煙草擬人化小説 | ナノ

「…!綾ちゃああああん」

「おはようございます…って朝から何です…」

午前9時。秘書の綾ちゃんよりもだいぶ遅れて会社へと社長出勤した俺は(まあ社長なんだけどね)顧客名簿を整理している綾ちゃんを見つけてテンションが上がる。

うん、今日も美人だ。

スラッとした長い手足は透き通るほど白い。
さすが、身長が170以上あるとスーツもキマってるねえ。

「今日のお昼は咲来軒の幕の内にしよう」

「もうお昼の話ですか…まだお昼までは時間ありますけど。どうせ私が買いに行かないといけないんでしょう」

顧客名簿を見ながらため息をつく綾ちゃん。ふふふ、週に三回は綾ちゃんにお昼のお弁当を買いに行ってもらうんだけど。
そのお弁当が、俺が住んでる銀糸町の隣の神田町にあるんだ。
それ以外は自分で外に出かけてお昼食べるんだけどさ、咲来軒の幕の内弁当って本当に美味しいんだよ。

「社長、今日は集金日なので、はいこれ。今日の名簿です」

「あー、集金日か…行きたくな」

「行け。今日こそちゃんと取り立ててくださいよ」

「おー怖い怖い。ふむ、五人か…」

綾ちゃんの眼力は本当に半端ないなあ。
たれ目なのに、なんでこんな冷たい目ができるんだろうか。
そこも良いんだけどね。

「ちゃちゃっと回収してくるよ」

「いってらっしゃい」




綾ちゃんに見送られて俺は今銀糸町をぶらぶら歩いている。
いやあ、なんか見送りって新婚夫婦みたいで良いね。
口角が自然と上がるのが分かる。
顧客名簿を見ながら最初の客の家まで向かう。
木造建築の古い二階建てのアパート、目当ての客は二階の203だ。

ドアの目の前に立つ俺は、どこからどう見ても今から取り立てますよ、という風貌をしている。
先ずは弱めに三回。

「林田さんー、こんにちわあ」

返事が無ければ今度は強めに三回。

「林田さんー、橘ですー」

そしてお決まりのあの台詞。

「いるのは分かってんですよー、早めに出たほうが身のためだと思うんだけどねえ」

「……」

ほうら出てきた。

「あの、もう少し」

「だめ」

出てくるなり俺の顔を見て苦虫を噛み潰したような顔をされる。
したいのはこっちのほうだっての。
だけど俺はあくまでも笑顔。

「もう3ヶ月は待ってますよ?返してくれないとね、こっちも商売にならないんですよ」

「そ、それは分かってます…」

「あのね、分かってる分かってるって。それは出来る人が言うもんだから、あなた使っちゃだめでしょ」

ドアを閉められないように足のつま先を玄関の淵に乗せる。

「すいません!来月には金が入るんです!だからそれまで待ってください!」

必死に俺に頭下げて懇願してくる情けない男。
どうせ来月まで待っても金が返ってくる保証などない。

「俺さ、闇金じゃないからさ、あまり鬼みたいなことはしたくないんだけど…無理に働かせることはできるからね?」

「!!」

笑みを消さないまま言ったのが悪かったかなー、この人顔面蒼白だよ。
別に指をくれって言ってるわけでもないんだけどなあ。

「………はあ、まあいいや。来月まで待ってあげるよ」

「ありがとうございます!」

男が玄関から出てきて頭を下げながら俺を見送る。
男に見送られても全然嬉しくない。
ああ早く終わらせて事務所に帰ろう。




「ただいまー」

俺が返ってきたのは午後一時半を過ぎた頃。
俺の事務所はビルの三階にある。
ドアを開けて中に入っても人の気配はない。

「お昼買いに行ったのかな」

煙草でも吸って綾ちゃんの帰りを待とうと、スーツの内ポケットから煙草を取り出して口に加えた。

バンッ

「!おっと…」

ドアが勢いよく開けられて大きな音を立てる。
別段驚くわけでもなく、俺はドアの方向に顔を向ける。

「………」

「おかえり、綾ちゃん」

まだ吸っていない煙草を口から取って灰皿に押し付けた。
綾ちゃんはドアの前に突っ立ったまま、俯いている。

「どうしたの?何かあった?」

やっとだ。
俺はこのときを待っていた。
初めてだよ、君のそんな落ち込んだ顔を見るのは。

「…ふっ、う」

あーらら、泣き出しちゃった。
ま、これも全て俺の作戦というかね。

「泣いてちゃ分からないよ?」

「う…見たくなかっ、た」

ほら、そうだよ、言ってごらん。

「あの人が、女の子と…たの、しそうに」

「あの人?」

できるだけ優しく、俺は優しい社長を演じる。

「み、雅が…若い子を、すごく優しい目で見てた…私にはあんな顔、してくれ、なかったのに!」

「そう、綾ちゃんの元彼さんか…」

駄目だ、まだ笑うな。
笑うにはまだ早すぎる。

「もう、あんなとこ行きたくない…!」

「じゃあ、ずっとここにいたらいいよ。ずっと俺の秘書でいてよ」

「社長…私…」

どんなに外道と言われようが、罵られようが、俺は綾ちゃんを手に入れるためなら鬼にだってなれる。
俺は黒羽さんと綾ちゃんの関係とか、全てを、わざわざ神田町にまで行って調べた。そのとき神田町のホームレスを味方に付けることも忘れずに。

黒羽さんに新しい恋人ができたって神田町のホームレスから電話で聞いたときは、使うしかないと思った。
仲睦まじい2人を綾ちゃんが目の前で目撃すれば、どんなにクールで強い綾ちゃんでも、一番愛した男なら死にたくなるくらい辛くなることは分かる。

折れかけた天使の羽を優しく慰めてあげる。

俺は優しい社長で甘く、君に、時に残酷に近づく

「私、どうすれば…」

「うーん…俺に嫁げばいいと思うんだよね」

「…いやです」

「ははは、そう言うと思った」

苦笑いで頭をガシガシ掻く。
綾ちゃんの目にはもう涙が無い。
でも鼻筋が少し赤くなってるのを見ると、実は神田町からすでに泣いてたのかな、とか考えて、なんだか可哀想なことをさせたと今更申し訳なくなる。

「綾ちゃん」

「何ですか……!」

俺の靴のつま先をジッと見ていた綾ちゃんを、俺はスーツが皺になることも気にせずに正面からギュッときつく抱きしめた。
綾ちゃんの体が大袈裟なくらい跳ねて、抵抗を見せる。
でも無駄だよ、綾ちゃんと俺とじゃ力の差は大きい。

「でもさ、俺は待つからね」

「……」

「俺は君を助けたいんだ」

「ごめんなさい…」

「…んー」

「でも、ありがとうございます」

あらら、以外な返事。
ありがとうって言われたの初めてじゃない?
綾ちゃんの頭を俺の胸に押し付ける形になってたから、俺は少し力を緩めて綾ちゃんの顔を見ようとする。
でも綾ちゃんは顔を見られまいと、必死に下を向いている。

あれ、あれれ。
綾ちゃんの髪の隙間から見える耳が、耳がね。

「赤い…」

「!!」

あー、いや、うん。
これは、さ。脈ありと思ってもいいのかな。
自惚れちゃってもいいの、かな。
そんな反応されるとは思ってなかったし、俺もなんか心臓が…

「し、社長!お昼にしましょう!」

「え」

どんっ
と、俺と綾ちゃんの体が離れて行く。
あ、綾ちゃん、お弁当持ったままだったんだね。気づかなかったよ。

「お弁当、冷めましたね。温め直してきます」

「う、うん。そうだね、お願い」

俺ともあろうものが、柄にもなく驚いて、恥ずかしくなっているだと…
これはさ、もう期待するしかないよね。




もう彼女にお弁当頼まなくてもよくなったかもしれない。




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