「おいコラなまえ、ええ加減起きろやボケ」

「わたし全治一ヶ月なんでー」

「気合いで治せ。お前ジンやろ」

「無茶言うなよわたし成り立てほやほやだよ」


700歳の新米ジン、なんて変な話だけど。

そんなとりとめのない応酬をしながら、縁側で体を伸ばして空を見上げる。雲一つない快晴だ。快晴すぎて暑苦しくて、わたしも四男も汗だくだ。しかしシャワーを浴びに行くのも億劫で、扇風機を回しながらごろごろし続けている。

正直なところ、段々汗臭くなってきたから四男はどっか行ってくれないかなと思っている。
でもいて欲しいなあと思っている自分もいるから、何も言わない。

昨日、わたしはアブー(という名であるはずの正体のサッパリわからないジン)を押しのけて、その居場所を奪った。いや、アブー(という相当な年代物であることだけが確かな存在)に居場所があったのかもわからないけど。

あの小瓶が割れたとき、何かが全身を通り抜けた気がして肌が粟立った。意識も一瞬遠退いた。それで、あ、消えるな、と思った。実際、体が蜃気楼のようにぶれていたと柔造さんは言っていた。

でもわたしだって簡単に消える気はなかったから、必死で藻掻いた。志摩家の三人も、必死で名前を呼んでくれたらしい。その記憶はわたしにはないのだけど、息苦しい水底から何かに引っ張り上げられて、段々と体が軽く、視界が明るくなるような感覚はあった。

そんなぼんやりとした意識の中で、消えゆくアブーと視線や言葉を交わしたなどというドラマチックな展開はない。ただ、気が付いたらわたしはまだ出張所の一室にいて、柔造さんと四男の泣き顔が眼前にあった。

よくわからないけど、勝ったんだと思うことにした。わたしはアブーに勝って、ここに居残ることに成功したのだ、と。

志摩兄弟に暑苦しく抱きつかれながら損なわれた体が元に戻っていることを確認していたら、八百造さんに聖水をかけられた。痛かった。
CCC濃度で消えないなんて、悪魔と人間の融合体だからか悪魔としての力が強いからかはたまたジンだからかはわからないが、ともかく簡単には祓われないとうことだ良かったな、などと言われたけど、それは今やることなのかと八百造さんの職業病にぞっとした。

ただ、わたしは体力その他は普通の人間と同等だった。退魔法を使うこともできたし、出張所の手伝いをしていたときも一切影響を受けなかった。だから、ジンよりは人に近いんじゃないかなーと思っている。

そもそも冷静に考えたら、どんな悪魔祓いも受けていない、魔法円に欠損もない『ジン』の体自体が、揺らいでいたはずがない。ならば揺らいでいたのは、『この世界に融和することを拒んでいたわたしの存在』であるはずだ。

だから、人。百パーセントじゃないけど、ジンよりは絶対に人に近いはずだ。

しかしそうは言っても混じりっ気なしの人間じゃないことも確かなので、近いうちに知性の高い悪魔を喚び出して力の使い方をレクチャーしてもらうイベントが待っているらしい。

何か、扱いはほとんど変わらないなと思った。食事睡眠トイレ風呂が正式に認められたというだけで、基本的な扱いは変わらないなと思った。

まあ、人間じゃなかったわけだけど。実は最初っから人間じゃなかったわけだけど。でも、こう、かつて人間であった事実をもう少し尊重して欲しい。……過去形なのが非常に切ない。

ともかく、昨日はあの後、柔造さんと金造さんは無理矢理休みをもぎ取って(半休といっていたけど、朝からずっと仕事してないから全休だと思う)、わたしと一緒にいてくれた。八百造さんは流石に仕事に戻っていたけど、夜は家に帰ってきて快気祝いをしてくれた。

どうやらわたしが喚いていた言葉も半分くらい聞いていたらしく、凄く立派な店に連れて行ってくれて、豪勢な食事を食べさせてもらった。食後のデザートも完璧だった。
つくづく、志摩家に拾われて幸せだ。後が怖いけど。

そして今日は、休養日としてお休み。まだ様子を見ていた方が良いということで、四男も一緒にお休み。というのが今の状況。
四男も特に突っ掛かってくることがなく、とても穏やかで幸せである。……後が怖いけど。


「暑ー」


別に会話のつもりはないけど、思わず口から言葉が漏れる。すると間をおかずに、怠そうな声が返ってきた。


「お前ほんまメンドいな……たぶん大体半分は悪魔やろ……気合いでどうにかならんのか」

「なんねーよ。なんねーしたぶん大体とかあやふやな情報を持ち出されても困ります」

「はーあ、使えへん。……ちゅーかお前ジンか。あー、どおりで。せめて水の眷属やったら俺ももっと涼しいはずやんなー」

「うっせーよジンだからって発熱してるわけじゃないし、わたし人間成分の方が多いはずだし、暑いなら離れてればいいじゃん」

「ぷっ、多いはずー、やて。自信もあれへんことよおでかい声で言えるわ」

「あ。アイデンティティを否定されたら体が消えてきた」

「はぁああ!?」

「わけねーだろ」

「っ、こんの、調子乗んなスベタ!」

「うわ」


蹴られた。
お互い寝転がっているので、別に痛くはないけど蹴られた。まあ今のはわたしが悪いので逆ギレする気はないけれど、汗を掻いた足で蹴られたのが腹立たしい。

無言で蹴られた足を拭いたら、こちらの様子を窺っていたらしい四男が起き上がって背中を踏みつけてきた。


「ちょ、ふざけんな。わたしの肋骨は折れてるんですよ」

「知るか!なァに汚いもん触ったみたいにしとんねん!」

「いや汚いだろ」

「ハァ!?」

「お前は自分が汗だくだという自覚がないんですか……ちょ、やめろわたしの服で足拭くな!」

「廉造のやろ」


その通りである。しかし服の所有者の話をしているのではなく、今現在の着用者の話をしているのだ。

とりあえず肋骨に響かないよう慎重にと転がって四男の汚い足から逃れたものの、更に踏みつけようとしてくるから仕方なく起き上がった。どこの小学生だ。

こいつは末っ子ではなく成人もしているはずなのに、本当にガキ臭い。これならまだ五男の相手の方が疲れない……かどうかはやっぱりわからないけど、少なくとも向こうは無視はできるからな。

全くこいつは本当に……って、あれ。


「あれ、五男?」

「はあ?廉造がなんや」


お互い、取っ組み合う直前のように両手を胸の前で構えて向き合ったまま首を傾げる。


「そういえば、着拒設定、あの後どうしました?」

「は?着、拒……してたなそういえば」

そういえば、程度のものらしい。本当にこいつは弟に対して情が薄い。


「あー、あーあの、わたしの体消えてるの、五男も見てるんですよ」

「せやったな」


一応、その辺りは覚えているらしい。泣いたり騒いだり忙しなかったから、細かいところは忘れていても仕方ないと思ったのだけど。
しかし、覚えていてもそこから先には思考が進まないのが、こいつが馬鹿に思える理由だ。


「ことの顛末を伝えておいた方が、というか連絡くらいつくようにしておいた方が、というか……」


自分の我が儘で着信を拒否させた手前、もう大丈夫なんで解除してくださいと頼むのにも気が引けて、もごもごと伝えれば四男は「あー……」とやる気のない声を出す。


「俺が言うのもめんどいし、廉造の電話受けんのもめんどい」


なんて奴だ。


「えええ、あいつもきっとそれなりに焦ったり気を揉んだりしてると思うんですけど」

「そない言うんやったら自分で電話したらええやん。ほれ」


至極どうでもよさそうに言って、四男はその辺に置いてあったわたしの携帯を蹴り飛ばしてきた。そう、確かにわたしは既に自前の携帯を持っているのだし、自分で連絡をすれば良いような気もするっちゃあするのだけど、そこにはまあ矜恃と羞恥心の問題があるのだ。


「察してよちょっとまだ自分で連絡するには気まずいんだよ。あと何度も言うようだけどお前本当に汗だくなんだから人の携帯蹴らないでください汚い。すごく汚い」


摘むようにして拾い上げて、ごしごしと五男のTシャツで携帯を拭く。意味がない気もするから、あとでちゃんと拭こう。

四男はその動作を見て威嚇するような顔をしてきたけれど、文句は言われなかった。


「……せやったら、柔兄かお父に頼むか」

「やっぱり二人も解除してないよね」

「柔兄はともかく、お父はそもそも無理や。着拒の仕方も知らへんもん。ちゅーか電話とメールがギリギリやし」

「あー……」


なんというか、印象を裏切らない人である。
妙に納得してしまったら、「絵文字は使われへん」という追加情報をもらった。別にそんな詳細は聞いていない。


「お前柔兄にかけえ。俺はお父にかける」

「あー、はい」


ハーフパンツのポケットから携帯を取り出した四男に少し遅れて自分のものを操作する。電話帳に登録されている人が少ないと便利だなーなんて悲しいことを思いながら発信ボタンを押す。が、繋がらない。

ちらりと四男を伺えば、そちらも繋がらないようだ。しばらくしてチッと舌打ちすると、終話ボタンを押して「おい」とぞんざいに呼びかけてきた。


「とりあえず、お前コート着てき」


そう、なってしまうのは仕方がない。電話に出てくれない以上、直接出向くしかないのだ。でもそれは、忙しいということじゃないのか。


「後で掛け直しましょうよ」

「遅ぉなればなるほど、廉造のやつうっさいで」

「だったら連絡してくださいよ……」

「絶対嫌や。ええから着てきい」

「ええ……この炎天下に」

「出張所ぉ顔出すんのによれよれのシャツとか信じられへん」

「今まではそうでしたけど」

「お前多少は人間やし女やし称号もとったんやろ…恥ずかしないんか」


真顔で諭された。
何だかものすごく殴ってやりたいけれど、四男の癖に筋の通ったことを言ってきてむかつく、というわたしの言い分に恐ろしく筋が通っていないから堪えることにした。

あんな暑っ苦しいものを着込まなければならないと思うとそれだけで汗が滲み出るので、シャワーを浴びてから着替えをする。
たぶん四男は、ばばっと脱ぎ散らかしてばばっと着替えてイライラとわたしの支度が終わるのを待っているだろう。その服を誰が片付けると思っているせめて籠に入れろ。

新しいTシャツとショートパンツの上に真っ黒なコートを羽織って玄関に行けば、予想通りそわそわと貧乏揺すりをしている四男がいた。


「遅いわボケ」

「あーハイハイ想定内すぎて言い返す気にもならない」

「ああ?わかってんなら待たせなや」

「あーハイハイほんとすいませーん」


適当に謝ったらぐちぐちと文句を言われた。本当になんでこいつがそこそこモテるのか謎だ。バンドか。バンドやってると格好良く見えるっていうあれか。わたしには理解できない。

外に出ると、照りつける太陽のせいであっという間に体温が上がったので、意識を保つためにも途切れ途切れに会話をしながら出張所へ向かう。

途中、四男はコンビニに寄ってアイスを買ってきた。持ち帰ってきたのがパピコだったからううわーと思ったら顔に出たらしく、可愛げがないとかなんとかキレられた。それに何かを返す気力はなかったので「ごっめーん、なまえチョー嬉しい」と語尾に星を付けて言ってやったら吐きそうな顔をされた。わたしだって吐きそうだ。

二人でパピコを一つずつくわえて出張所に着くと、どうやら昨日の一件は『誤って魔法円を損なってしまったために、修復作業を行っていた』とかそんな感じの説明をされているらしく、会う人会う人にお祝いの言葉をいただいた。

まあ結局わたしは名実ともにジンとなったわけで(元からそうだった、というのは、自己認識の問題だから無視しておく)、何もおかしくはない。寧ろ、今更本当は人間だったとか言い出しても色々と誤解が生じるだけだとは思う。

しかし、志摩家の面々以外の前では相も変わらず生粋の悪魔として振る舞わなければならないようだというのは、何かの意趣返しだろうか。やっぱり多少は迷惑かけやがってと思われているんだろうか。穿ちすぎだろうか。

などと悶々としつつも笑顔を返し、世間話をしつつ祓魔隊の詰め所に向かう。所長である八百造さんよりは忙しくないだろうということで、まずは柔造さんのところへ行くのだ。

が、部屋に辿りつくより前に、柔造さんの隊に所属している…はずの竜騎士のおじさんに声をかけられた。


「あれ、金造とメアリ……やのぉてなまえになったんやったか?お前ら非番やろ。どないしたのや」

「え?あ、あれ、名前?」


わたしがジンであるという認識にはなんのぶれもないはずなのに、名前を知られている。思わず目を丸くしてしまったら、おじさんは呵々と笑った。


「魔法円新しぃしたさかい、名前も変えてんやろ?難儀なことやけど、厄落としや思おて早よ慣れや」


その説明に、はあ成る程ちょっと苦しいような気もするけれど八百造さんと柔造さんのことだから上手いこと言いくるめたんだなあ、と納得した。流石である。


「で、非番のお二人さんの御用向きは?」

「ああ、柔兄に用あってな。携帯掛けたけど繋がらへんねん」


四男が答えると、おじさんは何故か眉をひそめた。
それは何か理由があってのことだろうし、それについては訊けば答えてもくれるだろうし、首を傾げこそすれ深刻に受け取る必要は今のわたしにはないはずなのに、何か嫌なことを忘れている気がして体が硬直した。

そんなことには気付くわけもなく、おじさんと四男は会話を続けている。


「なんかおうたんか」

「なんや、僧の座の調子が悪いらしいてな、隊長も所長も深部に行ってはるんや」

「僧の座ぁ、て、まさか右目か?」


ごんっ、と。
ごんっ、と床に頭を打ち付けた。ジーザス……いやブッダ。なんで忘れていたんだわたし。そうだ、そうだそうだそうだ。この京都には不浄王の右目が保管されていて、だからこの辺りには悪魔が良く出るし、祓魔師は毎日超過労働を強いられて、そんでこれから、辺り一帯腐海にされるのだ。


「な、なんや!?なまえどないした!?」

「なんや急に土下座して!お前まさか右目に何かしよったんか!?」

「し、してるわけねーでしょ馬鹿!第一昨日帰ってきたばっかりだし昨日からずっと一緒にいるでしょ!お前本当はわたしのこと微塵も信用してないのかよ!」

とんでもないことを言い出す四男に喚き散らせば、ああそっかと掌を叩きやがる。もーほんとこいつ信じられない。


「けど、せなら急にどないした、」

「あっ、せや!お前ジンなんやから、何かの時に備えて深部行っといたらどうや?」


ちょっと待て。


「あ、そおいやお前、火やったな」

「え、ちょ、なんでお前も納得してんの。あれ?わたしの事情は余さず伝わっているんだよね?」

「まあ、いざとなったらどうにかなるん違う?」

「や、やめろ引っ張るなやめろ!」

「案外、窮地に陥った方が何かばーっとできるかも知れん」

「そんな厨二展開はわたしの身には起こらない!やめろ離して!助けておじさん!」


ばたばたと藻掻くも、掴まれた右腕は解放されることなくずるずると引っ張られる。わたしは本当に、体力その他は普通の人間と同等なのだ。

おじさんは、お前ならできるとか根拠のないことを言って手を振ってきた。

祓魔師の八割は、きっと脳味噌筋肉の体育会系だ。根性論でどうにかなるなら座学は要らない。

奥村弟は小姑だったけど、論理的であるという一点だけで今のわたしには何よりも恋しい。

遂に、引っ張られることで走るあばらの痛みに堪えきれなくなり、わたしは大人しく四男の後を歩き出した。

やっぱり早めに、経済的にも精神的にも志摩家から自立したい。

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