第一話

  七月の初め、少しずつ夏の暑さを感じるようになってきたこの頃。
森を散策しようと十代から誘われたが、この歳になって少し幼稚すぎやしないかと思う。とは言いつつ、結局自分も参加してここにいる訳だが。……仕方ないではないか。天上院くんも参加するというのだから。

 「よーし、これで皆集まったよな」
周りを見れば毎日顔を合わせる面子がぞろぞろと集まっている。こんな子供じみたことでも人が集まるのは人望故か、単にこいつらが幼稚なだけなのか。いや、ちょっと待て。
「おい十代。天上院くんが来ていないぞ」
周りにいるのはむさくるしい男だけで、唯一の俺がここにいる理由である彼女が見当たらない。
「あー……明日香は急用ができて来ないってさ!」
「さては十代お前嘘をついたな」
「いやいやそんなことないって!本当だってば!なんなら明日香に聞いてみろよ」
ほんとうだドン!そうだよそうだよ、と腰巾着の二人も賛同する。こいつらは嘘をつくのが下手だからな。残念ながら本当のことなのだろう。

 「探検といってもここ特に何もないところッスよね?なんでココなんスか?」
そう、ここは地元の地図を見てもインターネットで調べてもただの森。森の入口に簡易な手作りの看板があるが随分時が経過したもので腐敗し、表面は削れてもはや意味をなさないただそこに刺さっている木の棒と板に成り果てていた。なぜアイツがこんな所を散策しようと提案したのかはわからない。が、奴は無駄にカンの冴える男だ。たまにとんでもない事をしでかしたりする。良くも悪くも。
「んーまぁなんとなくだよなんとなく。暇だしさ。とりあえずテキトーにそこら辺ふらついて帰ってこようぜ?みんな何かあったら報告な」
おう、と威勢の良い返事をしてそれぞれが散らばっていった。おい、虫かごと虫取り網を持っているヤツは何だ?夏休みの小学生か?俺は自分の齢をもう一度数えなおしたくなった。あまりの幼稚さに頭を痛めつつも、奴のカンというものに少しだけ、ほんの少し、期待を寄せて俺も森の中へと足を踏み入れた。

 とりあえず地図を見て帰りもしっかり戻ってくるルートを見立てて進もう。地図を広げ出すと丸藤翔が信じられないものを見るように元々大きな目をさらに見開いた。まさか貴様ら地図すら持ってきていないのか?と聞くと、十代が無い方がたのしーじゃん、なんて言ってきた。迷子になっても知らん。
森の中は当然整備されておらず、道らしき道はない。そこらじゅうに雑草がこれでもかと生い茂っている。人の踏み入った形跡もないので雑草は自由に背を伸ばし、自分のふくらはぎや膝あたりまであるほどだ。残念ながら地図はあまり役に立ちそうにない。

 適当にふらつけばその途中に目に付く場所があった。ただの雑草ばかりが無造作に生えている周りとは違いそこだけ隔離されたような、いや、パッチワークのように切り取って貼り付けたような明らかに人の手が加えられた小さな花畑があった。森は大きな木で陽の光を遮っていたのだが、そこだけは光が差し込んできらきらと輝いているように見える。近づけばその輝きの正体がわかった。花を踏み潰さないようにそっと手でつかみあげる。白群色の宝石が埋まった綺麗なペンダントだ。誰かの落し物なのだろう。まじまじと宝石を見つめると中に無数の細い金色の針のようなものが閉じ込められていた。指紋で汚してはいけないと思い、チェーンの部分を握りしめた。
さて、ここからどうしたものかと考えあぐねていると突然近くからがさがさと草むらを揺らす音が聞こえた。何も考えずにその方向へと進んで行く。草むらを揺らすそれはどんどんと先を進み距離が開く。見失うまいとこんな暑さの中、足早に駆ける。今日の俺は少しおかしい。
◇◆◇

 目の前には鳥肌の立つような光景が広がっていた。世界中の紅という紅を独り占めしたような薔薇がこれ見よがしに咲き乱れているのだ。いや、咲き乱れるというよりただ薔薇がそこに敷き詰められるだけ敷き詰められている、そんな感じに見受けられる。まるでそこだけが切り取られここの森に無理やり合成しているようだった。デジャヴを感じずにはいられない。薔薇の蔦同士が複雑に絡み合って繊維のように頑丈になっている。花は一つ余ることなく俺を見ていた。少し、いやかなり不気味だ。それなのに身体は薔薇に引き寄せられていく。
花弁と花弁の隙間が鈍く光ったのを俺は見逃さなかった。そっと花弁を掻き分けるとくすんだ銀色が顔をのぞかせる。スッと引き抜けばそれは刃物の形をしていた。とても小さなナイフだった。どう考えても不自然で作為的なものにしか思えない。これでこの薔薇を切り裂けとでもいうのか。そんなことをしてしまえば花の返り血で俺の全身が真っ赤に染まるような気がしてならない。この紅が俺に警告しているように思う。私たちを傷つけてはならない、と。
右手に握るナイフを見つめる。所々が錆びて変色して刃先もボロボロだ。これではものを切れるような状態ではなかった。どちらにせよ俺にはナイフで切り裂くという選択肢は無いようだ。手に取ったナイフを地面に捨て、紅の中へと躊躇せずに手を突っ込んだ。棘が容赦なく俺の手を傷つける。やはり今日の俺はおかしい。

 なんとかして絡み合う蔦を解いた頃には手の甲も手のひらも血が滲んでいた。薔薇が意地悪く嗤っているような気がした。
蔦を潜り抜けると先ほどとは比べ物にならない背丈の植物があちらこちらに光を遮るようにしてぴ茂っている。その隙間からわずかに建物らしきものが見えたのでそこに向かって進むことにした。手が植物に当たるたびにズキズキと痛む。この鬱蒼とした植物が暑苦しい太陽を隠してくれていることだけが唯一の救いだ。

 見通しの悪い中、確実に建物との距離が縮んでいくと同時に少しだけ、見晴らしも良くなった。建物はどうやら随分大きな屋敷で壁の至るところにコケが生え、蔦は絡み放題だった。しばしば道に生えている背丈の高い植物が倒れかかっていて邪魔になる。手で退かすのにもこの手では一苦労なのでもうやけくそとなりそのまま無理やり前進した。
ガツンと硬いものが頭に激突した。もう満身創痍だ。
立ち止まってみればその硬いものは少し洒落た鉄格子で、そこも蔦の遊び場となっていた。今の衝撃のせいか鉄格子がすこし開いている。
どうせこんな森の中だ。誰も住んでいやしないだろうと安易な気持ちで中に踏み入れた。

 「誰かいらっしゃるのかしら?」
凛と、はっきりした女性の声が飛んできた。
まずい、人がいた。
「す、すまない、決して荒そうとかそういうことはなくて」
白いワンピースを着た長い髪の女だった。帽子をかぶって大きなジョウロを手に持っている。
「よかった。私野蛮な人だったらどうしようかと」
ふふふ、と手を口に添え小さく笑いながらこちらへ来る。
「はじめまして。私はエレンです。ここまで来るの、大変だったでしょう?どうぞ中に入ってくださいな」
ここに来るまではたしかに大変だった。しかし、初対面のしかも女性に迷惑をかけるのも気が引ける。ホイホイと家に入るのはあまりよろしくない。やんわりと気遣いだけ受け取る、と断る。
すこし残念そうに項垂れるエレンさんとやら。しかし自分は迂闊だったようで手の傷を彼女の目に留めてしまった。
「まぁ、いけないわ!ひどい傷……!!消毒しましょう、破傷風にでもなったら大変だわ」
この屋敷の娘なのだろうか、決してきつくはないがこちらに有無を言わせない口ぶりで家の中へと消えていった。
仕方が無い、消毒させてもらったらすぐに戻ろう。彼女の言う通り破傷風になるのは避けたい。
ここまで来たのにも結構な時間を費やした。はやく戻らなければ。

 「治療道具が意外と重くて……ちょっと、玄関にだけ入ってもらってもよろしいかしら?」
擦り傷や切り傷を手当てするだけとは思えないほどの大きさの箱をドンと床に置いた。……大丈夫なのだろうか、と少し不安になった。
しかしそれは杞憂だったようでその大きな箱から消毒液やガーゼを取り出し丁寧に手当してくれた。
「ふふ、私に手当てされるの、不安でした?」
「いや、そんなことは……」
「大丈夫。私もよく切り傷を作ってしまうから手当ては慣れているのよ」
手当慣れしているのは安心できるがよく切り傷を作るという点は大丈夫なのだろうか。それでもやはり手つきは慣れたものでさっと終わらせてしまった。
礼を述べ、携帯電話の時計を見ようとしたがボタンを押しても画面は真っ暗で起動をしようとしても何も変化がない。充電が無くなったのだろうか。

「何度も申し訳ないが今何時かはわかるだろうか」
「え、えっと…ごめんなさい。うち、ちょうど時計が壊れていて…」
少しどもりながら目を逸らし本当にごめんなさいね、と言う。仕方が無い。急いで帰ればきっと合流できるはずだ。
「いや……。世話になった」
「どういたしまして」
彼女に背を向けて歩き出す。手当のおかげでまだ痛みは感じるもののずいぶんと和らいだ。
「もし、お暇でしたらまたいらしてくださいね」

後ろを振り向いた時には、もう彼女の姿は無かった。
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