(美花ちゃん、もうSHR終わったかな) 帰りの会、所謂SHR(ショートホームルーム)を終えて、皆が部活へ勤しんだり、委員会の集会があったり、帰宅する生徒がいたりと、まだ校内が騒つく時間に、僕は普通科の校舎へ足を運んでいた。 下駄箱ですれ違う他の生徒に目もくれず、軽快な足取りは迷うことなく、とあるクラスへと向かって行く。 目的の教室へ着くと、僕は(流石、特進クラス…) と、自主勉強に励む生徒を思った。 教室で勉強をしていた生徒の内一人が、ドアから中の様子を伺う僕に気付き、おーい、と声をかけてきた。 「黒羽美花さんなら、いないよ」 「どこか行ったの?」 「ついさっき、生徒会長からお呼びがかかって、一緒に生徒会室へ行ったよ。大方、また誘われたんじゃないかな」 「そう、ありがとう」 「会長のお眼鏡に叶うなんて、流石黒羽さんね!羨ましいー」という女子達の囁き声を傍らに、僕は教室から離れた。 美花ちゃんはこの学校で大変人気がある。 勉強もできてスポーツもそれなりで、学園一の秀才と言われる彼女が、さっき彼が言っていた"誘われた"というのも納得できる。 美花ちゃんは常日頃から、生徒会に入らないか、と勧誘を受けていた。 その度断っていたから、疑問を投げ掛けたところ、「家族と過ごす時間が減るのは嫌だから、部活も委員会もしないの」と言っていた。 この銀糸学園は、生徒数が多く、マンモス校と呼ばれている。 故に部活に入るか入らないかは自由に決められるし、委員会も1クラスに2名ほど出せば、学年毎に8名は集められるため、それ程人数に困りはしない。うちは普通科だけでなく、デザイン科もあるのだ。 (でも、生徒会に誘われたって毎回その場で断るのに、今日はどうしたんだろう) 唯の小さな疑問だった。 そこまで深く考えずに、生徒会室への道を歩いて行けば、丁度その部屋から出てきたのか、扉を閉める人物がこちらに気付いた。 ふわり、と笑ったその顔が気に入らなくて、無意識の内に眉間にシワが寄る。 お偉い生徒会長様だ。 「やあ、遥斗くん。どうしたんだ?君がここへ来るなんて珍しいな」 「しらばっくれないで。美花ちゃんは?」 「ああ。彼女ならもう帰ったよ。……残念ながら今回も断られたさ。だから私も部活のほうへ行こうかとね」 「帰った?」 「すれ違わなかったか?まあ、ここまで来るルートは一本だけではないからな。何せここは広い」 「……じゃあもう用は無いね」 「まあ待ちたまえ。帰ったと言っても、いつもの所だろう、そう急ぐ事でもない」 生徒会長である九条伊万里は美しい人間であったが、僕はこの、目の前の男が嫌いだった。 いつも笑みを浮かべいる僕と同じで、素の表情を見せない。僕が九条に抱いている感情は、同属嫌悪という生易しいものではない。 九条が美花ちゃんに近づく度に、言い様の無い怒りを感じる。 怒り、焦り、不安、そんなものが綯い交ぜになって僕を襲う。 今もそうだった。 だけれど、九条には悟られたくない為にいつものように作り笑いをする。 「ちょっとした疑問なんだが、いいか?」 「……手短に」 「すまんな。君たち三つ子はいつも一緒にいるな。授業以外は常に一緒だ。なぜ?」 「三つ子だから。ただの兄妹と違って僕たちは特別だからね」 答えることも億劫で、完結に、思っている事を口にした。 だが九条は納得出来ていないようで、その笑顔は変わらなかったが、まるで何か言いたげな無言の数秒は、僕に“ 聞け ”、と言っているようだった。 「……言いたいことがあるならどうぞ。こういう時くらいしか答えないよ」 「そうだなあ。これはただの推測に過ぎないんだが、君が兄と一緒にいるのは、三人が"兄妹として"仲が良いのだと皆に思わせる為だと思っているんだが」 「何が言いたいの。ハッキリしないなら僕は行く」 くだらない。 そう思って、踵を返すと、背中越しにゾッと足の底から冷えるような視線を感じた。 「ではハッキリ言おう。君は妹の事を1人の女性として見ているだろう?」 「………だったら?」 誰もいない廊下に、九条の声は凛と響いた。 僕は自分の目が据わるのと同時に、保ってきた口角がスッと下がるのを感じた。 ゆっくり振り返った僕を見て、九条は少し驚いていたようだった。こんな顔、家族にも見せたことがないからだ。 「ほう、そういう顔も出来るんだな。意外だ。……さ、話を戻そう。君が今のままであると言うなら、そう遠くない将来、必ず黒羽美花を傷つける事になるぞ?」 「僕はそんなことしない。逆にアンタの方が僕は心配なんだけど?」 「ふむ、あくまでも自分を正当化するか……実際は踏み入れてはならない領域であるはずが、自分の思い込みとは恐ろしいものだな」 「僕はただ、美花ちゃんを幸せにしてあげたいだけだ。それのどこが駄目だと言うの」 「それだよ。相手の幸せを願いながらも、その幸せは自分しか与えられないと思い込んでいる。故に側に置きたがる。それでは、彼女は本当の幸せを掴むことは出来ないぞ?何重にも縛り付けておいたら、いつしか彼女は狂ってしまう。君の側に永遠に近づくことはしないだろうな」 美花ちゃんが、僕から離れていく? 何言っているんだ、そんなことはあり得ない。 ……本当に、身体中の水が沸騰しそうなほど、怒りが込み上げてくる。 九条は僕の機嫌を損ねるのが得意らしい。 それよりも、九条の美花ちゃんを知った風な口振りに米神が引きつく。 「言いたいことは分かった。……アンタ、僕よりずっと酷い性格しているね」 「ははは。中々如何してか、君の方が私より人を観察出来ているようだ。いや、何、私は自分の腹の中は見せない質なんだがな」 「………僕たちの問題に口出さないでくれないかな。美花ちゃんに言い寄ってきた男たちは、僕が全て排除してきたんだ。これ以上関わってくるなら、それ相応の覚悟をしてもらうよ」 どこまでも飄々として癪にさわる奴だ。 身内の問題に他人が口を出してきて、不快に思わない人間なんていない。 僕は自分の顔が醜く歪んでいることも気にせず、眉間に縦皺を刻んだ。 たが、それでも九条は顔色一つ変えず、淡々と喋り続けた。 しかし、それが僕の感情を爆発させた。 「犯罪者の息子は犯罪を犯すということか?いや、排除したということはもう犯しているか」 「………は?」 「そういうことではないのか?君の父親は犯罪者だろう。……もしや、バレていないとでも?この地区周辺で黒羽と言えば、黒羽組しかないだろう」 「黙って聞いていれば言いたい放題言ってくれるね。お父さんは関係ない」 「だが、自分の事については否定しない」 「煩いなあ!そうだよ!美花ちゃんに近付く物は僕が排除した。僕たちが入学してこの一年、何人の男子生徒が学園を辞めたと思う?この学園は優秀な生徒ばかりだから、辞める生徒なんて今まで殆どいなかっただろう?アンタたち生徒会は疑問に思った筈だ。なぜ自主的に学園を辞めるなんて言い出す生徒が増えたのか!」 一気に溢れ出る感情を止めきれなかった僕は、生まれて初めて叫んだ。 九条もこの時ばかりは、目を開いて驚いていたが、僕がハッとして冷静になった頃には全てが終わっていた。 九条は激することもなく、ただ息をひとつ鳴らして「僕」を冷淡に軽蔑しこう言った。 「いやいや、うん。そうかそうか、つまり君はそういうやつだったんだな」 「ちが、僕は……」 「結構だよ。私は、君が行ってきた行動はもう知ってる。その為に、君から話してもらう必要があった。その上、今日また、君が黒羽美花をどのように扱ってきたか、ということを見ることができたさ。今の君を彼女が見たらどう思うだろうな?」 「っ、やめてくれ!」 酷く冷たい目を僕に向けた九条は、別人とも言える顔になっていた。だが、その表情は今までに学園を去る事を僕によって強いられた生徒たちを悲しむものだった。 しかし口元の笑みだけは絶やさずに、射抜くように僕を見つめている。 「やめる?何を?私は何もしないさ。……そろそろ出てきたらどうだい」 「………まさか」 九条は僕の先を見つめ、憐れむような目で、廊下の曲がり角に身を潜めていたのであろう人物に声をかけた。 僕もその視線を追うように振り返ると、姿を現したのは、美花ちゃんだった。 瞳に大粒の涙を乗せて、横にぶら下がった両手は拳を握りしめて、今にも叫びそうだった。 「遥斗……」 「!…美花ちゃん……っ」 「今の話、本当なの?私に近付いてきた人は、排除したって……」 「僕は、美花ちゃんの為を思って」 ゆっくりと近付いてきた美花ちゃんは、僕の前に立つと、両手で僕のベストを掴んで涙を溢れさせた。 掴む手は弱かった。それも、僕が血を分けた兄だからだろう。 こんなときに、優しさなんていらなかった。 そんなだから、僕みたいなやつにどうしようもなく好かれるんだよ。 僕は、震える彼女の手を握ってやることもできず、ただ立ち尽くすだけだった。 「私はそんな事一度も望んでないし頼んでない!私の為とか言いながら、自分の為にやってた事なんでしょう?」 「………っ」 「何よ、言い返せないんじゃない……遥斗のくせに、こういう時は黙るの?私は遥斗の事、嫌いになりたい訳じゃない。私、遥斗の気持ちには薄々感じていたけれど、そこで問いたださなかった私も悪かった……でも、こんな事になるくらいなら」 「待って、話を、」 何を言い出そうとしているのか、聞かなくてもだいたい察しはついた。 美花ちゃんのことだから、分かる。 だからそれだけは言わないでほしいと、僕は口を開いたが、許されるはずもない。 美花ちゃんの口から発せられた言葉は、スローモーションのように僕の頭に響いた。 「駄目、もう遅い。私達、暫くの間距離を置いた方が良いと思う。私、お父さんに言って、学校の寮に入れてもらうから。遥斗はそのまま実家に居ていい。私が出て行く」 僕と美花ちゃんが離れ離れになる? とても信じ難いことだったが、当然の結果であった。 暫く互いの間に無言が続いたが、美花ちゃんの意思は固いようで、僕は視線に押されるように俯いてしまう。 僕が正しいと思って行ってきた行為は、お父さんが“仕事”でやっていることと何ら変わりなかったのだ。 所詮、蛙の子は蛙。 僕も、お父さんの道を歩むのだろう。 「………分かった、それでいいよ。どんな罰でも受ける」 「っ……、九条先輩、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」 「いや。私も、彼を試すような真似をした事、悪く思う」 「………では」 美花ちゃんと九条は軽く言葉を交わしたあと、僕を残して去って行った。 九条は去り際、僕の左肩に手を乗せて何も言わずに行ったが、僕の体はそれから鉛のように動かなくなってしまった。 後日、僕は学園の生徒に対して犯した罪の罰として、1ヶ月の謹慎処分を下された。 退学ではないだけ感謝をするべきところであったが、僕は消えてしまいたかった。 ぼくのなかのあくまがしんだ |