すところって今まであまりイメージできなかったんですが、とてもカッコ良さそうと思って。
サーフさま、リクエストありがとうございました!とても遅くなりまして、申し訳ありません。今後ともよろしくお願いしますです。


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