18



『華凛ー、地獄の合宿初日を頑張った俺に一言』
「あ、はい、おつかれさまです」
『機械みたいな労いどーも』

何が寂しくなる、だ。静かになったと思った途端にこれだ。
研磨達が埼玉へと旅立った日の夜、突然鉄朗から電話がかかってきた。何か緊急の用だろうかと思い慌てて出たところ、第一声がこれである。無言で切らなかった私を褒めてほしい。

「ていうか、声からして全然地獄感ないよね。本当に頑張った?」
『ひどくね? 確かに地獄は言い過ぎたけど、頑張らないとかいう選択肢はねーぞ』
「言い過ぎた自覚はあるのね」

忘れ物したから届けに来い、とか言われなくて良かった。とはいえこちらは特に話すようなこともないので、適当に切り上げるタイミングを見計らいながらベッドに寝転がる。
しかし、鉄朗は夜になっても元気いっぱいだった。本当に頑張った?

『────んでさあ、まだ昼前だっつーのに木兎が腹減ったってうるさくて』
「待って待ってさっきから登場人物が多すぎてついていけない。え、ボクト…さん? そちらはどこのどなたでしたっけ?」
『梟谷の2年だよ。ほら、言ったろ、全国でも10本の指には入る程すげえ奴だって。でもまだ5本には入らない』
「何の張り合い?」

私なんて今日は昼過ぎに起きてだらだらと動画を見て早めのお風呂に入ったらうっかり長風呂しちゃった、くらいの出来事しか起きていないというのに、30分経っても鉄朗の話はまだ午前中に留まっていた。こちらが大した相槌を打たずとも、彼の言葉はまるでその私の沈黙すら好機とばかりにねじ込まれてくる。しかもそれがそこそこ面白いから、切るに切れない。

まあ、明日も特に用事があるわけではないし。鉄朗への抵抗感も薄れてきているし。ここで遠のいていた距離をまた縮める機会だと思えば、悪い時間ではない。

『そんで昼休憩終わりってなったらみんな集合すんじゃん? でもなーんか人数少ないのよ。そしたら生川の人達の顔がサァーッてどんどん青ざめてくわけ』
「…それで?」
『3年のひとりが仮眠取ったまま熟睡モードに入ってましたってオチ。しかも常習犯』
「っはは、3年なのに?」
『むしろ3年"だから"、って感じだったなあれは。いやマジ自由人ってああいう人間のこと言うのね。研磨も大概自由だと思ってたけど、ありゃすげえわ。全国で5本の指に入る自由さ』
「あ、そのくだりまだ続いてたの」

こんな感じで夕方までの練習風景を事細かく聞かされ、ようやく1日が終わるという頃には1時間半も経っていた。

「ていうか、鉄朗今合宿所でしょ? こんな長電話してて良いの?」
『多分明日にはバレます』
「…やっぱり良くないんだね」
『まあ、初日は初日ってことで割と緩いから、今日は大丈夫。でも明日からは20分くらいに短縮されると思うんだわ、ごめんね』
「あ、いえ、むしろ0秒でも全く気にしていないので」
『俺お前のそういう突然絶対零度に下げてくるテンション嫌いじゃないよ』
「まあ電話してくれるのは良いんだけどさ、ほんとに大丈夫? こういうのって、"みんな"で過ごすものじゃないの?」
『────いつも"みんな"でいなきゃいけないわけじゃねーよ』

合宿じみたイベントなんて、学校の修学旅行しか経験がない。しかも小中どちらの修学旅行でも、私の周りの女子達は常に誰かと一緒にいないと死んでしまう病に罹っているかのごとく集団行動を重視していた。そんな中で例に漏れず私は非常に息苦しいと感じていたわけなのだが、世間一般的に見れば彼女らの方が"普通"なのだということはわかっているつもりでいた。

ただ、私が"みんな"と言うことに過剰反応しているのか、気を遣ったつもりでそう言った瞬間鉄朗の声がわかりやすく優しくなる。

『この電話切ったら俺も"みんな"のとこに戻んないといけねーし。集団行動強制されてる期間だからこそ、各々"ひとり"の時間も大事にしてんの』
「ふーん…」
『研磨なんて飯食って風呂入ってソッコー姿消したからな。小うるさい先輩方はまーた何か文句言ってるみたいだけど、2年以下は研磨の好きにやらせてやろうやスタンスだから、今あいつのこと絶賛匿い中。どこにいると思う?』
「知らないよ」
『2年部屋の押し入れ』
「…ネコ型ロボットか何かなの?」

駄目だ、どうしても笑いが漏れてしまう。
ツッコミを入れながら小さく笑っていると、鉄朗が満足そうに長い息をついた。
そして────。

『…うし、じゃあ今日も心置きなく死ねるな?』
「うん…は?」

そんな爆弾発言を落としてきた。

「死ね…え、なんて?」
『死にたい華凛に優しいお兄さんからの1日1回死なせてあげましょうサービス』

待って、一言も意味が理解できない。

『言ったろ、せめて死ぬ時くらい楽しい思い出残してから死のうやって。もし今晩華凛が急に死にたくなって首吊ったとして、最後に思い返すのが辛いことじゃ俺もお前もやりきれねえだろ。だから俺の目の届かないうちは、楽しい話で盛り上げてやっていつ死んでもお互い悔いが残らないようにしようと画策したわけ』
「…またメチャクチャなことを言う」

言葉の意味なら理解したが、相変わらず鉄朗の言うことは"わけがわからない"の一言に尽きる。しかし鉄朗は自分の行動に一切の疑問を持っていないらしく、私が文句を呟いても軽やかに笑い飛ばすだけだった。

『ちなみに明日まで頑張って生きてたら、明日はもっと楽しい話を聞かせてやろう』

あ────。

今、生きろって言われた気がする。

「…今日の"楽しい話"は8割ボクトさんの話だったみたいだけど。明日の"楽しい話"は鉄朗の努力でどうこうできるの?」
『そりゃもう、俺にかかれば研磨がランニングしたって話だけで3時間保たせられますよ』
「ふっ、詐欺師みたい」

こんなに優しい延命措置は、初めてだ。

「…ありがとね」
『お安い御用ですよ。じゃ、また明日な』
「忙しかったらかけなくて良いから」
『ほぼ確で暇だからかけるわ』

そう言って、彼は私が電話を切るまで無言で待っていてくれた。電話を切るまで3秒、電話を切ってから5秒、最初から寝転がっていた私の元に、とんとん拍子で睡魔がやってくる。
ああ、朝が怖くない日なんて、随分と久しぶりのことのように思える。たったの1時間半で私の1日が好転してしまったなんて知られたら、きっと鉄朗はまた────調子に────乗って────。





『研磨が頑張ってランニングしました』
「…はい、計測しました。3秒です」
『流石にランニングだけで3時間は無理だわ』
「いや自分が言ったことでは?」





『今日も木兎がさ〜〜〜』
「研磨のランニング談議が盛り上がらないからって木兎さんの話題で繋ごうとしてるでしょ」
『間違ってはいない。間違ってはいないけど別に悪いことじゃないよね!? なんでちょっと責め口調なの!?』





『日刊ボクト。今日の見出しはこちらです』
「大事なセットポイントのところで特大ホームランをぶちかました」
『惜しい! より正確に言うと今日の最終試合のセットポイントです!』
「ニアピンにも程がある」





『えー…』
「そろそろネタがなくなってきたんでしょ。良いんだよ、無理にかけてこなくて」
『何言ってんだよ、華凛こそだんだんこの時間が楽しみになってきてるくせに』
「その無駄に自信ありげな態度、好きじゃない」
『そこは"嫌いじゃない"って言うところ!』





『よう! 黒尾が毎晩迷惑かけてて悪いな!』
「あっ…ええと、ご挨拶したことありましたよね…その、すみません、お名前が…」
『ああ、夜久だよ、夜久! あいつが休憩中ずっと唸ってるから理由聞いてみたらさ、"定時報告の内容がない"とか抜かしてきやがるから、ちょっと変わり種投入ってことで今日は俺がかけてみた!』
「そんな…夜久さんにまでご迷惑を…」
『いやこっちの方こそごめんなー。ウザいだろ、こいつ』
『おい、もうお前代われ』
『あ? お前がウンウンうるせえからちょっとでもお通じ良くしてやろうとしてるだけだろ! わかったらとっとと便所でも行ってこいこの便秘野郎!』
『華凛の前でそんなお下品な言葉使わないでもらえますぅ〜? 鉄朗君はお化粧室に行かない系男子なんで〜』
「…夜久さん、すみません。鉄朗に戻していただけますか」
『お? おお、じゃあな、風邪引くなよ!』
『………』
「………どうぞお手洗いに行ってきてください。では」
『待って!!!! ごめんって!!!! せっかく最後の夜なのに!!!』

日を経る毎に、自分の表情筋が柔らかくなっていくような気がした。喉も滑らかになり、少しだけ夜更かしをするのが楽しみになった。
たかが1週間、されど1週間。この短い期間の中で、私は確かに彼と会話できるこの時間のことを少しだけ待ち遠しく思うようになってしまった。8年前の付き合い方とは微妙に異なるかもしれないが、その代わり確実に新たな付き合い方を会得しているこの感覚。別人と話しているような錯覚は未だに拭いきれないが、それについてもむしろ私は"今の鉄朗"がだんだんと"昔の鉄朗"に上書きされていっているのではないかと考えるようになっていた。

1日1回、私は安らかに死ぬ。
そして、気持ちの良い朝を迎えて、また夜に死ねる時を待つ。

生産性がないと言われたら確かにそうなのかもしれない。何が何でも人生に価値を見出さなければならないと思っていた自分から、まさかこんな言葉が出るとは思いもしなかった。

このくだらない時間が、楽しい。

彼らを送り出してから1週間後、私はそれ以前よりほんの少しだけ前向きな気持ちで、バレー帰りの幼馴染と向き合うことができるようになっていた。

「はい、第2回夏休み宿題作戦開始〜〜〜〜〜〜」
「それ本当に合宿帰りにやること?」
「やっぱり私は必要なくないですか?」









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