――旅立ちの前日。ハンマーヘッドにて。
シドは持病の腰痛と格闘しながら、カウンターで長年愛用している工具を磨いていた。孫のシドニーは祖父故の贔屓目を除外しても技量良し、愛想良しと申し分ない逸材として成長した。交通の利便性もあってか店の経営は順調、タッカを始めとしたスタッフ一同も協力体制が整っている。
もうシドニーひとりで任せても問題ないのだが、ちょっとばかり悔しいので引退はしてやらない。老いてもなお貴重な車や機材との出会いは、心浮き立つものだ。

「じいじ、電話だよ」

シドニーが子機を片手にシドへと声を掛ける。

「おう、誰からだ?」
「それが…」

困り顔の孫娘曰く、電話の主は柔和な態度でありながらも名乗ることを拒んでいるようだ。ただ「シドに代わって貰えば分かる」とだけ。怪訝に思いながらもシドは子機を受け取り、横暴な電話先の人物の声に耳を傾ける。


『久しいな、シド』


酷く老いた声だと思った。声の主の姿が容易に思い描くことが出来ながらも、一瞬にして粉砕される感覚に襲われる。枯れた声音は老齢の己よりも弱々しく脆いものに感じられた。
30年前、王家の力を得るべく世界を周り、ルシスを守るため命懸けで共闘した男。旅路の終わりには喧嘩別れしたものの、シドが認めた113代目の国王。
これが平和の為の代償なのか。生命を啜る聖石の無情さよ。行き場のない憤りは、子機を握る掌に込められる。

「…今更何の用だ、レギス」

シドは心情とは裏腹の憎まれ口を叩いてしまう。そんな言葉を吐き捨てたいのではない、いっそ泣いてしまった方が楽なのかもしれない。だが素直になるには年を取りすぎてしまった。
シドの不器用な煩悶を知ってか知らずか、電話越しでレギスは微笑む。

『元気そうでなによりだ』
「ふん、まだまだくたばるわけにはいかねえよ」
『はは、確かに弱ったシドなんて想像出来そうにないな』
「……、で?何の用だ?まさか暇潰しで電話してきたわけじゃねえだろう」
『おいおい、世間話くらいさせてくれたっていいじゃないか。まあいい…帝国との停戦についてシドも知っているだろう』

シドはカウンターの傍に置いてあった新聞を手に取った。連日紙面のトップには停戦及び協定についての特集が組まれていたし、ラジオでも最新のニュースが取り上げられ、自称専門家達を招いた討論会を行うなど、話題が事欠かない。
なにせ歴史が変わる瞬間だ、王都の外であろうと関心は持つ。

「お前のところの倅か…あの気の抜けたガキが神凪を嫁にもらうとはな。随分恐れ多いことだ」
『はは、手厳しいことだ。だがあれは優しい子だ、私よりもずっと強いさ』

王子と王女は神凪であるルナフレーナと長年交流があったという。婚姻する当の本人達も何の抵抗もなく了承しているようだ。
それにしてもレギスは随分と子ども達を溺愛しているらしい。問うてもいないのに家族の惚気を聞かされるとは思いもしなかった。シドが斜に構えたような鼻息を漏らせば、レギスはまた笑った。

『近日中にオルティシエで式典を行う。息子達にはレガリアを貸す予定だ。クレイラスの息子とスキエンティアの甥、友人も一緒に行く予定だ』
「ほう、旅でもさせるのか」
『ああ…あの子達にはそれが必要だ。もう子どもじゃない。世界を知らねばならない』

言葉の端に滲む違和感にシドは眉間に皺を刻む。悲鳴に似た痛切な叫びが、無理矢理封じ込まれているような感覚。

『王都を出たらハンマーヘッドに向かわせる。今後世話になると思うが――』
「レギス」

シドはレギスの言葉を遮る。顔を背けて言い訳する子どもの肩を掴み、互いの視線を合わせるように。


「息子達のことを頼むのなら顔を見せろ。頭を下げに来い」


二人の間に沈黙が横たわる。音の無い時間は、脳裏に激しい雨音を立てていき、余計に焦燥感を煽った。シドは切羽詰まりながらもレギスの本意を探るべく言い訳染みた理由を述べる。

「難しいこたぁねえだろう。長年顔も合わせちゃいねえ奴から連絡が来たかと思えば、子ども達の面倒をみろだって?無礼にも程があるぞ」
『………』
「レギスよ、お前一体何を、」
『申し訳無いが会えない』

今度はシドの言葉が遮られる番だった。最悪なタイミングで、かつ背筋が凍る程残酷な声音で。

『本当にすまない、勝手だと重々承知している。…息子と娘達を頼んだ』

言葉はおろか息すらも吐き出せない。子機を握り締め、窓から見える王都を茫然と眺めるしかなかった。
色鮮やかな思い出が滲んで溶けだしていく。


『――…私の分まで、長生きしてくれ』


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