神田町の夜は朝とは違い大人たちの町と変わる。
ボーイに連れられて店へと入って行くサラリーマン風の男たちや、キャッチに捕まって上手く逃げようとする女。
そんな神田町のシンボルとも言える神田町ヒルズに事務所を構える黒羽組。
彼らは関東のヤクザを束ねる巨大組織、龍仁会の直系組であり、組長は幹部の一人であり龍仁会の若頭補佐。
神田町の人間ならばこの男の名を知らない者はいない。
皆口を揃えてこう言う。
「あの男だけは関わってはいけない」
そんな神田町の住人に恐れられている男の元に毎日現れる、なんとも物好きな少年がいた。
「おい、組長さんはいるか?」
「あ?なんだ…またお前か」
「いるのかよ」
見知った顔とは言っても黒羽組の構成員でもなければ、その筋の者でもなさそうな若い少年が、毎日親父に喧嘩を売って来ていた。
いつものことだと、事務所の前で見張りをしていた子分だったが、地を這うような声に、明らかにいつもと態度が違う少年を見て違和感を感じた。
「……ああ、奥にいる」
通して良かったのか。
今更そんなことを考え始めて、町を視察しに出払っている他の構成員を携帯で呼ぶことにした子分は、さっそく中からガシャンという大きな音を聞いて青ざめた。
「よお、組長さん」
「お前しつこすぎやろ、ドア壊れてもうてるやん」
「………」
ソファーに座って、その長い足を組んでテーブルに放り投げていた雅は、ドアを蹴破って部屋に入ってきた少年を睨んだ。
「あ?」
「じ…が、んだ」
「何て?ハッキリ言えや」
いつもと違う…
それを雅も感じ取ったのか、しかし少年の態度にイライラしつつも返事を待つ。
「爺いが死んだ!!」
「……」
「俺は、武術家だった爺いに武術の全てを教わろうと思って、俺は強いやつと拳を交わして、爺いに認めてもらうためにお前に挑んできた!」
「はた迷惑な話やな」
「けど爺いは死んだ…俺は誰に認めてもらえばいいんだよ…」
「どんな事情か知らへんけどな、人様の物壊しといて認めてもらおうなんざ図々しいにも程があるで」
「俺はもう、目標を失ったんだ…だから」
「話を聞けや」
「今日でお前に挑むのは最後だ」
真っ直ぐ自分を見つめてくる少年に、その瞳に嘘はないと、雅は重い腰を上げた。
「しゃあないな、一回だけや。お前の相手するんはこれが最初で最後や」
「それでいい…手加減はいらねえからな」
「へえ」
少年は近づいてくる雅に左足を一歩踏み出して右ストレートを放った。
「あー…駄目や」
「う、わ…!」
確かに当たったと思った。
だけど前へ突き出た右腕の左側、少年の真ん前へ傷一つない雅が立っている。
「お話にならへんなあ、ごっこちゃうねんで?」
「!!」
眉を下げて残念そうな顔をする雅はどこから取り出したのか愛用のドスを手にしていた。
ドスを持つ右腕を上げて、軽くフッと手首を自分の手前に倒すと、途端に少年の左目に裂傷が走る。
「うっ…お前、なんだそれ…何したんだ!」
「見えへんかったやろ?せやけど、内緒や」
「ふざっけんな!卑怯だろ!道具使うんじゃねえよ!」
雅が言うようにドスを使った動きは見えなかった。
まるで手品でも見ているかのかと、レベルの違う空間に置き去りにされた感覚を覚える。
「この世界に卑怯も糞もあらへん、強きは生き、弱きは死ぬ。強いもんなら探せばぎょうさんおる。それをお前は筋もんに手出しただけの話や」
「くっそ…!」
少年の左目に止まるどころか溢れてくる血は次第に固まり、目も開けられない状態になっていた。
「少しはお勉強出来たんとちゃうか?甘ちゃんは寝る時間や」
逆に雅の右ストレートを受けるハメになった少年は、左目が見えないことにより易安と拳を受け入れてしまった。
「親父!大丈夫…です、か」
「ああ?誰に大丈夫や言うてんねん」
「あの餓鬼は…」
「そこに伸びとるやろ」
仲間と一緒に事務所内に戻ってきた見張りをしていた子分が見たのは、雅が座っているソファーの横で左目から血を流して倒れているあの少年だった。
「なんか危ない感じがしたんですが…さすが親父!」
「当たり前や」
「で、どうすんですかこの餓鬼」
「う…」
意識が戻った少年に構成員はあり得ないという顔をした。
大概の人間は雅に喧嘩を売って意識を取り戻したことはないからだ。
ただの殴り合いですら、雅の拳や蹴りは致命傷になる。
雅が手加減でもしない限り。
「おお、起きたんか。驚いた」
「……」
「雅ー、風呂場まですごい音聞こえたけど何やって…」
「姐さん!すいませんお邪魔してます!」
「姐って呼ばないでっていってるでしょ!」
派手な音がしたにも関わらず、呑気にバスタイムを満喫していた綾乃は、リビング兼雅の仕事場に、雅の子分と、雅と、何故かソファーの横で血を流して座り込んでいる少年を見て呆れた顔をした。
「また殺ったの」
「殺ってないわボケ、生きとるやろうが」
「すいません!」
「あ?」
子分が喋ったのかと、雅が顔を向けた方にいたのは土下座をする少年。
子分たちも何事かと少年の行動を見ている。
「俺の見てきた世界とまるでレベルが違う…貴方がどんな人に武術を習ったのか、俺は知りたい。だから…」
「……」
「俺を、黒羽組に入れてください!」
「おい餓鬼が調子乗んじゃ…!」
「ええで」
「は!?親父!?」
ソファーから顔をだけを向けて、少年を真っ直ぐ見る雅に巫山戯ているような感じはしない。
子分たちはまたあり得ないという顔をした。
「俺な、決めててん。お前が俺に殴られても諦めへんかったら、黒羽組に入れたろって」
「え、マジすか」
「でもビックリやなあ、お前そんな態度変わるんやな」
「…!」
どんな風の吹きまわしか、意識が戻ったと思ったら土下座をして敬語で黒羽組に入りたいと言ってきた。
しかも雅は三言で了承する始末。
「俺の技食らって意識取り戻したんは蓮と…お前が初めてや。素質あるでぇ?」
「じ、じゃあ…」
「ああ、今日からお前は黒羽組の…下っ端のチンピラから始めてもらうで」
「は、はい!」
親父の言うことは絶対。
子分たちも納得したようで頷いている。綾乃もいつの間にか雅の横に座って少年を見て微笑んでいる。
「お前、名前なんて言うんや?」
「青竹鬼徹です!」
「鬼徹、か。顔をもそれっぽいわ」
「光栄です!」
「褒めたんちゃうんやけどな…」
夜の神田町にまた一つ賑わいの声
眠らない町、神田町
彼らはまだ知らない
この少年が近い将来、大物になることを
(まずは傷の手当てやな、痛かったやろ)
(あ…今になって痛みが…)
(病院だー!糸縄先生に連絡だ!)
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