わたしは一応働いている。

しかし無給だ。

働くといってもお手伝いさん扱いで、ジンとして扱われているためにますますその認識が強まっているからだ。バイトにすらなれない。お手伝いできて偉いわねー、みたいな、なんていうか、うん。ななみちゃんみたいな認識なんだろう。

ジンだと思われていようと一応人型だし、もう少し人に近い扱いでも良いんじゃないかと思っていた頃が懐かしい。最早わたしは諦めきって、飴玉ひとつで祓魔師のお手伝いに出向いたりしている。

下級悪魔が苦もなく倒せるようになってきた頃から、わたしも頻繁に巡廻に駆り出されるようになった。不浄王の目玉のせいで京都は悪魔が湧きやすい、と、そんなことが書いてあった気もするが、本当に際限がない。一匹一匹は大したことが無くても、数が多いから人手が足りない。それで、まだ何の称号も持っていない見習い未満のわたしも駆り出されているのだ。無給で。

指導をしてくれる祓魔師のおじさんや志摩家の面々によると、覚えが早い流石はジンだ、ということらしいが、こんだけ働かされていれば誰だって上達も早かろうと思う。

ジンだから、と無駄に期待をされたわたしへの最初の課題は、知識も技術も皆無の状態で野犬の屍を倒すことだった。当然倒すどころか多少のダメージを与えることもできず、次男に助けてもらった。やっぱりあかんか、と言った次男への殺意は最近ようやく薄れてきたところだ。

とにかくそんなわけで、実戦から始まったわたしの訓練はその後も実戦主体だったので、あっという間にめきめきと上達したわけだ。めきめきと言っても、下一級祓魔師程度だけど。

だから、勝呂さんちで修行をしている子どもたちもさっさと実戦に投入してやればいいと思うのだけど、危険だから、と反対された。釈然としない、と思った。

そうしてわたしは今日も巡廻と討伐を終え、一緒に廻ったおじさんから、お疲れさん、と有平糖をもらった。

わー綺麗、と棒読みで喜んで、光に翳してみる。綺麗なのは確かだ。美味しいのも確実だ。この出張所の人からは美味しいものしかもらったことがない。しかし、無給であることには変わりがない。

わたしは、今日で最後の巡廻参加ということになっている。三日後に五男と一緒に京都を発つからだ。お陰でポケットの中は、いろいろな人からもらったお菓子でいっぱいになっている。が、最後くらい自分で好きなものを買いたかったなーなんて思う。

諦めてはいるけれどちょっとがっかりしながら志摩邸に戻ろうとすれば、ぐいっと襟首を掴まれた。


「ちょう待ちぃやメアリ」

「っご、ぅげっほ、貴様覚えてろよ……!」


呼ぶより前に物理的に止めてきたのは四男で、わたしは咳き込みながら睨み付けた。正規の祓魔師じゃないわたしは、普通の黒コートを五男に借りて着ている。首の締まりは半端じゃなかった。


「ん、ああ、スマンな。それより、今から飯食い行くで」

「軽すぎんだろうが……て、飯?」


さらっと流す四男に怒鳴りかけたが、聞き慣れない単語にきょとんとした。

志摩家でご飯を食べることは出来ているけれど、基本的にわたしが作っているので、呼ばれるということはほっとんどない。何ヶ月ぶりかのご飯ですよの言葉に、わたしは数秒反応が出来なかった。


「何や?食いたないんか?」


そんな反応が返ってくると思っていなかったらしく、四男もわたしに併せるようにきょとんとする。


「え、いや、食べたいです。食べたいけど……何ですかどういう風の吹き回しですかベタに拾い食いでもしたんじゃないかと言いたいレベルで志摩四の言動がライブラリと一致しません」

「メアリお前どんなテンパり方しとんのや。拾い食いやのうて今から食い行くんや。服装にとやかく言わはるとこやないから着替えはせんでええし、早よ行くで」


そう言って、四男はわたしの手を引いて歩き出した。

着替えと言っても、志摩家息女のお古や兄弟からの借り物で生活しているので、もともと何の拘りもないしどうでもいいしどうにもならない。そこではなく、なぜ食事に誘うのかをきっちり説明しろと思うのだが、四男は急いでいるのかずかずかと進んでいってしまう。それについていこうとすると、なかなか口が開けない。歩幅の差が憎い。

必死に歩調を合わせていると、四男が前を向いたまま、あ、と声を上げた。


「そうや。坊と子猫もいてるんやけど、会うたことはあるよな?」


何故その面子なんだと思いながら、ある、と短く返す。それ以上長い返事をしたら、絶対転ぶ。

わたしの返答に四男は振り向き、やってしまったという顔をして歩く速度を緩めた。


「速いんやったら、速いてちゃんと言いや。気ぃつかんかったらこのまま歩き続けてたわ」

「言えも、しないほど、速かったん、ですよ」

「何や、まだ速いか?」

「息整えてんだよ話しかけんな」


一息で言ってやれば、四男は誠意の籠もらない謝罪をして、それから思いついたように更に歩調を緩めて、隣に並んだ。


「今度は何ですか」


どうせまたろくでもないことを考えたのだとジト目を向けてやれば、四男はへらっと笑った。


「や、前におったらまた急いてまうやろし、しばらく会えへんようになるさかい、手ぇ繋いで歩いてみよかなと」

「………………へー」


まともだった。まともだし、なんかちょっと可愛いこと言ってんなこいつ、と思ってしまった。

あれだ。志摩家の次男と四男は、妹ができたような感覚でわたしの面倒を見ている。血の繋がりとか、共有した時間の蓄積とかが足りないから、そこにペットのような感覚も加わっているだろうけど。不快ではないので、わたしもその扱いを受け入れている。でもなんか、今の言葉は寧ろむこうが弟のような、そんな感じを覚えた。

しかし四男が可愛い弟というのは何かシャクで、この間五男を蹴り飛ばしておでんのつくねを総取りしていた姿を思い浮かべた。横暴な兄、それが四男だ。でも、あれは確か次男に拳骨落とされて仲良くつくねを分け合ったのだった。

あれ、やっぱ弟じゃねーか。いやいやそんなの認めたくない。

そう、一人で悶々としていたら、むいむいと頬をつねられた。ばっと隣を見れば、四男がつまらなさそうな顔でこちらを見ていた。……どう転んでも弟みたいだななんて思ってない。


「何やの、急に黙りよって」

「精神と時の部屋にいました」

「お、おお……そうか」

「何か用ですか志摩四」

「や、話しかけてもメアリが反応せえへんからつねっただけや……あ」


だからその話の内容を聞いてるんじゃねーかと思ったけど、ぼーっとして聞いていなかったわたしが偉そうに言えることじゃないので余計なことは言わないでおいた。

黙って四男の様子を見ていたら、少し考え込むようにして腕時計の確認をし出した。


「そういやあそこ、小間物屋やったな……」

「何だそれは」

「雑貨屋や雑貨屋!」

「それは知ってます。じゃなくて、急いでたんじゃないのかよ。そんなとこに寄ってる暇あるのか」


少し先に見える、店構えも可愛らしい小間物屋と腕に巻いたごつい時計を見比べる四男にそう言ったが、綺麗に黙殺された。くそ。
そのまま更に十秒ほどひとりで唸ってから、四男はよっしゃ、と何かに気合いを入れた。


「大丈夫ですか、何かおかしな……まさかスカイフィッシュでも見えましたか」

「何で気ぃが触れたみたいなっとんのや。ほれ、行くぞメアリ」

「はい?」

「小間物屋。なんか好きなもん買うたるわ」

「は?」


意味がわからなくて間抜け面して聞き返せば、四男はわたしの反応を無視して店に向かって歩き出した。意味がわからない。ご飯を食べに行くと言ってみたり好きなものを買ってやると言ってみたり、四男は一体何を考えているのだろう。

そのまま店先まで連れて行かれて、さあ選べと促される。しかし状況が飲み込めていないわたしには、何を何のために選べばいいのかもわからない。

困惑していれば、呆れたように四男が溜め息をついた。


「あんなあ、お前明明後日には東京に行ってまうんやぞ。思い出、言うほど長い時間でもあらへんかったけど、やっぱり何か思い出になるもん欲しいやろ。七百年瓶ん中でその前のことも全部覚えてひんのやから、今のメアリにはここがふるさとみたいなもんやろ?廉造も坊も子猫もおるけどな、街も違うし俺らもおらん。寂しならんよう、何か贈ったる言うてんのや」

「は……」

驚いて、言葉が出なかった。

四男がまともなことを言っている……というか、わたしがまともな扱いをされているというか、そんなこと考えてもいなかったというか、とにかく予想もしていなかったことを言われて、驚くしかできなかった。

何より、


「……何やその顔」

「えっと、いや、その、随分優しいので驚いただけです」

「俺はいつでも優しいやろが!」


わたしは無意識に、自分のことを『ここの人間じゃない』と思っていた。自発的にここへ来たわけではないから、努力すれば帰れるとも思っていない。帰るということはほとんど諦めている。でも、どこかでここに馴染む必要がないと感じていたのだ。

一般的な仕事に就けないとか、お小遣いすらもらえないとか、人として扱ってもらえないとか、そういう不満を認識してはいてもまあいいかと思っていたのは、だからだ。ここに根を張って生きる意志も覚悟も持ち合せていないから、楽観的でいられたのだ。

だから、京都を離れることを何とも思っていなかった。この世界で過ごす、この先のビジョンもなかった。

だからこその、メアリ・アンなのかも知れない。わたしが、わたし自身がこの世界と向き合う必要がないように、そんな名前を名乗ったのかも知れない。

メアリ・アンは『誰でもない』のだ。本当はメアリ・アンなんか存在していない。わたしはみょうじなまえで、メアリ・アンはみょうじなまえではない。
そしてメアリ・アンはメアリ・アンですらない。それは、人の名前であると同時に人々の呼称なのだ。メアリ・アンはどこにでも存在していて、だからこそどこにも存在していない。

わたしもまた、どこにも存在していない。

そのことに、気付いてしまった。


「時間、かけていいんですか」

「いや、五分で選べ。そもそもメアリの班の巡廻終わるのが遅かったんや。もうみんな待っとる。一応座敷は二時間とったあるけど、あと一時間半やな」

「ていうか何なんですかその集まり」

「あ?言うてへんかったか?送別会や、送別会」

「ああ……」


そんなふうに上辺だけで会話をしながら、こっそりと唇を噛む。

どこにも存在していない、わたしを。けれどこの人たちは、ここにいるものとして向き合っているのだと。わたしが逃げ回っているから、それは実際には叶っていないけれど、でも彼らはそうすることを望んでいるのだと。そんなことを考えたら、自分がひどく卑怯で醜く思えた。

詮無いことを考えて店内を歩いていたら、派手なピンクの花が目にとまった。恐らく、モチーフはガーベラの類だ。布や革の花弁が何枚も重なって、黒い石で留められている。よく見ればそれはヘアピンで、これを頭に付けらるのはおしゃれな子だけだな、と思った。

が、そのピンで長いこと目がとまっていたのか、気が付いたら四男がそれを手に取っていた。


「何や、これがええのん?」

「え、や、それは……ないだろ」


思わず真顔で返した。

親指と人差し指で作った輪っかよりも大きい花を、わたしは頭に付けられない。

しかし四男は何故か乗り気だ。


「ええやん。メアリ何っっも洒落っ気あらへんのや。こんくらい派手なもん、一個くらい持っててもええやろ」

「いや何言ってんのそんなの一つだけ持ってても使えないだろ……!」

ジャージにそんな可愛いヘアピンは付けられないし、わたしはと言えばこの春から基本的につなぎ生活になることが決まっている。本当に使えない。

そう思ってヘアピンを奪い取り、四男に呆れの籠もった目を向ける。と、その金髪を見て、ピンクの花は存外に合うんじゃないかと閃いた。頭に翳してみればその直感は間違いでなく、なかなかに似合っている。

男性が女性用の小物を身につけることを嫌う人もいるけれど、四男はイケメンだしいいんじゃないかと思った。世の中、顔が良ければ結構何でも許されるものだ。


「よし、これにしましょう」

「え?メアリ今、俺に合わせてんよな?え?俺の物選びに来たんと違うで?」


意表を突かれたのか、四男がぱしぱしと瞬きを繰り返す。まあ、確かにわたしもおかしいと思うが、今はまだその方がいい気がした。

「ここを離れたらわたしも寂しく感じるかも知れないけど、わたしが離れたらそっちも寂しくなるかも知れないじゃないですか。だから有り難くもらってください」

「何でそない上からなんや。俺が買うんのやで」

「知ってますよ痴呆じゃあるまいし」

「痴呆やろ」

「……ただの……記憶喪失です」


それから一頻り舌戦を繰り広げたが、結果として四男がそのヘアピンを所有することが決まった。会計を済ませるとき、わたしに先に店から出るようにと言った四男の手に何かもう一つ持たれているようなのは、見ないふりをした。

それらの用を済ませ終わるのに、結局三十分は掛かってしまった。
全力疾走で予約してある店に走ったが、全員既に食べ終わっていて、わたしたちは次男の鉄拳制裁を受けた。ごめんなさいと土下座をした時の、うわーっていう勝呂ジュニアの視線が痛かった。

次男の説教が終わったときには、もう食べ物を味わう時間は残っていなかった。美味しい物をかきこまねばならない虚しさに項垂れていたら、次男と勝呂ジュニアの取り成しでもう一時間座敷を使えるようになったと告げられた。

祓魔師の関係者が経営している店なので、融通を利かせてもらったらしい。が、相当無理を言って頼み込んだようで、四男は当分休みなしだと宣告されていた。

とりあえず、ちょっと可哀想になったので、明日はもう一度だけ巡廻に出てあげようと思って鴨鍋を味わった。

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