どうかこのままで





溺れる。
柔らかみを帯びた艶やかな肌、絹糸の如き繊細な髪、女性の最たる豊満な躯体、蠱惑的な美しさを漂わせる顔つき―――その全てが自分の胸の内にすっぽりと収まっている。

何と心地良いのだろう。
理性の警鐘が強制的な“何か”に抑え込まれ、次第に本能的な欲求に移ろいでいくのを自覚しつつも抱き締める力は一向に緩もうとはしない。

彼女に直接触れるという大胆な行動をするに至っての躊躇いは今や消失したも同然であり、代わりに彼女を自分の体温と触れ合わせたいという切望が濁流の如き勢いで湧き出していく。

「ア、アレディ…?」

動揺と困惑の疑念が耳元に届く。鈴のような凜とした声音が更に頭の芯を茫洋とさせ、女性特有の芳醇な香りが更に心の臓に灼熱の岩漿を送る。

こんなにも気分が高揚するのは何故なのか、立ち込める靄のように沸騰しきった精神では判別のしようがない。ゆえに妖精の姫の温もりが直に味わえるこの時間が永遠にならないものかとさえ願ってしまう。

触れ合う体から流れる互いの脈動。彼女から伝わる血流と鼓動が自分の熱を更に上昇させていく。指先に捉えた柔肌が滑らかな感触を帯びていき、一層欲が深まり溺れてしまう。

……申し訳ありません、ネージュ姫殿。
それが、僅かに残った理性の最後の言葉だった。





「いやーすっかり呑まれてるな、これが」
「すっかりセオリー通りですの」
「過剰なアルコール摂取による脳の麻痺が原因と思われます」
「よいよい、良い戯れである」
「いい映像をびっちしばっちし記録しちゃいましたですのことでありんす」

一方的に抱き締めるアレディと成す術もなく抱きつかれたネージュを完璧に傍観している面々が各々の感想を呟いてみせた。アクセル、アルフィミィ及び錫華は提供された料理をぱくぱくと頬張りながら笑みを浮かべる辺り完全に楽しんでおり、アシェンとKOS-MOSはアンドロイドとしての役目とばかりに静観を決め込んでいる。

「OK、気が合うなレコーディングガールズ&レッドワカメ。こいつは俺も驚く豹変ぶりだ」
「わ、私もびっくりしちゃいました…」

こちらもこちらでゆったりと寛ぎながらの感想。神夜は目の前の珍事に赤面しているもののしっかりと行方を見守り、ハーケンは苦笑しながらもアレディによるネージュへの一方的な抱擁劇を快く受け入れていた。その間、神夜に酌を頼んでいたことからネージュへの助け舟を出すつもりは無いらしい。

「ちょっ、ちょっと…!」

優しい強制力を振り払うことが出来ずにいるネージュは非難の声を上げた。誰も彼もがアレディの大胆な行為を咎めず、尚且つ巻き込まれた自分を助けようとしない。それどころか好奇の視線で生暖かく見守られるという屈辱的な対応が彼女の癪に触った。

だがネージュがアレディの抱擁を無理に解けない以上、甘んじて受け入れるしか選択肢がなかった。酔いが回ったとはいえ自分の護衛を引き受けているアレディをぞんざいに扱うことは流石に出来なかったらしい。…おそらく。

そもそも何故このような事になったのか?

厳密に言えば引き金を引いた者はすぐ近くに存在しており、そしてやはりというか事件の核心人物はというと。

「わしを抱き締めぇい、銀河の果てまでー!」

宴会の中心でパートナーへの愛を存分に吐き出していた。
言わずもがな、ノリのいいメンバー内において最も調子に乗る齢765の仙狐―――小牟である。

駄狐やらダ・フォックスやら好き勝手に呼ばれる存在は、その名の通り無駄に悪ノリが良すぎるため様々な事態を引き起こしてしまう。そうでなければこのような事態はまず有り得ないのだ。

ちなみに今回、小牟がやらかしたのは―――宿を取る際に「たまには旅の疲れを癒やすために宴会でもしようではないか皆の者ぉ!」と勝手に宴会の予約を入れ、真っ先に酒を煽っていち早く酔ってみせ、そして飲酒を頑として断り続けるアレディに業を煮やした挙げ句「ならばこれを飲めぃ!答えは聞いとらんのじゃあ!」と一見無害な果実ジュースの中に酒を混ぜた『カクテルもどき』を本人には内緒で延々と飲ませ、結果的にアレディをすっかり酔わせたことである。酒を酒と気づかなかった鈍いアレディにも責任はあろうが、彼を未成年と知って悪ノリした仙狐は更に手に負えないだろう。

ともあれ目の前の抱擁劇を招いた張本人はというと、アレディに負けないように無駄に意地を張ってちゃっかりパートナーに迫っており、

「ほれほれ、主もあやつのようにそろそろ酔いが回ってきとらんか零児ぃ〜。ぷりちー仙狐が抱き枕なんてサービス、滅多にないんじゃぞ〜?」
「いらん。それより未成年に飲酒を進めた責任として後でたっぷり尻叩きをしてやるから安心しろ」
「ちょ、まっ…まさかのお仕置き追加処置じゃと…!?」

そして零児からの容赦ない罰の宣告が下されていた。哀れ小牟。今更ではあるが自業自得である。

それはさておいて。
アレディは小牟の期待通りに酔い潰れてしまい、メンバーの予想通りに豹変していた。普段は己に厳しく礼儀正しい所作で生真面目を地で体現するアレディも、酒の余剰効果で己の枷を外されてしまったせいかネージュを離そうとはしない。

「……ネージュ…姫……殿…」

熱に浮かされた声音が耳元で囁かれ、不覚にもネージュの顔が林檎のように紅潮する。

「ア、アレディ! もうっ!」

ネージュが恥ずかしさのあまり四苦八苦して逃れようと試みたが、日々鍛錬を己に課すアレディの腕力は呆気なく抵抗を無力化させてしまった。どれだけ暴れようと所詮は女と男である、じたばたと藻掻いたところで力の差は歴然であった。

「わお、初々しくてこっちが恥ずかしくなりますの」
「全く同意見なんだな、アルフィミィちゃん。しっかしアレディも抱きつくだけとは爪が甘いなー。俺だったらもっと…」
「マセ幼女の前で何ピンクい妄想を馳せてやがりまするですかエロスウルフめが」

外見年齢を無視する幼女の意見を全面的に受け入れつつ無粋なことをぼやく赤ワカメにアシェンの毒舌が冴え渡る。

だが実際にアレディの行動は大人のそれより遥かに純粋な欲からきているのは明白で、その姿はさながら主人に全力で甘える忠犬のようであった。今ならば真紅の髪の上に犬の耳が幻視できるのではなかろうか。

「さて……と。俺たちは邪魔みたいだし行くとするか」
「は、はい……邪魔しちゃダメ、ですよね」

そこで先に手を打ったのがさすらいの賞金稼ぎと和国の姫君である。時刻も深夜を回る頃と見計らいつつ潮時と踏んだのであろう。

そんな二人に倣ってか、メンバーも次々に立ち上がって各々の部屋へ戻る用意を開始する。

「ならばそろそろ妾たちもお暇するとしようぞ」
「了解です、スズカ」
「じゃあお二人さんはぴったりストロベリったりな空気を存分に満喫しとけってことですたい」
「むうぅ…お仕置きがわしを待っておるぅ…」
「わかっているなら話は早い。覚悟しろ」

別れの言葉を残してぞろぞろとこの場を去る仲間たちにネージュは驚愕した。散々煽ってこの仕打ちとは、只でさえ短いネージュの我慢の糸が切れるには充分な威力である。

ちょっとそれはド無責任じゃなくて?!と純粋な怒りが彼女を奮い立たせかけ、

「…ま……もり、ます…」

覇気の変化を敏感に感じ取ったアレディが一層深く優しく丁寧に抱き寄せたため彼女の憤りは瞬時にして封殺されてしまった。

その後は人が少なくなった影響なのか徐々にネージュの全身を味わうようにアレディの抱擁の甘えは強くなる一方。

これを一体どう解決したらいいのか、如何に長命を誇る妖精族の姫でさえ判断がつかないまま無情にも刻々と時間が過ぎていくばかりであった。





「ネージュ姫殿、私には昨夜の記憶が無いのですが一体何があったのでしょうか? いつの間にか宿の一室で一夜を過ごしていた理由が私には検討もつかないのです。そして隣にネージュ姫殿がいたので何かあったとしか、」
「アレディ」
「はい、ネージュ姫殿」
「…お、覚えてなくていいのよ」
「は?」






あとがき

アレディはネージュをお姫様抱っこで部屋に連れて行って再び抱き締めたまま安眠したオチ。中の人ネタで“アルコールは脳細胞を破壊します”というセリフを言わせたかったんですが何となく諦めました。

※某掲示板に投下済み。

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