緑陵高校での仕事は、まあ一言で言えば最悪だった。
教師の態度も悪いし、作業環境も悪い。不本意ながら感じてしまう、どろどろしたものが渦巻いている学校自体も嫌だ。でも、それはまだ仕事なんだと思えば我慢できる。
何が最悪かといえば、前述の悪条件は全員が感じるものであったため、こと繊細な2号さまたるやストレスが半端でなく、八つ当たりを多分に含んだ理不尽で横暴な扱いが度を増していることだ。

緑陵呪われろ。

特にいけ好かない教師がSPRを主体とした霊能者集団のお目付役を気取っているせいで、2号の八つ当たりは一向に収まらない。些細なことで蔑まれ、どうでも良いことまでパシらされる。そんな日が、もう三日も続いていた。

誰もいない深夜の校内の見回りは、わたしひとり。学校全体が調査対象で、ベースから延ばせるケーブルが足りないから、充電式の機材をもって定期的に校舎内を練り歩かなければならない。
設置してある機材もあるけれど、学校からの命令……要望で、設置は夜間のみ。生徒の下校に合わせて機材を置き、登校前に撤収する。それらの機材もベースと繋がっていないので、映像をこちらで記録することはできない。全ての機材について、記録メディアの回収取り替えをしなければいけない。なかなかの重労働だ。でも、わたしひとりだ。
2号は馬鹿なのか。嫌がらせでもしたいのか。いや、したいのか。そうでなきゃこんな効率の悪いことはしまい。
何のために人手があると思っているんだ。だだっ広い校舎内の全てを、ひとりでカバーできると思っているのか。というか、正確なデータ云々の前に、人手があってもカバーしきれないから機材を使っている面もあるだろうに。

お前はサイキックリサーチを軽んじているのか。今回の調査はなあなあでいいやとでも思っているのか。別にわたしは手を抜いたって構わないと思うけど(だってこの仕事って八割方2号の趣味だ)、だったらわたしにも手を抜かせて欲しい。

恨みがましい目で2号を見れば更にエスカレートすることがわかっているから、文句どころか睨むこともしてない。なのに、気分が悪くなったから飲み物を買ってこい、この単細胞ボルヴィックじゃないと何度言えばわかるんだエビアンも違う救いようがないな、という会話を何度したかわからない。
違う違うと言われても、近所のコンビニにはこの二銘柄しかない。舐めているのか。いやそもそも、庶民なわたしには水に金を払う2号さまが理解できない。

憔悴しきっているわたしを見るに見かねて、強制的に休憩をとらされている面々が果敢にも立ち上がってくれた。が、それは素人の護摩法ほどにも役に立たなかった。

この鬼、悪魔、人でなし!児童保護法を知らんのか!とぼーさんが2号を罵った。2号さまは、人でなしはそいつですよ、ついでに言えば戸籍もないですしどう贔屓目に見ても人とは呼べませんねと答えた。

なまえちゃんが倒れたらどー責任とるんだぃ!と麻衣さんが2号に憤慨した。2号さまは、勿論倒れたら休ませるが不都合でも?とにっこり笑った。もっともそいつが三日三晩不眠不休でもピンピンしてのはお前も知ってるはずだがと、しれっと言ってのけた。

それにしたって子どもにさせることやおまへん、なんなら僕がやりますよってとジョンさんが2号に申し出た。2号さまは、我々全員怪我をすれば病院に行かなければならないがそいつは言葉通り舐めれば治るんですここが危ないのはジョンさんもわかっているでしょうと説明した。

子どもに押し付けるなんていくらあたしだって後味悪いわと巫女さんが2号に詰め寄った。2号さまは、人間の子どもだったら僕も労らなければならないと思いますが何分これは人ではないので…ああ松崎さんには見えないのでしたっけと薄ら笑った。

それでも全部押し付ける必要はございませんでしょうと真砂子さんが2号に正論を言った。2号さまは、必要はありませんが出来るならそれに越したことはありませんと正論で帰した。正論だが、実行する手段は非人道的だ。

それらのやりとりを見守っていた安原さんが、ぽかんとした表情から立ち直って、僕も手伝おうか?と控えめに訊いてくれた。とても有り難いけれど申し訳ないので遠慮しようとしたら、わたしじゃなくて2号さまがその提案をすぱっと斬り捨てた。安原さんは学生なんですから翌日に支障が出ないようにした方が良いでしょうって、それはその通りだけど、だったらわたしだって今後の成長に支障が出ないように夜更かしはしたくない。
でもそう思っただけで、見透かしたようにリンさんにじろりと見られて、わたしは唇を噛んだ。あの目は絶対に、人でもない分際でよくもまあ人並みに扱って欲しいだなんて言えるな小娘、と言っていた。蔑ろにされすぎて卑屈になったとか、被害妄想が激しくなったとかじゃない。絶対そうだった。

しかし、堪えるしかない。身よりも戸籍もないわたしには、ここしか居場所がない。この、非人道的行いも相手が人じゃないなら無問題、とでかい顔してる悪魔たちには逆らえないのだ。早く人間になりたい。

普通にしてても変なものが見えるし、その頻度が尋常でないし、寝てる暇はないしでそろそろ限界だと思い始めた頃、事態が進展を見せた。
まず、生徒との接触が許されたので情報収集も進み、対象地を絞って行動できるようになった。それで、夜間の巡廻も範囲が限定されたし、全員で分担することになった。
嬉しいような泣きたいような気分だった。
それからしばらくして、昨夜。麻衣さんが夢を見た。霊は移動しているらしい。更に先ほど、美術室で蛍光灯の落下が発生。これは、下の階の地学室で起こっていた現象。しかも、力が増している。それで、あちこちの教室にいる霊が、移動して融合していることが発覚した。

だんだんと実態が見えてきたものの、なんだか楽しくない話だなと思っていたら、2号とリンさんがぴしりと固まった。


「……あの?」


何だか不穏なものを感じる。なにその、まさかそう来るとは思わなかった、みたいなオーラ。なにその、あれコレやばいんじゃね?っていう表情。


「…………お前、今日から絶対ひとりになるなよ」


こちらをじっと見て、長い溜めの後にぼそりと言う2号。


「は?」


今日までの仕打ちとのあまりの落差に、思わず頓狂な声を上げてしまったら、リンさんが眉間を押さえた。


「ここの霊は食い合っているんです。あなたも食われる可能性がある」

「はっ?」


再び、妙に高い声が漏れる。え?食われる?え?

言われていることがよくわからなくて目をしばたたいていたら、2号さまが舌打ちをなさった。ほんとにわたしのことを心配しているのかどうか疑問に思うほど、盛大に舌打ちなさった。


「お前、まだ自分が人間だという虚妄を捨てきれないのか。いい加減に理解しろ。お前は人よりも霊に近いんだ。異常な身体能力に発火能力。教えればサイキックの真似事までできる。いいか、サイキックというのは潜在的な能力が必要なものであって、お前のように教わって習得するものじゃないんだ。お前は明らかに異常だ。人という枠組みで捉えるより、お前自体が超常現象だと考えた方が自然だ」


……ぐさぐさと、言葉のナイフが心に突き刺さった。わたしだって、好きでこうなったんじゃない。というか、世界が違うんだからしょーがないじゃん。泣きそうになっていたら、ぼーさんがまあまあと2号をなだめてくれた。


「ナル坊も心配してんならもうちょっと言葉を選びなさいよ。絶望的な顔してんぞ」


ぼーさんが、紛う事なきイケメンに見えた。すごい。格好いい。紳士的。
だが、何だかその様子がおかしいことに、わたしは気付いてしまった。
庇うようなことを言ったものの、ぼーさんはちらちらとわたしを見て、何か言いたげな顔をする。感動もどこかに吹き飛んで胡乱げな顔で一歩離れたら、ぼーさんは小声で2号に尋ねた。


「なあ、今のって、本当なわけ?」

「どのことでしょう?」


しれっと言う2号。あ、なんか、なんか雲行きが怪しい。


「いや、だからなまえの能力……」

「全て真実ですよ。だから人ではないと、再三申し上げているじゃないですか」


いやに慇懃な言葉遣いで、嘲るように笑う2号。ぼーさんは引き攣った顔でわたしを見た。やっぱりだ。わたしの味方は、どんどん減っていく。


「けど、発火能力いうんはパイロキネシスでっしゃろ?それならなまえはんはサイキック、いうことやないですか?」


ジョンさんが慌てたようにフォローしてくれたが、対する2号はにべもない。


「それが普通の発火能力であれば、ですね。これの熾す火は、ものを焼かない。よっぽど意識しなければ、紙一枚さえ燃やすことができない。そのくせ、やろうとすれば人ひとり荼毘に付せる」


そこで言葉が切られ、ジョンさんが驚愕に見開いた目でわたしを見た。やめてくださいそんな目で見ないで。わたしが焼いたのは絞められた豚だけです。それだって2号とリンさんに脅迫まがいの要請を受けてやっただけなんです。

しかし反論はできない。やったやってないは別にして、2号の言っていることは事実だ。黙り込んだジョンさんに、2号は肩を竦めて続けた。


「他に言い様もないので発火能力と呼んではいますが、あれは単なるエネルギーの塊と見るのが適切です」

「何なのその目茶苦茶な能力は」


呆れたように巫女さんが言うと、ええそうなんですと良い笑顔で応える2号。だめだ、泣きそうだ。
追い打ちを掛けるように、原さんが可憐に小首をかしげた。


「ですが、サイキックの真似事というのは?その発火能力に似たものとは、また別ですの?」

「あの、もう触れないでくださ、」

「やれと言えば、念写や透視もできますよ、これは」


さらっと言った2号に、その場にいる全員の目が丸くなった。勿論、リンさんを除いて。あまりこういうことに造詣が深いとも思えない安原さんまで、ぽかんと口を半開きにしている。


「それは、本当にサイなのでなく?」


ぼーさんが、またしてもちらちらちらちらこっちを見ながら、2号に尋ねた。そのチラ見をやめて欲しい。ものすごく傷付く。


「出来る限りの検証は行いました」


リンさんがそう言って、蔑むような目をこちらに向けた。


「ですが、どう検証しても一般的なそれとは質が異なりますし、その際、発火能力の妙なエネルギーが用いられているようです」

「要するに、基本的には発火能力として用いられるものの、そのエネルギーを転用して、ある程度の超常現象を引き起こせるということでしょう」


再び、辺りが静まり返った。居たたまれない。この場から消え去りたい。しかしここから逃げたところでこの世界からは逃げられず、そうしたらやっぱりSPRでしか人並みの生活は送れないので、勝手な行動はとれない。
うちでアルバイトをしている麻衣さんも、わたしの能力実験のことはあまり知らなかったから、びっくりした目でこっちを見ている。彼女の目には驚きしかないからまだいいけど、他はみんな、本当に人外だったんだ…という目をしている。

違うんです能力がチートなだけなんです向こうの世界ではこれが人間だったんですだって赤ちゃんが二足歩行でエスプレッソ飲むんだぜダイナマイトは最早凶器としてのレベルが竹の槍なんだぜ幻覚とか出せちゃうんだぜ獣人化とかするんだぜ炎だって今のところわたしと綱吉くんしか出ないけどきっとそのうちみんな出るよだってわたしが出せたんだもん。

という抗議は、できない。したところで、頭まで疑われて信頼を失うに決まっている。 長い長い沈黙の後、あー、と意味のない言葉を発してから、安原さんが苦しげに笑った。


「なまえちゃんって結構すごい子だったんだね。俺にもわけて欲しいくらいだな」


うわー、いい人。すごい無理矢理感が溢れてるけど。本当に出来物だな安原さんって。そう、遠い目をして思っていたら、麻衣さんが弾かれたように駆けてきて、わたしの手を取った。


「才能豊かで悪いことなんかないもんね!あたしあんま良くわかんないけど、なまえちゃんはなまえちゃんだもんね!」


にこにこと笑う麻衣さんが、女神に見えた。取りあえず場を取り持とうとしただけの安原さんより、きっと魂のステージが上なんだ。
その感動に水を差すように、2号が鼻で笑う。


「無知を理由に認められて嬉しいのか」


嬉しいに決まってる。人外人外と無下にされるよりよっぽど嬉しいに決まってる。
でも、ここで嬉しいですと返したら、それは麻衣さんが無知であると肯定することになるのだ。確かに、こういった専門知識においては博識と言うこともできないけど。そして、わたしがこの世界の常識からちょっと逸脱しているのも事実だけど。

……反論ができない。

麻衣さんと二人で項垂れていたら、わたしのオアシスであるジョンさんが、気を取り直したように力を籠めて言った。


「解明されてない能力を持ってはる、言うことやあきまへんのですか。この分野はそもそも研究が進んでおまへんのやから、そういうこともありまっしゃろ。少なくとも、こうして意思の疎通ができる以上、なまえはんは人やと思いますです」

「ジョンさんっ!」


思わず感涙した。本当に涙が出た。ここへ来てから、こんなにもはっきりと、面と向かって人権を認めてもらえたのは初めてだ。感極まって抱きついたら、ジョンさんは優しく頭を撫でてくれた。何という紳士。聖人。もうわたし、どの宗教画を見ても聖人の顔が全てジョンさんに見える気がする。
そんなわたしの態度があまりにも同情を誘ったのか、巫女さんがぽつりと言った。


「なんて言うか……あんた苦労してんのね……」


してるに決まってるだろう。抱きついたままジョンさんの背後に回って巫女さんと距離をとる。この世界に生まれただけで何の苦労もなく人間だと認めてもらえている人々は、己の傲慢を悔い改めればいいのだ。


「あー、すまんななまえ。俺だってちょーっと吃驚しただけなんだよ。ほら、飴やるから機嫌直せ」


なんかもにょってるぼーさんは、無視だ。今更何を言ってるんだちょーっと吃驚しただけであんなにちらちらちらちらチラ見しないだろ。しかも買収方法が飴って安すぎる。熊の胆でも持ってこい。要らないけど。

シカトされたことに焦ったのか、ぼーさんはしつこくわたしの機嫌をとろうとしてくる。うざい。
ジョンさんがなだめ、麻衣さんがデリカシーの無さを責めているけれど、最早意地のようにごめんとか許してとか言っている。うざい。


「滝川さん必死ですねー」


安原さんが呆れたように言う。声がどことなく引き攣っている。


「そりゃあ、俺、なまえのこと好きだもん」


いらっとした。
もんじゃねーよ。お前のチラ見でどれほど心が抉られたと思ってるんだ。当分許さないからな。

そう思っていたら、ぼーさんがこそっとつけ加えたのが聞こえた。


「それに、良ーく考えてご覧少年。そんなミラクルなサイキック?なわけよ。恨み買ったらこえーでしょ」


絶対許さん。

思わずジョンさんのお腹に回した手に力が籠もってしまった。怒られはしなかったけれど、自発的に謝っておいた。
そんなふうにぎゃいぎゃいと騒いでいたら、しばらく黙っていた原さんが、あのうと声を上げた。


「それはつまり、なまえさんの能力のキャパシティが非常に大きいということでございましょう?霊の食い合いと言っても、弱い霊が強い霊を食らうことは、経験的に考えても不可能です。ということは、」


しん、とまた沈黙が降りた。原さんも、なぜそんな意味深なところで言葉を切るんだ。いや、意味深も何ももう結論はひとつしかないのだけれど。

つう、と嫌な汗が背中を滑ったのがわかった。それが服に吸収されないうちに、わたしはべりっとジョンさんから引き離された。


「ち、痴漢!痴漢ですお巡りさん!」

「前言撤回だ。お前はポイントをしらみつぶしに回れ。リン、これに付ける装置をオフィスから持ってこい。身体検査も必要だな。霊を取り込む前と後で変化を調べる」


暴れながら叫んだわたしの言葉は華麗にスルーされた。分裂後と分裂前のゾウリムシを調べる。そんなノリで言い放つ2号に、一拍おいてから周囲が騒然とした。


「だからいい加減にしろよお!あんたはなまえちゃんを実験台にするつもりか!」

「もともとそういう契約でうちに置いている」

「ちょ、リン待て!まさか本当に取りに行く気か、そんなしょうもないもんを!?」

「必要なものですから。放していただけますか」

「そないなことさせるわけにはいきまへんです!第一、同じ場所にさえおったら何でも融合するわけとちゃいますやろ。何ぞ指向性や共通点があるのと違いますか?ただなまえはんを霊の中に放り込むんは無茶苦茶です!」

「ちょっと真砂子!あんた自分がまいた種なんだから知らんぷりしてんじゃないわよ!」

「あたくしは事実を述べたまでですわ」

「素人ですけど、俺もそれには反対ですよ。いくら変わった能力を持っているからって、こんな小さい子を危険な場所に放り込むなんて……」


わたしのために争わないで。なんてベタな台詞を吐くなら今しかない光景が、目の前に広がっている。でも、そんな軽口を叩けるほど心に余裕がなくて、わたしは両手で顔を覆った。
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