02
────私の次の行き先は、愛知だった。
父の会社は、だいたい7〜8年のスパンで全国規模の異動があるらしい。地方出身の父は、日本各地を転々としながら約8年余り前に東京で母と出会い、とんとん拍子に結婚し、子をもうけた。母は生まれた時から実家暮らしで(孤爪家の向かいにある、私の生家にもあたる場所だ)、そこは当時の父の職場からもそう遠くはなかったので、2人は結婚当初、母方の祖父母と共に暮らしていたそうだ。祖父母は私が産まれる直前に立て続けに病気で亡くなってしまったので、そのまま家の名義は母と父で按分したらしい。そんな年季の入った場所を離れるわけなので、異動辞令が出た直後はかなり揉めたようだが(「それなら単身赴任でもすれば? 私も仕事に復帰できるし」と母が一度ならず言っているところを聞いていた)、両親は"ちょっと手入れをして地価が上がった頃にでも売ればいくらかの儲けになるかもしれない"ということで、その家の所有権を手放さないことを選んでいた。
当時7歳だった私達は、当然携帯など持っていなかった。だから研磨と鉄朗がどうしているのかは、母が研磨の母と連絡を取り続けることによって間接的に聞くことしかできなかった。
「あのね、研磨君もバレー始めたみたいなの」
引越して間もなく、母はそう言っていた。
ちなみに彼女は仕事を辞めてから、目に見えてパソコンに触れる機会を増やしているようだった。今まで一番力を入れていた"仕事"を取り上げられたことで、精神的には参っているようだったが、それでも家事や私の面倒を見ることに関してはいくらかのゆとりを持てるようになったらしい。空いた時間で私に向けられる話のほとんどが、研磨のお母さんとどんな会話をしているかとか、通販でこんな商品を見かけたとか、そういう内容ばかりだった。
「ふうん」
研磨達がどうしているのか知りたい。そう思っているのは事実なのに、私の口からはいつも乾いた返事しか出てこなかった。
簡単な話、その時の私は自分のことで精一杯になってしまっていたのだ。
新しい土地、新しい人間、学校というコミュニティでなんとか生き延びなければならないという枷。正直、研磨と鉄朗との距離感にズブズブに甘えていた私にとって、それはまるで地獄の再来だった。
新しい小学校は、陰湿ないじめが多発している、東京で通っていたところより更に少し治安の悪いところだった。下手に目立てば一斉にわかりやすくシカトされる。かといって、あまりに地味でいすぎるとそれはそれで"弱虫"と言ってターゲットにされる。
この環境は、私が最も得意としているものだ。そして────最も嫌いなものだ。
誰に対しても無難な受け答えをして、敵を作らないよう、味方も作ってしまわないよう、上手に立ち回らなければならない。仮面を上手に付け替えて、一度に何人もの"自分"を演じなければならない。
もちろん、勉強だって怠れない。委員会もクラブ活動も積極的に参加したし、先生からの心象を良くするためにみんなが嫌がるトイレ掃除も進んでやった。
いつでも、どこでも全力で。常に頭を回して、笑顔を忘れずに。
今まではそれで、ちゃんと愛してもらうことができた。
だから、これからもそれで良いのだと思っていた。決して楽なことではないけど、みんながみんな研磨や鉄朗のようにありのままの私を受け入れてくれるわけじゃないから。だから、多少の我慢は必要だ。それで良い。
────そう、思っていたのに。
「っていうかさ、今日の春香、見た? 新しいブレスレット買った〜とか言ってこれみよがしに見せつけてきたアレ」
「あー見た見た、てか普通にダサくない?」
それはなんてことのない、たくさんある中の1日のことだった。
いつも通り、一番苦手な"悪意のある笑みを浮かべながら堂々とクラスメイトをこきおろす集団"に紛れていた時、そのうちの1人が唐突にそんなことを言い出した。クラスメイトの春香がつけていたというブレスレットは、雑誌の巻頭でも紹介されている人気のアクセサリーだった。誰も本心ではダサくないと思っているのは明白で、むしろ流行の最先端を取りに行った彼女が羨ましいだけなのだ。
「華凛も見たでしょ? あれどう思う?」
嘲るような笑みと共に、私の意見を求めてくる"友人"。しかし私はきちんと答えを用意していた。
「え、ごめーん。あんまちゃんと見てないからわかんないんだよねー」
「はは、何それ。華凛マジで人のこと気にしないよね〜」
うそ。本当は人のこと、すごく気になる。
でも私は加害者にも被害者にもなりたくなかったから、いつだってこういう悪口の渦中に置かれた時には「知らない」「見てない」を突き通していた。
何事も穏便に。誰の機嫌も損ねないように、クラスの和を乱さないように。
大丈夫。私は賢いから、ちゃんとやっていける。この小さな集団の真ん中で、きちんと生きていける。
そう、信じていた。
しかし────。
「じゃあ後期のクラス委員決めを────」
「華凛で良いじゃん? いつもやりたがってるし」
始めは、そんな悪意ともわからないような小さな言葉だった。
私はクラスメイトのその発言に「私を頼ってくれている」と喜びさえ覚え、進んで委員を引き受けた。
「ねえ華凛ー、今日のトイレ掃除代わってくれない? あたし、今日新しい服着てきたから汚したくないんだよね」
「うん、いいよー」
その時、ちょっとした違和感を覚えた。
掃除当番なら、一週間前には割り振りがもう決まっている。新しい服を汚したくないのなら、今日着て来なければ良かったのに…と思ったが、私はその時点ではまだ「当番の日を忘れてたのかな」と捉えていた。
「さすがにそれは気づくっしょ」
「いやわかんないよー? あのイイコチャンのことだから、本気で困ってる顔すれば宿題くらい簡単に写させてくれそう」
「本当にそれで見せてくれたらチョロすぎて笑えるね」
「もう笑ってるじゃん」
────陰でそう言われていることに気づいて初めて、今まで善意で引き受けてきたものの全てが悪意の上に成り立っていたことを知った。
クラス委員も、トイレ掃除も、全部自分達が面倒だったから私に押し付けただけだった。そりゃあ私だって、みんなが嫌がることを率先してやろうと動いていたわけなのだから、それが"面倒な仕事"だという認識が共通のものであることはわかっていたのだが────。
その先にあるものは、感謝でも賞賛でもなかった。
私はただ、みんなに褒められたいだけだった。愛されたいだけだった。
そもそもその考え方が打算的だと言われればそれまでかもしれない。それでも、見返りを求めずに働けるほど、私は善人ではなかった。
そして、それは周りの人間も同じだった。ただ、それだけのことだった。
ひとつ面倒事を引き受ければ、「もっと面倒なことをやらせても大丈夫」とハードルが上がっていく。そのハードルは自分でも気づかないほどの差で少しずつ高くなっていき、ふと後ろを振り返った時には「面倒事を引き受けてくれる親切な人」から、「何を押し付けても良い都合の良い人」に成り代わっている。
「ていうかさ、華凛のいる意味ってそれくらいしかなくない? ちょっと愚痴っても全然乗って来ないし、好きな人がいても応援してくんないし」
だって、誰かの悪口を言ったら、誰かの敵になっちゃうから。
その恋路を応援しなかったのは、他の子も同じ人を好きになってたから。
誰かひとりを選ぶことが、私にはできなかった。
みんなの味方であることが善いことなのだと、信じていた。
そうしたら、どうだ。
全て裏目に出たじゃないか。
私の努力は一体何のためにあったんだろう。努力をした先にあったものは、一体何だったんだろう。
私のことを"都合の良い人間"だと思っているのなら、いっそそういう態度をあからさまに出してくれた方がまだマシだった。それでも、彼女達はあくまで表面上は"良い友人"として私に接して来ようとした。
だから、私も────私の方からこの悪意を返すわけにもいかず、笑顔で対応するしかなくなってしまった。
毎日、少しずつ。それでも、確実に。
酸素が薄くなっていくような、体が自分のものじゃないような────そんな気持ちの悪さが蓄積されていく。
努力をしたって、仇になるだけだ。
みんなの味方になるなんて、無理な話だったんだ。
人付き合いは苦手だった。人の顔色を窺うのは楽しいことじゃなかった。
それでも、社会において必要とされるために、私はこうするしかやり方を思いつくことができなかった。
努力をすればするほど空回っていく。
良い顔をすればするほど悪口を言われる。
どうしたら良いの。私の生き方が間違っていたの? 私の何が悪かったの?
「あの良い子ぶりっこ、ほんとムカつくんだけど」
そして、いよいよ私に宛てられた明確な悪口を聞いてしまった瞬間────。
私は、生きていることそのものが嫌になっていった。
私はきっと、もっと早くに「万人から好かれることは不可能」ということに気づくべきだった。十人十色、人にはそれぞれ違った性格があって、合う者がいれば同様に合わない者がいることなんて当たり前なのに、私は躍起になって全ての人から好かれようとしてしまった。だから私はいつも自分を解放してあげられなかったし、"自分らしさ"は他ならないそんな自分を殺すものだと思い込んでしまった。
その息苦しさが「死にたい」という明確な言葉として自分の胸に訪れたのは、小学校4年生になった頃のことだった。
それまでは生きていることが当たり前だった。呼吸をして、ご飯を食べて、眠って朝を迎えることに何の疑問も抱いていなかった。
しかし、ある時突然────本当に突然、朝が来ることが怖くなった。ご飯を食べることに抵抗感を覚えるようになった。
朝が来て、学校に行けば、また笑いながら頭を使って媚を売らなければならなくなる。やりたくないことばかりやって、自分の悪口を言われていないか聞き耳を立てて、誰かが誰かのことを悪く言っているのを聞いたら自分が同じ行動を取らないよう気をつけなければいけない。
自分の行動が自分の首を絞めていることなんてとっくにわかっていたが、それでもすぐに生き方を変えることはできなかった。今まで通り、都合の良いイイコチャンで居続けることしか、私にはできなかった。
加害者にもならないように。被害者にもならないように。
どんな些細な一言でもそのどちらにもなりうるのだということをよく知っていた私にとって、楽しいはずの友人との会話はまるで拷問を受けているかのような気持ちにさせられるのだった。そんな環境に置かれて、人生が楽しいと思うわけがない。
世界は敵だらけだ。一分の油断も許されない。言葉を選び、表情を選び、行動を選び、そうやって理性で構築された"理想の人格者"だけがこの世を渡っていけるのだ。
そんな世界に生きている意味が本気でわからない。
どうしても生きている意味を理解できなかった私は、自殺の方法を何度も調べた。練炭、首吊り、飛び降り、どれも簡単にできるものばかりで、その代わりに死の間際まで苦痛を伴うような方法ばかりだった。死ぬ勇気すら持てなかった私は、毎晩価値のなくなってしまった自分と孤独に向き合う日々を送っていた。
7歳の頃。私が私らしくあることを許されていた頃。研磨と鉄朗がいてくれた、あの頃。
あの環境が今も近くにあってくれたなら、私はもう少し頑張れていたと思う。どれだけ窮屈でも、"帰る場所"があると思えるだけで、心持ちはかなり変わるのだから。
でも、もう私にはこれ以上頑張る気力が残っていなかった。
変えられない生き方を惰性で繰り返し、そんな自分に自己嫌悪を募らせていくことしかできなかった。
ああ、あの2人ともう一度手を取り合えたなら────。
そんな風に、泣きながら毎晩そんなことを願っていた。
────そうしたら、ある日その願いが唐突に叶った。
きっかけは5年生になった時のこと。その頃には、ようやく私達子供の間でもパソコンでメールのやり取りをする文化が浸透し始めていた。
流行に敏感なクラスメイト達と早速アドレスを交換し、「学校が終わってまであの子達とおしゃべりしないといけないのか…」と沈んでいた私に、ひとつの朗報が入る。
母が(おそらくまた気を遣ってくれたのだろう)研磨のお母さんから、研磨のアドレスを聞いてきてくれたのだ。
私は5年近くかけて、ようやく直接"本当の友達"と話せる機会を得た。
努力が報われた、と思った。私が頑張ってきたのは、無駄じゃなかったんだ。
『そっち、どう?』
『一言で言うと死にたい。なんだかどんどん自分が自分じゃなくなっていくみたいで息苦しい』
『友達いないの?』
『いない。誰にも気を許せない』
研磨とのメールは、息が詰まりそうな新しい日常の中で、唯一"楽しかったあの頃"を思い出せる最大の癒しだった。頻度はだいたい1日に1往復くらい。お互いストレスにならない程度の時間差を開けつつではあったが、1年程経つ頃にはすっかり私達は一緒に過ごしていた時よりずっと饒舌に互いのことを語り合うのが当たり前になっていた。
『研磨は今もバレーやってるの?』
『うん。…まあ、クロに連れ出されてるって感じだけど』
『鉄朗は相変わらず?』
『うーん、ちょっと変わった』
『変わったって、どんな風に?』
『結局根本的なところは何も変わってないんだけど、随分明るくなったよ』
『へえ、想像できないや』
あのインドア2人が元気にチームスポーツをやっている姿なんて、とても想像できなかった。ああ、でも鉄朗は元々バレーが好きだったんだっけな。私はその片鱗しか知ることができなかったものの、彼は"人見知りのきらいがある"というだけで、"人嫌い"というわけではないのかもしれない。
『鉄朗はもう中学生だよね。連絡先とか知ってる?』
『ううん。あいつ自分のメアド持ってない』
『そっか』
別に研磨との付き合いが物足りないというわけではない…と言いたかったが、正直なところ、決して私は自分が満ちているとは思わなかった。確かに研磨との連絡手段が開通されたことで呼吸ができるようになった。でも呼吸は、人間が生きるための最低条件だ。
私は既に、"楽しい"という感情を知ってしまっている。
なんとか生きるだけではなく、また────あの3人でいた頃の楽しさを、取り戻したい。愛知で常に飢餓状態に置かれていたからか、私はそんな文化的欲求を募らせる一方だった。
会いたい。会って、早く自分を解放したい。
あの頃の私にとっては、あの2人こそが全てだった。どちらかひとりではなく、2人とも必要だった。もう一度会えるのなら会話なんてなくたって良い。ただ、私が"私"であれるあの場所に再び戻りたい。
…でも、その手段がないのなら仕方ない。研磨がいてくれるだけでも、呼吸ができるだけでもありがたいことなのだと言い聞かせ、私は半ば彼に縋るような形で生きていた。
『学校の友達って、どんな感じなの』
『7割恋バナ、3割悪口』
『面倒くさそう』
『でも会話に交わらないと、"空気読めない"って虐められるんだ。かといって、うまくかわしたつもりでも、"華凛がいてもつまんない"って言われるし…もうどうしたら良いかわかんないよ』
『華凛ならなんかうまいことやると思ってた』
『一応うまくやれてる…とは思うけど、すっごい疲れるよ。毎日死にたい』
『だろうね。おれには無理』
『研磨は相変わらずひとりでゲーム?』
『うん。本当は持ち込み禁止なんだけど、こっそりやってる』
『研磨そういうのうまそうだからなあ』
研磨はいつも、私の愚痴を聞いてくれた。メールの返事はいつも短い文章ばかりだったが、それが却って"彼は変わっていない"と安心させてくれる。
『そっちはどう? バレー、楽しい?』
『うーん、まあ、そこそこ。この間中学の見学会があったから、クロに誘われてバレー部の体験入部してきたんだけど、先輩がめんどくさそう』
『あー…体育会系って上下関係厳しそうだもんね』
『クロが下僕みたいにこき使われてるの見て、なんかちょっとやな気分になった。技術とかは尊敬できるかもしんないけど、1、2年早く生まれたってだけで偉そうにしてる奴、苦手』
『わかるなあ』
そしてたまには、私も研磨の愚痴を聞いていた。内容はだいたいバレーのこと。やれあれが面倒くさいだのそれが辛いだの、運動が好きじゃない研磨らしい些細な愚痴ばかりだったが、それでも「辞める」とは一言も言わないあたり、それなりの魅力は感じているのだろう。何よりメールのほとんどに出てくる「クロがいるから」という箇所に、私は彼がバレーと付き合い続けている本当の理由を見出していた。
良いなあ、と思う。
信頼できる幼馴染が傍にいてくれて。
『でも、研磨の趣味の幅が増えて良かった』
『まあ…つまんなくはないからね』
ぽつぽつと、時折ちゃんとした呼吸をしながら、なんとか地獄の小学校を卒業する。
しかしその先に待っていたのは、より情緒が不安定になりがちな少年少女の集まる中学校だった。
「あいつのぶりっこ、キモくね?」
「まあ、男の子に好かれて悪い気はしないもんね」
「知らない」「見てない」が通用しないことなら学んだ。でも、やっぱり一方的な悪口は言いたくないから、同調しつつも"私はそれを悪いとは思わない"という一線を引けるような言葉選びをするように心がけた。
「ねえ、真知子から聞いたんだけど、華凛って小学校の時宿題もテストも完璧だったんでしょ? 今日の数学の宿題、見せてくれない?」
「だーめ、勉強なら教えるから、自力でやんなさい」
なんでもかんでもホイホイ引き受けることが馬鹿のやることだということなら学んだ。だから、冗談めかして笑いを交えながら、私は都合の良い人間にならないラインを必死で模索した。
────正直、小学生の時以上に気を遣う毎日だった。
自分にとって一番楽な生き方を求めているはずなのに、どんどん苦しくなっている気がする。
努力の甲斐あって、小学生の時ほど「良い子ぶりっこ」と言われることはなくなった。それでも、必要以上に人の顔色を窺う癖は加速していく一方だった。
疲れる。なんてことのない日常会話ですら、頭をフル回転させないといけないなんて。
でも、そうしないと私はきっとあっという間に淘汰されてしまうだろう。
心を偽って、造られた言葉を並べ立てる自分のことなんて、好きになれるわけがない。しかしそれを止めてしまったら、あっという間に私の"価値"がなくなる。
『私って本当、空っぽな人間なんだなあ』
『別にそんなことはないでしょ』
『良い子ぶりっこ演じて、おはようのひとつでも気を遣ってないと価値がなくなる人間なんて、生きてる意味がないと思うんだけど』
『とりあえずおれの知らないところでは死なないで』
研磨はそう言ってくれるが、私はもうすっかり自分の生きている意味を見失っていた。中身のない自分のまま、報われるとも知れない努力を続けて空回るだけ。たとえそれで「ありがとう」という望んだ言葉が返ってきたとして、それは偽りの私が行動した偽りの善意だ。そんなものに対してお礼を言われたところで────虚しさを覚えるだけだった。
すっかり私の人生は倒錯してしまった。そして、そのことに気づいた時には────生き方を変えられない、どう変えたら良いのかわからない、がんじがらめの間抜けな自分しか残っていなかった。
死にたい。自分に価値が見出せない。私はこの世に生み出せないし、何者にもなれない。
その苦しみは、年を取る毎にどんどん強度を増して私の首を絞めていく。
『最近、夜になると涙が止まらなくなるの』
『眠れないなら、メール付き合うよ』
研磨はそんな私にも、ずっと優しくしてくれた。でも、自分のことが何より大嫌いだった私には、そんな善意ですら苦しく感じられてしまった。
『私、そこまでしてもらえるほどの人じゃない。研磨は…ゲームとかバレーとか、研磨の大事なものを大事にして』
『華凛のことも大事だから、同じことだよ』
放課後、研磨から送られてきたメールにふうと息をつく。
もったいないことだと思う。こんな私なんかを大切にしてくれるなんて、本当に彼は優しい人だ。それに、彼はずっと────私達が一緒にいた頃から、何一つ変わっていなかった。内気で、人と関わるのが苦手で、空気に溶け込むのが上手。根幹に持っている性格は同じはずなのに、空回りして外面だけ取り繕うことが癖になってしまった私とは、大違いだ。
変わらずにいられることって、とんでもない美徳だと思う。
『研磨はすごいよ。憧れる』
『すごくないよ。ただ華凛と比べて少し鈍感なだけ。ゲームやってればだいたいのストレスは解消できるし』
『ストレスとの付き合い方を知ってるって、すごいことだよ。他人に寄りかからないで、自分の足で立つって、思ってるより難しいと思う』
『華凛に言われるとほんとにそんな気がするかも。ありがと。でも、みんなのために頑張ってる華凛の方がすごいと思うよ』
『そんなことないよ』
『あるから』
本当に、そんなことないのに。
私はそんな彼に愚痴を零すことで、「華凛にもちゃんと価値はあるよ」と言われたいだけなんじゃないだろうか。だんだんと研磨から掛けてもらえる優しい言葉に重圧を感じ始めていた折────。
「あっれ、華凛なに、彼氏とメール〜?」
授業の休み時間に研磨へのメールの返信をしていたら、目敏く私の手元に気づいたクラスメイトが、バグった距離感で私の携帯画面を勝手に覗き込んできた。
「そんなんじゃないよ〜、東京の幼馴染と近況報告してたの!」
「え、でもこれ宛先…コヅメ…ケンマ? 男子だよね? え、男子と頻繁に連絡取り合ってんの?」
こういう瞬間、嫌いだ。研磨は大事な幼馴染で、人として大好きだっていうそれだけなのに。性別が違うだけで、とかくそこに特別性を持たせたがるのはどうしてなんだろう。
でも、でも、我慢しなきゃ。この世界でちゃんと価値を提供していくために、私は"笑顔"でいなきゃ。
「いやいや〜、男子って言っても、ほんとに子供の時の知り合いだから。私はすぐに引越しちゃったし、好きとかそんなのないって!」
「えー、なんか華凛って全然そういう話ノッて来ないよね〜」
あ、まずい。
研磨とのことを否定しすぎたせいで、今彼女、ちょっと冷めた。
こういうところで顔色を窺ってしまうのが良くないことなのだとはわかっている。でも、ここで生きていくためには、私はこんな"つまらない不毛な会話"にも乗っていかなければならなかった。
なんて息苦しいんだろう。なんて────生き苦しいんだろう。
「うーん、でも3年の宮崎先輩とかなら格好良いな〜って思うよ?」
「わっかる! 宮崎先輩は別格だよね! でもなんか他校に彼女がいるって聞いたよ〜? やっぱ良い男ってすぐ売れてくんだよね」
「あー、もうしょうがないよねー」
良かった。なんとか彼女の機嫌は取れたようだ。
それから彼女は、まだ彼女がいない男子の中でなら誰が狙い目か、という話を一方的に聞かせてきた後、どこかへと消えて行った。
良かった。今日も"目をつけられずに"済んだ。
────私、いつまでこんなことしてるつもりなんだろう。
いつまで私は────誰かの顔色を窺って、自分を偽って、この酸素の薄いところで生きていかなければならないんだろう。
生きていたくない。でも、自ら死ぬ勇気もない。
いっそ今日の帰り道、赤信号で突っ込んできたトラックとかに派手に撥ね飛ばされてしまえば良いのに。
『研磨に会いたい』
『ていうか、うちに置いてった本、いつ回収してくれるの。華凛以外誰も読まないよ』
『ごめん。売っても捨てても良いよ』
『だから待ってるって言ってんじゃん』
『あ、そういう話?』
唯一何も変わらない研磨とのこんなわかりにくいやり取りだけが、私を生かしている。バレーを始めて、鉄朗が変わったとも言っていて────私は心の中で何度か、研磨も変わってしまっているのではないかと思っていた。私に調子を合わせてくれているだけで、本当はいつまでもこんな湿っぽい人間と付き合うことを苦に思っているのではないかと。私が苦しいと言う度に優しい言葉を掛けてくれるから、尚更そんな悪い予感が何度も脳裏を過る。
でも、彼とのメールが途切れることは一度もなかった。こうやって直接会いたいと言うことはなくても、彼はいつだって私の"帰り"を待ってくれていた。
私の知っている研磨は、気を遣って誰かのために自分の行動を選ぶような器用な人じゃない。だからきっと、彼は彼なりに私とのあの幼い頃の思い出を大事にしてくれているのだろうと────信じていた。そう、信じたかった。
そうして、愛知に引越してから8年経った頃。
「東京に引越すことになったわ」
────私は再び、東京へと戻ることになった。
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