体中の水分が抜け落ち、目は涙を流し過ぎて形状を失っている気がする。 不条理な現実ばかり映し出す瞳なぞ役に立たない、とルカは心の内で毒づいた。 刹那――心身共に疲れ切って、自暴自棄になっている己に自嘲する。 カーテンの隙間から漏れる朝日を眺め、ルカは弛緩した身体を恋人に預けていた。 とめどなく溢れる涙のせいでセフィロスのシャツは濡れ、変に湿っぽい。恐らく不快に感じさせてしまっていることだろう。 動きたくない、甘えていたい…駄々をこねる怠惰な体に鞭打つよう、ルカは遠慮がちにセフィロスから離れようとする。だが彼は気にするなと言わんばかりに彼女の頭を撫で、あろうことかその頬を舐めた。 突拍子もない行動にルカは思わず顔を上げ、悪戯っぽく微笑する恋人を見つめ返す。
「ルカ」 「…なに」 「風呂に入ろう」
セフィロスの提案にルカの動きが止まった。 神羅ビルに到着した直後意識を失ったのでルカ自身、シャワーに入った記憶はない。普段の任務ですら埃や汗、皮脂といった独特の匂いや汚れは多少なりとも付着してしまう。 だが彼女の脳裏によぎったのは――哀傷と惨苦の限りを尽くした、悪夢にも等しい「現実」。 いったい誰のものかも判断できないほど血に塗れた凄惨な光景、そして穢れきった己の肉体。
「っ!」
さっと血の気が引き、ルカは瞬時に体を離してベッドから飛びのく。挙動不審になる彼女の様子を見つめ、セフィロスは苦笑した。
「そういう意味じゃない、言い方が悪かったな」 「え…」 「ここしばらく一緒にいられなかっただろう、2人で過ごしたいんだ」
何を話せばよいのかわからず戸惑っている彼女の手をそっと引き、「おいで」と声を掛けてセフィロスはバスルームへ連れていく。 脱衣所で戸惑いながら身に着けていたシャツのボタンに手をかけ、ルカは着替えすら彼に任せていてしまったことに、感謝と情けなさを感じていた。 あたたかな蒸気に包まれたバスルームでは――とにかく至れり尽くせりだった。 まずは高級なシャンプーで美容院宜しく髪を洗ってもらう。ルカも時々使わせてもらうことがあったが、シャワーで泡を流した時点で髪の艶が普段と全く異なるのだ。更にはトリートメントまで入念に行われる。 洗顔は自分で行ったが、全身はこれまた高級なボディソープから作ったきめ細やかな泡で洗われることとなった。 あれよあれよという間にルカの全身が磨かれる。心地良さにぼうっとしているうちにセフィロスも一段落ついたらしい、バスタブに浸かりながらルカは感嘆の溜息をつく。 2人は浴室に設置されたテレビで、世界の貴重な光景や観光地を流している番組を眺めていた。アイシクルロッジで見られるオーロラの映像、コスモキャニオンに昇る生命力に溢れた猛々しい朝日。
「…おなかすいた」
ミディールの老舗で販売されている人気の温泉饅頭を見つめ、ルカはようやく一言声を出した。
「朝食のリクエストは?」 「ホットサンド。チーズがたっぷりはいってるやつ」 「仰せのままに」
セフィロスはほんのり色づく恋人の肌に唇を落とす。ルカはそろりと後方へと振りかえり、自分を抱きかかえている男を見つめ返した。 柔らかな視線が混じり合い、2人は温かい肌をぴたりと合わせて抱き締めあう。
「朝食が終わったら、少し付き合ってくれないか」 「構わないけれど、どこか行くの?」 「ああ」
彼の提案にルカは小さく頷いた。 ルカはありとあらゆる感情を吐き出し、ようやく人の言葉に耳を傾けられる程度には落ち着きを取り戻しつつある。だが自分の在り方や、今後について考えられる余裕はないだろう。 ――…それはセフィロスも同様だった。 呪詛にも似た嗚咽を上げる恋人を抱き締めるほかなく、激しい葛藤と喪失感、途方もない疲労感に襲われた。 もし、彼も己の感情のままに動いていたのならば。 地の果てまでもホランダーを追いかけ、自身が知りうる限りで最も残酷な拷問をしていたことだろう。腐敗しきった神羅カンパニーを建物諸共破壊し、すべて無に還していたことだろう。 だがそうしなかったのは――。
「ところでルカ」 「ん?」
彼は底無き憎悪よりも破壊衝動よりも、恋人と共に過ごすことを選んだ。 セフィロスにとって、ルカはこの世の何よりも脆く痛ましく、愛おしい存在なのだから。
「黒と金、どちらの色が俺には似合う?」 「え」
突拍子もない質問にルカは首を傾げたが、いつも身に着けているコートや私服の色合いから「黒」を選択する。 不思議そうに眺めている彼女に向けて、セフィロスは一人納得していた。
There is always light behind the clouds.18
漆黒の車がミッドガルの高速道路を駆け抜ける。放射状へ延びるそれは近年開通され、盛大に開通式を行ったばかりであるが、噂では未だ完成していない地域もある。 ルカを乗せた車は、利用者が多いと見込まれているため優先的に工事を行われていた道らしく、目的地まで順調に進んだ。 個人的な用事で郊外に行くのは久しぶりだった。
(セフィロスと外に出かけるの、いつ振りだろう)
ドライブは好きだが、彼は未だ目的地を告げてはくれない。今朝の話ぶりでは街中に出かける程度だと感じていたが、彼の出で立ちからしてどうにも嫌な予感がした。 ルカは隣で運転する男をちらりと見つめる。男は視線に気が付いて、小さく笑みを浮かべた。
「どうした」 「どうしたも何も…怪しいじゃない、セフィロスがそういう格好するなんて」 「似合わないか?」 「似合うけど…。もう!そうじゃなくて!」
はぐらかされて拗ねるルカの様子にセフィロスは意地悪く笑った。 彼女が疑念を持つのは無理もない。 ――彼の服装は休日に身に着けているものと変化はない。 だが彼の髪型はセンターパートヘア、長さは男性では一般的な程度まで短くなっている。 髪と眉の色は青みを帯びた「黒」――ルカが選択した色である。 セフィロス曰く、神羅製の特殊なウィッグを身に着けているらしく、実際に髪を切ったり染めているわけではないそうだ。通常はタークスなどが潜入捜査にて変装する際に利用するらしい。 ルカはどういった仕組みなのか尋ねたが、企業秘密だと言われてしまった。
「変装してまで行きたい場所なんて、一体どんなところなのか気になるわ。それに日帰りじゃなさそうだし」 「まあそのうちわかるさ」
ルカは、セフィロスが車のトランクに荷物を入れているのを目撃している。鞄一つだったので大した量ではなさそうだったが、どうにも違和感を感じていた。 おまけに質問や疑問を投げかけてものらりくらりと躱され、ルカは眉をしかめる。本格的に機嫌を損ねそうになると察し、セフィロスは静かに口を開いた。
「前々から長期休暇が欲しいと思っていたんだ」 「あ…、」
資料室に籠りきりだった彼を無理矢理引き摺り出し、休憩をしていた時に交わした会話。戦いが落ち着いたら休みたい、一緒に行きたい場所がある――そう告げていた時の記憶が浮かび上がる。 セフィロスは車のウィンカーを上げ、ナビが指し示す料金所へのゲートを目指す。車体は大きく湾曲する道に沿って緩やかに減速していく。
「お前は覚えていないかもしれないが、"あの日"にザックスがホランダーの身柄を拘束している。今はタークスを中心に事情聴取中だ、気兼ねなく休んでいい」 「そっか…」 「ちなみにここからは飛行艇を利用するからな」 「へー、飛行艇……は!?」
過去を振り返る間もなく追撃する衝撃発言に、ルカは眩暈がした。ついには大陸まで超えるらしい。 呆れ果てると同時に、今自分に出来ることはないと悟る。 どれほど悲しくてもつらくても、幼馴染達は帰ってこない。焔に包まれた故郷は甦ることもない。 契約ソルジャーとして神羅に所属した本来の理由――失踪した母の行方も未だ不明のままだ。
(思えば…、あたしがプロジェクトGと関わりがある事を、神羅やタークスは知らなかったのかしら)
ルカはジェネシスとアンジールの失踪後、伍番魔晄炉にてプロジェクトGの概要を知った。そして自分もその関係者であることも。 タークスや神羅は、バノーラ村出身の者は全員プロジェクトに関連すると疑っているだろう。ただルカがプロジェクトの一環で生まれた子どもであったか判別出来る資料が残っていない。 故に、今までソルジャーとしての活動を許可されているのだ。本来ならば監視や拘束される立場なのだから。 だがホランダーからの事情聴取によってプロジェクトGのことも、ルカと父子関係があることも今後判明するだろう。
(もう最後かもしれない)
こんな穏やかな時間を過ごせるのは。 愛する人の傍に、いられるのは。 ルカの憂慮を知ってか知らずか、ラジオから流れる曲に合わせてセフィロスは鼻歌を歌い、呑気に旅行を満喫する気満々だった。
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