理事長との面会は、まさに針の筵に座っているかのようだった。

ダンジョンの設計ミスで教会の祭壇前が毒の沼になっているような、存在のセーブを頼むためにひたすらHP消費して待機しなければならないような。

そんな、動くに動けないけど確実に体力を削られる状況で、すでに三十分。指定された京の甘味処に入でわたしはじっと理事長の無駄話に堪えていた。

無駄話。当たり障りのない、身のない話題。今日の天気がどうだとか、最近の流行がどうだとか。しかし、ぺらぺらとくだらないことを喋りながらも、理事長の目は密かにこちらを探っている。

無論、表情が読めるわけではない。腐っても悪魔、彼の考えは全くわからない。だが、わたしには疑われ値踏みされる覚えがありすぎる。要は被害妄想だ。

しばらくして宇治抹茶パフェが机に運ばれた。勿論、わたしの注文ではない。半ニートにそんな贅沢品は頼めない。

頼んだ品が揃ったのをさっと目で確認した理事長は、胡散臭い顔のまま声だけは少し堅くして本題に入った。


「成る程確かに、アナタはどこか人と違うようだ」


ええそうでしょう。多分体に染み付いた常識が異なるのだと思いますよ。あと、世界とか。

なんて言えるわけもなく、わたしは言葉の続きを待って、理事長の手元を見る。
餡蜜葛切り鹿の子パフェアイスその他名称を思い出すのも面倒な甘味の数々。
それらがずらっと並び、その上でまだ、メニューもしっかり広げていやがる。

正気を疑う。

しかも、ひとくちふたくちつついたら後は目もくれない。そのくせ、メニューの写真と違うだ何だと店員に文句を付ける。それで綺麗に写真通りの盛り付けになって返ってきた甘味を、ぐちゃぐちゃにしてちょっとつついて、やっぱり放置。

まさに悪魔。ゲスすぎる行為は悪魔として正しい。正しいが故にますますゲス。

紳士じゃなかったのかと思いながら、わたしは混沌とした卓上から目をそらしてアイスティーを口に含んだ。

理事長は、わたしの動作を監視するように見つめてからパフェ用のスプーンを立て、何かを測るように、スプーンとわたしの顔を一直線に並べた状態で片目を閉じた。


「だがしかし、悪魔というわけでもないようですね。現にアナタは、志摩家にも出張所にも易々と出入りが出来ている。あそこは清められているし、一応結界も張られている。私ほどの力があればともかく、そういうわけでもないようだ」


考えの読めない薄ら笑いを浮かべて、理事長はスプーンを下ろす。

少し迷ってから、わたしは明後日の方向を見て答えた。


「……ジンなので」


志摩家に結界が張られているのは初耳だった。が、この間志摩父は『正十字学園に行けば』自由に動けなくなると言っていた。志摩父は自宅の結界のことも学園の結界のことも承知している。では多分、現在は志摩父が何かしてくれているのだ。

それがわたしに対してか結界自体にかはわからないけど、虫豸がたまに入ることを考えると、後者な気がする。

が、悪魔と違うと言われてしまった今、特殊な要素は全部ジンだからだとこじつけておくべきだ。

人だと断定されてしまえば、わたしはレッツエンジョイホームレス。ウェルカムトゥーニューワールド。

それだけは阻止したい。


「正直、我々もジンについては詳しくはありません」


考え込むようにしてから、理事長がゆっくりと応えた。


「いることは知っていますが……寧ろ、いたことを知っていると言った方がいい。端的に言えば、ジンは絶滅しています」


なんだと。

衝撃的な発言に、わたしはアイスティーのグラスを持ち上げた状態でぴしりと固まった。

グラスの表面に浮いた水滴が、重力に引かれて膝に落ちる。が、冷たいのか何なのかわからない。

だって絶滅って、え?あれ、わたしは結構とんでもないレベルの虚偽の発言をしていたと、そういうことじゃない?


「まあ、絶滅と言いますか、悪魔に帰属しているのですよ。ジンの長とも言うべきイブリースが八候王のひとりですしね」


なんだと。

目を丸くしているわたしに、理事長は本当に痴呆なんですね、と嫌な笑顔で言った。

いや、まあ、反論はできないけど、ムカつく。


「ジンはもともと、精霊から魔人まで、善性も悪性もひっくるめてジンと呼ぶ、なんとも大ざっぱな呼称です。悪魔を悪魔と呼ぶより正確性に欠ける。故に昔はジンを悪魔と呼ぶことは憚られていました。悪性のものだけを悪魔に組み込むことも考えられましたが、自前の肉体を持てる物質界寄りの個体もいたので、分類としては悪魔と呼べなかった」


哀れみの目を向けながら講釈をしてくれる理事長さま。

すごいムカつく。小難しいことを言っているのがまたムカつく。

こちらの思いに気づいたのか、理事長は鼻で笑って先を続ける。ほんとにムカつく。


「しかし、祓魔師による悪魔狩りもあって、いつしか物質界の肉体を持つジンは消えてしまった。そこでようやく、ジンと悪魔は等号で結ばれたわけですが、ここで問題が起こった。善性のジンが、悪魔と同一視されることを拒んだわけです。間を端折りますと、結果として善性のジンは消え去りました」


端折りすぎじゃねえのわたしが善性のジンだったらどうしてくれるの、と反射的に言いかけて、わたしは口を噤む。

わたしはジンじゃない。いい加減ノリと勢いで身分を偽る発言を重ねるのは止めておきたい。


「ジンというものの多様性が失われた結果、いつの間にかジン自体の多様性と独自性も失われた。一国を永久に闇に閉ざしておくだの何もないところから生き物を産み出すだの、悪魔から見ても意味の分からないことをしていましたが、それができなくなったということです。現在は、火の眷属として常識的な範囲の力に留まっている。最早悪魔の中のジン、とも呼べない。『ジン』は悪魔と同化し埋没してしまったわけです」


へー、と頬をひきつらせながら相づちを打つ。

ジン半端ないな。何そのトンデモ設定。

わたし本当に早まった。


「まあそういうわけなので、『ジン』は現在存在していません」

「……じゃあわたしもジンじゃないんですかね」


何となく弱気になって、そう尋ねてみる。

もう、人だって言われたらどうしようとか考えていられない。
なんか、すごく壮大だった。すごく深い墓穴が掘られていた。

もしここで、お前はジンじゃないです☆って言われたら、その方が幸せな気がしてきた。

だが、次に理事長の口から発せられた言葉は、とても非情だった。


「いえ、アナタは恐らくジンでしょう。物質界で肉体を持てるジンの生き残りだ」

「なぜだ」


何を根拠に、お前はそんな結論を下した。

目をかっ開いてガン見したら、理事長はちょっと眉を上げてからポーカーフェイスに戻った。


「人でも悪魔でもないのなら、ジンとしか言えないでしょう」

「……そうですか」


何故だろう。当初の願いが叶ったはずなのに、全く嬉しくない。


「先ほども言ったとおり、我々はジンについてあまり詳しくありません。いい機会ですしアナタから色々伺ってみたいですから、是非さっさと思い出してくださいね」


語尾は星マーク付きだけどどこか刺々しい物言いで、ウインクをされた。

さっさと思い出せよ役立たず、と副音声が聞こえた。

まずい、プレッシャーが増えた。やっぱり人に戻れば良かった。嘘ですってカミングアウトするべきだった。

しかし今更後悔しても遅い。


「そうそう、正十字への住み込みでの事務員希望ということでしたが、事務の空きがありませんので用務員ということでおねがいしますよ」

「よっ……!」


待て、それはつまり力仕事じゃねーか。

悪いけどわたしは、一般女子程度の力しかない。ジンところか成人男子並みの力もない。それが用務員。

わたしが唖然としていることもお構いなしに、理事長は椅子の背に掛けていた傘を手にとってさっと振った。

ぽんっと音を立てて、わたしの膝の上に白い箱が置かれた。


「こちらが用務員の制服です。仕事始めは新学期からで結構ですから、志摩くんと一緒においでください」


もう拒否権はないらしい。嘘だろ。

泣きそうな顔のわたしに理事長は、良ければこちらもどうぞとアイスを一皿差し出してきた。

どろっどろに溶けているやつを。

要らないと言ったらそれを餡蜜にぶっかけて、クリーム餡蜜ですと差し出してきた。

じわりと殺意が湧いた。

それから三時間近く下らない会話をしてから家に帰り、目の据わった状態で四男と鉢合わせてえらく心配をされた。
大丈夫だと言ったけれど、あまり大丈夫じゃなかった。

部屋に戻って箱の中を確認すると、長袖半袖袖無しの、衣替えもばっちりなつなぎコレクションが入っていた。

ただし、どピンクの。

残ったライフも削られて完全に目が死んだわたしに、次男がお粥を作ってくれた。

五男に布団で芋虫にされながら、お前のせいだ、と恨みがましく思った。

△▽

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