月森孝介→(結城理)→(島左近)→(一条康)
「う〜ん・・・。」
低く唸って、先輩は紙をぐしゃぐしゃに丸めて、それをゴミ箱へ投げるのかと思ったら、机の横に引っ掛けてある手提げの中へ放り込んだ。放課後の、人がまばらに残っている三年生の教室の中で、先輩だけが難しい顔をして頬杖をつく。
どことなく近づきづらい雰囲気を感じ取ったが、一つ息をついて、その中へ入っていく覚悟を決める。傍から見たら、覚悟を決めるほど大したことじゃないけれど。
「先輩。」
「ん、ああ。孝介じゃん。」
「何かあったんですか?」
「あったような・・・なかったような?」
まあ座りなよ、と前の席の椅子を引っ張り出す。俺は椅子を跨いで、先輩を正面に見るように座る。お菓子食べる?なんて先輩は言って、あの手提げからお菓子を取り出す。少し手間取っていたのは、放り入れた紙を見せまいとしているからだろうか。
こうやって、俺にはあまり、弱いところを見せてくれない。先輩だからっていうのがあるのだろうけれど、たった一つ違うだけだ。たった一つ・・・年単位も違わない、そんな少しの差を気にして、先輩は今日も背中を伸ばしている。でも先輩はあんまり隠すのが得意じゃないから・・・ほんの僅かに弱いところを見せてしまうから、少し心配になってしまう。
「なになに、今日はこっち来るの早くない?孝介ちゃんは、そんなに早く先輩に会いたかったの〜?」
「はい、会いたかったです。」
「ははは、そう言うと思ったよ。」
お菓子を摘みながら、帰っていく友人に手を振っている先輩はいつも通りだ。この先輩は、俺が何を聞いたって大丈夫だと強がる節がある。ので。
「えい。」
「おっ、ちょっとちょっと!何してんの!」
「先輩が隠してるものを見ようと思って。」
「いやいやいや、何も隠してないって!」
「何も隠してなかったら、手提げから手を離してください。」
「いやー、ははは。いやいやいや。」
少しの攻防戦を経て、俺はその手提げを奪い取る。丸まった紙を探し出すのは簡単だった。すぐに広げて見てみれば、それはテストの答案用紙で。残念ながら、丸の方が少ないくらいだ。
テスト用紙の向こうで、泣きそうな顔をしている先輩がいる。少し意地悪をしすぎたみたいだ。
「ごめんなさい。」
「どうしてもね。その教科がね。苦手なんだよね。」
「でも、赤点じゃないでしょう?」
「・・・私ね。」
泣きそうな顔をやめて、真剣な顔をして俺と向き合う。
「私、都会の大学へ行きたいの。」
「都会の?」
「もっと言うと、孝介の家の近くの大学。電車で、すぐに会えるような距離の。」
「・・・。」
「動機が不純すぎて親には本当のこと、言えてないんだけど・・・私が今、今までにないくらい勉強を頑張ってるのは、その為なの。」
「・・・。」
「孝介、もうすぐ帰っちゃうでしょう?でも、その頃を見据えれば、私にだって選択は出来るの。ここに残る必要もないの。だから・・・、孝介、あなた顔色が林檎みたいだよ。」
「あ〜も〜・・・。」
ものすごく嬉しいことを言ってくれている、この人は。俺はこの人と恋人同士になってから、いずれは遠距離恋愛になっていくのだと思っていた。だから、今のうちに一緒に行きたい所には行っておかないといけないと思っていたし、言いたい事もやりたい事も、出来るだけやっておきたいと思っていた。
のに、先輩はそうではなかった。先輩は、俺と離れる気なんてさらさらないみたいで、ずっと一緒に居てくれようとしている。待ってくれるとは言った人はいたけれど、追いかけようとしてくれる人は、今まで居なかった。だから、すごく嬉しい。今度は俺が泣きそうだった。
「じゃあ俺も、先輩が行った大学に行く。」
「え、ええ?やめてよ、孝介の方が頭いいんだから、もっと上を目指しなよ。」
「嫌だ。もっと、先輩と昼ご飯一緒にしたり、お菓子食べたり、悪い虫がつかないようにしたい。」
「やーね、殺虫剤くらい自分で撒けるって。」
段々と、顔色が落ち着いてきたのが分かる。やっぱり俺は、どうしようもなくこの人が好きだ。当たり前のように、先輩の隣に俺がいる未来を語ってくれる、先輩が好きだ。
「先輩。」
「うん?」
「受験、頑張って。」
「うん。当たり前。」
「それで、俺と一緒に住もうね。」
「・・・へ?」
「予約。」
嬉しい時も、今はなかなか見せてくれない悲しい時も、俺は先輩の傍に寄り添いたい。俺が何もかも受け止められるような、大人の男になったなら、先輩は寄りかかってくれるだろうか。楽しみな未来を想像しながら、俺は先輩の薬指にキスをした。
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