06



『私はずっと、死に場所を探していた。どこにいても、誰といても、閉塞感が拭えなかった。』

そこまで書いたところで、早速手が止まってしまった。これでは次の一文で主人公が死んでしまう。もうこのまま縄を買って公園で首を吊ってしまいそうな勢いだ。

────死にたいと思う気持ちなら、よくわかる。
でも、"本当に死ぬ"ということがどういうことを示すのか、私にはわからなかった。

死にたい、死にたい、ただそれだけを書き連ねたのでは、私の日記帳にしかならない。
物語が物語として成立するためには、何かしらの出来事が必要だ。死にたいと思ったきっかけ、死にたいと思うだけの理由、そして────死んだ後に、残る何か。

「私ってなんで死にたいって言うようになったんだっけ」
「知らない」

別の話でチャレンジしてみる、と言ったところまでは良かったが、だからといって簡単に筆を進められるわけではなかった。昼休み、ノートを片手になんとか"そこはかとなく死にたい"気持ちを形にしようとする私の隣で、研磨は相変わらず量の少ないお弁当をつついている。

「なんかメールしてたら突然『死にたい』って言い出した」
「まじですか」
「ていうか、本当に死にたがりの話を書くんだね」
「まあ…そのくらいしか、実感のあるネタがないからね」

周りに人間がいるから死にたい。自分に価値がないから死にたい。朝を迎えて「まだ生きているのか」と絶望したくないから死にたい。

────改めて考えると、私は随分と簡単に「死にたい」と口にしているようだった。

最初はそこそこ追い詰められた上で「死にたい」と言っていたような気もする。しかし、年を取る毎にだんだんそのハードルが下がって行っていることも感じていた。
今ではもう、テストがあるから死にたいと思っている。日直があるから死にたいとも思っている。

傍から見れば、まあふざけた理由で簡単に命を落としたがるものだと思われても仕方あるまい。でも、その時私は毎回確かに"死にたい"と思っていた。「面倒くさいな」と言いながら嫌々やる、とかそんな話ではなく、私は本気でこの身が滅べば良いと思っていた。

きっと「面倒くさい」で済ませられる人は、それ以外にちゃんと"楽しいこと"を持っている人種なんだと思う。嫌なことがある分、楽しいことも全力で楽しめる人なんだろう。楽しいと思えることを、ちゃんと自分の中に持てている人なんだろう。

でも私は、一般的に"楽しい"と言われるはずのことですら"苦痛だ"と思ってしまう、とても厄介な人間だった。本を読んでいる時間や研磨と一緒にいる時間は楽しいかもしれないが、ひとたびページを繰る手を止めてしまえば、あるいは研磨と別れて自分の家に帰れば、またすぐに嫌なことだらけの現実が戻って来る。何せ、世界はいつだって私に厳しいのだから。人と関わらなければ生きていけない社会において、その人付き合いが何より苦痛な私には、手放しで楽しいと思えることなんてひとつもなかった。

よく"ストレス発散"や"気分転換"と言ってはわいわい騒いだり、ひとり静かなところでリラックスしたり…といった話を聞くが、私からすればそんなものは、"ストレスの先延ばし"でしかなかった。いつもと少し違うことをしてみたって、結局頭のどこかに"現実"がこびりついている。楽しいこと(私の場合は新しい本を読むことだったが)に手を伸ばしてみても、結局終わった後にさらなる絶望が身を襲うだけ。

「死のう」と思ったことはなかったが、「生きていたくない」という気持ちが、それこそ何をしていても、どこの誰と一緒にいても、私の心のどこかに住み着いている。

「このなんか…形容しがたい生き辛さって…どう言語化したら良いんだろう…」
「生き辛いですって書けば?」
「そうじゃないんだよ…いやそうなんだけどさ…なんか違うっていうか…」
「とりあえずほんとに生き辛そうだね」

たいした興味もなさそうに、研磨は私が悶えている様を眺めていた。










そうして、月日はあっという間に流れていき、気が付けば私達は中学最後の夏を終えようとしていた。
研磨はこの間、全中都予選の決勝で惜敗し、部活を引退したらしい。一足先に受験勉強を始めていた私は、それを機に再び研磨の家に通うようになった。

「華凛は高校、どこ行くの」
「お茶子大学付属高」
「都内トップじゃん」
「あくまで私は天才でいないといけないので」
「…っていう、おばさんからの圧?」
「そう」

春の頃から度々進路調査は行われていたが、私は毎回第一希望を私立お茶子大学付属高校として提出していた。研磨の前でこそぐだぐだとした姿を晒しているが、私は本来誰よりも頭が良く、品行方正で、いつも明るく笑顔でいるみんなのまとめ役でいなければならない存在。実を言うととても入れるとは思えなかったのだが、母親からの期待を裏切ることはできず、「まあ、志望するのは自由だし」と言い聞かせて受験勉強に励んでいた。

「研磨は?」
「おれは音駒…まあ、入れたらだけど」
「あー、近いもんね。研磨なら学力も全然問題なさそうだし」

研磨の性格的に、無理に学力ランクを上げて遠いところまでは行かないだろうと踏んでいた。その予想が見事に当たったことがなんだかおかしくて、少しだけ笑みを漏らす。本当なら彼と同じところに進学したかったのだが…都内中堅公立高に進学するという選択肢は私には与えられていない。…ただ、内心ではお茶子付属に入れるなんて全く思っていなかったので、現実的な選択肢として私も第二志望に音駒高校と記入していた。どうせ落ちるのなら研磨と同じところに通いたいと思っていたので、彼がそこを志望していたことにちょっとした安堵を覚える。

「うん。それに────」

「近いもんね」と言った私に対し研磨が何かの言葉を続けようとした、その時だった。
バタバタバタ、と慌ただしく階段を駆け上がる音が聞こえ、ノックもなしにバターン! と勢い良く研磨の部屋が開かれる。

…なんか、デジャブ。

「研磨さぁーん、お勉強は進んでますかー?」

ニヤニヤと"私の知らない"顔で笑いながら研磨を邪魔しに来たのは────鉄朗だった。

「────…」
「クロのせいで進まなくなった」

鉄朗は、春先に研磨の家で会った時と同様────私の顔を見て、一瞬困ったような顔をした。しかしすぐに"研磨だけを見て"、「なんだよ、先輩が教えてやりに来たっていうのに」と研磨の頭をわしわしと撫で出した。

鉄朗が来た途端、急に気まずくなってしまった。私はできるだけ空気になろうと呼吸を殺し、研磨と鉄朗のじゃれ合いから目を逸らす。
鉄朗がいることで息苦しくなるなんて、あの頃は思いもしなかった。今ここにいるのは、鉄朗の顔をした別人のようだ。お互い知っている仲のはずなのに、彼だけが私を知らない。私のことを、覚えていない。

なんだかとても変な感じだ。私だって研磨と同じくらい気軽に「鉄朗」と呼びかけたいのに、そう発してしまって「なんでそんなに慣れ慣れしいんだろう」とでも思われたが最後、いよいよ私と鉄朗が一緒に過ごしていたあの1年の思い出さえ、簡単に殺されてしまう気がする。そう思うと────"知っている人なのに知らないふりをする"ということがどれだけ苦しくても、私の唇はうまく動いてくれなくなってしまうのだった。

「華凛ちゃんは春ぶり? 背ぇ伸びた?」

すると────鉄朗は、実に"大人"な対応で私に話しかけてきた。その笑顔はどこからどう見ても"親切な先輩"のもので────私にはそれがどうしようもなく、気味の悪いものに思えてしまった。

「わー! お久しぶりです、黒尾先輩!」

成長期の男子じゃあるまいし、数ヶ月そこらで背なんて伸びるものか。冗談は笑顔で封殺し、私はしっかりと"余所行き"の顔で対応した。

「あー…えー…ごめん…怒ってる?」

すると、鉄朗は恐ろしい洞察力で私の表情から全てを察してきた。実際は別に怒っているわけではなく、ただやり場のない失望感に苛まれているだけだなのだが、それでも元気いっぱい笑顔で挨拶しただけでこの返しが来るとは思っていなかった。気を遣わせてしまうことを申し訳ないと思うと同時に、それを"申し訳ない"と思ってしまう自分も悲しくて仕方なくなる。

彼に対しては、どう接したら良いのかまるでわからないというのが正直なところ。
向こうからはそこそこ友好的な関係を築こうとしてくれている姿勢が窺える。研磨と仲も良いし、忘れているとはいえ昔交流があったなりに、少なくとも"敵"ではないと見なされた、というところだろう。
ただこちらは"忘れられている身"だ。そして、その忘れられた期間は、今の私をなんとか生かしてくれている何よりも重たい期間だった。

今更知らないふりなんてできない。でも、知っている体で会話をすることもできない。
なんとももどかしくて────誰に対するでもない苛立ちが、心の奥に募る。

「何も怒ってなんてないですよ。小学生の時のたった1年、一緒にいた"だけ"の時間を忘れてしまうのなんて、当然だと思いますし。今更思い出せなんて無理なことを言うつもりはありません。お互いに研磨の幼馴染ではありますし、"先輩"として仲良くしてくださったらとても嬉しいです!」

自分でもなんとまあ、白々しいことをここまでペラペラと喋ることができたものだと思う。"先輩として仲良くする"? 今の鉄朗と仲良くなれる気なんて、こっちにはさらさらないというのに。むしろ、研磨とダラダラ過ごせる時間を邪魔された、くらいに思ってしまっていたのに。

おかしいな…前は、鉄朗がいてくれるだけで安心していたはずだった。
それが、今はどうしようもなく距離を取りたいと思ってしまっている。今の鉄朗は、大嫌いなクラスメイトを彷彿とさせるから…生理的な抵抗感が何より先に心を覆ってしまう。
さっさと出て行ってくれ、私に"当たり障りのない言葉"を掛けないでくれ。私を────これ以上、戸惑わせないでくれ。

「うん、まあそう言ってもらえるのはありがたいんですけどね。こっちとしては、せっかくの幼馴染のことを覚えてないって結構申し訳ないと思ってるし寂しいものなんですよ。だからさ、良かったら昔の話、色々聞かせてくんねえ?」

────ああ、どうしてこの人は────そんな残酷なことを簡単に言ってのけるのだろう。どうせあの頃の閉塞的な話をしたところで、何の意味もなさないのに。今の"開放的な"鉄朗には、何の生産性もないのに。

「あはは、昔の話って言っても、全然中身はなかったんですよ〜。研磨と黒尾先輩がゲームしてて、私はひとりで本を読んでるだけ。だから忘れてても仕方ないですし、申し訳ないなんて思わないでください」

鉄朗は明らかに困ったような顔をしていた。私が仮面を被っていることには気づいているのだろう。彼としては"イチからもう一度"関係を築きたがっているのかもしれないが────申し訳ない、何度でも言うが、私は今の彼と心からの友好的な関係を再構築する気にはなれなかった。

「────ちょっと、お手洗い行ってきて良い?」

────研磨が気まずげに手を挙げて、部屋を出る許可を求めてくるほど、私と鉄朗の間に流れる空気は冷たかった。正直に言うと、今ここで研磨には出て行ってほしくなかった。とはいっても彼の膀胱に無理をさせるわけにもいかないので、私は「どうぞ」と言うことしかできなかった。

研磨が部屋を出て行ってしまったせいで、鉄朗と2人きりになってしまう。

「……」

私は彼には一切視線を向けることなく、再び手元の問題集を進めることにした。

「…あのさ」

すると、鉄朗がおずおずと、私の注意を引いてきた。

「はい、なんですか?」
「その、"黒尾先輩"っていうの、昔からそう言ってた?」
「………」

昔のことを思い出したのだろうか。
いや────そうではないのだろう。

私と鉄朗に交流があったのは、小学校の1、2年だった時だ。その時にはこんな風に明確な上下関係はなかった。子供の頃は、先輩だとか後輩だとか気にせず────みんな"ともだち"として、付き合ってきていた。

鉄朗が違和感を覚えたのはその点だったのだろう。私がわざと他人行儀な態度を取っていることには気づいているはずだ。だから"歩み寄り"の観点から、一番手っ取り早い"呼び名"のことを言及する気になったのかもしれない。

「…昔は普通に鉄朗って呼んでましたよ? でも、今は"先輩"じゃないですか」

私のことなんて、覚えてないんだから。今の私と鉄朗は、"研磨の先輩"と"研磨と同級生の後輩"の関係でしかないんだから。

「いやあ…それなんだけどさ、なんかやっぱ違和感あるから、普通に鉄朗って呼んでくんねえ?」
「…顔も名前も忘れた下級生から下の名前で呼ばれるなんて、そっちの方が違和感ありませんか?」
「忘れてたのは本当に悪かったって思ってるよ。ただ、こっちに引越してきたばっかの頃、結構肩身狭かったことだけは覚えてるからさ。実を言っちゃうと、研磨とだって会ったばっかの頃のことは何も覚えてねえんだ。あいつとはなんだかんだでいっつも一緒にいたからだんだん仲も良くなってったってだけで、俺にとってはあんまりその…8歳だった頃? のことって、研磨のことも含めて記憶にないわけ。だから、せっかく昔馴染みだっていうんなら…俺としては改めてもう一回よろしくしたいんだよね。普通の友達として」

…どう接したら良いのかわからないのは、彼の方も同じだったらしい。
でも、私は鉄朗のその言葉を聞いて、急速に心が冷めて行くのを感じていた。既に冷え切っていたと思っていたのに、どうやらまだ温度を下げる余地はあったらしい。

"研磨とだって会ったばっかの頃は何も覚えてねえんだ"。

そうか────鉄朗にとっては、本当にあの1年足らずの時間は、どうでも良い時間だったんだ。
私にとって────おそらく研磨にとっても、とても大切だった"3人の時間"。研磨はその後も鉄朗との関わりが続いていたから、"出会いの時期"のことを忘れられていたってたいしたダメージにはならなかったのかもしれない。

しかし私は、この時────8年ぶりに、恐れていた日が実現したことを悟った。

私は、終ぞ2人の間に入れなかった。3人でひとつだと思っていたあの空間から、自分だけ弾き出されてしまった。

その時の、私の────この、なんとも言い難い…寂寥感のような、憤りのような、負の感情をこれでもかというほどに集めたこの感覚を、なんと呼べば良かったのだろう。

またひとつ、努力が仇になった。

「…そうですか、わかりました。じゃあ鉄朗君、改めてよろしくお願いします!」
「いや、だから敬語も別に要らないから。小学生の頃に上下関係なんてなかったでしょ」
「うーん…そう? それなら言葉も戻すね」

戻れるのなら、戻りたい。
こんな上辺だけの笑顔なんて取り払って、素のままの姿で彼と接したい。

でも、どうしたら良いのかわからない。再会したあの日に「別人だ」と思ってしまってから、どうにも心が強張ってしまって仕方なかった。彼が歩み寄ろうとしてくれていることは嬉しいし、私だってできることならその手を取りたいと思っていた。
何か、何かきっかけさえあれば。研磨が言ってくれた「根っこは別に変わってないから」というその言葉を、受け入れられるような何かが────。

しかしそんな願いは虚しく散るのみだった。お手洗いから研磨が戻ってきた後、元気に彼の邪魔をする鉄朗を横目に、私は淡々と勉強の手を動かし続ける。鉄朗は時折私を輪に入れたがっているようだったし、こちらも笑いながらうまくあしらったつもりだったが、そんな気まずいだけの時間の使い方が果たして最適解なのかどうか、最後まで自信を持てなかった。









「なんかおれがトイレ行ってから華凛の態度があからさまに固くなったんだけど」
「あー…なんか距離の詰め方ミスったっぽい。完っ全に余所行きの顔で対応された」
「そんなにショック受けるくらいならさ────最初から、"覚えてるよ"って正直に言えば良かったのに。クロだって会いたかったんでしょ、8年間ずっと」
「いやあ…こっちにも事情ってもんがありましてねえ…」









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