御礼&企画小説 | ナノ
*変わらぬ思い 前篇*
「……ん?」
花瓶にさされた、スターチスの花束。
それに首をかしげれば、奥から出てきたエステルがほほ笑む。
「おかえりなさい、ユーリ」
「ただいま。これは?」
「ふふ! なんていう花かは、ユーリが一番知っているでしょう?」
悪戯に笑う彼女。
それに赤面する顔を隠すように、顔を背けた。
「あれからもう5年。早いですねえ」
「……ああ」
5年前。
目を伏せて、あの頃のことを思い出す――。
「エステル!!」
駆け込んだ部屋の中、虚しく彼女の名前を呼ぶ声だけがこだまする。
その声に反応して振り返ったのはフレン。
かすれた声で、悔しそうに俺の名前を呼んで、すぐに目をそらした。
あの日の旅の仲間は全員いたが、皆一様に暗い顔をしている。
その中で、一番返事をしてほしい女の姿が、白いベッドに沈んでいるのを見て、オレは舌打ちをこぼす。
「ユーリ……」
泣きそうな顔でオレを見上げるのはカロルだ。
やめろ、今そんな顔を見せるな。
オレは焦燥に駆られながら、彼の頭をひとなでして奥に進む。
リタもパティもうつむいたまま顔を上げない。
ジュディスが口を開こうとしたところで、レイヴンが横からそれを制止した。
「話は、ソディアから聞いたな?」
「……」
「みての通り、嬢ちゃんは意識不明の重体だ。……今夜が、山場らしい」
「……っ」
レイヴンの、やけに事務的な口調が、オレの中のいろいろなモノをはちきれそうにする。
オレは感情の赴くまま、思い切りフレンにつかみかかった。
「どういうことだよ、フレン!」
「……すま、ない」
顔をそらしたまま、短く謝るフレン。
握り締められている拳からは、赤い血が滴っている。
誰もオレの行動を責めようとはしない。
いろいろやりきれなくて、突き飛ばしそうになるのをこらえながら彼から手を離した。
「……わりい。どういうことか、説明してくれ」
重々しくフレンの口から語られたのは、あまりにも理不尽な出来事だった。
評議会の連中による、エステル暗殺未遂。
ようは二人も皇帝はいらないということらしい。
彼女を祭り上げておきながら、ヨーデルが皇帝になったとたんに手のひらを返し、この仕打ちだ。
夜中にエステルの部屋に、評議会に雇われた、最近できたばかりのギルドの連中が侵入。
エステルも慌てて応戦するものの女と男、多勢に無勢で劣勢。
騒ぎを聞きつけて騎士団が参戦し、とりあえず追い払うことはできたが、エステルは致命傷を受けており、瀕死の重傷を負ったというわけだ。
フレンは最後にすまない、と言葉を区切った。
それにお前のせいじゃない、と返せないオレはなんと心が狭いことか。
「帝都の名医がそろって、嬢ちゃんを治療してる。あとは、嬢ちゃん次第ってことだ」
オレはエステルの横に立つ。
その体は傷だらけで、あちこちに血のにじんだ包帯が巻かれている。
顔はいっそ怖くなるぐらいに青い。
「……くそっ!」
こぶしを壁に叩きつける。
血がにじむのも関係ない、痛みなど感じない。
パティとリタが心配そうにオレを見るが、それに応えてやる余裕すら、今はなかった。
「……フレン、ここは頼むな」
エステルに背を向け、剣を手に取る。
誰もなにもいわない。
ただ、オレのほうを見ている。
「仇を、討ちに行くつもりか」
「……」
「だったら、僕も!」
「フレンちゃん」
その言葉を遮ったのはレイヴンだ。
レイヴンはしっかりとフレンの腕をつかみ、離さない。
「お前さんがいっちゃダメな理由。言わなくてもわかるだろ」
「……っ」
フレンは悔しそうに顔をゆがめる。
まかせた、とその想いをこめて彼の肩をたたけば、フレンはその場に崩れた。
「ユーリ」
今度は違う声に名前を呼ばれる。
苛立ちを何とか抑えながらふりかえれば――こぶしが頬に叩きこまれた。
「ってぇ……」
「自分一人で背負おうとするの、これで何回目かしら?」
ジュディスとカロル。
そしてラピードが一鳴きした。
「ダメだよ、ユーリ。ユーリは同じギルドの仲間だ。一人じゃいかせないよ」
「お前ら……」
ジュディスの手が、カロルの手が、ラピードの尻尾が。
オレの背を押すようにたたく。
――1人じゃ、行かせてもらえないのか。
オレは苦笑し、その背中を追った。
「あいつら、馬鹿よ……」
「……じゃの」
リタの涙声とともに、大粒の涙が、エステルの白いシーツをぬらした。
「エステルがなにを望んでるって、そんなの、目を覚ましたときにあいつの顔があることに決まってるじゃない……っ!」
「そうだわね」
レイヴンの大きなてのひらが、リタの頭をなでた。
「けど、どうしようもない馬鹿だけど、許してやって。そういうのがわからない生き物なんだって、責めないでやってよ。それがわかるようになるには、あいつらはまだちと若すぎんのよ」
困ったような顔のまま、レイヴンの手がやさしく、リタをなだめるように撫でつづける。
リタはそれに一つ頷いて、今はまだ眠る彼女の手をとった。
彼女が自分にしてくれたように、彼女の冷たいてのひらに、少しでもぬくもりを灯せるように。
.