いつから



孝支とは、小学校の頃からの付き合いだった。
彼は誰とでも仲が良くて、いつも外でサッカーやらドッジボールやら、毎回違うメンバーと忙しそうに遊んでいるタイプの子だった。反して私はどちらかというとインドア派で、女友達と交換日記を交わしたり、ひとりで読書をしているのが好きな方だった。

そんな正反対の私達だったが、家が近かったからだろうか、お互いの仲は誰よりも良いという自負があった。近所のおじさんやおばさんからはしょっちゅう「兄妹みたいだね」と言われていたし、そうするといつもどちらが兄かどちらが姉かということで小競り合いになる。私達はどちらも同世代の中では大人っぽい方だ、なんて言われていたが、そんな2人が顔を突き合わせると途端に精神年齢が下がるこの現象が、私は好きだった。

「はー、散々遊んだ後になまえの隣来ると落ち着くなー。なんかこう、実家帰って来た時の気分」
「今も実家暮らしじゃん」

彼は学校が終わった後、よく私の家にも遊びに来ていた。一緒にテレビゲームをやったり、面白いと思った漫画を交換したり、気が済むまで遊んでからうちで夕飯を食べてから帰る、なんていうこともしょっちゅう。
私にとっては、孝支が隣にいてくれることこそが日常で、当たり前だった。

その付き合いは、中学に上がってからも続いた。
孝支はバレー部に。私は生徒会にだけ入り、お互いに忙しい毎日を過ごす。
それでも帰る時間がかち合った時には、必ず一緒に同じ道を歩いていた。

「みょうじと菅原って付き合ってんの?」

一緒にいる時間が増えれば当然そんなことを訊かれる回数だって増えて行く。私達はその度に笑って「付き合ってないよ」と答えていたが、むしろ私にとって彼はいつかできるとも知れない恋人なんかよりずっと大切な存在だった。
ただの幼馴染と言われればそれまでかもしれない。でも、小さい頃からずっと一緒で、どれだけ苦しいことがあっても共に乗り越えて最後には笑顔に変えられる────そんな相手は、孝支以外いなかったし、必要だと思ったこともなかった。

「いつか孝支に彼女ができたら、こうやって一緒に帰ることもできなくなるのかなあ」
「ははは、何年後の話してんだよ」
「わかんないじゃん。もし明日登校中にトースト咥えた超絶美少女と曲がり角でごっつんしたらどうするの?」
「何その面白い展開! すぐなまえに報告する!」

大きな口を開けて笑う孝支は、本気でまだ自分に彼女ができるなんて考えていないようだった。でも、少しずつ年を重ねるにつれ、誰にでも優しくて爽やかな笑顔のよく似合う彼に想いを寄せる女子が増えていっていることを、私は知っていた。

「菅原君ってどんな子が好きなんだろう…今告白したら流石にフラれるかな?」
「無理じゃない? だって菅原君、いつもなまえと一緒にいるし…」
「あれで付き合ってないってほんと? 付き合ってるわけでもないのにあんな近いなんて、女子泣かせも良いとこだよね」

そんなあまり良くない話を陰でされていたことだって、一度や二度のことじゃない。その度に私は孝支のことを本気で好きな女子のために身を引こうかと考えるのだが、孝支はその話をしても全く気にしていない様子だった。

「付き合わないと傍にいちゃいけない? 付き合うつもりもない不特定多数の子のために、一番仲良い奴と距離取るとか、俺はちょっと嫌だな〜」

そう言われると、何も言い返せなくなってしまう。
結局つかず離れずのまま、私達は中学を卒業しようとしていた。

「なまえ、烏野受かった!!」
「私も!! …ってことは、また同じ学校?」
「おー、これからもよろしくー」

嬉しそうに笑う孝支と、新しい制服のお披露目会をして。入学前の簡単な課題も当然の如く一緒に終わらせて。そして私達は、いつも通りぴったり足並みを揃えて新しい場所に足を踏み入れた。

「孝支はバレー続けるの?」
「もちろん! なまえは?」
「私もまた生徒会やろうかなあ。中学の時、結構楽しかったし」
「似合う似合う」

お互いにフィールドは違っていても、帰るところは同じだった。だから、私は今まで通り孝支の隣に居続けられるものだとばかり、信じて────。

「なあ、聞いた!? 男バレにあの清水がマネージャーとして入ったんだって!!」
「え、清水ってあの!? 烏野ナンバーワン美女の!?」

信じて────。

「菅原〜お前意外とやるよな〜。この間1組の田辺から告られたんだろ〜」
「しかもさっき見てたぞ、今日も下駄箱に"放課後屋上まで来てください"って手紙仕込まれてたの!」

信じて────。

「信じてたのに!」
「え、なにごと」

入学してから3ヶ月ぶりにようやく帰る時間がぶつかった。すっかり仲良くなった様子のチームメイトと顔面国宝・清水さんに軽く手を振って私のところまで来る孝支は、会うなり脈絡もなく奇声を上げる私を驚いたように見ている。

「高校上がった途端色気づいちゃって! 清水さんめっちゃ美人だし! 田辺ちゃんは可愛いって有名だし! そうでなくたって放っておくとすぐ告られてるし! 私なんか────」

私なんか、高校に上がってから1回もそんな話、持ち掛けられたことないのに。

「どうしたどうした、ご乱心か」

孝支はまだ私が何か冗談を言っているとでも思っているようだったが、残念ながら私は大真面目だった。

「別にこの年になってまで孝支を独り占めしようとは思ってないけどさ! なんかちょっと悔しい!」

孝支に彼女ができたら、こんな風に一緒にいられなくなっちゃうのかな。
いつか考えた、そんな寂しい未来が頭を過る。
わかっている。この文句だって、半分はモテない自分の単なる僻みだ。

孝支と私は、同じだって思っていた。そんなことあるわけないとわかっていても、心のどこかでいつまでも2人とも独り身のまま、なんとなく家族っぽい距離感を維持して楽しくやっていけるのだと信じてしまっていた。

でも、あるわけないことはどこまでいってもあるわけがない。
いつか孝支には可愛い彼女ができて、私と過ごしている時間をその子と過ごすようになって、ゆくゆくは誰かと結婚して、私とのこの短い16年なんかよりずっと長くて濃い新たな"日常"を、その誰かさんと築いていくんだ。

残念ながら、私の孝支への想いは恋心じゃない。一緒にいることが当たり前で、これからもそれが続くと何の疑問もなく言い切れてしまうような、そんな脅迫じみた信頼関係だ。
傍から見ればこの関係が恋よりもっと純粋で、根深くて、厄介なものだということはわかっている。今時性別を持ち出して云々言いたくはないが、それでもやはり私が女で孝支が男である以上、"恋人よりも近い友達"という距離感が周りをどれだけ翻弄するかはそれなりに理解しているつもりだ。

それでも、私はまだ孝支に離れて行ってほしくなかった。
小学生の喧嘩を本気でできる、この唯一の存在を、手放したくなかった。

「愛されてんな〜、俺」

そんな我儘を吐き出したら、孝支は実に満足そうに空を仰ぎながら笑った。

「大丈夫だって。俺、まだしばらくはなまえの隣にいるつもりだし」
「清水さんに告白されても断れる?」
「……ちょっと考えさせて」
「ほらー!! そうやってすぐ裏切るー!!」
「うそうそ!! 断る断る! てか清水は"みんなの清水"だから!」
「何それ理由になってなーいー!!」

ぎゃーぎゃー喚き散らす私に、孝支は最後まで「誰とも付き合わないよ」「俺はなまえのことが一番大事だよ」と言い続けてくれた。
…私達、同じだよね。この関係に"恋心"がなくたって、一番近いところにいられるよね。










「もうお前その不毛な片思いやめろって。今まで何人間接的に玉砕させられてきたと思ってんだよ」

ある日の生徒会の仕事終わり、教室に忘れ物をしていたことに気づいたので取りに行こうとしたところ、自分のクラスの中から数人の男子生徒の声が聞こえてきた。あまりにもその声が悲壮感に溢れていたので、なんだか邪魔をしてはいけないような気がして、こっそり話が終わるまで扉の傍で待つことにする。

「もう都市伝説並になってるの知ってる? みょうじを落とすには菅原を倒してからじゃないと進めないっていう」
「何その使い倒されたゲームみたいな設定」
「いやマジなんだって。みょうじに告ろうとするとなぜかいつも菅原の邪魔が入るんだよ。ほんとに」

廊下の窓から見える雲の形を何に喩えようか考えていたら、唐突に自分の話が始まった。つい咽せてしまいそうになるところを、ぐっと堪える。

今…なんて…? 私に告白しようとしたら孝支の邪魔が入る…?
いや、でも私、今まで全くそんな現場に立ち会ったことがなかったのに…。恋愛と無縁すぎてこの間それを孝支に漏らしたばかりなのに…。

「なあ、3組の柏田の話、知ってる?」
「もうこれ以上俺を落ち込ませるのはやめてくれ…」
「潔く諦めろって言ってるんだよ。まあ聞けって。あいつも例によって"菅原なんて関係ねえ、俺はみょうじと付き合ってみせる!"って息巻いてたらしいんだけど」
「もうその時点で笑える」
「笑えねえよ…」
「呼び出そうとしてうちのクラスに来た時さ、何を言うより先に菅原が出てきたんだって。んで、なんて言ったと思う?」

柏田君とやらが私のことを好きだったらしいということにも衝撃を受けたが、私はそれ以上にクラスメイトの彼が次に何と言うつもりなのかが気になってしまい、息を潜めたまま男子達の会話に耳をそばだたせていた。

孝支が、私に告白しようとしてくる男子に何かしているらしい。
それは俄かには信じがたい話だったが、それを話している男子は確信を持った声で孝支の声真似をし始めた。

「"なまえを渡す気はないんだわ、ごめんな"って。笑顔で」
「全っ然爽やかじゃねーじゃんあいつ!」
「てか何を言うより先にってとこが怖いんだけど。なに、みょうじに近づこうとすると自動的に菅原が出てくるやつ?」
「お前は菅原とクラス違うからわかんないかもしんないけど、俺らの中ではもう暗黙の了解よ。菅原はヤバい。幼馴染気取ってちゃっかり隣確保してるけど、誰よりもみょうじガチ勢だから」

それ以上は堪え切れなくなり、私は忘れ物を捨ててその場を急ぎ離れた。
私を渡す気はない? 私に近づこうとすると孝支が出てくる? 誰よりも、私に本気────?

いや、でも私だって、孝支に彼女ができたら寂しいと思ってる。いつも私がいるはずの場所を、彼女じゃなくたって────他の女の子にも男の子にも、取られたくないって思ってる。
そうだ。私達の場合はたまたまそれが"男女"の距離だから周りからはそういう風に見えるというだけで、その"ヤバさ"は当事者にとってみれば何の違和感もない"日常"だ。私への告白を邪魔しているらしいという噂には驚かされるところがあったものの、孝支が抱えている想いだってきっと私と同じ、"今の2人の距離感を壊したくない"っていう、ただの幼馴染としての────。

「なまえー? 仕事終わり?」

焦りながら校門の方へ急ぎ歩いていたその時、体育館の方からちょうど孝支がやって来るのが見えた。

「あっ…うん、そう」

根差す感情は同じだと信じている。それでも、先程までの緊迫した男子の声が、私にありもしないはずの"もしも"をずっと想起させるのだ。
孝支が、私に────"そういう意味"で、執着しているのではないかと。

「なんか顔色悪くねえ? 体調悪い?」

10年以上の付き合いともなれば、異変に気づかれるのも早かった。これまで孝支に隠し事をしようと思ったこともなかったので、この時ばかりは演技の勉強をしてこなかった自分に腹が立って仕方なくなる。

「いや…その…」
「なーに、言いにくいことがあるならほら、息を思いっきり吸って〜」

孝支は私の背に手を置き、自分も大きく息を吸った。つられて肺に酸素を送り込むと、思い切りその背を叩かれる。

「はい、息と一緒に言葉を吐く!」
「孝支が私宛の告白を邪魔してると聞きました!!!!!」

あ。つい。

二酸化炭素と一緒に、どう隠そうかと画策していた言葉を吐き出してしまった。そんなところまで含めて、私という人間のことをよく理解している、と思ってしまう。
孝支は私の言葉を聞くと、しばらく目を瞬かせてその場に直立した。そんなことを突然言われるとは夢にも思っていなかったのだろう、「え…あ…」と珍しく狼狽えている。

「…バレた?」
「…さっきクラスの子達が話してるの聞いちゃった。でもあれだよね、この間私が言ったみたいな…その、いわゆる悔しさ的なアレっていうか、私達ってニコイチだよねみたいなそんな感じのアレだよね…?」

何もやましいことなどないのに、なぜだか弁解口調になってしまう私。矢継ぎ早に言葉を紡ぐのは良いが、だんだんと自分が何を言いたいのかわからなくなってきてしまった。

「…あー…その、バレたんなら正直に言うわ」
「…うん」
「あのね、俺────」

孝支は私の背から手を離すと、もうひとつ深い呼吸をしてから切なげに笑った。

「お前が思ってるほど"良い友達"じゃないよ。そんでたぶん…そいつらの言ってるニュアンスの方が、合ってる」

────え?

「大丈夫だって。俺、まだしばらくはなまえの隣にいるつもりだし」

この間、孝支に言われた言葉が蘇る。
あれは孝支に彼女ができることを寂しく思った私を宥めるために言ったことだと思っていた。

でも、今彼は、自分のことを"私が思ってるほど良い友達じゃない"と言った。
そして、"クラスの人達の言っているニュアンスの方が正しい"とも。

それって、それって────。

「ごめんな、"ただの幼馴染"が邪魔してるって知ったら、お前が嫌がると思ったから黙ってたんだけど。でも俺は、お前が知らない奴に取られる方が嫌だったから」

孝支は困ったように小さく笑うと、嘘のようにそれを引っ込めて────好戦的な表情で私を見下ろした。日頃の爽やかで温和な表情など、そこにはない。少しばかりの欲すら孕んだ熱っぽい視線が、私の眼を焦がしていく。

こんな孝支、見たことない。

「俺はずっと、本気だったよ」

私だって、冗談だったことなんて一度もなかったよ。
でも、私達の"本気"のベクトルが違っているなんて、思ったこともなかった。

私はずっと、孝支は唯一無二の幼馴染で、誰よりも良い友人で、隣にいてくれさえすればもうそれだけで良いって思っていて────。
でも、彼はそうじゃなかった。そうじゃなかったんだ。

隣にいるだけで良いなんて、そんなものじゃなかった。
彼はずっと────ずっと私のことを────。

ねえ、待って。

ずっとって────。

「────いつから?」

そう問いかけた私の言葉は、夕焼けの空に消えていった。
孝支はいつも通りの、"私のよく知っている笑顔"で笑うだけだった。









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