08



地獄の高校生活、1日目。
何がどう転んでも楽しい日にはならないだろうが、せめて研磨と同じクラスであってくれたら少しは気が楽になるかなあ────そう思っていた私が、甘かった。

「…いや、なんで?」

家の前にいたのは、研磨と鉄朗。
研磨がいることだけでも既に想定外だというのに、私は鉄朗がわざわざうちの前で待つような素振りを見せていたことに何よりも驚いてしまった。

「可愛い後輩達の高校デビューだからな。先輩としてやっぱここはしっかりサポートしてやろうと思って」
「…登校を?」
「そう、迷ったら困るだろ?」
「華凛もおれも高校見学やら入試やらで何度も学校には行ってるって言ったのに…」

この状況が不本意なのは、私だけではないようだった。むしろ私より不機嫌そうな顔で、研磨がブツブツと文句を言っている。

「ただでさえクロはデカくて目立つのに、初日からそんなん引き連れて歩いたら絶対噂されるじゃん…」
「良いことじゃねーか。初日からセンパイ従えて登校してくるような奴に誰も絡もうとは思わねーよ」
「おれは空気に溶け込みたいだけで悪目立ちしたいわけじゃないんだけど」

…嫌がる研磨を外に引きずり出す鉄朗の図、デジャブ。

一瞬だけそう思って、私はぶんぶんと頭を振る。違う、違う。この人をあの鉄朗と同じだと思っちゃいけない。研磨は慣れているようだが(そこで空白の8年の重みを知り、チクリと心が痛んだ)、私のことまで連れて行こうとする意味が全くわからない。研磨と一緒に登校したかったのなら、勝手に2人で行ってくれれば良いだけなのに。
自分で言うのもなんだが、私は鉄朗に決して良い態度を取っているとは思っていなかった。それこそ外面だけは良くしているつもりだが、それが"外面"に過ぎないことは既に看破されているはず。こちらの方が彼とよろしくする気がないことなどとっくに見越しているだろうに、どうして近づいて来るんだろう。

「でも、多分クロは華凛のことも構うと思うよ」

数ヶ月前、研磨からそう言われた時は、"研磨と一緒にいるところに出くわしたら私のことも研磨と平等に扱う"という意味を指しているのだと思っていた。こんな風にわざわざ歩み寄られるなんて────予想していなかったし、望んでもいなかった。

「それで…なんで2人とも、うちの前に?」

私は研磨ほどズケズケと文句を言える心境じゃなかったので、訊いても仕方ない疑問を投げることでひとまずこの気まずい空気から逃れようとした。

「そりゃ、研磨を連れてくなら華凛のことも連れてかないと」

鉄朗は当たり前のように私の名前を呼び捨て、あっけらかんと笑ってみせる。
すっかり困り果てて研磨のことをじっと見つめてみたが、彼は私のことまでジトリと睨み返してきた。まるで「おれは止めたから」とでも言いたげだ。

「えーと…」
「さあさあ、ここで立ち止まってても遅刻するだけですよ」

何と言えば立ち退いてくれるだろうかと考えている間に、鉄朗は私と研磨の背をズイズイと押しながら音駒高校への道を進み始めてしまった。抗えない力に無理やり足を動かされながら、私と研磨はもう一度目を見合わせる。

…どういうつもりなのだろう。

────結局、鉄朗は校舎の中までついてきた。昇降口に張り出されたクラス表を見るや否や、本人より早く私達の名前を見つけ出し、「お、2人とも同じクラスじゃん。良かったな」と言ってくる。

遅れて私も自分の名前を見つけ出し────3組だ────そして、すぐに鉄朗の言った通り同じ列に研磨の名前も発見する。

触れられた背中からジワジワと嫌な感覚が広がっていたところを、この瞬間だけ喜びが覆い隠す。

良かった。研磨と同じクラスだった。
…ただ、後ろにこの大男がいなければ、もう少し両手を挙げて喜べていただろうとも思った。鉄朗の存在感のせいで、せっかくの唯一の希望もなんだか思っていたより薄れてしまったような気がする。
何せ────。

「ねえ、あれ上級生?」
「っていうか…保護者?」

────私と研磨は、すっかり周りの新入生達から指をさされてしまっていたからだ。

おかしいな…。初日は重たい足を引きずりながら、でも少なくとも自力でちゃんとここまで歩いて来て、研磨と同じクラスになれたことをもっと喜んで、私の前に来ているのか後から来るのかわからないが、とにかく同じ空間で研磨と再会できることを楽しみにしている予定だったのに…。

「教室まで案内しましょうか?」
「だから入試の段階で1年生の教室は把握してるってば」

研磨がいよいよ声量を上げてきたところで、鉄朗は笑いながら2年生の教室の方へと去って行った。引き際は弁えている、ということだろうか。研磨が深い溜息をついて「…おれは止めたから」と、先程顔に思い切り書いてあったことをそのまま口にした。

「…まさか初日からがっつり関わることになるとは思ってなかった」
「多分、あんな感じが続くと思うよ」
「え、なんで」
「言われてないの? クロ、普通に華凛と仲良くしたがってる」

さも当たり前のように言うのは良いのだが…空気が読めないというわけでもなさそうな彼が(今のこれはあえて空気を読まなかった、というような雰囲気が見て取れた)、本気で関わりたくないと思っている私に自ら突っ込んでくる理由が、どうしてもわからなかった。

「私は仲良くしたくない」
「本気でそう思ってるならはっきり言って良いよ。それでクロが華凛に何か危害を及ぼすとかそういうことはないし」

…まるで私が本気でそう思っていないかのような口ぶりだ。
腹の中を見透かされているような視線が痛くて、私は研磨と並んで歩きながらもずっと前だけを見続けていた。

そりゃあ、鉄朗が今もあの頃と変わっていないということが"肌"でわかれば歩み寄る余地もあるかもしれないが…。私の"脳"は、鉄朗が私にとって何よりも大切だった1年を忘れているということを、ずっと根に持っているようだった。

「子供の頃に華凛がクロを受け入れたのは、"自分は自分、他人は他人"スタンスを尊重してくれてたからでしょ。その部分は今も変わってないよ」
「…変わってなかったら、無理やり一緒に登校したりなんてしないよ」
「…まあ、クロって大事なとこで馬鹿だから」

研磨の言葉の意味はよくわからなかったが────よくわからないからこそ、私は再びそこで疎外感を抱いてしまった。そうやって粗雑に扱えるのは、私がいなかった8年間、鉄朗と一緒にいたからこそできることだ。研磨にはあの頃からずっと地続きに鉄朗のことを見ているからわかることもあるのかもしれないが、突然180度人が変わったような"顔だけの幼馴染"を同じように受け入れろというのは、私にとっては少し無理がある。

我ながら、随分と拗らせているとは思う。…でも、あの明るい"今の鉄朗"と一緒にいようとすると、自分もどうしたって彼のテンションに合わせて無理をしなければならなくなってしまう。そうまでして、彼の"変わってない"ところを探ろうという気力は、私にはまだなかった。

その日は体育館で入学式を行った後、クラス毎に顔合わせが行われた。ひとりずつ自己紹介をしていって、授業のカリキュラムなど基本的な説明を一通り受けた後、解散。
ひとまず今週一週間は授業もほぼオリエンテーションで終わるとのことだったので、生徒の関心はむしろ放課後に待っている部活体験の方に向いているようだった。

音駒高校の部活の数は非常に多かった。文化部も運動部も、それぞれ20ずつくらいはある。人数もギリギリ規定数の3人で回しているところもあれば、40人以上在籍している大所帯もあるそうだ。明日からは勧誘も解禁されるとのことで、例年4月はじめの2週間は体験入部なども含めかなり賑わうらしい。

ちなみに、これは公言されていないことなのだが、登校中に鉄朗がペラペラと喋っていた"噂話"によると、クラスの席順は入試の成績順に決められているらしい。確かに名前順にしてはバラバラな配置だ、と思った。席替えは学期に一度、くじで行われるとか、なんとか。
そのお陰というべきかなんというか…同じクラスだというだけでもラッキーだったのに、私はなんと研磨の隣の席をゲットすることができてしまった。中学の部活があったせいで勉強を始めた時期は私より遅れているはずなのだが、やはり彼の効率の良さはピカ一だった。地頭の良さもあるのだろうが、噂が本当なら私と彼は入試でほぼ僅差の点数を獲得していることになる。

「良かった…私の酸素…」
「酸素?」

クラスが同じだという事実を鉄朗から先に明かされていたからか、二度目の幸運を肌身で感じた時、ようやく私の心に安堵らしい安堵が訪れた。

「よろしくね、白鉦さん。華凛ちゃん、で良い?」
「もちろんだよ! よろしく、えっと…早紀ちゃん、だよね?」

っと…おちおち呼吸を整えている暇もないようだ。親切心で話しかけてくれた反対側の席の女の子と"無難な"挨拶を交わし、同様に前と後ろの席の子とも改めて自己紹介をし合う。

研磨は、終始無言だった。研磨の周りの生徒も彼に話しかけているようだったが、彼はほとんど聞き取れないくらいの声で「うん」とか「よろしく」とか不愛想に返しているだけだった。

「あ、ていうか華凛ちゃんと孤爪君って、なんか登校してきた時すごい大きい男の人と一緒じゃなかった? あれ、先輩?」

相沢早紀、と名乗っていた隣の子は、早速初手の話題に頭の痛くなる登校劇を選んできた。

「そうそう、2年生の先輩。家が近くて、昔お世話になってたんだ」
「えー良いなあ、イケメンの先輩と幼馴染なんて! しかも入学式についてきてくれるなんて優しいね!」
「あはは…まあ、私途中で一回引越し挟んじゃってるから、先輩との接点ほとんどないんだけどね」
「え〜、でもでも、私遠くからしか見てなかったけど、すごいなんかこう…親心…? とにかくめっちゃ優しそうな顔して華凛ちゃんのこと見てたじゃん! ああいうの、きゅんとしない?」

ああ、またこうなるのか。
恋愛に興味がないわけじゃない。ただ、それはあくまで"恋愛小説に出てくる人はどうしてこんなにたった1人のことで心を乱しているんだろう"という意味で気になっているだけであり、私は前提として人に興味がない。なんでもかんでもそうやって恋愛事に結び付けられるのは、正直疲れるとしか思わなかった。

「きゅん、はないかなあ…。接点ないとはいっても、もう"幼馴染"って思いこんじゃってるからさあ、今更って感じ」
「もったいない〜! ね、ね、それだったらさ、今度紹介してよ!」

おおっと、研磨と隣の席になれた喜びをするめのようにじっくり噛みしめているところだったというのに、逆サイドの子が私と全く相容れないタイプだった。相容れないタイプとはつまり、新しい人との関わりを積極的に求め、ガンガンアタックしていくタイプのこと。実際、彼女は入学初日にして同じような雰囲気の女子達と既に派閥にもなりうるようなグループを形成していた。今回は彼女がカースト上位のようだ、うまく取り入っておかないと。

相沢早紀…悪い子じゃないのはわかる、わかるのだが────苦手だ、と思った。

結局「紹介できるほど私も仲良くはないんだけど…機会があったら言っておくね」と返して事なきを得、私は地獄の初日をなんとか乗り切った。

「…華凛、めっちゃ喋るじゃん」
「何回言わせるのさ。女子社会は喋らないと生きていけないの」
「めんどくさ」
「研磨は完全にお疲れモードですね」
「知らない人に囲まれてるだけでHP削られる」
「お疲れ様。家に帰ったらHP回復させようね」

いつも以上に猫背になっている研磨の肩をぽんぽんと叩き、今度こそ2人だけで廊下を歩く。

「明日からは部活の勧誘も熱心になると思うけど…大丈夫?」
「"バレー部に入ります"一択で押し切る」
「おお…やっぱり研磨はバレー部なんだね」
「華凛は? どっか入るの?」
「ううん、面倒くさそうだからどこにも入らない」
「そっか」

1階まで降りたところで体育館の方へ足を向けた研磨と別れ、私はひとりで体験入部に沸き立っている同級生を尻目に、昇降口まで歩いていく。

────最後の廊下の角を曲がって、靴箱の並ぶ光景が目に入った時、私はそこに立っている際立って背の高い男性の姿を見た。

「…勘弁して…」

それが誰だかわかった瞬間、他の人に聞こえないよう、溜息をつく。

そこにいたのは、朝に散々私の情緒を掻き乱して鮮やかに去って行った、鉄朗だった。『バレー部 新入部員募集中』というプラカードを掲げて、きょろきょろと辺りを見回している。

そのせいで、私が角から姿を現わした時、ばっちり目が合ってしまった。

「お、華凛じゃん。もう帰り?」
「うん」
「今どこの部活も新入生談歓迎モードだけど、行かなくて良いの?」
「ちょっとじっくり考えようと思って、今日はビラだけもらって帰る予定なんだ」

少し嘘を混ぜて事の次第を話すと、鉄朗は「深謀遠慮だねえ」と感心したように笑った。

「中学の時は何やってたの?」
「中学の時も何もしてなかったよ」
「へえ。じゃあ趣味とかは?」
「うーん、本を読むのは好き、かな」

鉄朗は勧誘に飽きたのか、プラカードにもたれかかりながら私に合う部活を考えているようだった。一応会話には乗らなければならないのでこちらも返事を返すが、正直何を言われようが私はどの部活にも入るつもりはなかった。

「文芸部とかあれば良かったのにな。華凛の書いた本とか俺、読んでみたいかも」

どきり。
鉄朗が何の気もなしに言ったその言葉は、私にとって何より重い約束の言葉だった。

────でも、この調子じゃきっと、9年前に「おれでも読めるようなもの、書いてみて」と自分が言ったことも忘れているんだろうな。あれは、私と彼らを繋ぐ再会の約束手形と同義だったのに。

「読むのと書くのとじゃ全然違うよ〜。書こうと思ったことがないわけじゃないけど、あれは駄目だ、白紙のまんま1日中ぼーっとしちゃう」

痛む胸を抑え、本音を混ぜながら笑顔を見せる。私の心中など知らない鉄朗は大袈裟に眉を寄せてうんうんと頷いた。

「そっかー、まあ確かに物を書くのって難しそうだもんな。俺も作文とか超苦手だし」

そして彼は、思い出したようにプラカードをずいと私の前に差し出してみせた。

「あ、じゃあさ、バレー部のマネとかやってみねえ?」
「バレー部の…?」
「別に積極的に募集してるってほどじゃないんだけど、新歓期に部員を勧誘するついでで興味がある子があれば誘ってんのよ。行き場所ないんなら、こっちは歓迎しますよ。ほら、研磨もいるし」

はは、何を言っているんだろう。
────それこそ、願い下げだ。

簡単な日常会話レベルですら私には難易度が高いのに、何が悲しくて他人の世話などしなければならないのか。マネージャーなんて引き受けてしまったら、どこまでも気を遣って自分の許容量を超えてまで仕事を担おうと躍起になり、最終的に潰れることは目に見えている。自分の努力がすぐに空回ることは、これまでに嫌というほど学んできた。

「ありがとう。でも、遠慮しとく。私、鈍臭いし、バレーのことも何一つ知らないし、却って迷惑かけちゃいそうだから」

嫌悪感だけは露わにしないよう気を遣いながら、笑って手をひらひらと振ると、鉄朗は一瞬だけ真面目な表情を浮かべた。それはほんの少しの間のことだったが────なぜか、その真剣な目で見つめられた瞬間、背筋にぞわりと寒気が駆け上げた。

「────そっか、まあやりたくない人にやらせるような仕事でもないしな。華凛みたいなのを集団の中に放り込んだら一瞬で潰されそうだし。悪いな、無粋なこと言って」
「え…いや…」

今、なんて?

私を集団に放り込んだら潰される、って…。

鉄朗を相手にしている時の顔が"余所行き"のものだとバレていることなら、なんとなく察していた。でも、それはあくまで"忘れられていた幼馴染への意趣返し"のつもりでしかない。人付き合いが苦手で、それこそ集団の中に入ったらろくに息も吸えなくなるということまでは、彼も知らないはずだ。それを、正確に看破してくるなんて────。
単に私が考えすぎなだけだろうか。それとも、私の性格を研磨から聞いていたのだろうか。

朝も思ったが、彼の引き際は実に絶妙だった。空気を読まずに突っ込んでくるところは確かにそうなのだが、こちらが本気で嫌がったらすぐさま退却するような────そんなイメージ。今だって、私としては最大限に気を遣って断ったつもりだったのだが、もしかしたら彼には「絶対やりたくない」という意志が伝わっていたのかもしれない。

「んじゃま、高校生活、大いに楽しんでくださいよ」

そう言って、鉄朗はローファーに履き替えた私を笑顔で見送ってくれた。

その夜、私は鉄朗に言われたことがどうしても気になってしまったので、研磨にメッセージを送ってみることにした。

『ねえ、研磨。鉄朗に私が"人付き合いが苦手"だって話、した?』
『覚えてる限りではないけど。なんで?』

彼の返答は────私の予想を大きく裏切るものだった。

…やはり私の考えすぎだったのだろうか。
先程も言ったばかりだが、私は「人が苦手」だとわざわざ彼に伝えたことはなかった。
幼少期に私が"無理をして笑顔を貼り付けている"ことを知った、というのなら納得もいくが、彼はその時期のことを忘れているのだから────たった数回会っただけで、その会話と振舞いから、私のパーソナルスペースの狭さを察したということになる。
でも、それなら今朝は無理に一緒に登校しようとしたその行動と辻褄が合わない。

『今日、バレー部のマネージャーに誘われたんだけど、断ったら…"集団の中に放り込んだら潰される"って言われたんだよね。私、まあ確かに鉄朗にはあからさまに余所行きの顔してるけど、それだけで"人見知り"じゃなくて"人嫌い"ってところまで見抜いたところに違和感持っちゃって。研磨が何か言ったのかなって思ってたの』
『そう』

研磨からの返事は、それだけだった。大方、「だからクロは何も変わってないって言ってるでしょ」とでも言いたかったんじゃないだろうか、と見当をつける。
人のやりたくないことは、絶対に強制しない。その在り方は確かに昔から片鱗を見せていたし、その面においては"彼も変わっていなかった"と思えるひとつの材料くらいにはなったかもしれない。

ただ、私は────妙に、鉄朗のあの言い方が気になって仕方なかった。









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