12



「研磨、体調はもう大丈夫なの?」
「うん、1日寝たらすっかり」

翌日、研磨は何事もなかったかのように無気力な姿で登校してきた。まあ…彼が元気そうにしているところを見たことがないので、本当にちゃんと治ったのか、その言葉だけでは判断できない。ただ、疲れの反動で熱を出しただけならそう長引くこともないだろう。

────私は結局、研磨のお見舞いには行かなかった。鉄朗はああ言ってくれたが、体調の悪い時に私みたいな生きる屍が行ったところで、余計に悪化させてしまうだけのような気がしたのだ。

「昨日、放課後にクロが来たんだけどさ」
「うん」
「朝、華凛と2人で学校行ったんでしょ。大丈夫だった?」

研磨が私の心配をしてくれるなんて珍しい。病人に気を遣わせてしまうなんて、悪いことをしたなと思う。

「大丈夫だよ、割と慣れてきた」

実際には慣れるどころかどんどん心の壁が厚くなっているような気がしていたのだが、ただでさえ私と鉄朗の間で板挟みになってしまっている研磨にこれ以上の心労をかけてはいけないと思い、笑顔で答える。研磨はしばらく私の顔を探るように見ていたが、それ以上のことは言わず「そう」とだけ言った。

「じゃあ私、ちょっと次の授業で先生に聞いておきたいところあるから先に行くね」
「うん」

まだ何か言いたげな研磨をひとり残し、私はいそいそと特別教室棟へ向かう。
朝一緒に登校しただけで心配をかけるなんて、私、よっぽどひどい拒絶反応を示してたんだろうなあ…。いや、自覚がないわけではないのだが…。
とにかく、研磨とは"今まで通り"に付き合うと決めたのだから、そこに鉄朗というイレギュラーを入れてお互いの日常を乱すわけにはいかない。

そのくらい頑張れ私。とにかく鉄朗は空気で良い。私の世界には、これまで通り研磨のことだけを入れて────「おーい、華凛」

────と、思っていたのにだ。
今まさに存在を薄めようとしていた人の声が私を呼ぶものだから、私は必要以上に体を跳ねさせてしまった。

いけない、周りを歩いている人のことなんて見ていなかったせいで、完全に虚を突かれた。立ち止まることと振り返ることを同時にやろうとした瞬間、校舎の曲がり角の壁に思い切り肩をぶつけてしまう。

「ったぁ…」
「ぶっは! 今のめっちゃ痛そう!!!」

言われずとも十分痛かった。そしてこのタイミングで声を掛けられたことによって私の心もダメージを受けた。

なんで毎回毎回この男は思いもしないところから突然私の心を抉って来るんだろう…。

「鉄朗…そういう時はたとえポーズでも心配するものだよ…」

鉄朗は、私の知らない先輩らしき男の人と3人で歩いて来るところだった。ガン無視して去ってやりたかったところだったが、仕方なく軽い調子で合わせてやると、調子に乗った鉄朗が急に顔を紳士的な笑みに切り替えてさっと手を差し伸べてくる。

私、別に転んだわけじゃないんですけど。肩を思いっきりぶつけただけなので助けの手は要らないんですけど。というか、あなたとはそもそも会いたくないのでとっととどこかへ消えてほしいんですけど…。

「大丈夫でしたか? お嬢さん」
「違うそうじゃない」

私達が不毛な茶番を繰り広げている間、鉄朗が連れていた2人の先輩は興味深そうに私と彼と交互に見ていた。

「…あの、何か…?」

特に私とそう身長の変わらない先輩の方がしげしげとこちらを見つめてくるので、私は一旦鉄朗から目を逸らす。

「あ、無遠慮にジロジロ見ちまって悪い。お前が黒尾の幼馴染か」
「あ…はい…一応」
「俺、夜久衛輔! こっちは海信行! よろしく!」

…よろしく?

「…よろしくお願いします。白鉦華凛です」

一応先輩の方から挨拶されてしまったので(夜久さんが勝手に紹介してきたもう一人の坊主頭の先輩も、優しそうな笑顔で軽く会釈をしてくれた)、こちらも礼儀知らずになってしまわないようぺこりと頭を下げる。ただ…正直なところ、あまりよろしくしたくないというのが本音だった。しかもこの言い方、まるで鉄朗から私のことを予め聞いていたように思える。鉄朗と一緒にいた時期なんてたったの1年弱、彼の方からすれば幼馴染と呼べるほど馴染んでいないはずなのに。
この人達、なんだろう。鉄朗のクラスメイトかな。そうすると鉄朗はただのクラスメイトにまで私の話をしているのか? なんで?

「次の授業、特別棟? 研磨は?」
「後から来ると思うよ。私は先生に用があるから、早めに出てきた」

「じゃ、急ぐから」と言って早々に別れを告げ、私は先輩達からいそいそと逃れる。「肩、気ぃつけろよー」という鉄朗の言葉が掛かったが、それに応えて振り返ったらまたぶつけそうだったので、今度こそ無視することにした。

その日の昼休み。

「……………………」
「オイ、嫌がってんの顔に出てるぞ」

私は"秘密基地"で、鉄朗と本日二度目となる邂逅を果たしてしまった。
なんで? 初回に出くわしてから一度もここで彼の姿を見ることはなかったのに。他にめぼしいところも見つからなかったから、いよいよここを私だけの牙城にするつもりでいたのに。しかもよりによって会うの、今日二回目。このうるさい顔は一日一回…いや、一ヶ月に一回見るだけで十分だ。…と思っていたら、それがちょっと顔に出てしまっていたらしい。

「別に、嫌がってないよ」

急いで余所行きの顔を捻り出し、あたかもその場を通り過ぎようとしただけですよ〜と言うつもりで、立ち止まりかけた足を再び動かす。

「…その先、剣道場しかないけど。そっちに用でもあんの?」
「………………」
「華凛ってさ、俺のこと相当嫌いよね」

…それは自分で言うことなんだろうか。そしてバレていたのか。
嫌いではない、嫌いではないが…あんまり関わりたくないと思っているのは、事実だ。

「嫌いじゃないよ」
「嘘つけ。俺と会うたんびに逃げる言い訳探してんの、ミエミエだぞ」

自分が避けられているとわかっているのに、鉄朗の言い方は実にあっけらかんとしていた。私としては隠していたつもりだったのだが、人の心の機微に敏いところだけはどうやら変わっていなかったらしい。

迷ってしまったのは、こちらだった。

どうしようか。
否定を続けて、当たり障りのない関係を続けようか。

いや、でも…。
鉄朗、クラスの人にまで私の話してるらしいしな…。これからもこんな調子で度々出くわして、その度に笑顔を貼り付けるのも面倒だ。

元々私が誰とでもそつなく仲良くなれるように練習していたのは、集団の中にいるとどうしても浮いて出る"悪意"に晒されないようにという、それだけのことだった。褒められたい、愛されたい。たとえそれが偽りの自分に向けられる感情だったとしても、自分が消耗していくだけだとわかっていても、私はとにかく争いを生まず、できる限り多くの人に幸福感を持っていてほしかった。

ここで、鉄朗と当たり障りのない関係を続けることによる"ストレス"と"満たされるとも知れない彼の多幸感"を天秤にかける。
そうしたら、一瞬で片方のおもりがガタンと音を立てて落下した。
鉄朗は間違いなく、私が猫被っていることを知っている。その状態でどれだけ上手に付き合えたとしても、きっとお互いそこに真心はこもらないだろうし、彼を良い気持ちにさせてあげられる自信もない。私自身、何度も思ったことだ────どうせ私のことが嫌いなら、いっそ態度でそう示してもらった方が楽なのに、と。
間違いなく、どちらにとってもこのままその場凌ぎの付き合いを続けるストレスの方が大きい。

人に攻撃的な言葉をぶつけることには慣れていない。しかし、これ以上鉄朗に一秒とて煩わされたくないと思う気持ちの方が勝ってしまった私は、腹を括って彼に本音を打ち明けることにした。研磨だって「嫌なら嫌って言って良い」って言ってたし。大丈夫、だよね? ここまでお膳立てされているなら、むしろここで良い顔を貫くっていう方が無理な話だよね?

「嫌いじゃないけど…………あんまり関わりたくない」

よし、言った。言ってやった。
これで私が無理に鉄朗のノリに合わせてあげる必要もなくなるし、鉄朗だって気を遣って会う度私に声を掛ける必要だってなくなる(はず)。私ひとりに嫌われたところで大したダメージもあるまい。さあ、わかったらさっさと受け入れて距離を置いて────「で?」

……で?

「……で、とは?」
「いや、なんかもっと悪口出てくると思ったから。そんだけ?」

そんだけ…って、それだけで十分ではないのか?

「この際だからぜーんぶぶちまけちゃって良いんですよ。私のこと忘れるなんてこの恩知らず! とか、あんたのことなんてもう顔も見たくない! とか」

不自然に甲高い声で、ご丁寧に顔まで作って…これは私の真似でもしたいんだろうか…とにかく、鉄朗は全くダメージを受けている様子がなかった。それはそれで良かったのだが、私としては別に"関わりたくない"以上のことを言うつもりはなかったので、却って彼の方から出される罵倒のオンパレードに思わずたじろいでしまう。

「────なんだ、俺って自分で思ってたほど嫌われてないじゃん」

一通り思いついた言葉を言い切ったのか、何も返せずに棒立ちになっている私を置いて一人芝居を完遂してみせた鉄朗は、ふうと息をついて空を仰いだ。

「初っ端で余所行きの対応された時から"やらかした"とは思ってたのよね。ただ最初は、忘れてたことも忘れるくらいもっかい仲良くなれれば問題ねえかなーとか考えてたわけよ。まあ俺が甘かったわけなんですが。さっきも言ったけどお前、俺と会う度にすぐどっか行こうとするからさ。結構これって根深いんじゃね? 俺、いたいけな少女に一生モンの傷負わせたんじゃね? とか思ってたわけ」
「…それで私にしょっちゅうちょっかいかけてきてたってこと?」
「なんか俺がチャラ男みたいな言い方すんのやめてくれる? ふつーに何の下心もなく仲良くなりたかっただけですよ、俺は」
「でも今、自分は嫌われてるって言ってたじゃん」
「願望と現実は別物でしょ。俺は仲良くしたかった。でもお前は俺のことが嫌いだと思ってた。ただそんだけのことで、なーんにも矛盾してない」

鉄朗の口調は拍子抜けするほどさっぱりとしたものだった。私と仲良くしたかった、とは言うが、こうも軽やかな態度を取られてしまうと、それが本当なのかというところをまず疑いたくなってしまう。

でも、「思ったほど嫌われてなかった」と言った時にだけ、彼は確かにほっとした顔をしていた。張りつめていた空気が抜けたように────それまで彼が緊張していたことにも私は気づいていなかったのだが────「関わりたくない」と言う最大限に突き放すような言葉でさえ安堵を与えるものに替わるほど、彼はどうやら私との関係を悲観的に捉えていたらしい。

「…だって鉄朗、私が覚えてる鉄朗と全然違う人になってたんだもん」

────それを見ていたら、私もその場を立ち去る気を失った。
私はただ鉄朗とどう接したら良いのかわからなかっただけなのであり、彼を傷つけたいわけではなかった。関わりを持ちたくなかっただけなのであり、彼に要らない気を遣わせたいわけではなかった。

鉄朗の隣に腰掛け、黙していたこの3ヶ月のことを語る。

「忘れちゃってるみたいだけど、鉄朗って研磨と同じくらい人見知りで、物を喋らない子だったんだよ」
「…まじで?」
「私さ……まあこの際だから本音で言っちゃうけど、みんなが居心地良く生きていけるようにひとりで頑張るぞー、なんて大きいこと考えてたんだよね。変な方向に努力して、自分を犠牲にして、誰かを幸せにして────それで、その結果褒められようと、愛されようと必死になってたの。馬鹿みたいでしょ、"誰かのため"って聞こえの良い言葉を免罪符にして、そこで勝手に自分を犠牲にするなんてさ。でも…私にとって自分の価値を示せるところなんてそれくらいしかなくて。だから人の顔色ばっかり窺って、どうしたら喜ばれるか、どうしたら好いてもらえるか…ってそればっかり考えててさ。でもそれって結構疲れることで────なんとなく、息苦しいって思ってた」

鉄朗は私が突然自分語りを始めても、茶化したりすることはなかった。真面目な顔をして、私の話を聞いてくれる。

「でも研磨と鉄朗は、私が"私"のままでいても全く気にしないでいてくれた。本ばっかり読んでても嫌いになったりしないし、バレーが下手くそでも褒めてくれた。だから私にとって、あの1年は…すごく短かったけど、今まで生きてきた中で一番楽しい時間だったんだ」
「…そんな大事なことを忘れてたってわけね、俺は」
「そう。忘れてたどころか、なんかもう別人になってた。ペラペラ喋るし、胡散臭いし、ウェーイだし」
「ウェーイって」
「だから、今の鉄朗とは関わりたくなかったの。関わりたくないっていうか、関わり方がわからないって言った方が正しいかな。研磨は"根っこのところは変わってない"って言ってたけど、私にはそうは思えなかったから」

そう言って鉄朗の表情を確認すると、彼は思ったより真面目な顔のまま私のことを見つめていた。

「…何か異論、ある?」
「いんや、ない」

軽く首を振って、降参とばかりに両手を小さく挙げる。

「────つまり、華凛には今の俺が、"媚びた態度を取らないと不快な思いをさせる…もっと言っちゃえば媚びないと自分が嫌われる"対象に見えてるってわけね」
「まあ、まとめるとそうなるかな」
「だいたいわかった。研磨にだけ愛想笑いがない理由もよくわかった。あいつは今も基本的には単独行動を好んでるし、周りが何をしてようが基本気にしないしな。華凛にとっちゃ、ありのままを愛してくれる…もはや唯一の人間になってたってわけだ」

…なんだかすごく変な感じがする。鉄朗の話をしているはずなのに、当事者がまるで他人事のようだからだ。

「でも、これでお前が内心何を考えてるのかわかったし、俺的には今の話を聞いてもなおお前とまだ仲良くしたいと思ってるんだけど、どう?」
「って言われてもなあ。そもそもそこまでして歩み寄る必要、ある?」

"歩み寄る"こと自体が、私からすればパーソナルスペースを侵害する行為のようなもの。研磨のように元からその距離感が出来上がっているのであればともかく、いつかも言った通り、私は今更鉄朗とまたいちから関係を構築しようという気にはなれていなかった。

(…本当に、そう思ってる? 本心から関わりたくないのなら、彼の姿を見ていちいち動揺したり寂しさを覚えたりなんて、しないんじゃないの?)

「それがあるんだなあ」

二分された心の狭間で戸惑っていると、鉄朗が朗らかに笑ってそう言った。

「何度も言ってるでしょ、俺はお前と仲良くしたいの」
「────なんで?」

そこまでして、忘れた元幼馴染に執着する理由がわからない。

それでも鉄朗は、私に笑いかける。────まるで、初めてバレーボールに誘われた、あの日のように。

「俺がお前のこと、好きだから」









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