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こちらの小説は、絵本『き/り/の/な/か/で/』のパロディとなっております。苦手な方はご注意ください。この小説は、著作権の侵害を目的とはしておりません。特に、関係者の方々の閲覧を固くお断りいたします。





 紫色の空に、灰色の雲がゆっくりと広がり始めた。
 湿った風が木立の間を、ひんやりと降りてくる。
 丘の上に続く一本道を、誰かが登ってきた。
 その影は、バクバク谷に住む雲雀というオオカミのものだった。
「…、今日は骸との約束の日なのにな。」
 どうやら雲雀は今日、嵐の夜に知り合って友達になった骸というヤギと、会う約束をしていたらしい。
 丘を見上げて、雲雀がつまらなそうに呟いた。
 黒々とした岩肌を、白い霧がうっすらと覆い始めたからだ。
 夕日に照らされた遠くの山々も、ぼんやりと霞んで見える。
 その頃、ヤギの骸も、丘の反対側の一本道を登っていた。
「流石にこんな所へ来るのは初めてですね。ポロポロヶ丘と言っても岩ばかりですし、バクバク谷にも近いですから、オオカミには気を付けないといけませんね…。」
 そう呟いた骸は、はっとして足を止めた。
 霧に煙る一本道の向こうから、誰かが近づいてきたのだ。
「あれは雲雀君でしょうか。けど、もし、雲雀君じゃなかったら…。あ、どんどん此方へ近づいてきます。どうしましょうか。」
 しかし、その頃、雲雀は岩に腰掛けて、骸のことを考えていた。
「だって、少しくらい喜んだっていいじゃないか、骸。ヤギの中では強い方らしいけど、僕に会いに、こんな所まできてくれるんだもん。それに、骸の隣って、ちょっと、落ち着くし。」
 雲雀が穏やかに笑って目を閉じた時だ。
「おや、雲雀君じゃないですか。珍しいですね、こんな所で。」
 突然、霧の中から赤味がかった色の、柔らかな毛並をしたオオカミが現れた。
「うわっ、ふ、風じゃない。驚かせないでよ!…どうしてこんな所に居るの。」
「勝手に驚いているのは君でしょう。私はね、今、食事を済ませてきたところなんですよ。」
「えっ!?ど、どこで。」
「うーん、この丘の反対側、といったところでしょうか。」
「ど、どんな獲物、」
「ええ、そうですね、白くて、ふわふわしていて、ほら、君がいつも大好物って言ってる肉ですよ。」
「えっ、僕の好きな、白くて、ふわふわしている肉といえば…。」
 笑顔を湛えた風とは対照に、雲雀は目の前が真っ暗になる。
「な…、なんで。…そんなことって……。」
 崩れるように雲雀は地面に座り込んだ。
「おやおや、そんなにがっかりしないでくださいよ。たったアヒルの1羽じゃないですか。」
「えっ!?アヒル?」
「ええ。よく肥えた柔らかいアヒルです。美味しかったですよ。」
 雲雀が気の抜けたように溜息を吐く。
 丁度その頃。
 骸も溜め息を吐いていた。
「誰かと思ったら、イノシシでしたか。」
「やあ、ヤギさん。お前も迷ったのか?」
「え?ええ、まあ…そんなところでしょうか…。」
「この丘は、草も木の実もほとんどないし、ま、動物の来る所ではないな。その上、こんな天気だ。お前も早く帰った方がいいぞ。」
 そういえば、霧がどんどん濃くなってきている。
 少しだけ、心配になってきた。
「雲雀君にちゃんと会えるでしょうか。この霧では。近くにいても気付かないかもしれませんね…そうだ、少し、呼んでみましょうか。」
 骸は近くの岩に登ると、雲雀を呼んだ。
「雲雀君―!聞こえますかー?…雲雀君―!」
 骸は、はっとして口を押さえた。
 その声を、別のオオカミに聞かれるのを恐れたからだ。
 骸は辺りを見回しながら、雲雀の言葉を思い出した。
『なにかあったら、僕が助けてあげるから。それに、もし君が他の誰かに食べられちゃうようなことになるんだったら、その時は僕が君を食べちゃうよ。』
 そう言って、雲雀は骸の喉元を甘噛みしてみせたのだ。
「あの時の君といったら、クフフ。」
 骸がそう言って笑った頃、風も可笑しそうに笑っていた。
「ふふふ、雲雀君どうしたんですか、そんな顔をして。そんなにおなかが減っていたんですか。それなら、良い事を教えてあげましょう。もっと良い獲物を見つけたんですよ。」
「…は?」
「ヤギですよ。少し痩せてはいましたが、美味しそうなヤギでしたよ。アラウディ君と一緒に捕まえようかと思ったんですけど、この霧でしょう。恥ずかしい話ですが、見失ってしまったんです。」
「えっ…じゃあアラウディも、この丘にきてるの?」
「ええ。ですから今、あの子と手分けして、そのヤギを探しているんです。見つけたら3度、短く吠える事にしてるんです。君も見つけたら、その合図をくださいね。私達も駆け付けますから。みんなで、美味しいヤギを食べましょうね。」
「う、うん…。」
「みんなで仲良く、ですからね。おなかが減っていたとしても、ひとり占めはいけませんよ。私の分は半分あげても良いですけれど、そろそろアラウディ君もおなかを空かしている頃でしょうから。」
「わ、わかったよ。」
 穏やかな笑顔を絶やさない風に、雲雀は目も合わせられないまま答える。
 軽やかな足取りで去っていく風を見送りながら、雲雀は頭を抱えた。
 風は、大きなウシを1匹だけでも仕留められる程の狩りの腕前を持ち、アラウディの方は、かなりの偏食家であるにもかかわらず食料に困っているという噂を聞いたことがない。つまり、狙った獲物は逃さず仕留める狩りの名手だ。
 「ど、どうしよう。あのオオカミたちがこの丘に来ていたなんて。とにかく2匹より先に骸を見つけないと。」
 雲雀は霧の中を走り出した。
「そのヤギは友達だって言っても、どうせ笑われるだけだろうし。…こんなことなら、いくら月が奇麗だからって、この丘に骸を誘わなければ良かった。」
 道の向こうの霧が、ほんの少し晴れた。ぼんやりと誰かが見える。それを見て、雲雀は思わず叫んだ。
「ああ、彼処にいるのは!」
 その時、骸も叫んでいた。
「ああ、彼処にいるのは、オオカミだ。良かった。きっと雲雀君ですね。雲雀君―!…あっ違う?あれは雲雀君じゃ、ない。方耳だ。方耳のオオカミだ。」
 アラウディは、霧の中で、慎重に耳をそばだてていたた。
「今、確かにヤギの声が聞こえたね。風向きの所為で匂いは分からないけど、多分、こっち。」
 一歩一歩アラウディが近付いてくる。
「この辺りかな。」
 アラウディの指先に光る爪が、息を潜めている骸の背中に伸びた、その時、
「ア、アラウディ!!」
 雲雀が叫ぶように声を掛けた。
「ん…?雲雀。なんだ、お前だったの。」
「そうだよ。アラウディ、僕をヤギか何かだと思ったんでしょ。」
「大差ないだろう。…けど、美味そうな奴を見掛けてね。」
「なにその言い方。風から聞いたよ。」
「そう言えば、お前も好物だったよね」
「うん、好きだよ。」
「ヤギの肉は柔らかくて、その上歯応えも良いから、わからなくもないよ。」
「あなただって好きでしょう。」
「否定はしない。」
 雲雀は、この会話が骸に聞こえていたらと思うと、ちくちくと胸が痛んだ。
「それよりお前、こんな所で何してるの。」
「だっだから、そのヤギを見掛けたから、あなたに知らせに来たんでしょう。」
「へぇ、風の言うことは聞くんだね。」
「うるさい。ほら、あっちの方に居たから、急いでよ。」
 雲雀は、アラウディの背中を押すように丘を登る。
「あの丘の向こうで、昼寝してたんだ。じゃあ、僕はこっちから回るから。」
「昼寝してたって言う割には、随分急ぐじゃない。…、本当は、こっちにあるのかな?」
「何もない!!」
 雲雀は語気を強めて否定した。澄んだ薄青の瞳に見据えられて、雲雀の脚が少しばかり震える。
「…そう。じゃあ、僕は君の言う通り向こうから回ってあげる。お前はこっちで良いよ、挟み撃ちにしよう。」
 アラウディが岩陰に消えるのを見届けると、雲雀は骸の所に急いだ。
 いつの間にか霧が晴れて、辺りが見渡せる。
 岩の陰から下を見下ろした雲雀は、思わず息を飲んだ。
 あの風が、今にも骸に襲い掛かろうとしているのだ。
 気配を完全に消している風に、骸は気付かない。
「ああ、もう、間に合わない。」
 雲雀が泣きそうな声を上げた。
 風の鋭い牙が音もなく、沈みかけた夕日に光った。
 と、その時だ。
 ゴロゴロゴロゴロゴロ〜!!
 2匹の間に、岩が転がり落ちてきた。
「おや、危ない。」
 言葉とは裏腹に危なげもなく、ひらりと岩をかわして風が骸と距離を取る。
 砂煙が、もうもうと舞い上がった。
「…今!」
 雲雀は崖を滑り降り、骸の手を掴むと、、走り出した。恐怖に手が冷たくなって、感覚が薄い。
 走って走って、走り回った挙げ句、2匹は、やっと小さな洞窟に飛び込んだ。
「……っ、た、助かった…。風たちに、捕まらなくて、本当に、良かった。」
 雲雀の言葉に、背中を向けたまま、骸がぽつりと言った。
「ええ、これで、君ひとりで全部、僕を食べられますからね。」
「っ!ぼ、僕、そんなつもりじゃ、」
「先刻言ってたじゃないですか。ヤギの肉が好物だって。」
「それは、」
 雲雀が言い淀んだ。
「クフフ、冗談ですよ。先刻から2度も助けられてしまいましたね。ありがとうございます。前に『僕が助けてあげる』って言ってたこと、本当でしたね。」
「べ、別に。だって、僕、…今は、……ヤギの肉じゃなくて……。」
 雲雀が下を向いて、小さな声でぽつりと言った。
「ヤギの君が……好きなんだよ。」
 小さな声が、小さな洞窟の中でしんと響いた。
「僕も…君のこと、……好きなんです。」
 骸は身をかがめて、雲雀の肩口へと鼻先を押し付けた。お互いの匂いが強く香る。
「好きだから、君と、雲雀君と一緒にこの丘から月をみるの、楽しみに来たんです。」
「は、恥ずかしいから離れてよ。…そろそろ、月が登る頃だよ。」
 雲雀が紅潮した頬を隠すように洞窟の外を覗き見る。
「ああ、駄目だ。また霧が濃くなってきちゃった。」
「おかげでオオカミたちに見つからなくて済みますよ。」
「でも、僕、君に見せたかったな。此処から月を眺めるとね、嫌なこと全部、忘れちゃうくらい綺麗なんだよ。」
「また、満月の日に誘ってくださいよ。でも僕、雲雀君をいる時は、嫌なこと全て、忘れられているんですよ。」
「ほ、本当…」
 つい大声を出した雲雀の口を、骸が押さえた。
「しっ、誰かが近付いてくる。」
 耳を澄ますと、風とアラウディの声が聞こえる。
「先刻の落石、アラウディ君でしょう。」
「どうしてそう思うの?」
「君しかいないでしょう。」
「そうかもね。けど、怪我しなかったんだから良いじゃない。」
 2匹の声が、どんどん近付く。
「君もおなか減っているんでしょう?」
「そこまで減ってるわけじゃないよ。」
 足音が洞窟の前でぴたりと止まる。
 雲雀と骸は、じっと息をひそめる。
「また霧が濃くなってきたね。」
「ええ。日もすっかり暮れてしまいましたし、今日は帰ってしまいましょうか。」
「僕、今日の夕飯は、風が作った干し肉のシチューが食べたいな。」
 去っていく足尾を聞いて、洞窟の中の2匹は、大きく息を吐いた。
やがて、小さな洞窟は、谷底から湧き上がってくる霧の中に、深く深く沈んでいった。
まるで、2匹の秘密を覆い隠すかのように。