「イグニス、なんか音楽聞きたいー」
「悪いがしばらくはラジオに切り替えさせてくれ」
「…はぁい」

時は、レストストップ・ランガウィータを出発して程無くのこと。
カーステレオをいじらせてもらえず、アーテルは少し拗ねるがイグニスの指示に従った。左隣に座るグラディオラスはアーテルを物珍しそうに見つめる。視線に気がついた彼女はグラディオラスに小首を傾げ、言葉を促した。

「随分素直に聞くもんだと思ってよ」
「そ、う?」

アーテル自身確信を得ているわけではない。しかし昨日からイグニスの纏う空気に焦燥感を感じ始めていた。
理由として、未だ王都内部と連絡が取れない事ではないかと推測していた。旅立つ前から随分と心配していたし、一日経っても返信が無い事が気掛かりなのだろう。…もっとも本来危機感を持つべきなのは王子と王女であるべきなのだが。
アーテルは心の内を明かすことなく、グラディオラスに向けて意地悪く笑ってみせる。

「…グラディオ知らなかった?私、野菜を摂取すると淑女らしくなるの」
「なら三食野菜にした方がいいんじゃねえか」

グラディオ酷い!とアーテルが怒っていると、今度は右隣の兄が肩を震わせて小さく笑う。

「まー、アーテルは淑女じゃねえよな」
「なっ!?お兄ちゃんだって人の事言えないでしょ!全然紳士っぽくないし!結婚式で出る食事、全部野菜に変えてもらうからね!」
「はあ!?んなこと言ったらお前だって食えねえだろうが!ルーナの前で恥かくぞ!」

双子達の論争はやがて「何とか口に出来る野菜の種類」へと移り、随分と知性の低い会話が飛び交っていた。彼らの話を参考にすれば、結婚式で出てくる食事は白菜とジャガイモのオンパレードになりそうだ。
お粗末な口喧嘩に対し、「どっちもほとんど味無いじゃん…」と呟いたプロンプトの声は届いていない事だろう。

『――次のニュースです。ルナフレーナ様が停戦協定についてのご自身の声明を発表されました』

五人全員の意識が一斉にラジオに向けられる。アーテルは足元についていたオーディオ装置をいじり、音量を最大限にあげた。
停戦協定締結への思い、婚約、そして今後の神凪としてのつとめについて。テレビ越しでしか見ていないルナフレーナが世界の人々に向け、親和の情を込めて伝えている様子が思い浮かぶ。
ラジオが淡々と別のニュースを読み上げ始めると、プロンプトがちらりと視線を上げた。

「――えっ、協定で」
「ああ、そこで決まったんだ」
「平和の象徴ってやつだな」

プロンプトはどうにも腑に落ちないらしく、一瞬ノクティスを見つめたが慌ててアーテルの方へと視線を変えた。

「半分政略――的な結婚じゃん」
「世間的にはそう映るかもね。でも本人たちにとっては良いことだと思うんだけど…どうなんでしょうか?お兄ちゃん」
「新郎も文句はねえんだろ?」

グラディオラスとアーテルにいじられ、むず痒い苛立ちにノクティスは大きい溜息を吐いて舌打ちする。純情な王子を茶化しすぎてしまったらしい、彼は一度へそを曲げてしまうと中々関係を修復するのが難しい。暫く口をきいてくれなくなるだろう。

「お兄ちゃん、ごめんって」
「…」
「もー…。あ!お兄ちゃん、見て!海!」
「ん?…おっ」

彼らの視界に飛び込んできたのは広大な空と海、神と人を繋ぐ聖域・神影島と遥か彼方に微かに見えるオルティシエ。圧倒的かつ壮大な風景に機嫌を直してくれたらしい。写真や映像でしか知らない海を間近で感じ、一向は興奮冷めやらぬ中ようやくガーディナ渡船場に到着した。
車を降りると、ボーイやウエイターからはガーディナへの来訪を歓迎する声を掛けられる。

「乗船ってどこからすればいいの?」
「あっちだな」

アーテルがイグニスに問いかけると、彼は前方の建物を指さした。潮騒が程好いBGMとなって流れるレストランと高級ホテルを通り抜けた先に、案内が掲示されているのだろう。早速手続きも兼ねて向かおうとするが、奇妙な事にすれ違う旅行者と思しき人々は皆不安と不満を浮かべていた。鞄を抱え、携帯の画面を覗き込んだり何処かへ連絡を取っている。
違和感を感じてアーテルが皆に声を掛けようとするが、不意に彼女は歩みを止めて前方を凝視した。否、前方からこちらへ近づいてくる存在に目を奪われたのだ。


「残念なお知らせです」


ノクティス達の行く手を阻む赤毛の男――温暖なガーディナにそぐわない重厚感溢れる衣装を纏った彼は、丁寧な微笑みを張り付けている。下卑たものではないが、酷く余所余所しい笑い方には感情の起伏を感じさせない。

「船、乗りに来たんでしょ?」
「そうだけど、」
「うん、出てないってさ」

男は声を掛けてきながらもノクティス達に一切興味がないのか、あるいは異常なまでの苛烈な嫌悪を隠しているように受け取れた。

「待つのイヤなんだよね、帰ろうかって思って。…停戦の影響かな」

男は聴かれてもいないのに言葉を連ねながらノクティス達の間をすり抜けていく。五人は見るからに怪しく胡散臭い男に対し、警戒心丸出しの状態であった。安易に目を離すことも出来なかった。男は指先を弄りながらアーテルの傍を通り過ぎる間際に、ほんの一瞬視線を送る。

「…っ!」

彼の瞳は金色。丸い瞳孔は濁った闇色に染まっていた。何故だろう。樹液に足を取られ、もがくことも出来ずに死に絶えた虫の姿が過ぎる。
永劫の中で死んだ、脆弱な虫。満月の夜に死に絶えた"夢の私"のようだと――アーテルの胸は不自然に脈打ち、震える。
男は不意に振り返り、指先で弄んでいた銀色のコインをノクティスの顔へと弾き飛ばした。ノクティスを庇うように手を出したグラディオラスがそれを掴み、眉間に皺を寄せて男を睨み付ける。

「『停戦記念』にコインでも出たのか」
「えっ、マジで?」
「出ねーよ」
「それ、お小遣い」
「おい…あんた、なんなんだ」

グラディオラスににじり寄られると、男は再び嘘臭い笑みを浮かべ、一歩退いて離れて行ってしまう素振りを見せた。ふわりと彼の纏う衣装が揺れる。


「――待って!」


アーテルは悲痛めいた叫びをあげ、微動だにしなかったはずの身体を捩る。
半ば転げ落ちるようにして男の腕を掴んだため、案の定バランスを崩しかけた。男は華奢なアーテルの身体を支えるが、面には動揺と驚愕という非常に人間らしい感情が浮かんでいる。
男にとってアーテルの行動は予想外のものであったらしい。それはアーテル自身も同様であった。何故自分が彼を引き留めたのか理解出来ないでいるのだ。
男は何か言いたげに薄く唇を開いたが、瞬き一つの後に柔和に目を細めて微笑んだ。

「どうしたの?お姫様」
「あ…、その…私…」
「ふ、やっぱり君は―――…」

男は、慌てふためき動揺しきっているアーテルの耳元に唇を寄せる。すると突如彼女の身体が後方に引っ張られ、アーテルの背に軽い衝撃が走る。何事かと視線を向ければ、上半身を覆われるような形で「軍師殿」に抱き寄せられていたらしい。

「イ、イグニス」

ようやく我に返り、アーテルは改めて戸惑いを憶えずにいられなかった。普段のアーテルなら喜びのあまり失神しかねない状況だろう。だが軍師殿・イグニスの表情を見る限り浮かれた気持ちになれそうにはない。今の彼を例えるなら燃える氷だ、無音で沸騰する怒り程恐ろしいものはない。「ああ、話の途中だったね」と男はまたもや笑みを張り付け、今度こそ踵を返す。

「俺は――見ての通りの一般人」

男は明らかに嘘の言葉を吐き、飄々とガーディナから姿を消した。わだかまりと苛立ちの種を植え付けられたノクティス達は、苦々しい表情を浮かべる。
アーテルはイグニスから無言で腕を解かれた。軽率な行動に対する叱責でも飛んでくるかと思いきや、二人の間にあるのは重苦しい沈黙だ。
――イグニスが引き寄せてくれなければ、自分は何を言い出していたのだろう。庇護するように抱き締められなかったら、この心は何処へ向かっていたことだろう。
イグニスの視線が注がれていることを知りながら、アーテルは彼を見つめ返すことができなかった。
永遠に見つめていたいはずの、愛しい人の視線から初めて逃げ出したのだ。

「……船、出てないのかな」

苦し紛れに吐き出したアーテルの声は、随分掠れている。込み上げる情けなさにアーテルは仲間達を置いて乗船場所へと進んでいった。


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