小さな愛にありったけの重みを



自分で言うのもどうかと思うのだが、私は愛情表現をするのが苦手だった。
面と向かって好きと言えない。自分から抱き着くなんて以ての外。

だから、いつも私は彼の素直な愛情表現に甘え続けていた。

「なまえ〜、よーしよし、今日も可愛いな〜」

…これが恋人への愛情表現として正しいのかは、ひとまず置いておこう。

「黒尾、近い」
「彼女なんだから別に良くねえ? っていうかいつになったら名前で呼んでくれるわけ? 俺は付き合い始めたその日からなまえのこと名前で呼んでましたけど? ていうか脳内では付き合う前からずっとなまえって呼んでましたけど?」
「うん、とりあえずうるさい」

付き合ってから3ヶ月────私は、彼の下の名前すら呼べずにいるままだった。

このままで良いのだろうか、とは思っている。でもいざ本人を目の前にすると────。

「今日こそなまえに好きって言われたいです」
「それは強請って言わせることじゃありません」
「正論が痛い」

至極真面目な顔をしながら不真面目極まりないことを言うので、つい素直になる前に捻くれた言葉が出てしまうのだ。

「でもさあ、そろそろ乙男心にも譲歩してほしいって言うかぁ」
「乙男心って何」
「乙女心とおんなじ。好きな子には好きって言われたいし、名前で呼ばれたいし、なんなら不意打ちでハグとかしてくれたら俺、もう死んでも良い」
「不意打ちで鈍器投げるとかならできるけど」
「それはガチで死ぬからやめて」

私の周りをうろうろしては際限なく喋り倒している黒尾と、合間に短くて冷たい言葉を吐く私。周りから「本当に付き合ってるの?」と訊かれることだって、しょっちゅうだった。

一応、こっちだって好きだし、それを伝えたいとは思っているんだ。ただあのうるさい顔を見るとつい罵倒してしまうというだけで…いやその顔も好きなんだけど…なんだろう…これが動物的習性というものなのだろうか。

今朝も結局黒尾には何も彼女らしい優しい言葉を掛けられないまま、半ば彼を振り切る形で自分の教室に駆けこんでしまった。朝練のない日はいつも、2人の行き先が重なる地点で合流し、一緒に登校している。そんな刹那の合間にも彼はいつだって間隙なく私のことをいかに愛しているか語ってくれているのに、私はいつも応えられていなかった。

「────なんかもう俺、好かれてる自信ねーんだけど…。別れよっかな…」

教室に入った途端、聞こえてきたのはそんな会話。思わずそちらの方を振り向くと、クラスの男子が3人集まって悲壮感を丸出しにしていた。

「え、でもいつも一緒にいんじゃん」
「一緒にいる"だけ"な。手繋ごって言っても"人前じゃやだ"って言われるし、」
「それ人前じゃなきゃ良いってことじゃん」
「全然好きとか言ってくんないし」
「メンヘラか」
「笑った顔が見たくて冗談言っただけなのに、絶対零度の目で見られたし」
「単純に面白くなかったんだろ」

わんわんと喚いている男子以外の2人は実に冷静に(非情にともいえる)彼のネガティブな言葉を一蹴していたが、私は────。

────とても、他人事とは思えなかった。

「でもさ、そこまで感覚合わないんだったら、ほんとに別れればいーじゃん。女はよく"追うより追われたい"とか言うけどさ、こっちからしたら"捕まえたいから追う"わけでしょ。何したって捕まらないんなら、もう追っても意味ないって」
「あ、やっぱ? 俺別れるべき?」

そして、彼らの会話は「別れる」という方向性でまとまってしまった。

…捕まらなかったら、追っても意味がない?

いや、でも考えてみたらそれはとても当たり前のことのように思えた。
好きだから付き合って、好きだから好きだって言っているだけなのに、相手から何の反応もなかったら────そりゃあ、伝える側だって冷めていく一方だ。こちらを振り向かない相手にいつまでも尻尾を振っていられる人間がごくごく少数であることは、この年なりによく理解している。

どうしよう。私は黒尾と別れたいわけじゃない。ただそれが表に出ないだけなのであり────こっちだって、彼のことが大好きなのだから。

苦手なんて、言っていられないかもしれない。
好意を伝えるのが恥ずかしかったからっていう理由だけでフラれるなんて、それこそ惨めじゃないか。

よし、頑張ろう。
今日こそ伝えよう。ちゃんと名前で呼んで、「好きだよ」って言って、そっと彼のことを抱きしめよう。










その日の放課後、こちらの部活が終わる頃、ちょうど体育館からも男子バレー部の面々が出てくるところを見かけた。黒尾もほぼ同じタイミングでこちらに気づき、チームメイトに手を振ってこちらに駆け寄ってくる。

「今終わり? 偶然じゃん、一緒に帰ろうぜ」
「ええと…うん」

どうしよう。どのタイミングで言おう。黒尾はいつもいつ言ってくれてたっけ────あ、朝一で毎日言ってくるじゃん。え、もう朝終わっちゃったんだけど。私のタイミングなし?

いやいや、今日はせっかく一大決心をしたのだ。必ず今日中に伝えてみせる。朝一が駄目なら、帰り際の最後だ。そうだ、「じゃあな」って言われた時に、こっちも「じゃあね」の代わりに「好きだよ」って言えば良い。そうしよう。

ただ、いざその時間が近づくにつれ、私はどんどんそちらの方に意識が向かってしまい、黒尾の言葉が比例するように耳に入らなくなっていっていた。

「────でさ────が────で────」
「うん、そうだね」

もはや自分がどの場面で相槌を打っているのかすらわからない。
どうしよう、次の角を曲がったら、そこが分かれ道だ。私の処刑台が────あっ、処刑台とか言っちゃった────私の…晴れ舞台? が…近づいてくる…。

「────とまあ、こっちは今日そんな感じだったわけなんだけど」

角に差し掛かったところで、黒尾が足をぴたりと止める。それに合わせて立ち止まった時、私は初めて自分の右手右足と左手左足が一緒に出ていたことに気づいた。

「────なんか今日、お前変じゃね?」
「そ、そんなことないっ、よ」
「うそうそ、黒尾くんにはなんでもお見通しなの。ほら、吐けよ。今なら楽になれるぞ」

口調は優しいのに、怖いほどの圧で190センチ近い大男が私を見下ろしてくる。その笑顔が怖くて、言おうと思っていた言葉がひゅんと胃の奥に引っ込んでしまったようだった。

まずい。今言わないとお別れなのに。そしてそれが本当の"お別れ"になってしまうかもしれないのに────。

嫌だ、それは嫌だ。なんだなまえ、好きって言うだけだろう、一回言ったらさっさと逃げてやれば良いんだから、勇気を出すんだ。

「あの、ですね」
「はい」
「実は話がありまして」

話なんてありませんけど! 一言伝えるだけなのに何をもったいぶってるんですか私は!

「…はい」

ああ、待って、心なしか黒尾の顔が険しくなってる気がする。ごめんって、今頑張るって…。

「その…ずっと言おうと思ってて言えなかったんだけど」
「……」
「あのね、私────」
「ちょっと待って、嫌だよ」

好きだよ、と言うために吸った息は、そのまま何も音を出さずにひゅうと宙に漏れた。

…嫌だ?

え、なんで? 私に好きって言われたいって…今朝言ってたばっかりなのに…。
まさかあれ、冗談? ていうかそれじゃあ、黒尾の今までの「好き」もひょっとして全部────?

「俺、お前と別れたくない」
「……………はい?」

暫くの熟考時間を要した上に、私の口からは過去一番間抜けな声が出た。

「別れたく…え、なんで?」
「え、そっちこそ…別れたいって言うつもりだったんじゃねえの?」

私達の間に、気まずい沈黙が降りる。

じゃあ────何、「嫌だ」って言ったのは────。

「…多分それ、勘違い、です」
「は?」

黒尾の方から言うならともかく、私の方からそんなこと言うものか。普段愛情表現がうまくできない代わりに、2人の関係を悪化させるような発言だけはしないようにと最大限気を遣ってきたのに。

「その…実は今朝…」

────ただ「好きです」とだけ言い逃げするつもりだったのに、思わぬ方向から出鼻を挫かれたせいで、私は結局今朝小耳に挟んでしまった不穏な噂をいちから話す羽目になってしまった。

「と、いうことで…」
「俺がお前から"好き"って言ってもらえないから別れを切り出すと思った、と?」
「はい…」
「バッカだなーお前、ほんとバカ。俺がそんなことで別れるとか言うわけないじゃん。俺はどんだけ反応なくても毎日好きって言える自信ありますからー、そこら辺の薄情な男と一緒にしないでくださーい」

貶されるように言われているのに、私はそこでどっと安心してしまった。

「てか、別れるって言われたくないから"好き"って言う、っていうのも俺としては複雑なんですけど」

反面、黒尾はどことなく不満げな顔だ。これもまた乙男心がどうのという話なのだろうか。
いや、でも────事実別れたくないがために、相手を引き留めるがために好意を伝えるのは些か不誠実だというその意見にも、納得はできる。

ただ、そうではないのだ。
確かにきっかけは今朝の会話だったかもしれない。

それでも、私は────。

「ううん、違うの。本当はずっと言いたかった。でも私、そういうの…うまく伝えられないし、なんというか…黒尾の顔見てると、なんか楽しくなっちゃってつい売り言葉に買い言葉を返しちゃう方が先に出るっていうか…その、だから」

前からずっと好きだって言おうと思ってたよ。

勇気を出して今度こそ、と思ったその言葉は、黒尾の腕の中にすっぽりと納まってしまった。言葉を私の体ごと抱きしめた黒尾は、私の頭上でようやく笑ってくれる。

「ほんとかわいーな、お前。別に無理して言わなくていーよ。俺、お前の塩対応結構好きだし。そういう照れ屋なとこも全部可愛いって思ってるし」
「で、でも…」
「言おうとしてくれただけで嬉しいよ。ありがとな」

抱きしめたまま、ぽんぽんと頭を撫でてくれる黒尾。その手があんまりにも優しくて、普段なら「近い」とばっさり切り捨てるはずのところなのに、私の胸がきゅうと一回り縮んでしまう。

「まあ、長い付き合い…にしたいと俺は思ってるし、今はそうやって伝えようとしてくれただけで十分だわ。いつの日か名前呼びとハートマーク付きの"好きだよ"を自然に言ってもらえることを目標に、男磨きます」

そう言うと彼は私の体を離し、「じゃあまた明日な」と笑って去って行こうとした。
その笑顔が好きだ。くだらない冗談ばっかり言うくせに、肝心なところではどこまでも甘やかしたがりで優しいところも好きだ。私のことよりついバレーを優先させてしまうそんなひたむきさだって、好きだ。

私、黒尾の────鉄朗の、全部が好きだ。

だから。

「────好きだよ、鉄朗」

言われっ放しじゃ、いられない。

「そうだ、来週の練習試合も、がんばって。一番応援してるから」

私だって、伝えたい。何度も繰り返しては言えないけど、その代わり、その1回に精一杯の愛を込めるから。だから、伝わって。

黒尾は一歩踏み出したその姿勢のまま、数秒固まった。
どうしよう。聞こえていない…わけじゃないのだろうけど、後ろ姿が反応が確認できない。

あ、やっぱりタイミング間違えた? 言わされた感出しちゃった? そんなんじゃないんだけど────あ、そうだ。

今日のミッション、名前呼びと好きって伝えることと、それから。

私は動かない黒尾の背後に忍び寄り、そっと自分から震える腕を回してみた。広い胴は私の短い腕じゃ囲い切れなかったので、せめて少しでも接地面積を広くしようと背中に頬をくっつけてみる。

「…一応、ちゃんと誠意込めてるんだけどな」

駄目押しでそう言うと、黒尾の手が片方は自分の顔面に、そしてもう片方は私の手に添えられた。

「…黒…鉄朗?」
「ちょっ…………………と待って、今情報処理してるから」

見上げると、彼の耳は真っ赤になっていた。
ぱっと腕を放し、勇気を出して彼の前に回り込む。すると彼は、体中を真っ赤にしながらその大きな手で少しでも顔を隠そうとしていた。

「待って、あんま見ないで、はずい」
「…照れてる?」
「照れるでしょ! 世界一可愛い彼女が勇気出して名前呼んで好きって言って抱きしめてくれたんですよ!? 俺今日死ぬんじゃね!? 大丈夫かな! 体中の血管ブチ切れてねえ!?」

ひとしきり喚いた後で(私はその間どう反応したら良いかわからなかったので、ひたすら黙っていた)、彼は長い溜息をついた。その頃にはもう体の赤みも顔だけに治まっており、呼吸も自然なリズムに戻っていた。

「────ねえ、今のもっかい言って」

そして、彼は平常心を取り戻すなり、今までで一番キラキラと目を輝かせながら私の肩をきゅっと掴んだ。

「今のすっげえギュンってした。もうキュン通り越してギュンってした。俺の彼女マジで宇宙一可愛い。ねえ、もっかい!」

さっきまであんなに照れていたのに、そして私はそんな姿を可愛いと思ってしまったのに────。立ち直った瞬間、これだ。
こんなのって、ないよ。結局私が負けるに決まっているじゃないか。遅れて彼の恥ずかしさがこちらに伝播した私は、自分の頬がかあっと熱くなるのを感じた。

「〜〜〜〜〜っ、うるさい、帰れ!」

そう言い捨てて、私は慌ててその場から逃げ出す。

やっぱりまだ、自然に言えるまでには相当な時間がかかりそうだ。
でも、この小さな一回が伝わってくれたなら────良かった、と思う。貴重な照れ顔も見れてしまったしね。

私もいつか、笑って彼に愛を囁けるよう、女磨きを頑張ろうっと。









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