王都の外は文明が30年遅れていると聞かされている。その代わり王都では決して生息できない生物達で溢れ返っていることだろう。
赤銅の大地、鮮やかな紺碧の空の調和が目に眩しい。若き青年達の旅立ちの日に相応しい風景に、アーテルは額に滲む汗を拭って微笑んだ。
彼女の瞳はきらりと輝く。遠い彼方にある水の都・オルティシエを見据えるように、ここでない何処かを映すように。

「アーテル、現実逃避はそろそろ終わりだ。戻ってこい」

イグニスの淡々とした声に意識を引っ張られ、アーテルは億劫そうに後方へと振り返る。レギスから借りた黒曜石色の愛車・レガリアが痛んだ道路の中央で鎮座している。颯爽と王都を駆けるその姿に、アーテルは幼い頃から憧れを抱いていた。レギスと共に乗車した時なんて、自分は世界の誰よりも誇り高い人間なのだと酔心したものだ。…だが現状は。

「レガリア〜機嫌直して〜」
「無駄だっつの。いーから準備」

車体を揺らすアーテルに、グラディオラスは諦めを促すように肩を叩いた。やはり、運転はイグニスに任せておくべきだったとアーテルは後悔の念でいっぱいだった。
外の世界は勿論の事、王の車を操作出来るという貴重な状況に、ノクティス・プロンプト・アーテルは甚く興奮した。相当時間に余裕を持って出た旅だ、イグニスの配慮によって三人に交代で運転を任せてみることにした。
しかし。
アクセルとブレーキの位置が曖昧なノクティス。
とにかく注意力散漫なプロンプト。
手に負えないスピード狂・アーテル。
粗暴な彼らが代わる代わる感情に任せた運転をしたせいだろう、気高いレガリアの逆鱗に触れたらしい。今じゃ、うんとも寸ともいわない。
運転席でハンドルを握るイグニス以外の三名は、やかましく喚きながら車体を押し、最初の目的地であるハンマーヘッドを目指す。

「はあ、世界広いわ」
「ほんと」

双子達の呟きは、広大な空に吸い込まれていった。









やっとの事で到着したアーテル達を待っていたのは、軽やかに手を振る女性だった。ハンマーへッドのロゴが入った黄色いジャケットを羽織り、抜群のプロポーションを惜しげもなく晒している。性特有の厭らしさを感じないのは、全身から発散される太陽のような熱のお陰なのだろう。旅行者の中で紅一点であるアーテルを見つけ、女性は眩し気に笑った。

「初めまして、アーテル王女。ようこそハンマーヘッドへ!それから…えっと、どれが王子?」
「あ、ここです」

アーテルは傍らで座り込んでいる兄を指さすが、シドニーは不思議そうな顔をする。丁度車体の陰で死角になっているらしく、ノクティスが返事の代わりに立ち上がった。

「初めまして、王子。結婚おめでとう」
「いや、まだだから」
「君がルナフレーナ様の結婚相手かぁ」

茶化しながらも祝福の言葉を投げかけられたノクティスは複雑そうな表情をする。そう遠くない未来に挙式をする――しかも長年想いあってきた相手と結ばれる。少々照れくさいが幸せなことだ。如何せん本人には自覚も実感も無いのだが、世間一般の認識は異なるらしい。人々から敬愛される"神凪"との婚姻は、世界にとって大きな変化を齎すのだろう。ノクティスの胸の内が小さく焦げ付くのを感じる。

「遅くなって申し訳ない」
「ふふ、あっちでじいじが待ちくたびれてるよ」

イグニスの謝罪に女性は快活に笑い、レガリアを興味深げに眺めていた。大きな瞳をより一層輝かせるその姿は誰の目にも魅力的に映る。プロンプトに至っては惚けたように彼女を見つめるばかりだ。「あんたは?」とグラディオラスに問いかけられ、女性はぱっと車体から視線を外した。

「シドニー。シド・ソフィアの孫娘。ここの整備士」
「――さっさと運ばせろ」

しわがれながらも、ぴしゃりと他人を跳ね除ける声が響く。

「親父は大事に使えって言わなかったのか。そいつは繊細なんだぞ」

アーテル達の元へと近づいてくる細身の老人は、不貞腐れたようにレガリアを睨み付けた。レガリアが乱暴な扱いを受けてきた事を不服に思っているのが伝わってくる。原因の一部であるノクティスとアーテルの傍らに立つと、帽子のつばで隠れていた面をゆっくりと上げる。彫りの深い皺の奥で、老いた眼は強く光っていた。

「ノクティス王子とアーテル王女か」
「え、はい」
「ああ、まあ――」

双子達のはっきりとしない温い受け答えにシドは小さく鼻で笑う。

「フン、親父の威厳をそっくり拭き取ったような顔だな。…ああ、王女は妃から聡明さを受け継げなかったのか、かわいそうにな」

ノクティスはともかく、アーテルは直球で馬鹿にされるわ同情されるわで散々だった。正直なところ普段の言動から聡明さが欠けるのはアーテルも薄々感づいていた事だ。だが仲間の誰からもフォローされないとなると、言いしれぬ虚無感に襲われる。怒る気にもならない。とどめに「いろいろ控えた大事な旅なんだろ。もっと締まった顔できねえもんかね」とグサリと刺されるものだから、双子達は俯いて黙り込んでしまった。

「…こいつはすぐにはできねえぞ。中に運んだら適当に遊んでな」

優しくレガリアに触れた後、好きな事を好きなだけ言ってシドは颯爽と去ってしまう。偏屈というべきか、癖のある言動はいつもの事らしい。シドニーは小さく溜息を吐き、レガリアの修理の手はずを整えてくれた。


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