ご大層な門構えの京都出張所。
の、中身もまた御立派で、会議室やら資料室やら備品室やら各分隊毎の詰め所やら仮眠室やら、とにかく必要そうな設備はほとんど整っていて、部屋数も半端でない。古き良き日本家屋らしくこつこつ増改築した形跡もそこここにあるから、手伝いを始めた当初は気を抜くとすぐに迷子になっていた。

悪魔祓いなんてのはとどのつまり肉体労働だから、最悪、集合待機場所さえあれば事足りる。しかしこのだだっ広さ。大きくなればなるほど色んな面で融通が利かなくなるのはどこも同じだ。

まあつまり何が言いたいかといえば、出張所内には普段は使われない部屋がたくさんあるということだ。部屋どころか、ひと棟まるまる使われてないこともある。

四男が駆け込んだのは、そんな閑散とした部屋のひとつ。わたしを畳に下ろすや否やここで待っていろと言い置いて疾走していったあいつは、たぶんそれなりに気を遣っているのだと思う。

が。道中、なりふり構わず必死で走る金髪白足袋の祓魔師は非常に目立っていた。その背に負われた不自然に手足の欠けた人間も、尋常でなく目立っていた。四男は気付いているか知らないけど、出張所の門をくぐった後など、ぎょっとした顔のおっさんに何度も声を掛けられている。

人目を避けようにも今更である。

と言って、所長室に直接連れて行って欲しかったわけではない。それはそれで困る。事情の説明に向かったのが柔造さんで、説得する相手が八百造さんである以上、わたしは話が纏まるまで大人しくしてなきゃならない。どう考えてもその方が、混乱が少ない。
信じるにしろ否定するにしろ、八百造さんの中で彼なりの結論が出るまで、わたしは不用意に姿を見せるべきじゃないのだ。

だから一番良いのは、その辺の手近な部屋に放り込んでくれることだった。わたしにだってそれなりに知り合いくらいいるから誰かに根掘り葉掘り問い詰められる可能性もあったけど、もう今更だからそれで良かった。少なくともこんな、殉職者の遺影が飾ってある人気も生気もない部屋に置き去りにされるよりはよっぽどマシだった。

なぜならば。


「う、うそだろぉおお!」


叫んでも、誰にも届かない。騒いでも、誰も来てくれない。ここは本当に、とことん人気も生気もない。

今にも自分が並んだ遺影の仲間入りをするんじゃないかと思えるほどだ。くだらない感傷とかじゃなく、ここはリアルに外界と隔絶されている。
ここで転んで頭を打ったら、たぶん誰にも見つけてもらえずに死ぬ。わたしは転べもしないからラッキーだ。
…んなわけあるか。

転んで死にはしないけど、わたしは誰にも見つけてもらえずに消えそうなのだ。もう今まさに。


「ちょっとぉおお!わ、わたし自力で動けないんですけど!誰か!激務に耐えかねてこの辺で無断休憩という名のサボタージュのために潜伏している人とか、誰かいませんかねええ!」


パニックに陥ってなおも叫んだところで、返事はない。当り前だ。これで返事があるくらいなら、最初から慌ててない。

それでも、それしかできないので叫ぶしかない。

わたしの体は今や、両腕と片足を失っていた。
さっきまでは肘まで残っていた腕も膝までは残っていた左足も、気が付いたときには根本まで綺麗さっぱり消失。既に匍匐前進の真似事さえできなくなっている。

いつの間に、なんて、わかるわけがない。
ただ、四男と再会した段階で消えていたのは右の手首から先で、アマイモンとの交戦から京都に戻るまでの四時間弱ではそれ以上状態は変化しなかった。そして柔造さんに打ち明けきった時点で、左足の膝から下が欠落。肘から先が消えてたのも、きっとそのくらいのタイミング。

――加速している。

理由なんて今更考えても不毛だけど、その事実だけははっきりしている。

内部の問題が解決し外部の事象に集中できるようになったことで、体が消えることへの恐怖はいや増した。のだけど、志摩の人たちが戻ってくる前に自分が消滅する可能性に気付かされて、焦りの方がそれよりも強くなっている。


「ど、どうしよう……!」


自分の声だけが、空っぽの室内に落っこちて消える。閉め切られた和室では、音はあまり響かないのだ。くぐもるわけでもないけれど、板張りの部屋のような空気の反響がない。だから、わたしひとりの囁くような声はあっという間に消えてしまう。――わたしの存在も、きっとそんな風に呆気なく消えてしまう。

そんな言葉が脳裏をよぎって、わたしは思いつく限りの言葉を叫んだ。思いつかなかったことも、口から出るに任せて叫んだ。どうしよう、なんて言ったところで、わたしにできるのはここで存在を主張し続けることだけなのだ。


「も、もぉおお、わたしだってねえ、やりたいことくらいあったんですよ!えっと、えっと、ああもう、すぐには出てこないけど色々あったんですよ!普通の友達も欲しかったし!変な目で見たり変なことを言ったり変なお願いしてくる人間じゃなく、普通の友達欲しかったし!それでケーキとか食べながら普通の女の子みたいな会話したかったし!恋バナとか…恋バナとか……ああもう、普通の女の子とか最早わかんないよ!でも少なくとも、屍の弱点とか蛇の好物とか役小角の生涯とか、そういう話以外がしたかった!年頃の女の子同士の会話が、禿げたオッサンの話で盛り上がるわけねーだろ!」


これで誰かが気づいてくれたとしても、これじゃわたしはキレちゃってるヤバい人だ。

頭の一部が冷静に客観的に、現状を把握してそう思っている。女のヒステリーは目も当てられないゾッ☆わー、お寒いわー。とか、ひとりコントしてる自分もいる。

それでも、わたしの口は回り続ける。できることがこれしかない以上、口を閉ざしたらそこで負ける気がする。何にって、人生ゲームに。


「美味しいもの食べたかったし!ご飯はくれたけど、デザートくれたこと滅多にないじゃん!よ、四男とかあいつ、ろくに味わいもしないしぐちゃぐちゃに食べるくせに高級な差し入れとかもらいやがって!お前には勿体ないよ!寄越せよ!つーか何だよ!金造だから金髪って何だよ!短絡的だし意味わかんないよ!わかんないっていうか無意味だよ!黒でいいじゃん!柔造さん格好いいじゃん!顔が同じなんだから、あいつだって黒似合うんじゃん!別に頭が金色じゃなくても兄弟の見分けなんかつくし!あんな派手にして、頭もケツも軽いアピールかよ!言い寄られたいのかよ!似合ってるけど!似合ってるのがむかつくけど!それで勘違い女子と揉め事起こすんだから付き合いきれねーよいちいち人を頼るなよ警察にでも行けよ!」


はあはあと荒い息をつく。叫び続けるのってこんなに体力を使うことだったのか。喉が乾いてきたしお腹も苦しいしあばらも痛い。そして酸欠で頭が重い。

『ジン』になってからというもの、散々扱き使われて体力だけは付いたつもりだった。思い込みだったのだろうか。切ない。だけど、状況が状況だから仕方ないのかも知れない。
いや違う。そもそもわたしは一応怪我人で、実戦訓練からこちら、列車内でしか休息がとれていないのだった。

もし全部がうまい具合に解決してここに残ることが許されたなら、しばらくは何も考えずに惰眠を貪りたいな。日の当たる志摩家の縁側で柔造さんに呆れられながら、四男と一緒に寝こけるのだ。それで最後には八百造さんに怒られて二人で正座して……って、あれ。

なんで四男。

いや、それはたぶん実際にあいつそういうことしているのを見てきたからだ。おまけにわたしは今こんな状態で、独りで何かをするだなんて、想像もしたくない。そういうことだ。何もおかしくはない、はず。

だけどこうして、理由を探しているのがおかしい気もする。

わたしは今何を考えているんだろう、なんて、わけのわからない考えが頭の中を回り出す。考えなきゃいけない事なんて、自分の消失を食い止める方法だろうに。

そう、そうだ。消えない方法。わたしは今、叫び続けなきゃいけないのだった。それが有効かどうかはともかく、それしかできないから。

四男のことは、後回しだ。


「て、いうか、後回しも何も、必要ないじゃん。深く考えるまでもなく、わたし、志摩家に依存してるんだし。みんな好きだし。大切だし。四男……も八割方ムカつくけど案外優しいし、そもそも正十字に行く前は寧ろ八割方いい奴……あれ?」


口にして初めて気が付いたけど、そういえば確かに、そうだった。
京都にいた頃のわたしと四男は、今みたいに喧嘩腰ではなかった。というか、言葉遣いももう少し穏やかで、いくら慣れたとは言えやはり多少は気を遣ってしまうものか器のちっちぇえ男だなまあ仕方ないことかウム、などと思った覚えがある。

よそよそしさがなくなって良かった、と捉えるべきかも知れない。が、時期が時期だけに気になる。
一体何が原因だ、って、思い当たる節がありすぎてわからない。でも、奴はわたしが志摩の家を離れてから、ジンではないという事実に気が付いたのだ。あ、じゃあそれが一番の原因じゃね?得体の知れないジンよりも、自分と同じ人間の方が親しみが湧くのは当然だ。

うん、問題ないな、とひとりで納得してから気付く。結局四男のこと考えてんじゃねーか。いやこれは流れ的に仕方なかったっていうか、それにしても切迫感なさ過ぎだろわたし。だって今にも消えようとしてる人間の悩むべきことじゃない……って、あ。


「ど、どうしよ」


一時にしろ、なんで頭から吹っ飛んでたのかが謎だ。


「じゅ、柔造さん早く来てくだ」

「ゴッルァアア!何で柔兄なんやドアホォオ!」

「金造ォォウ!」


すぱぁあん、と、そりゃーもう小気味よい音を立てて、四男が隙間もなくぴっちりと閉めて出ていった襖が四男の手で乱暴に開かれた。突然のことに、わたしは芋虫のように畳の上に転がったまま、ただただぽかんと口を開けているしかない。

全然、気付かなかった。というより、わたし今なんで怒られたの。


「ほんま、何でこない残念なんやお前は……」


呆気にとられたまま柔造さんに頭をひっぱたかれる四男を凝視していたら、静かな溜め息の後に声が聞こえた。

勢いよく開かれた引き戸というのは柱にぶつかって跳ね返ってくるものだけど、力の入れ方が雑だと敷居そのものから外れてしまう。
その外れてしまった襖を、呆れた顔の八百造さんが両手で支えていた。

八百造さんが、来てくれた。ということは、彼もまたわたしを許してくれたということだ。

色々複雑な思いもあるだろうから、後できちんと話をしなければならない、けれど。来てくれたという事実だけで泣きそうだ。

壁に襖を立てかけた八百造さんは、わたしの視線に気付くや困ったように苦く笑った。


「遅なってすまんなあ。心細かったやろ」

「い、いえっ……」


そんなの、全く、八百造さんが謝ることではないし、勘違いされているようだけど、わたしが泣きそうなのはひとりが不安だったからではない。

ああもう、志摩の家系はなんでこんなにも優しい人だらけなんだろう。たまに失敗してるようだけど、五男二女とかいわないでもっとその遺伝子を残してください。わたしは今からでも応援します。


「まあ、私がすぐに信じれへんかったせいもあるのやけど、準備せなならんものもあってな」

「準備、ですか」


簡単に信じられないのは仕方ないことだ。だからそこは流した。「八百造さんは悪くないですうー元はといえばわたしがあー」なんて今更言うのもおこがましい。柔造さんと四男には散々そんなことを言ったけれど、過去は振り返らずに生きたい。


「まあ、前例のと違うから、覿面に役立つもんがあるわけやないけども。これだけは確かめなならんかったさかい」


そう言って、差し出された青色。


「あ、」


懐かしの、我がワームホール。

そもそもの発端となった硝子の小瓶が窓から差し込む陽射しを受け、ちかりと光って青い色を壁に反射した。

蘇るあの日。それからの日々。祓魔師への殺意……様々な記憶と感情がその小瓶を目にしたことで蘇り、走馬燈のように駆けめぐる。いや駄目だろ。
そもそも、そんな感慨にふけっている場合ではない。


「これが、何か?」


今これが役に立つのか、が重要である。そりゃあ八百造さんと柔造さんが無意味なことをするはずないよねははは、と思っているには思っているのだけど、それでも疑わしい。

何故ならこれは、わたしが通り抜けてきた代物である。たぶん。
しかしわたしは、この中にいたわけではないのである。たぶん。
だからこれを持ってこられても、たぶんわたし自身にはなんら関わりがないのではないかと思うのだ。

それに答えてくれたのは八百造さんではなくて、四男に制裁を降し終えたらしい柔造さんだった。


「メアリが出てきたんはこれやったやろ」

「まあ、そう、ですけど」


言い切ることに抵抗を感じて歯切れの悪い返事をすると、八百造さんが小瓶を隠すようにぎゆっと握り込んだ。


「こん中に封じられてたわけやないんは承知しとる。けど、こん中には確かに何かが居って、うちのアホたれどもが無責任に開けた結果、中に居うたもんでなく、お前さんが出てきてもうたんや」

「そう、なんですか」


言葉の端々から後悔と謝意が感じられる。が、ここで突っ込んだら謝罪合戦になるのでやっぱり流した。
いや別に息子さんのせいでは、いや封を開けなければこんなことには、いやそもそも開けただけでイレギュラーが発生したのがおかしいのであって、いやそれでも何か条件さえ異なればこんなことにはならなかったかも知れずやはり息子が、いやいやいや……うん、キリがない。


「さっき確認したんや。これを、こう」


言いながら八百造さんは窓際に行き、小瓶を掲げてその口を太陽に向ける。硝子瓶を一直線に通り抜けた光が、青い影となって畳に落ち、て。


「えっ、あっ」

「――したら、底に魔法円彫ってあるんがわかるやろ」


正十字学園で扱き使われている間に幾度も目にしたものと、どこか似た模様が畳に描き出されていた。簡易式のものではなく、細かく色々と彫り込んである。


「覗くだけやと判り難いけど、こうすると内側に彫られた紋様が見えるのや」

「ざっとやけど調べてみたら、名ぁのような文字が入ってた」


まじまじと魔法円を見つめるわたしを柔造さんが抱き起こし、重要そうなところだけ写したらしい図の描かれた紙を見せてくれる。円の端に書かれていたのは『安矛于』という文字。
確かにこれは不特定多数の何かを召喚するときには絶対要らないであろう文字だ。


「暴走族かよ!」

「真仮名や」


冷静な突っ込みだ。
言われてみれば、画数だけが無駄に多い漢字を無意味に連ねているわけではなかった。反省し、気を取り直して訊いてみる。


「ちなみにアブーって、性別は」


言いながら、こんなところでも無駄な翻訳機能が働いて、アブウと普通に読めてしまった自分に一抹の悲しさを覚えた。


「男やろな」


あっさり返ってきた答えに嫌な予感が湧き起こる。
え、あれ、何で柔造さんはこの文字を見せてきたんだ。
わたしがこれの代わりに呼び出されたから?それともわたしが、まさか、いや、いや――

嫌な方向に向かいそうになる思考を賢明に引き戻していたら、突如伸びてきた腕にがしっと肩を掴まれた。


「ちょ、おぉおお前、ますます消えとるやんか」

「金造、わかっとるからちょお落ち着き。私らが焦ったら、余計不安にさすやろ」


そしてあっという間に、わたしの顔を覗き込んできた四男を八百造さんが引き剥がした。柔造さんはそっとわたしを遠ざけてくれる。
ほ、本当にこの人たちは天然タラシだ。

それに引き替え四男はなんて残念なんだ。


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