Happy Prewedding



※大4くらい(ふんわり)、月島は一人暮らしの設定





「田中、本当に良かったねえ」
「それより俺は清水が田中に応えたのが不思議でならない」
「スガ、多分それは今言うことじゃないと思う」

それは、6月にしては珍しくよく晴れた日のことだった。
高校時代の部活でとてもお世話になった潔子さんと、微力ながら2年間マネージャーの立場から支えてきた田中さんの結婚式。その席に、私達元烏野バレー部の皆が呼ばれていた。

「潔子さんと田中さんの結婚式だって! バイトお休み入れておかなきゃ! 蛍君も行くよね?」
「まあ…お世話にはなってたし、一応」

招待状をもらった後、いつもの時間に蛍君の家に行く。ちょうどその時蛍君も招待状に目を通していたところだったので、2人揃って『慶んで参加させていただきます』と返事を出したものだった。

────かくいう私も、蛍君とは高校時代の時からお付き合いしていた。交際にこぎつけるまでに何度も喧嘩をしていた私達も、こうして大学生になった折には随分と落ち着いた。喧嘩の数もめっきり減ったし、毎週末はこうして蛍君の家に転がり込んで2人で過ごすようにしている。学生という身分上同棲はまだできないものの、できるだけお互い一緒にいられる時間を増やそうとしている意識は窺える。

良いなあ、結婚式。私も、いつかは蛍君と────。

神聖な結婚式を終え、今は賑やかな披露宴の歓談の時間。
真っ先に2人の元に駆けつけたのは、田中さんがずっと尊敬していた1年上の澤村先輩、菅原先輩、東峰先輩。それから田中さんととても仲の良かった西谷さん、縁下さん、成田さん、木下さん。あとは入部した時からずっと彼を慕っていた日向、影山、山口、蛍君、それから谷地ちゃんと私────まあ、要は烏野が数年ぶりに悲願の全国出場を果たした時のベストメンバーだった。

私と谷地ちゃんは主に潔子さんとお話をしていた。

「潔子さん…世界で一番綺麗です…」
「ふふ、ありがとう。2人もドレス、とっても似合ってるね」

普段はクールで人を寄せ付けないような空気を纏っているけど、私達後輩マネージャーにはとても優しく接してくれた潔子さん。田中さんが潔子さんのことを一途に想い続けていたことは皆知っていたので、誰もがそんな2人の結婚を心から喜んでいた。

ただ同時に、高校時代には誰も、今こんな未来を迎えることなんて予想していなかった。
だって潔子さんは、田中さんにいくらアプローチをされても頑なに乾いた態度でしか返していなかったのだから。

「潔子さん、菅原先輩じゃないんですけど…どうして田中さんと結婚しようと思ったんですか?」

ずっと思っていた素朴な疑問をこっそり尋ねると、潔子さんはたまに見せる悪戯っ子のような顔で笑ってみせた。

「ずっと私のことを好きでいてくれたことが嬉しかったの。それに高校時代は"選手"と"マネージャー"だったから私情を挟みたくなかったんだけど…実は私も、田中のひたむきで前向きで一生懸命なところはずっと良いなって思っててさ。私にはないものを持ってる人だったから」
「ほあー…」
「キュンキュンする…」

潔子さんの曇りのない笑顔に、思わず心肺停止しそうになってしまう私と谷地ちゃん。
こちらが静かに熱い話を繰り広げている傍ら、新郎側の方は見るからに騒がしくしているようだった。

「ほら、飲め飲め!! でも脱いじゃダメだぞ!!」
「す、スガ…その辺にしないと田中が死んじゃうよ…」
「うわーーー田中さん一気飲みしたーーー!!!」
「それでこそ男だぜ、龍!!」

ワイワイとみんなが大声を上げている中、蛍君だけがいつも通り静かに立っていた。

「月島君は相変わらずクールですね…」

本当に脱ぎ出そうとしている田中さんを1年上の先輩達が押さえている様を見ながら、谷地ちゃんが感心したように呟く。

「次はなまえちゃんの番かな?」

すると、青いドレスの潔子さんが私の方を見てからかうように笑った。

「いやっ…そんな、私達なんて…」
「え、でもなまえちゃん、週末は必ず月島君の家に泊まってるんでしょ? 大学を出た後は本格的に同棲を始めるって聞いたけど…」
「どこ情報!?」
「山口君」

ということは、蛍君が山口にそう言ってたってことなんだろうか…。

「でも…私、そんな話してもらったことないよ…」
「2人なら大丈夫だよ。近くで見ていられたのは1年しかなかったけど、短い代わりに濃い時間を共有してるから、わかる。月島は、なまえちゃんのことが本当に好きなんだと思うな。そうでもなければ、毎週家に上げたりなんてしないよ」

潔子さんが励ますようにそう言ってくれた。谷地ちゃんも隣で首がもげそうなほど強く頷いている。

「ほら、仁花ちゃんも赤べこになってる」
「わっ、私は3年見てきたからっ! 月島君のあんな顔、なまえちゃんの前でしか見られないから!」
「あんな顔って?」
「あのですね、ええと、こう…ほわぁっていうか、お花が咲いたみたいな感じです! ついでに少女漫画のあのキラキラ〜って光が舞う表現も入る感じです! 言葉には出てないしわかりにくいんですけど、月島君の周りの半径50cmくらいだけ画風が少し変わります!」
「あはは、画風が変わっちゃうんだ」

谷地ちゃんの言葉を受けて、こっそり新郎側の方にいる蛍君を盗み見る。するとちょうど蛍君もこちらの方を見ており、ばっちりと目が合ってしまった。
彼が何を思って私を見ていたのかは知らないが、こちらは会話が会話だったので、少しだけ気まずく思ってすぐに視線を逸らしてしまう。そうこうしているうちに、潔子さんの職場の人がお祝いを言いに来てしまったので、私と谷地ちゃんは自分のテーブルに戻ることとなった。

その後、余興で澤村先輩達と一緒にダンスを踊り、潔子さんからご両親への手紙が読まれ、花束を渡し、披露宴はお開きとなる。とても素敵な結婚式だった。世界で一番、幸せそうに見えた。

最後、よく似た大きい2つの笑顔に見送られながら、私達は会場の外へと出て行く。その頃にはもう日も暮れていて、淡い月が顔を覗かせていた。
2人の意向で二次会は開かれないということだったので、澤村先輩達が勝手に「このまま飲み行くかー」なんて日向達を連行していた。

「月島はどうする?」
「僕はここで帰ります」
「おー、みょうじさんは?」

ちらりと蛍君を見ると、彼は早くスーツを脱ぎたいとでも言いたげにネクタイに手をかけていた。私の視線に気づいたのか、地面から目を離して、色素の薄い綺麗な瞳が私を捉える。

「────私も、帰ります」

谷地ちゃんじゃないけど、3年一緒にいたから、わかる。
今蛍君、なんとなく私に「一緒に帰ろう」ってシグナルを発してきた。

────蛍君は、あまり自分から言葉を発する人じゃない。誰かを煽ってる時だけとても生き生きしているけど、それ以外はだいたい表情も変わらない。そんな蛍君のことを見つめ続けて、追い続けて、言葉がなくても言いたいことがわかるようになってきたのは本当に最近のことだ。

生暖かい先輩達の視線に見送られながら、私はさっさと家路につこうとしている蛍君を慌てて追いかけた。

「蛍君、待って」

声をかけても、止まってくれるわけじゃない。でも、少しだけ歩幅が狭くなった。

ヒールを鳴らしながら隣に並んで、いつもより少しだけ近く感じるその横顔を見上げながら、思い出すのはさっきまでの豪華な式のこと。

「潔子さん、とっても綺麗だったね。田中さんもなんだかいつもよりぐっと男前に見えちゃった。ご飯もすっごく美味しかったし、私、酔わないようにお酒の量コントロールするの大変だったんだ」

基本的に返事をしてこないのがいつものことなので、私も大して気にすることなく喋り続ける。あの曲が懐かしかった、潔子さんが美しかった、中座している時に流れてきた高校時代のムービーで泣いてしまった、潔子さんが美しかった、デザートのケーキをおかわりしてしまった、潔子さんが────。

「清水先輩が綺麗だったのはわかったから」

何度言っても言い足りないと思っていたのに、そういう時だけ口を挟まれる。

それに、

「もう"清水"先輩じゃないよ」

あの人は、"田中潔子"になったのだ。

なんだかムズ痒いなあ、と我が事のように思ってしまう。自分の名字が変わるって、どういう感じなんだろう。今まで20年以上私は"みょうじ"としてやってきたから、想像ができないや。

私も、いつかあんな風に裾の長いドレスを着れるかな。ああやってたくさんの仲間に囲まれて、たくさんおめでとうを言ってもらって、おいしいご飯とお酒を食べて、大好きな人と永遠の幸せを────。

大好きな、人と────。

「────なに、どうしたの」

つい考え込んでいたら、これまで止まらず喋り続けていた私の言葉がいつの間にか消えてしまっていた。蛍君が怪訝そうに見下ろしてきたことでそれに気づき、慌てて笑顔を作る────あ、私、今表情さえ何も浮かべてなかったんだ。

「な、なんでもないよ」

いけない、つい感化されて自己投影してしまった。

そりゃあ、私は今でも蛍君のことが好きだ。
第一印象はあまり良くなかった。嫌味で、冷たくて、笑顔なんて人のことを嘲る時くらいにしか見られなかったから。

でも、蛍君は決してそれ"だけ"の人じゃなかった。

抜群に頭が良い。意外と負けず嫌い。気を許した人とは結構喋る。陰の努力家。
そして、とってもわかりにくいんだけど────時折、優しさが顔を覗かせる。

知れば知るほど好きになっていく、そんな人に出会えたのは初めてだった。
恋をしたあの日から、蛍君への憧れは消えるどころかその勢いをどんどん増すばかりだ。

だから私は────あくまで私は、これからも蛍君と一緒にいたいし、できることなら今日の潔子さん達みたいに皆に祝われながら永遠の愛を誓いたい、なんて夢を見てしまう。

ただ────それを蛍君がどう思ってるかは、知らない。

「────蛍君はさ」

彼はいつも黙って私の前を歩いていた。今こうして並んでいるのだって、私が「蛍君が一緒に帰ろうって言ってる気がする」って思っただけのことだ。彼の方から私に好意を伝えてくれたのは、1年生が終わる頃の春、一度だけ。

「ああいうの…憧れたり、しない?」

自分の声が妙に裏返ってしまっているのが恥ずかしかった。
どうしてこのタイミングで訊いてしまったんだろう、と遅まきながら後悔する。少なくとも、私がさっきまでのお祝いムードに呑まれていることだけは事実だ。普段より少し高いヒールと、少し露出した肌、気合いを入れた髪とメイクが、私の心を嫌に浮かせている。

でも、私は浮かれると同時に────少しだけ、不安になってもいた。

花嫁さんってとっても綺麗。羨ましい。
一番好きな人と、一番綺麗な場所で、一番綺麗な格好をして、世界で一番お祝いしてもらえるの。そこには笑顔しかなくて、自分のことをわかってくれている仲間に囲まれて、明るい未来を描くの。

私もいつかああなりたいな。
いつかあのキラキラした場所に、誰よりも幸せな顔をして立ってみたいな。
蛍君と一緒に、「誓います」って言ってみたいな。

そんなよく晴れた青空のような気持ちにかかる、小さな雲。

蛍君は、どう思ってるんだろう。
本当はこんな風に思ってるのが私だけだったりしたらどうしよう。
蛍君の言いたいことなら些細な表情や挙動の変化で理解してるつもりでいた────もしそれが、ただの"つもり"に過ぎなかったらどうしよう。

この日々が、"なんとなく続いているだけ"だったとしたら。
わざわざ別れるのも面倒だからって思われているのに、それを私が「拒まれないってことは好かれてるってことだ」って勘違いしていたとしたら。

灰色の雲が、少しずつ胸に広がっていく。

そうして────。

「────あんまり」

前を向いたまま答える蛍君の言葉を聞いた瞬間、しとしとと雨が降り始めた。

「……そっか」

急にヒールを脱ぎ捨ててやりたい衝動に駆られた。大声で叫んで走り出したいのに、返せた言葉はひどく力ない。

あんまり。

やっぱり、そうだったんだ。
蛍君は────私と一緒にこのままいるつもり────あんまり、ないんだ。

そりゃあそうだよね。学生時代の恋愛なんて遊びだってよく言われるし。付き合いたい人と結婚したい人は違うとも言われるし。
私が一方的におめでたい雰囲気にあてられてただけだったんだ。そう思ったら、変な期待を抱えながら潔子さんと谷地ちゃんと楽しくお喋りしていたさっきまでの自分が、とても惨めなものに思えてしまった。

今日のお式に行かなきゃ良かった、なんてそんなことは言わない。でも、黙って一緒に帰るか、澤村さん達と飲みに行っておけば良かった。

それから私達は無言のまま電車に乗り、蛍君の家に一番近い駅まで過ごし、改札を抜け、静かな夜道を歩いていく。

人通りの少ない道に出たら繋ごうと思っていた手が、ぶらぶらと宙に揺れる。同じ歩幅で歩いているはずなのに、なんだか置いてけぼりを食らったみたいだ。
私の心はどんよりと重たく淀んでいるのに、現実の空は悲しくなるほど澄み切っていた。6等星くらいまで見えてしまいそうなほどの星と、明るい満月が笑っている。

私とこれからも一緒にいる気がないことならはっきり言えるのに、どうして「別れよう」とは言ってくれないんだろう。蛍君に限って彼女を途切れさせたくないから、なんてことは考えてないと思うけど────いや、でも私はさっき似たような期待を裏切られたばかりだ。もう何も、彼のことで自信を持って言えることなんてない。

着替えも化粧品も「どうせここに帰って来るんだから」って全部蛍君の家に置いて行ったりしなければ良かった。そうじゃなかったら、今頃私はとっくに自分の家に帰るべく反対側の道を歩いていただろうに。

家に帰ってからも、私は必要以上の口は開かなかった。蛍君が何も言わないので、いつも通りお風呂を借りて同じベッドに入ったけど、心の中ではこの時間が早く過ぎてしまえば良いと思っていた。
朝になったら、すぐに帰ろう。少し頭を冷やしたい。

────ここで別れよう、って言えたら、格好良いのかな。
でも私からは言えないよ。だって私、今でも蛍君のことが大好きだもん。

「────なんか今日…っていうかさっきから、静かじゃない?」
「そうかな? はしゃぎすぎて疲れたのかも。おやすみ」

会話を短く切り上げて、ごろんと蛍君に背中を向ける。とても眠れる気なんてしなかったけど、私はわざと息を静かに長く吐きながら、寝ているふりをした。

「────……」

嘘をついたつもりだったけど、疲れているのは本当だったみたいだ。このまま永遠に朝が来ないんじゃないかと心配になったのはほんの少しのことで、私はいつの間にか眠りの底に落ちていた。

夢の中で私は、白いウェディングドレスを着ていた。
隣にいるのは蛍君。
山口と谷地ちゃんが、私の親より大声で泣きながら何かを叫んでいる。
見知った顔がたくさんあった。そのどれもが、笑っていた。
何より、自分が一番大きな笑顔を浮かべていた。

荘厳で華やかな教会の中、向き合う私達。
蛍君の顔は、見たことがないほど優しい色を乗せている。

脇にいた神父さんが何事かを言うと(なぜか言葉は聞き取れなかった)、蛍君がそっと手を差し出した。その指が摘まんでいるのは、私の指のサイズに合わせられた小さなシルバーのリング。

────ああ、なんでこんな夢を見ちゃってるんだろう。ほら、私、夢の中なのに泣き出しちゃった。
夢の中の私は笑いながら泣いていた。とても幸せそうだ。感覚がないせいか、視点はちゃんと自分なのに、どこかそれを俯瞰しているような気持ちだ。

現実が悲しいからって、夢で報いれば忘れられるとでも思っているんだろうか。
馬鹿だなあ、私。本当に馬鹿。

左手の薬指に、ゆっくりと指輪がはめられる。それは恐ろしいほど私の指にすっぽりとはまっていて、それが嬉しくて────苦しくて。

「────!」

私が何かを言った。蛍君が、それに反応して何か頷いている。
ねえ、今私は何を言ったの? 何て言ったら────蛍君に、そんな顔をさせられるの?

要らないよ。こんな夢を見ちゃったら、起きた時に余計虚しくなるだけじゃん。
早く覚めて。早く、私を無慈悲な現実に引き戻して────。

「────……」

強く願ったお陰だろうか。その瞬間、私の視界は見慣れた蛍君の狭い部屋の天井に戻って来ていた。体はベッドに横たわっていて────なんと情けないことに、私は現実でも泣いてしまっていた。

もうその涙がどの感情からくるものなのかわからない。そっと隣を見ると、蛍君は珍しく私より早起きしていたようで、人ひとり分のスペースがぽっかりと空いていた。

「…だよね」

そうだよね。こっちが現実なんだ。
私を待っていてくれる人はいない。私を望んでくれる人はいない。

5年以上続いた恋愛ごっこの末路なんて、こんなものだったんだ。

せめて蛍君に気づかれる前に涙だけでも拭おうと何の気もなく右手で目を擦る。
その時。

「痛っ…」

何か硬いものが、閉じた瞼にぶつかった。

「なに…────」

その違和感の正体を探ろうと目を開いた瞬間、私はその場で完全に硬直する。

右手の、薬指。

昨日までは何もなかったそこには────まるで夢の中にまだいるかのような────シルバーの指輪が、はめられていた。

「────え!?」

思わず声を上げて、左手を確認。当然のことながら、そちらの手には何もない。
まだ────夢を見ているのだろうか? いや、でも夢の中で指輪をつけたのは左手だ。じゃあこれは現実? 現実だとして…どうして?
涙を拭くことを忘れて頬を抓っていると、キッチンの方にいたらしい蛍君が宇宙人を見るような目で私を見下ろしていた。

「────何してんの」
「……夢じゃない」

ほっぺた、痛い。
蛍君の顔、冷たい。

「夢じゃ…ない…?」
「寝ぼけてるの?」

蛍君は呆れかえった顔で、おそらく紅茶が入っているのであろうマグカップに口をつける。
そのカップを持つ右手がチラリと見えた時、私は更に信じられないものを見た。

「────け、蛍君…それ…!」

彼の右手の薬指には、私と同じシルバーのリングがついている。
慌てて自分の右手を突き出しながら彼の右手を指差すと、蛍君はあからさまに嫌そうな顔をして溜息をついた。

「…本当は、もう少し後の…なまえの誕生日に合わせるつもりだったんだけど」

その表情は────私の経験に驕りがなければ────少し照れているのを隠そうとしている時のもの。とてつもなく嫌そうに見えるけど、それは正直に何かを話すことに対する躊躇いを表している。

「…………その」

長い沈黙を挟み、「どうしても言わなきゃダメ?」と言わんばかりの視線を向けられ、それでも私が何も言えずにいるのを見ると、蛍君はぽつりぽつりと話し始めた。

「……昨日のことだけど…。ああいうのに憧れたりしないのか、って訊いたでしょ」

驚きのせいでひとたび忘れていた痛みが蘇る。

「僕は正直、あんまりああいうの好きじゃない。別に参列する分には構わないけど、自分が主役として人前に出されて、お祭り騒ぎみたいになるのは…なんていうか、柄じゃないし」

黙って蛍君の言葉を聞く私の表情を一瞬見てから、彼は言葉を続けた。

「……でも、それはあくまで"式"に興味がないっていうだけ。……なんか勘違いさせたみたいだから一応言っておくけど、君と一緒にいる気がないとか、そういうのじゃないから。…まだ学生だし結婚とかそういう話はできないけど……………」

蛍君にしては、よく喋る。それでもやはりどこかに抵抗感はあるらしい。今までで一番長く溜めた後、ようやく彼は口を開いてくれた。

「………こういう"それっぽいこと"をしたいとは…まあ、人並みに思ってる」

そう言って、蛍君は右手を小さく翳してみせた。

────お揃いの、指輪。左手につけるにはまだ早いけど、形としては十分特別な意味を持つ、薬指。

「…………ちょっと、何か言ったらどうなの」

私がいつまでも言葉を返さなかったせいで、蛍君の口調が少し尖る。私はといえば、蛍君と自分の右手を交互に見つめているうちに────再び、目頭が熱くなってきてしまった。

「え、待って」

ぼろぼろと涙を零す私に、蛍君が焦ったような顔を見せた。

「なんで泣いてるの? やっぱり昨日のこと────」
「傷ついたよ! そりゃあ私の訊き方も悪かったんだろうし、蛍君の性格を考えたらああいうイベントを主催する側に回るのは嫌がるだろうなってすぐに理解するべきだった! でも、私は────私、は────ただ、これからも一緒にいたいねって意味で言っただけのつもりだったから────!」

声が出る、と思った瞬間、溢れてきたのは文句だった。
蛍君がどれだけ勇気を出してこんなことをしてくれたのか、わからないわけじゃない。よく見たらそのリングは私が前に「可愛い」と言っていたブランドのものだった。きっと蛍君はその言葉を覚えていて、いつ測ったのか知らないけど私の指のサイズを調べて、ひとりでお店に行って、次の私の誕生日まで大切にしまっておくつもりでいてくれたんだろう。

こんなことまでされて、嬉しくないわけがない。

それなのに、私の口からは彼を困らせてしまう言葉が出るばかりだ。

「私、昨日すっごく怖かった…! 蛍君が本当は私のことなんて、ど、どうでも良いって…思ってるんじゃないかって…! 別れる理由がないから、別れてないだけなんじゃないかって…! それなのに、結婚式を挙げる夢とか見ちゃって、情けなくて…!」
「────どうでも良いとか、思ってない」

ベッドに身を起こして、ブランケットに大きな涙の染みを作る私。蛍君はマグカップをデスクに置くと、私のすぐ傍に腰掛けて、代わりに涙を優しく拭ってくれた。

「…素直に愛を伝えるとか、そういうの、苦手だったから…いつも素直で感情豊かななまえに、救われてた。…いつの間にかそこに寄りかかってたことに、気づけなかった」
「私だって、不安になる時はあるよ…!」
「…………そうだよね」

でも、蛍君はこうして指輪を少し早めに取り出してくれた。
不安になったのは確かなことだけど、その不安をすぐに察知してくれたのもまた事実。
言葉にもならないような些細な変化を汲み取っていたのは、私だけじゃなかった。

「その……」

蛍君が言いにくそうに…きっと、謝ろうとしてくれている。
私は、惰性で彼の傍に置かれているわけじゃなかった。私は、ちゃんと愛してもらえていた。

全然自分の話とかしてくれないし、愛情表現なんて以ての外。一言何かを発するだけでも回りくどい言い方をしないと気が済まない。そんな彼が、ここまでしてくれたのだ────どうして、一瞬引き起こされただけの不安を今も引きずることができようか。

「……この間話したカフェのデラックスパフェ、食べたい」
「……え?」
「それから、新しいお洋服も買いに行きたい。この指輪に似合うシルバーのアクセサリーも欲しい。ちょっと大人ぶって、高めのヒールとか買いたい。それで、蛍君にも何か良い感じのネクタイとか買っちゃいたい」
「……」
「私もまだ結婚は早いと思うし、その間に何が起こるかだってわからない。でも、一緒に"いたい"って蛍君がこうして形に残してくれたことは、きっとずっと忘れない。忘れたくないから、私の中で勝手に記念日にして、私が勝手にお祝いしたい。付き合ってくれる?」

蛍君は、最初こそ驚いたような顔をしていたものの、私が喋り終える頃にはすっかり落ち着いた顔でこちらをまっすぐ見つめていた。彼とは反対にいつも愚直で無意味な言葉が多くなりがちな私の真意を、的確に拾ってくれる顔。

「────それなら、靴くらいは僕が買う。その代わり自分の荷物はちゃんと自分で持って」

それは、「どこにでも付き合うよ」という蛍君流の、最大限に私を甘やかす返事だった。

ひどくわかりにくい、でも何より深い愛を、しっかりと受け取る。その頃にはもう、心の雲も晴れ渡っていた。私は笑ってベッドから抜け出ると、顔を洗いに行く。
脱衣所も兼ねている洗面所には、私が昨日無為に脱ぎ捨てたドレスがハンガーに吊るされて鴨居のところに引っ掛かっていた。

────いつか、私も"こっち側"じゃなくて、"あっち側"の────主役にだけ許された、真っ白な衣装を着ることができたなら。

「────あ、でも蛍君は盛大なお式はやりたくないんだっけ」
「唐突に何」
「じゃあ写真だけでも一緒に撮ろうね! 私、ウェディングドレスだけは絶対一度着てみたいの!」
「…ハイハイ」





────数日後、谷地ちゃんから写真つきのメッセージが届いた。

『見て見てなまえちゃん!』
『集合写真なのに、月島君だけ目線がなまえちゃんなの!』
『愛ですね! 愛!!』
『これはもうみょうじなまえさんが月島なまえさんになる日も近いんじゃ』
『はっ』
『すみませんわたしのようなものがひとさまのけっこんじじょうにくちをだすなど』

嵐のような勢いで送られてくるメッセージに、ふっと笑みが漏れる。

それは、元烏野バレー部メンバーで撮った集合写真。誰もがレンズに向かって笑う中、谷地ちゃんの言った通り蛍君だけ────端の方にいる私のことを見ていた。

月島なまえって…うん、なんかとっても良い響きかも。
まだ私達には少し早いけど────夢を見るくらいなら、良いよね?









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -