いつだったか、あいつが私に言った言葉を思い出そうとして頭の隅が痛みを訴えた。
指で痛む箇所を摩っていると徐々に痛みは和らいだ。
確かな年と日付は覚えていないが、冬のーー
その日は東京に泊まり込みで仕事をしていて、雪の降る日だったか。地面を踏むとサクサクと音を立てるくらいには雪が積もっていた。
ホテルのスイートを取っていた私は、部屋でルームサービスの食事を頼んだ後、少しの間でも仕事を片付けようと書類に向かっていた。
しかし、そのときだった。
ベッドのサイドテーブルに置いていたスマートフォンから、着信音が鳴り響いた。
私のスマートフォンは、連絡先毎に着信音を設定できたので、誰から連絡が来たかすぐに分かったのだが……。
「もしもし?」
「……め…、い……く、か…」
「……?おい、電波が悪いみたいだ。移動しているのか?」
「………」
「ジェラルド?何も聞こえない。もしもし?」
そこで、プツっと切れた。
余程電波が悪いのか、私はいったいジェラルドがどこにいるのか気になり、スマートフォンのGPSを使って居場所を探した。
私とジェラルドは仕事の都合上、居場所を共有している。
追跡用のアプリを立ち上げ、処理を待つ。
車のキーとスーツのジャケットを取り、部屋の扉を開けた。
扉の前で待機していた部下の制止する声を無視し、エレベーターを待つのも惜しく、階段を一気に駆け下りた。
地下駐車場へ着き車に乗り込んだあと、スマートフォンの画面を確認してアクセルを踏んだ。
10分ほどでGPSが示した場所へ到着し、車を停める。
廃墟と化した海近くの倉庫の前で、ジェラルドは倒れていた。
私に連絡を寄越したあと、力尽きて伏せってしまったのだろう。
電波が悪いと思っていたのは勘違いで、もしかしたら喋ることが困難だったのかもしれない。
私は車から降りて、普段使うことのない足で駆け寄ったが、背中に雪が薄っすら積もる抱き上げたあいつの体はゾッとするほど冷たかった。
「おい!聞こえてるか!?返事をしろ、ジェラルド……っ!?」
ぬるり。
この感触は何度も味わったことがあった。
手に纏わりついてくるような感じ、私はこれが好きでそれを楽しむために、故意に人間を傷つけたことがある。
しかし、それが大切な友人の体から流れているとなると、途端に嫌な気持ちになった。
「お前……死んでないよな?聞こえてるなら返事をしろ!」
極力体を動かさないように、声だけで呼び起こそうとしたが元から色の白いジェラルドの、血の気を無くし顔は生気を確認できないほどに青白くなっていた。
自分の心臓が、体から飛び出すのではないかと言うほどドクドクと動いて、嫌な汗がドッと吹き出す。
私はまた、大切な人を失ってしまうのかと、どれほど苦しめばこの地獄から解放されるのかと、目を力強く瞑ったときだった。
「し、……すい」
ハッとした。
目を開けると、ジェラルドはこちらを確かに見つめて、私の名前を呼んだのだ。
気を失っていたのか、しかし息は浅く予断を許さない状況には変わりない。
私が車へジェラルドを運び病院へ連れて行くか、ここで救急車を呼び待つか、どちらがいいのか迷っていたが、ジェラルドが動くと辛そうにしたため電話をかけることにした。
「ーーはい、分かりました。すぐお願いいたします」
電話をかけたところ、近くの病院から救急車を手配するとのことで10分ほど待つようにと言われた。
それまでの間、ジェラルドの頭の下に私の丸めたジャケットを挿し入れ、少しでも楽になればと額を摩ってやった。
「ジェラルド、喋れるか?」
「う、ん……辛いけど、病院へ行ってから……話すには遅いから……」
「ゆっくりでいい」
それから、ジェラルドはポツポツと話し始めた。
いつも通り深夜、神田町で仕事をしていたときの事だった。
仕事が終わり夜が明けるころ、狭い路地に入ったところで、気配もなく後ろから来た何者かに腹部を刺されたらしい。
その場に蹲ったとき、視界の中で何かが光ったという。
それを手に取りポケットに入れたあと、自宅へと一度戻り彼女が眠るベッドで彼女が起きるのを待った。
彼女が起き、自分はもう支度を終えた風にして、言葉を交わしたあと家を出たが、マンションのエレベーターの中で意識が朦朧とし倒れ込んでしまった。
そこへ仕事へ行くために家を出た彼女が、エレベーターの中でジェラルドを見つけ助けを呼ぼうとしたが、意識を取り戻したジェラルドは彼女を振り切ってここまで来たのだと言う。
「彼女は置いてきて良かったのか?今頃泣いて探しているんじゃないか?」
「イリーナなら……大丈夫。もしものときは、僕を見捨てるように言ってある…っ」
「おい……」
「それより、これ……」
そう言って私に手渡してきたものは、何者かに襲われたとき拾った光る物だった。
それはバッジで、金色に輝きその存在を手のひらで主張している。
なんのバッジだ……とマークを見た瞬間、私は目を見開いた。
「僕はよく……見てないけど、それは…?」
「龍仁会だ」
「は……」
「龍仁会の、それも幹部のバッジだ」
私の襲名披露の場で、龍仁会のお歴々も顔を揃える中、そのバッジを何度も見たことがあったため覚えていた。
私の蛇蝎会とは敵関係に当たる龍仁会がこんな行動をすることは不思議じゃない。
しかし、それがなぜジェラルドだったか。
私はジェラルドを仕事相手として雇ってはいるが、龍仁会に私の部下というジェラルドの情報は知られていないはずだった。
「バレた、の?」
「いや、分からん。だが、調べる必要はある。……救急車が到着したな、お前はこのまま病院へ行け。私の立場上一緒には行けない」
「うん……あの、危険なことだけは…」
「分かってる。お前は自分の心配をしていればいい」
救急車が到着しジェラルドを任せたあと、警察が来る前に私は車に乗り込みその場を去った。
ホテルへ一度戻り、私を探し回っていただろう部下を部屋に呼び出す。
バタバタと鳴る靴音が部屋の前で止み、扉が些か乱暴に開けられた。
部下はベッドに腰掛け煙草を蒸す私を見て、ほっと胸をなでおろした。
「今までどこへ?」
「……お前ら準備しろ。その使えないデカいだけの体でも役に立つときがきた。私の為に命を捧げる覚悟はあるんだろ?」
「は……はい。勿論です。」
「そうか………ならお前ら、蛇蝎会の連中全てに連絡して東京に来いと伝えろ。武器を忘れるな」
「な、何を……」
するつもりか。そう部下が言う前に短くなった煙草を握りつぶした。
熱さなど感じはしなかった。
私の放つ気に尻込みする部下を射抜くように睨みつけてこう言った。
「戦争だ」
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