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並盛中学校の風紀は、非常に厳しい。異常に厳しい。
校則自体は余所の学校と大差ないのだが、それを守らせようとする風紀委員会が、もうとにかくおかしいのだ。
お前らは秘密警察かSWATか、治安維持法は廃止されて久しいんだが廃仏毀釈はまだですか、みたいな感じである。巣鴨プリズンも真っ青なのである。
そんな学校で、わたしは未だにスリッパ女の汚名を返上していない。とても危険な綱渡りをしている。
歩く度にぱこぱこすぱんすぱん音が鳴るので、こいつぜってー見つかるな、とばっちりはごめんだぜ、と周囲から人が消えていく。気分はモーセだが、後に続くヘブライ人はひとりもいない。
……いや、山本くらいしかいない。
数少ない同性の友人である京子ちゃんは、同じく数少ない同性の友人である花ちゃんがさっさと連れて行ってしまう。花ちゃんはアボイドに極振りされたエインフェリアなのだ。
だから、移動教室は大抵、山本とランデブーになる。それでも廊下を歩いていると焼け付く熱視線がすーっと離れていくので、なんとか堪えられている。
わたしがスリッパ女であろうと上履き少女であろうと、山本はもうだめだ。アウトだ。わたしの晴れ晴れしき並中ライフのオプションとして、すでにがっちり組み込まれてしまった。いや、歯車に挟まっちゃった布のように、外しようもなくがっつり食い込んできている。いつ、心臓という名のわたしの歯車が止まってしまうのか、日々恐々としている。
だから、僅かでも心労を減らすためにこのスリッパは大切なのだ。よりいっそう危険なものを呼び寄せる可能性がなきにしもあらずと言えども、大切なのだ。
我ながら肝の据わったことをしていると思うが、わたしはSWATよりもKKKのほうが恐い。鬼のような風紀委員の対応は前者だが、女の子の陰湿なイジメは後者だ。
そんなこんなで、わたしは今日も今日とてすっぱんすぺんと音を立てながら廊下を闊歩している。
「なあ、なまえってそれ、歩きづらくねえの?」
特に何の含みもなく、気になったから訊いた、といった感じで山本が尋ねてくる。
いつの間にか名前呼びになっていて、女の子たちの殺気が増しているのは今更である。今は廊下なので、あまり気にしない。教室内でいかに名前を呼ばせないかに、最近は全身全霊を傾けている。
……おかげで若干ツーカーになってきているのは、気のせいだと思いたい。
「これは熊避けの鈴です。悪霊退散のお札です。効果抜群な代わりに呪いもついてる典型的な地獄のサーベルだけどわたしは教会に行く気はありません」
「ははっ、やっぱ面白いのな、なまえは」
何が気に入ったのかは知らないが、山本は楽しそうだ。
呪われてるって(たぶん比喩じゃなく)言ってるのに気にもしないのは、優しいからじゃない。馬鹿だからだ。一回くらい爆発したらいいのに。
そんなことを考えつつ、かみ合わない会話を続けて第一理科室に向かう。
とばっちりを受けたくないクラスメイトの皆々様はとっくに着席済みだろう。
と、思ったのだが。
「ツナと獄寺じゃねーか。珍しいな、まだ行ってなかったのか」
などと、山本のちょっと嬉しそうな声が聞こえて顔を上げたら、いつぞやの銀髪と不憫が廊下に散らばったペンをかき集めてた。
たぶん、絶対、山本はあの二人と仲がいい。
いいはずなのに、彼らが何をしているかを全く見ていない。見えていない。ゆえに、一緒に拾おうなどとしない。……つくづく、天然は恐いと思う。
「んだよ、てめーか。ぼさっと見てねーで手伝え!」
「うわ、ごめん! 気にしないでよ山本! 俺がうっかり落としたのが悪いんだし、すぐに済むことだから……」
銀髪煙草は横柄だし、不憫も相変わらずの中間管理職っぷりだ。頑張れ。
しかしまあ、友人の気遣いとしては、ぶちまけたものをひとつくらいは拾ってあげるのが正しいし、大丈夫かと訊いてあげるのが模範解答。とはいえ、大した量もない男子生徒の筆箱の中身を拾うのに徴兵か。どれだけの人手が必要なんだお前は。
そんな冷めた目で見ていたら、銀髪煙草と目が合ってしまった。ちょっと想定外。だからか、声を出すつもりはなかったのに、ついぽろっと口にしてしまった。
「うわ……不愉快……」
「んだとテメェエエエ!」
間髪入れずに銀髪煙草が叫び、以前と同じように煙草とダイナマイトを取り出した。
「ちょ、獄寺くん落ち着いて!」
「はは、なまえと獄寺って仲良いのな」
ここでも、山本は空気を読まない。きっと不憫は、この二人に挟まれてより一層不憫な役回りになっているんだろう。
可哀想になって、頑張って、と哀れみの笑顔を向けてみた。何をとは言わなかったが、身に覚えのある不憫はきちんと理解して引き攣った笑顔を返してきた。
それに過剰反応したのは、やっぱり煙草野郎だ。
「てめぇスリッパ! 十代目に馴れ馴れしくしてんじゃねぇ!!」
「息が煙草くせぇので呼吸しないでください」
なんという罵声だ。スリッパ女よりも扱いが悪くなっている。
が、戦争は熱くなった方が負けだ。華麗なスルースキルを披露して、銀髪煙草に冷たい目を向けた。
「遠回しに死ねって言ってる!?」
不憫『十代目』が、煙草野郎を羽交い締めにしながら大袈裟な突っ込みをする。
……反応は素早いが、少々ずれている。
「直球ですが」
本気で遠回しに思えたのなら、彼らの日常が哀れである。
「ちょ、みょうじさん!?」
「テンメェエエエエエエ!!」
煙草野郎が憤怒の形相で暴れた。頑張れ『十代目』。君の細腕は、刻々とギネス記録に近づいている。
「まー落ちつけって獄寺」
相も変わらずははは、と笑う山本は、やっぱり心理的リーサルウェポンである。山本に突っ込む『十代目』の不憫オーラが増して見える。
……頑張れ『十代目』。
しかし、火をつけてしまった自分が言うのもなんだが、そろそろ切り上げねばまずい。
休み時間は十分しかない。のんびり歩いていたし、クソ煙草にも構ってしまったし、きっとそろそろチャイムが鳴ってしまう。
「山本、」
せめて一緒に来た人間だけでも促してあげよう、当然返事を待つまでもなくわたしは行くがな、と山本の名前を呼んだところで。
どうした、と無駄に爽やかにこちらを向いた山本に言葉を続ける前に。
ガラリとすぐ前の扉が開いた。
学ラン羽織った黒髪ツリ目の手によって。
「……うわ……」
会うのは初めて、だが、弱者の防衛本能から、この学校の生徒は彼らについての情報をこれ以上なく正確に所有している。わたしも然り。
ブレザー規定の並盛で学ラン、という時点でその所属がわかり、羽織ってる、という時点で誰なのかがわかる。
嘘だろと思って反射的に確認した扉の上には社会科準備室の文字。どう見ても応とか接とかいう文字は書かれてない。
……つまり、わたしたちは今、たぐいまれな不運に見舞われている。
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