一週間。長いようで短いそれは、果たして彼にとってどれだけの効力があるのだろう。多分、少しもないんだろうな。
「で、何をやらかしたんだ」 「…喧嘩」
お昼のピークを過ぎ、人もまばらな食堂のテーブルで突っ伏しながら真向かいに座るアンジールにそう呟く。
「はぁ…一体何があったんだ?」 「それは…その……」 「言いづらいことか?」 「ううん、そういうんじゃなくて…………喧嘩がヒートアップしすぎて…きっかけを忘れちゃった…」
案の定彼はがっくりと肩を落とした。 とにかく原因は些細なことだったと思う。ごみ捨ての当番制が気に喰わないとか、飲みかけの紅茶をひっくり返してしまったとか、お偉方の接待が面倒だと愚痴をこぼしたこととか。 お互い気が高ぶっていて、非常にタイミングが悪かったのだ。ストレス解消の如く溜まっていた不平不満をぶつけてしまい、私はキレながらジェネシスの家を飛びだして久しぶりに自分のアパートに帰った。 ジェネシスの家は独り暮らしにしては広いし豪華。しかしほっとするはずの自分のアパートは、あまりの貧相さに項垂れるしかなかった。
「アンジールと付き合ってたら良かったなぁ…」 「はぁ?」 「だってアンジールだったら絶対八つ当たりしないでしょ!優しいし、LOVELESSの話ばっかりするわけじゃないし、電子レンジ壊さないし、突然ベッドに縛り付けたりしないし…」 「……お前ジェネシスとどういう付き合い方してるんだ…」
大半は彼氏でも何でもない「ドS」によるいじめであり、「優しさ?何それ美味しいの?」っていう生活の積み重ね。 ……それに、勝手に家を飛び出してきたのは自分だけど…ほら、そういうときは追いかけてきてほしいものじゃない?喧嘩しても必要な存在だって思っていてほしいものじゃない。 そんな乙女の想いなど彼はいざ知らず。ロマンチックな叙事詩読んでる癖に彼女の心も読み取れないのかよ、少女漫画でも読んで勉強しろこの野郎。 あーあー!メルヘンなのは顔だけで中身は暗黒物質だもんね!世界の闇だもんね!
「もうやだ!別れてやるっ!別れて新しいひと探してそれで──」 「ネーム!」
慌てたようなアンジールの声に突っ伏していた顔をあげる。すると食堂から女性の黄色い声が飛び、彼女達の視線を追っていくとそこにいたのはメルヘンサディストだった。
「………」 「…なに、よ」
無言で傍に来た彼はじっと私を見下ろしていたかと思うと、不意に自分の傍に傅いた。
「愛しの姫君、どうか機嫌を直してくださいませんか」
食堂にいた男性陣は凍りつき、女性陣は華でも舞い散ってしまいそうな声を上げる。ちなみに傍にいたアンジールはおかしくなった幼馴染を見つめて呆然としていた。
「あなたに触れることもできず、視線を交わすことも叶わず…募る恋慕に胸は張り裂けてしまいそうです。この狂おしい想いを受け取っていただけませんか」 「な、なななっ」 「さぁ、姫君」
愚かな私に慈悲と赦しの手を。 そう言いたげに差しのべられたそれをどうしようもない羞恥と共にとり、真っ赤になりながら彼を引っ張って食堂を後にする。近くにあった小さな会議室に滑り込み、内側からロックをかけて呼吸を整えた。 未だ熱の引かぬ顔のまま彼を睨みつければ、握ったままの手をとって恭しく頭を垂れる。
「これは光栄の至り」 「〜〜〜ッ!バカ!どれだけ恥ずかしかったと思ってるの!」 「若いうちに恥はかいておくべきだろう、良かったな」 「良くないっ!」
至極楽しそうに笑った彼の笑顔を見て、羞恥と怒りは少しずつ治まっていった。…こんな表情を見るのも、こうやって会話を交わすのも本当に久しぶりだったんだと思い知る。
「どうした?」 「……ごめんね」
喧嘩のきっかけすらも覚えていないけど、変な意地を張っていたことは確かだ。素直になれない彼の代わりに自分が折れることだって出来なくはなかった。 未だ離されることのない掌を引いて彼は私をそっと抱き締める。感じる体温にきゅぅ、と胸の奥が締め付けられて私は思わず彼の胸元に顔を埋めた。
「…もう離れるなよ」 「うん…」 「よし、」
カチャン、と何かが嵌る音がする。は?と思って音のした方に視線を落とせばあら不思議。首には真っ赤な首輪がつけられているではありませんか。 え、なに?なんなのこれ?
「さぁ、ネーム姫」
恐る恐る見上げた先には満面の笑みを浮かべた王子様…否、とんでもないサディストがいる。血の気が引いた私に追い打ちをかけるように、首輪に繋がった鎖がジャラリと鳴った。
「"ご主人様"から離れるなよ?」
姫君の○○○様 (「私はジェネシス様のイヌです」…はい、復唱) (わ、私は…ジェネシス…様の……イヌ…です…) (良くできたな、褒美に社内を連れまわしてやろう) (いやーっ!誰か助けてぇぇ!)
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