烏枢沙摩の召喚とほとんど同時に、金剛深山を覆うように巨大な火の結界が張られた。術者を守る結界ではなく、対象を封じ込めるための結界だ。

わたしはこれ幸いと撤退を提案した。
八百造さんは秒でそれを却下した。

なんなら一発殴られそうなふいんき(なぜか変換できてしまう)があった。正直かなり志摩一家に甘やかされている自覚があるわたしは大変にびびった。信頼の失墜する音を聞いたと思い、ちびりかけた。

わたしは、結界を張ったのが勝呂ジュニアであることを知っている。ジュニアが命を賭けてそれを成し遂げたのは、奥村兄を――兄の青い炎を信じたからだということを知っている。わたしは、『知っているから』兄を信じている。八百造さんは兄を信じていない。兄の炎が切り札になりうることは伝えたけれど、八百造さんにはそれを信じられる根拠がない。まあまあ甘やかされて信頼されてはいても、わたしの言葉には京都という土地とそこに住む人々の命を賭けられるだけの信用はなかった。
結局のところ、大体のことは信用問題に帰結するのだ。まあ、背負っているものの重さを考えれば仕方のないことだ。わかっているけど、そんなんズルいでしょ!という気持ちを禁じ得ない。例えば万が一わたしが八百造さんの幼馴染みだったり、青春時代に憧れた山口百恵とかだったりしたらそんな未来を夢で見たと言っても信じてくれたでしょ。ズルい。

しかしまあそんなこと言ってもどうしようもないわけで、自分たちが不浄王を祓わなければいけないと思っている八百造さんはじめ明陀の人々は引く気など微塵もない。首の皮一枚で信頼の繋がった身であるわたしも、それに追従せざるを得ない。

そうしてわたしは、『結末』を知っているのにも関わらず瘴気の蔓延する結界の中で増殖を続ける不浄王の末端をちまちまと焼き潰すこととなってしまった。

テンションのおかしくなってしまった志摩金造とともに。

「おっ、っしゃああ!十八匹目ぇ!」

ぼよぼよと盛り上がる菌糸を焼き潰し、金造さんが高らかに宣言する。

絶対十八匹目ではない。そういう数え方するやつではない。これは不浄王の一部であって独立した個体ではない。そう思ったが、いい意味でも悪い意味でもめちゃくちゃ調子に乗っているアホに水をさすことはできない。

なぜなら我々は既に孤立しており、今わたしが頼れるのは、こいつの腕力とこいつに授けられた烏枢沙摩の加護のみだからである。

「さすが金造さんすごーい。さ、それじゃそろそろ来た道を戻って警邏隊に合流しましょうか」
「何アホ抜かしとんのや。化け物退治は前進あるのみに決まっとるやろ!」
「アホはお前だろ〜さすがにもう無理だから。一回戻りましょう。人間適度な休憩も必要です。あと水とか新鮮な酸素とか。シャバの空気を吸ってからみんなで協力して本体でもなんでも燃やしましょう。ねっ!」
「そない言うてもお前、もう後ろ塞がっとんぞ」
「焼けばすぐですから!!」
「おんなしとこばっか何遍も焼いてたとこで状況はいっこも変わらんわ!どうせ焼くんやったら大将首目指して進むほうがなんぼもマシやぞ!」
「一見正論ですけど正論が通じる状況じゃねえんだよなあ!」

どんなに頑張ったところで、わたしたちには不浄王の憑依体である菌糸類の増殖をちょっと抑えるくらいしかできない。人間だけで不浄王を焼ききるなんて到底無理だ。単純に、増殖が早すぎる。速さこそパワーだと、スクライドでも証明されている。

まあ、金造さんもそこそこ速かった。不浄王の増殖速度にもストレイトクーガーにも遠く及ばないにしても、団体行動の和を乱す程度には速かった。そして考えなしだった。その結果、周囲を置き去りに一人でどんどん突っ走り、本隊どころか警邏二番隊の面々とすら分断され、二人きりで不浄王の胞子に囲まれることとなった。協調性を持てバカ。ちなみに協調性というのは「火ぃのつかひん雑魚悪魔は俺から離れたらあかんぞ!」とか言いながら人の襟首を引っ掴んで引きずりまわすことではない。人間性も学べバカ。

それでもここまでは、胞子がある程度小さな塊になっていたからどうにか二人で進んでこられた。だがこれ以上は無理だ。もう目の前完全に壁だもん。ちょっとやそっと叩いたり焼いたりしたところで体積が減らせるわけがない。

というかその壁って、比喩表現でなく本当に壁なんだよな。色さえ違っていれば石積みの城壁に見えるくらいに、マジもんの壁。要するにここは不浄王の築いた要塞の外郭部であり、心臓のほど近くというわけである。無理オブ無理。

「ほんと無茶ですって金造さん!お前も男なら引き際くらい見極めてくださいよ!」
「散り際ならよおく心得とるわ!」
「潔さがすぎるだろバカ!一足飛びに死のうとすんな!こんなとこで一人で死なれちゃ困るんですよ!」

壁に向かって錫杖を振り上げるバカを、わたしは全身でしがみついて必死に食い止める。壁に見えるけど壁じゃないからな。不浄王の一部だからな。ちょっとでも触ったら触手とか伸びてくるからな。わたしの火力はもちろん、烏枢沙摩の火だってどこまで対抗できるかわからないからな。不用意なことはやめてくれ。

火事場の馬鹿力でなんとか金造さんを引きずって下がると、当の本人はなんだか虚を突かれたような顔をして振り返る。何か変なことを言ったかと思っていると、金造さんは頭のてっぺんから爪先まで、人のことをじろじろと眺めまわし、げほっと湿った咳をしてから得心のいった顔で両手を叩いた。

「……そやったわ。お前、カビ菌の瘴気じゃ死なへんのやな!」
「い、言うに事欠いてお前……!」

とんでもない言葉を耳にして、なんかわけがわかんなくなって、一瞬混乱した。

それがなんだっていうんだ。わたしが死なないからなんだ。まさか道連れにする気だったのか。わたしが喜んでお前と一緒に死ぬと思ってたのか。わたしと一緒に死ねるなら死んでもいいとかおセンチなことでも考えてたのか。赤信号も悪魔狩りで討ち死にも二人で一緒なら怖くないとか思ったのか。バカやろうバカやろうバカやろう。お前はまず死の覚悟を捨てろ。生死の観念から離れろ。こんなところで死ぬ必要のある人間は一人もいないんだ。こんなことに命を賭けて必死になる必要ないんだ。
こんな――こんな……こんな。

……わたしがこの局面を『こんな』と言えるのは、『外』から来た人間だからだ。ちょっとだけ、ほかの人たちが知らないことを知っているからだ。でも、八百造さんにとっても金造さんにとっても『これ』だけが現実で『今』だけが真実だ。

それを改めて思い知って、少し冷静になった。

結局のところ、信用問題だ。

『知っているから』奥村兄を信じているわたしと、目に見えている脅威を信じているこの世界の人たちと。
実際、知っていることが全部知っている通りになっているわけでもないから、わたしの信念だって半ば意地みたいなものだ。そもそも『ジンのいる正十字騎士團』のことなんて知らないし。

でも、信じたいのだ。誰も死ななくていいことを信じたい。虫のいい話を信じたい。金造さんにも誰にも、死んで欲しくないから。

きっとわたしは、理事長の言う通りひじょうに正しく悪魔的なのだ。楽観的で、ずるくて、卑怯で、利己的で。人の信念を押し潰し、覚悟をへし折り、勝手な理想を押し付ける。

「志摩!金造!」

大きく息を吸って荒げた声を叩きつけると、金造さんがびくりと居住まいを正して目を見開く。

「これ以上はダメだ!絶対にダメだ!わたしが許さん!引きずってでも引き返します!」
「は、ハア!?何急にキレとんのや生理か!?ここまで来て引き返すてアホ違うか!?なんのためにここまで来た思とんのや!」
「なんのためですかね!わたしにもわかんねーよ!こんなことなら最初っからぶん殴ってとめときゃよかったのに、なんでここまで一緒に来ちゃったんでしょうねえ!」

いや、なんでかはわかっている。言えないだけで。
金造さんの信念を――覚悟を侮っていたのだ。ここまで危険に近づかなければ止めようと思いつきもしないくらい、めちゃくちゃ舐め腐っていた。正直反省している。

この世界に帰属することを自ら望んだくせに、ここをキャンプ地とすると覚悟したくせに、なんたる当事者意識のなさだ。お客様感覚が恥ずかしい。

やっぱりよそ者が帰化するのって難しいのかな。いや、きっと悪魔になってしまったせいだな。全部全部、悪魔が悪い。責任転嫁だ。そうはいっても、この世界の混乱は大体全部悪魔のせいだし、出会った悪魔はみんな自分勝手でワルだった。一個くらい罪状が増えたって誰も気にしない。

「わたしも悪魔なので!わがままだし自分勝手だし舐めプするし強欲なんです!」

抵抗する金造さんの手首を捉えて引っ張ると、思いの外容易く体を引き寄せられた。なんだかぎょっとしたような、あと若干プライドが傷ついたような顔をされたが、知ったことか。これは男と女の意地の張り合いなので悔しかったらもっと鍛えればよろしいのだ。

「お前に死なれたら困るんです!死の覚悟なんかホイホイかためるな!勝手にそんな覚悟決められちゃたまんないんですよ!生きててもらわなきゃ困るんですよ!」
「お、お前ほんま急にどないしたん……」
「悪魔としての自覚が芽生えただけです!」
「今更やん」
「悪魔なので!」

ずるずると、金造さんを引きずりながら山を降りる。道を塞ぐ胞子は火呪で焼き祓う。なんかもう舌が回らなくなって真言を正しく唱えられているかどうかもわからないが、焼けているのでよしとする。わたしの火か、金造さんの火かなんて関係ない。とにかく、山から降りられさえすればそれでいい。


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