湿り気を帯びた風が吹く中、ミットガルをパトロール中のソルジャーはふと空を見上げた。
薄青の空は急速に灰色に濁る。
いつも小気味よく跳ねる髪が、力無くしだれかかりつつあった。
ポツ、と一粒の雨が彼の掌に当たると、堤防が決壊したかのように雨が降り注いでくる。

「やば…っ」

道行く人々は慌てふためき、雨をしのげる場所へと駆けこんでいく。彼もまた、近くの雑貨店の軒下に入りこんで濡れた肌を擦り合わせた。
にわか雨に遭遇するなんて、ついてない。
ポケットに手を突っ込んでみるが、出てきたのは会社から支給された携帯と薄い財布だけだ。
ハンカチなどという洒落た物は生憎持っておらず、纏わりつく冷たさに不快感を覚えつつあった。



「――はい」



突然響いた女性の声に男はパッと左隣を見やる。
女性は穏やかな微笑みを浮かべ、白いハンカチを差し出していた。

「使って。風邪ひいちゃうよ」
「あ…、ありがとう!」

微かに香水の匂いが漂うそれは、女性らしさが滲み出ていてどきりとする。風呂上がりのように荒っぽく雫を拭うのではなく、少し緊張しながらハンカチを使わせてもらった。
男はちらりと女性の横顔を覗き見る。
陶器のように白い肌、瞳を覆う大きなサングラス、しっとりと濡れた長い髪は柔らかな曲線を描いていた。
そう、特に目を引くのは彼女の髪――故郷の夜空を彷彿させる、群青色に輝く不思議な髪だ。

(綺麗な人だ)

面立ちははっきりとは分からないのに、男は確信していた。綺麗と可愛い、恐らくどちらにも分類される人なのだろう。
女は彼の視線に気がついていたのか、ぽつりと話し始める。

「早く止んでほしいわね」
「ん、どっか行く予定なの?」
「うん、就職試験があるの。早めに出てきて正解だったわ」
「そっか!頑張って!」

御礼を言う女の声音は優しげで、唇には笑みが浮かんでいる。「あなたはどう?早く止んでほしい?」と尋ねてくる女性に、男は腕を組んだ。

「うーん、俺はまだ止まなくていいかな」
「雨が好きなの?」
「好きっていうか、もう少し休んでいたいから」
「街を守るソルジャーさんがサボリなんて良いのかしら」
「あ゙っ!会社には内緒にしてくださいっ!」

男の焦る姿に女性は柔らかく微笑んだ。その笑顔をずっと自分に向けていてほしくて、男は話を続ける。

「それに、雨上がりに雲の切れ間から光が見えるのが良いんだよな」
「あぁ、アレ綺麗よね」
「そーそー!アレ、『天使の梯子』って言うんだって」
「へえ…"てんしのはしご"かあ、初めて聞いたわ」

薄明光線、光芒など他にも様々な言い方があり、現象の発生条件などについても語ることが出来れば尚良かっただろう。
兎にも角にも、親友から教わった豆知識をひけらかすことが出来たことが嬉しかったようだ。男は得意げに胸を張った。
彼女は雨音の弱まりつつある街中を見上げる。

「あ!あの、コレ」

先程女性から渡されたハンカチを返そうとしたが、まだ湿っているそれを見て手を引っ込めた。代わりにそれを握りしめたまま彼女に食いつくように叫ぶ。

「必ず返すから連絡先教え――ぶえぇっくしゅん!」

おっさん臭いくしゃみが木霊し、男は呆気にとられた女性から思い切り視線をそらしてしまった。幸い鼻水やらの飛沫は彼女にかからずに済んだようだ。
だっせぇええ!俺超だっせえええ!
顔が火照るのがわかる。こんなタイミングで出なくたっていいじゃないか!
男は心の中で散々己を罵倒していたが、女性の微かな笑い声に恐る恐る顔を上げてみる。

「大丈夫だよ」
「でも、」
「きっと、また会えるから」

彼女はサングラスを外して男に微笑みかけた。
光に照らされ、穏やかに細められた双眸に彼の姿が写りこんだ。

女はソルジャー達が憧憬を抱かずにはいられない、圧倒的な力を持つ英雄と同じ瞳をしている。

男が言葉を失っている間に、女は雨上がりの街へ歩を進めた。
重く垂れこめた雲はゆっくりと千切れていき、光の筋が世界を照らし始める。
空からはきっと、天使達が舞い降り始めているのだろう。
残された男――ザックス・フェアは自然と浮かびあがる女の微笑みに、ひとり顔を赤くした。










There is always light behind the clouds.01










鮮血を流す巨体が立てて倒れ込み、地響きにも似た音が夜のミッドガルに響き渡る。
溢れかえるモンスターの群れの中に、女が放り込まれて約十分。あまりにも呆気なく交戦は終わりを告げてしまう。息一つ乱さない女は剣を伝う鮮血を振り払い、後ろから響く拍手に振り返る。

「確か半年前だったかな。君がタークスとの合同演習、そして合同任務に参加したのは」
「はい」
「実に見事だ。君の腕は少しも鈍っていないね、ルカ」
「そんなことは…。無駄な動きが多すぎます」
「いやいや、十分だよ」

心からの賛美を贈った男――神羅カンパニー・ソルジャー部門の統括者、ラザードは笑みを浮かべる。わざとらしくない紳士的な微笑みと品の良さに、ルカは以前より好感を抱いていた。
彼に釣られるように微笑むと、ミッドガルの街並みと倒れ込んだモンスター達の「映像」が歪んでいく。それはミッションが終わりを告げたことを示していた。
ルカは目を覆っているゴーグルを外し、本来自分がいた場所――神羅ビル内のトレーニングルームを改めて見渡す。
触感も匂いすらも再現できる戦闘の疑似体験が出来る機械。相変わらず神羅の技術は摩訶不思議だ。

「では、今回も宜しく頼むよ」
「はい、こちらこそ宜しくお願い致します」
「あぁ。――君も少し疲れただろうね、手続きは午後に行うとしよう。せっかくだから昼食でも――、…いや、彼と行くかな?」

ラザードは己の後ろに控えていた男の方にちらりと視線を投げかける。ルカは苦笑しつつも、小さく頷いた。ラザードは意味ありげに微笑み、ひらりと手を振ってトレーニングルームを後にする。

「これで納得できた?」

ラザードとルカのやりとりを見ていた男はぶっきらぼうにゴーグルを外し、纏わりつく銀糸を靡かせてうっすらと瞳を開けた。
魔晄そのものの色をした瞳に整った面。
彫刻のように美しくも妖艶で、しなやかな肉体を持つ、完璧な男。
神羅の英雄と謳われ、畏怖される存在――ソルジャークラス1ST・セフィロス。

「随分不満そうね」
「…そんなことはない」

否定はするものの、眉を思い切りしかめ、子どものようにむくれている。そのギャップがまたルカの笑いを誘った。


「ルカ、お前は後悔しないのか」


セフィロスの言葉に何かこみ上げるものがあり、ルカはふっと遠くを見つめる。しかし剣を鞘におさめるといつものように笑った。

「しないよ。色んな思いがあるけれど、やっぱりこれは自分の意志に他ならないから」
「…そうか」

彼はようやく気持ちが整理できたのか、肩の力を抜いて息を吐く。とても自然な動作でルカの頬に触れ、彼女を愛しむように撫でた。

「出来る限り"俺達"と行動を共にしてくれ。ひとりでどこか行こうとするなよ」
「大丈夫。ちゃんと命令には従って――」
「仕事の話じゃない」

不思議そうに小首を傾げるルカに、セフィロスは言葉を続ける。

「女性のソルジャーは一人もいないんだ、下心を持って話しかけてくる輩が大勢いるだろう」
「…、……あなた、あたしのこと過剰評価しすぎよ」
「馬鹿言え、お前ほどかわいい女はいない」
「ば…!」

我慢の限界に達したルカは顔を真っ赤にさせ、セフィロスから一目散に離れようとする。しかし容易く腕を取られ、すっぽりと彼の腕の中に包まれてしまった。
どうしてこんなに恥ずかしいことをしれっと言えるのか!
羞恥で縮こまりながらコートを掴むルカを見つめ、彼はくすくすと笑う。
――溺愛されているのは分かっている。何度甘い言葉を囁かれても慣れることはなく、慌てふためいて、みっともない顔や行動をしてしまう。
本当に恥ずかしい。
…恥ずかしいけれど、悪い気はしなかった。

「セフィロス」
「なんだ」
「…呼んでみただけ」

あなたに触れる。
あなたを見つめる。
あなたの名前を呼ぶ。
あなたのすべてが自分を肯定し、安堵する。
――あなたを失いたくないと強く思うのだ。


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