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研磨と一緒に教室に戻りながら、今しがた言われたことを考える。

鉄朗はそこまで不器用じゃない、私が望めば関係の名前が変わってもその中身を変えずにいてくれる────。

あの器用な人のことだ。そしてあの研磨の言うことだ。本当にその気になれば、鉄朗はそういうことも簡単にやってのけるのだろう。
ただ、それは全て"私が望めば"の話。

私が他人の在り方を決めてしまっても良いのか。私が勝手に守りたいと思っているだけの距離感に"無条件で守られる"ことが果たして正しいのか。そんな迷いが私の決断を鈍らせる。

このまま鉄朗の手を取ることは簡単だ。でも、それではあまりにも自分勝手が過ぎるというものではないだろうか。本来、人の関係とは誰かの意思でその形を定めるものではないはず。それぞれの思惑があって、それぞれの願いがあって、それが複雑に交錯して初めて"関係"が生まれるもの。作為的に生み出された関係は、もはや"自然な人間関係"ではなく、"ただのお人形遊び"と大差なくなってしまう。

「まだ悩んでるの?」

教室の前まで来た時、扉を開ける手を止めて研磨が尋ねて来る。

「良いんだよ、華凛は華凛の願いを素直に口にして。クロがそれに応えるとも限らないわけだし。…まあ、どうせ応えるとは思うけど、それでもクロがそれで良いって思ってのことなら、誰にもそれを非難する資格はないんだから」

彼の中では、既に答えを得ているらしい。いまいち釈然としないまま私は曖昧に「うーん…」と呻き、彼の後について教室に入る。

その時、俄かにクラスがざわついた。

そのざわめきに本能的な"敵意"を感じ取り、私は敏感に教室内を見回す。出所は────嘘だ、私の席────?

そこにいたのは、秋穂達だった。彼女らと周辺にいた何人かが、ざっと私に視線を集中させている。夏休み明けほどではないが、それに近しい"嫌な違和感"が背を這い上がり、私は思わず身震いした。

「な、なに…?」
「ねえ、これ華凛のだよね?」

被せるように笑い声を上げた秋穂が手に持っていたのは、私の秘密のノートだった。
私の本音が書き綴られたノート。形にならない小説をしたためたノート。私が────私を、何度も殺したノート。

「やばくない? めっちゃ死んでるじゃん! てかこのメモほんとなに? 華凛も死にたいの?」
「死ぬことばっか書かれてて普通に怖いんだけど」
「なんか字も走り書きだしね、すごい切羽詰まってるっていうか」
「ね、意外〜。華凛ってお気楽人間で悩みとかないんだと思ってた」

悪意。害意。敵意。これを何と呼べば良いのだろう。
それに、私は聞き逃さなかった────美月が、軽やかな声で「華凛"も"死にたい」と言っているところを。

じゃあ、なんだ。
彼女達は早紀の一件をも笑いものにしているということなのか。いや、それ以前に私のノートをどうして彼女達が────?

「それ…なんで…」
「えー? なんか華凛の鞄から覗いてたからしまってあげようと思ってさ、ちょっと取ってみたら落っことしちゃって。そしたら偶然中身が見えて、ほら」

わざわざこちらに見せてくれなくたって、わかる。そのページには、もう26回目になる私の自殺記録が綴られていた。私の26回目の死が、美月の手の中でひらひらと鮮やかに舞っている。

「あ、ありがとう、親切でやってくれたんだね。変な物見せてごめん、それは私とは関係ないから────」

返して。

たったそれだけのことなのに、強くは言えなかった。自分でも物凄い形相になっているのがわかる。私とは関係ないなんて嘘、簡単にバレてしまう。
ああ、惨めだ。今まで必死に隠してきていたのに。今まで必死に笑顔を繕ってきていたのに。

「ねえ、孤爪君もこれのこと知ってたの? 華凛が実はめっちゃ死んでるってやつ」
「めっちゃ死んでるって言い方」

彼女達は笑ったまま、その矛先を今度は研磨に向けた。咄嗟に私は無意識のまま研磨を庇うように前に立ち塞がったが、彼はいつも通り表情のない顔のまま静かに首を振った。

「知らない。華凛も内容と自分自身は関係ないって言ってるし、おれも華凛にそんな気があるとこ見たことないから」

────しれっと吐かれた嘘に気づいたのは、きっとこの場で私ひとりだけだっただろう。彼は事態をこれ以上悪化させないために、私の死にたがりをなかったことにしてくれた。

それでも。

「へ〜、じゃあますます意外〜」
「ね、だっていくら本人と関係ないって言われてもさ、ここまで鬼気迫る感じで書かれてるやつに本人の感情が全く関係ないとか、そっちの方がありえなくない?」
「孤爪君さえ知らなかった華凛の一面ってやつじゃん?」
「それにしてもなんか心外かも〜。うちら結構楽しくやれてたと思ってたのにさ、華凛はこんなこと考えてたんだね」

そう言って、美月は別の女子にそのノートを渡してしまった。それまで内容まではわからず好奇心から私達のやり取りを見ていたクラスメイトが、一気にノートの周りに群がる。

やめて。それ以上踏み込まないで。私がようやく得た盾を、そんなに簡単に壊さないで。

「早紀の時から思ってたんだけどさ、なんか華凛っていつも被害者面してない?」
「わかる。人畜無害な顔して裏では結構黒いよね」

そして、恐れていた言葉がまっすぐ胸に突き刺さってしまった。

私は────私は元々、周りの空気を少しでも和らげようと奔走しただけだった。でもそれは一向に報われなくて、むしろ空回りしているばかりで────。
だから、きっと自分のやり方が何か間違っていたんだろうと、自分を責めた。被害者面なんてしているつもりはない、ただ私は自分が惨めで仕方なくて、何もできていないのに胸を張ることなんてできなくて────そのせいで、俯くことしかできなかった。
それを、人は被害者面をしていると言うんだそうだ。一体どうして、私ばかりがこんな悪意に晒されなければならないのだろうか。

結局ノートは、研磨が「返してあげて」と言ってくれたことで私の手元に戻って来た。それでも彼女達の好奇に満ちた、まるで「新しいネタを見つけた」と言わんばかりの視線はいつまでもこちらに向け続けられていて────午後の授業の内容なんて、ほとんど頭に入ってこなかった。

あのノートは私の聖域だ。他の誰にも言えないことを書き連ねて、死ねない自分を虚構世界で殺すことで救った気になるための、私だけの秘密だった。

それを、よりによって悪意で人を追い詰めることが大好きな集団に見つかってしまった。
私の聖域が勝手に荒らされている。こんな精神状態では、いつものように自分を殺して気持ちを落ち着けることなんてとてもできやしない。────だって、その中身を一番知られたくない人に知られてしまったのだから。

私のハリボテの演技が、見抜かれていく。
私の酸素が、いよいよ薄くなっていく────。

ようやく迎えた放課後、秋穂達はいつものように私に話しかけてきたりはしなかった。ただ遠巻きにこちらを眺めてクスクス笑っているのは見えていたので、とても良い話をしているようには思えない。

胃が、キリキリと痛む。今まで全身全霊を懸けて演じていた理想の自分が、一瞬にして崩れてしまったようだった。
あのノートだけは誰にも見られたくなかった。研磨にも鉄朗にでさえも見せたことはない、私だけの秘密の死に場所だった。

虚構世界でも死ねなくなった。この死にたい気持ちを発散できる場所が、いよいよなくなってしまった。私の居場所が────全て、潰えてしまった。

「華凛…」

みんなが楽しそうに帰り支度をする中、研磨がずっと席で縮こまっている私の元に来る。
あの一幕で、私は再び孤独に逆戻りしてしまっていた。秋穂達がこちらに来る様子は相変わらずない。放っておいてほしいと思っていたのは確かだったのだが、それはあくまで"対等でそこそこ仲の良いクラスメイト"という無難で距離のある関係を築きたかっただけのことであり、こんな風に一方的に見下され、スポットライトだけは当てられているのに遠巻きに眺められるような真似をされたいわけではなかった。

「大丈夫だよ。部活、頑張ってね」

それでも私は、笑顔を捻り出す。研磨はこれから部活だ。週末には春高の予選も控えているし、既に彼にはもうこれ以上ないほど救われている。

「でも────」
「ううん、大丈夫だから」

だからもう、"これ以上"があってはいけない。

彼のことまで失いたくない。彼にはありのままの私と"ありのまま"の関係でいてほしい。
こんなに打ちのめされて────かつてないほどに衰弱した私は、"いつもの私"じゃない。私はただ、空回る努力をして打ち砕かれて、だらだらと文句を言いながら「死にたい」と言っていれば良いだけの無意味な人間だ。

もう努力をする気力すら失われた私が"私"のままだなんて、もう思えなかった。









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