きらきらのきずあと

※現パロ/学パロ(≠3Z)


 名前の小さく狭隘な世界は主に来島また子という女の子が中心に動いていると言っても過言ではなかった。
買い物帰りの途中、隣の家の塀に寄りかかってじっとしている女の子を母が不審に思い、声を掛けたのが始まりだった。どうしたの、と母が優しく声をかけても地面を見たままなんでもないとだけ言い、そのままじっとしていた。引っ込み思案な名前は声をかけられなかったが、また子のことが気になって仕方なかった。
しばらく経っても地蔵のように動かないまた子が流石に放っておけなくなり、名前の母がどうにかして家の中に入れてあげた。それはまだ名前がようやく自分の名前を平仮名で書けるようになった歳頃だった。
幼くして両親を亡くしたまた子は名前の隣の家に住んでいた夫婦に引き取られたは良いものの、その夫婦とは上手くいかず偶に家の外へ飛び出していたらしい。
優しく出迎えてくれる名前の母や、遊び相手になる名前自身をまた子は段々と気に入り始め、かなりの頻度でまた子は苗字家を訪れていた。
名前も名前で彼女が来ると、三時のおやつが少しだけ豪華なものになったり、いつも以上にご飯が美味しく感じたり、いつもは早く寝なさいと部屋の電気を消しに来る母が少しだけ遅かったりするような日々が好きだった。また子の義両親も最初は迷惑になるからと引き止めようとしていたが、暴れ出すまた子とむしろ歓迎しているという名前の母の態度を見てそれなら都合が良いと放任するようになった。
 小学校に入学しても、変わらずまた子と名前はずっと一緒にいた。たまに他の子も混ぜて一緒に遊ぶこともあったが、また子と名前の二人だけでいることが圧倒的に多かった。毎日手を繋いで家と学校を往来した。六年間一緒に居ても飽きることはなく、休日はよく苗字家でお泊まり会をする事が習慣になっていた。名前にとってまた子とは家族と同等に、もしかしたらそれ以上に"当たり前"となっていたのだ。

 中学校からは同じ小学校のメンバーに加え、他の小学校からも同じ中学に入学するわけなので圧倒的に関わる人間が増え、元々内向的で交友関係の狭い名前とは対照的に、また子は名前以外の友達も沢山できた。
小学校まではまた子と二人きりでいることが当たり前だったのに、いつの間にかまた子と名前と他の誰かたち、という枠組みで学校生活を過ごすことが多くなり、名前の中で何となく不自由さを感じていた。
それでも、休日の二人きりの時間は誰にも邪魔されることなく過ごすことが出来た。名前にとってはこの休日のお泊まり会が何よりの楽しみになっていた。昔よりも成長して、いくらか狭くなった一人用のベッドに身体を押し付け合うようにして眠る度に名前はなんだかむず痒い気持ちになっていた。
初めて買ってもらったケータイはお揃いのストラップがじゃらじゃらと付いている。ケータイの型は違うから、百均で買ってきたデコストーンでお揃いみたいにした。二人だけで撮ったプリクラを貼り付けた。もちろん、電話帳の一番上にはお互いの名前が登録されている。多くの友人に囲まれるまた子を見ても、二人きりの休日と、このお揃いのケータイのことを思えばちっぽけな優越感に浸ることが出来たのであった。

 そんな日々が壊れ始めていったのは、中学二年生の春。一学年上に転校生が来たらしい。
アウトローな人で喧嘩はかなり強いらしく、おまけに眉目秀麗、そんな男の噂はたちまち学校中──とりわけ女子──に広まった。
喧嘩というワードを耳にした名前は怖そうだから関わらないでおこうと思ったくらいで興味を示さなかった。名前にとってはまた子が隣にいればそれで満たされる世界なのだ。
しかしまた子は違った。きっかけは名前もよく知らないが、目を輝かせて「晋助先輩」とその男の姿を追っていったのだ。
休日の二人きりの時間でも、また子は頻繁に晋助先輩の話を出すようになった。この前の先輩がかっこよかっただの、先輩にこんなことを言われただの、事細かに報告をするまた子は恋する乙女そのものだった。名前はうん、うん、と相槌を打つもその場でやめてと泣き叫びたい心を殴り殺すのに必死だった。また子の話など頭に入ってこなかった。
いつしか、二人きりの休日すら憂鬱なものへと変わっていってしまった。それでも名前はまた子から離れられなかった。

 「また子ちゃんは、どの高校に行くの」
もうすぐ中学三年生になる頃。まだ冷たさが残る春だった。
「私は晋助先輩を追いかけるッス」
迷いのない瞳でそう答えた。もうわかりきっていたことなのだ、そんなことは。それでも名前は聞かずにはいられなかった。
「じゃあ私も」
「名前には無理ッスよ」
一刀両断。事実、また子が高杉晋助を追いかけて行くという学校は不良ばかりが集まる高校で、気の弱い名前には無理だということは自身でも充分理解していた。
「ま、また子ちゃんもそんなとこ行ったら、怪我しちゃうよ。危ないよ」
「私は別にいいッスよ。ナメられちゃ困るし、晋助先輩に相応しくなるためにも、あと一年で私はもっと強くなる」
どこまでも真っ直ぐだった。そんなまた子が眩しくて、名前は俯いた。
「名前は勉強できるんスから、きっといい学校に行けるッスよ」
名前はまた子との間に他人というラインが引かれたのを感じた。名前が今まで、家族やまた子以外に引いてきたそれと似たものだった。
三年生になってからは、受験勉強のために休日のお泊まり会をする機会は一気に減った。名前は机に向かう時間が増え、また子は身体のどこかしらに傷を作ってくることが増えた。
卒業式は名前の受験日前日に行われた。涙も流すことなく式典は終わり、さっさと家に帰った。また子に頑張れよ、と言われたことだけはしっかりと覚えていた。



4月×日

 麗らかな春の今日。長い入学式も終わり、教室でこれからホームルームが始まろうとしていた。この教室にまた子ちゃんはいない。この学校に、また子ちゃんはいない。四月初めのまだ肌寒い風は冷えた私の心のようだった。
もう既に周りの子達はグループを作っていて、少し話しかけづらい雰囲気になっていた。あれ、そう言えば私って今までどうやって友達作ってたっけ。……あぁそうだ、私はいつもまた子ちゃんと一緒にいたから、また子ちゃんの友達とついでに友達になったりしていたんだ。私は一人で友達を作る方法を知らないのだ。
初日のたった数時間にしてほぼ諦めかけた私はカバンから文庫本を取り出そうとしたその時だった。
目の前にプラスチック製の袋で包装された何か(開封済み)が差し出された。ちくわ、と丸いフォントで大きく書かれている。……竹輪?
「お前にこれ一本やるヨ。なんだか元気なさそうネ」
「え、う、うん。ありがとう……?」
明るい髪色をした女の子だった。瓶底メガネと形容していいくらいに度の強い眼鏡をかけていて、竹輪を差し出すその姿は決してふざけているようには見えなくて、なんというか、得体の知れない女の子だ。
ん、と口の開いた袋をこちらに近づけてくる。断るわけにもいかないので恐る恐るその竹輪を一本引き抜いた。私にどうしろと言うのだ。隣をちらりと見るとその女の子はこれが普通だと言うかのように竹輪をむしゃむしゃと食べている。その姿を呆然と見つめていると、ガラガラと教室のドアが開かれた。白衣を着たおそらく担任であろう教師が中に入ってくる。どうしよう、と思いつつももう私の中には食べるという選択肢しか残されていなかった。急いで竹輪を口の中へと運ぶ。隣の女の子は二本目の竹輪を取り出していた。胃が痛い。


10月1×日

 半年くらい過ぎた。家が隣だというのに、高校に入ってからはまた子ちゃんと一度も顔を合わせていない。どうやら登校時間は私の方が早いし、帰る時間はまた子ちゃんの方が遅いみたいだ。
また子ちゃんがそばにいない生活なんて無理だと思っていたはずなのに、もう既にまた子ちゃんを過去の人物として置いてきてしまった気がして、それがとても悲しくて、恐ろしいことに思えた。
また子ちゃんがいなくても、クラスで仲良くしてくれる女の子もできた。男の人も、仲のいい人はいないかもしれないけれど、私が困ることをしてくる人はいない。……殆ど。私一人の力でそうなれたわけじゃないけれど、大体は神楽ちゃんのおかげだけど、私は確かにまた子ちゃんのいない日々をそれなりに平穏に過ごしていたのだ。
「名前ちゃん、できた?」
「あ、うん。これでどうかな、お妙ちゃん」
「あら、いいじゃない。ばっちりよ!……そろそろ学校が閉まる時間ね。今日は遅くまでありがとう」
「ううん、そんな、役に立ててよかったよ」
「名前ちゃんに声をかけてよかったわ。残りも頑張りましょうね」
お妙ちゃんがパチンと教室の電気を消すと、普段は騒がしい教室が嘘のように静かに、寂しく感じた。
「もうすっかり日が沈むのが早くなったのね」
「そうだね」
「それじゃあ、これから私バイトだから。帰り道、気をつけてね」
「うん。お妙ちゃんも、バイト頑張って」
ありがとう、とお妙ちゃんはにっこり笑うと背を向けて歩き始めた。空はもう藍色に染まりきっている。星が弱々しく輝いていて、一人になった途端、急に寂しくなった。

 家のすぐ側の曲がり角。女の子の声で少し騒がしい。曲がり角のその先の光景を見た途端に、私はさっと身を隠してしまった。

また子ちゃんがいたのだ。

正確には、見慣れぬセーラー服に身を包んでいるまた子ちゃんときっとその友達であろう女の子たちがいたのだ。
ドキドキと心臓の音がうるさくなる。決してときめきなんて甘酸っぱいものでは無い。なんで身を潜めてしまったんだろう。普通に、ただ玄関の扉を開ければよかったのに。
私は女の子の話し声が無くなるまでずっとその場に立ち尽くしていた。家に帰ったら、夕飯も食べずに一人部屋に閉じこもって泣いた。


3月×日

「名前は春が嫌いアルか」
「……どうして?」
「去年の春も同じ顔してたヨ。いつも以上に暗い顔してるネ」
なんて言えばいいのかわからなくて、私は、そっか。としか返事ができなかった。神楽ちゃんは、去年の入学式の日と同じようにまた竹輪の入った袋を差し出してくれた。
「名前、人に頼るの下手だよな」
早く中身を取り出せと言うように袋を押し付けてくる。

言っていいのか分からない。どこまで話したらいいのか分からない。けれど、私はぽつり、ぽつりとまた子ちゃんのことについて話し始めた。一度喋り始めたら止まらなかった。それはもう事細かに、洗いざらい吐き出した。私と彼女のことを。

「ってごめん、私言わなくていい事まで言ってたよね……」
「……ん?終わったアルか」
いつの間にか神楽ちゃんは寝そべっていたようだ。口元は涎で光っている。余計なことを口走って引かれたのではないかという心配は無駄だったようだ。
神楽ちゃんはもう一本だけ竹輪をくれた。それから、自販機でお汁粉を買ってくれた。なんでこの組み合わせなんだろう。


9月2×日

 最近雨が多い。母におつかいを頼まれて少し遠くのスーパーに行った帰りだが、傘を持ってきて正解だった。いつもは夕陽が町を朱色に染めるこの時間も、雨雲で薄暗く覆われている。
傘をさして歩いていると、誰かと軽くぶつかってしまった。
「あっ、すみま……」
言葉が止まった。
まるでナイフを突きつけられたような戦慄が体を支配した。私は、目の前の男を知っている。また子ちゃんの嬉しそうな話し声が蘇る。
「へェ……お前が……」
男は目を三日月へと形を変え、私の右手首を掴んだ。ぐっと力を込めて拒んでもビクともしない。手首の線を親指でスッとなぞられた。気持ち悪い。
「アイツは……また子は元気にしてるかよ」
「……そんなの、あなたの方が分かってるくせに!!」
そうだ、お前が、お前が全て狂わせたくせに。お前さえ現れなければ私はこんな思いをせずに済んだのに。
「いやァ、女の嫉妬ってモンは怖いねぇ」
「いい加減離して!」
そう叫ぶと、また茶化したようにわざとらしく掴んでいた手をぱっと離して、降参だとでも言うようにヒラヒラと振った。
周りの視線なんてもう気にしている余裕はなかった。早く逃げ出したくて、大きな水溜まりも気にせずに走り出した。

その晩、夢を見た。
真っ暗な空間にセーラー服を着たまた子ちゃんがいた。私は多分寝転がっていて、また子ちゃんは私を見下ろしていた。起き上がろうとしても身体が動かない。寝転がると言うより床に貼り付けられているようだった。
また子ちゃんは私の上に跨り、右手首を掴んできた。また子ちゃんは何も言わない。その表情からは何も感情が読み取れない。ただ、ぐぐぐ、と掴んだ手に力を込めるだけだった。痛い。あの男に掴まれた時よりも、ずっと痛い。痛いよ、また子ちゃん。やめてよ。そう言いたいのに口すら動かない。骨が折れてしまう。

ぱくり。

そんな効果音が似合いそうだった。私の手首はあの男になぞられた所を切れ目に、楕円型に開いた。ただ黒い空洞に、ピンク色のデコストーンが詰まっていた。お揃いのケータイの装飾によく似ていた。リアルな人体よりもずっとグロテスクな光景だった。
翌日起きると、お揃いのケータイのストーンが幾つか剥がれ落ちていた。全部剥がして捨てた。お揃いのストラップは、今となってはもう重くて邪魔にしか思えなかった。


4月1×日

 「えーと、苗字の進路は……と」
「先生、プリントこっちだと思います」
先生は、お、わりィわりィだなんて言ってポリポリと頭を掻いた。乱雑な机からも見て取れるとおり、教師という立場にしては随分と自堕落な坂田先生。縁あって一年生の時からずっと私たちのクラスの担任をしてくれている。(噂によれば私たちのクラスを御しきれるのは坂田先生しかいないから、ということらしい。)
「んー、○△出版社ねぇ……俺集英社しか知らねーわ」
「さいですか……」
本当にいい加減な先生なので、二年生辺りから始めるべき進路相談というものも今──つまりは三年生の春──に初めて行われている。
一応坂田先生をフォローすると、個別に生徒の申し立てがあった時は進路相談室を紹介していた。確かに坂田先生よりはそっちの方がいい。
「苗字は結構勉強が出来るから大学行ってもいんじゃね?って俺は思うけど。どう?」
「先生。今から目指しても多分もう遅いです」
「いやいや。そう簡単に諦めちゃいけねーよ。なんだっけ?アレ、ほら。ビリ○ャル?」
「坂田先生が坪田先生になってくれるんですか?」
「ハハ。ジョーダンだってジョーダン。……ま、俺からは特に言うことねーわ。別にお前問題引き起こすような生徒でもねーし。つか問題児が収容されてるようなウチのクラスで問題児じゃねぇ苗字の方が珍しすぎて逆に問題児だわ」
問題児。そのキーワードで頭に浮かぶのは確かに一人二人という量ではない。それこそクラスメイトほぼ全員が浮かんで来る。
「○△出版社?っつーことは地元離れるんだろ。今のうちにできることはしっかりやっとけよォ」
「……はい」
「んじゃ、終わり〜。次〜。えーと、志村。志村のプリントどこだっけなァ」
「自分で探してください」
失礼しました、と一礼してからドアをゆっくりと閉める。
今のうちに、やるべきこと。私は何をすべきなのだろうか。


3月2×日

 まだこの風景にも、一人暮らしの生活にも慣れていない。
借りた部屋にはあまり荷物を置いていない。ほとんど処分したからだ。
あの子と一緒に読んだ漫画。あの子とお揃いにした小物。あの子と初めて買った化粧品のケース。初めてのケータイも。
坂田先生から言われた"やるべきこと"はこれで合っていたのだろうか。

街で金髪の女の子をみかけると、未だにドキッとしてしまう。あの子なはずはないのに。
もしかしたら、私のしたことは"やるべきこと"ではなかったのかもしれない。それでももう、やってしまったのだ。取り返しはつかない。
だから、もうこの話は終わりにしよう。

吝嗇家 様に提出
title by Rachel様

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