振り向いて



同じ日に、同じ母親の腹から生まれた。目の形、鼻の高さ、口の大きさ、全部同じだった。食う量も、勉強の出来も、バレーを始めたのも同じ。

だからこれは、ある意味当たり前のことだったのかもしれない。

廊下でふとすれ違った時、思わず振り返ってしまった。
それは名前も知らないような、1つ上の学年の女の人。ふわりと靡いた綺麗な黒髪から、仄かな石鹸の香りがした。誰か友人らしき人を呼んでいるその声が、耳にすっと心地良く入ってきた。

「────っ」

思わず、北さんに用があってここに来ていたことを忘れ、その場に立ち止まってしまう。
一目惚れとはこういうことを言うのだろうか。慣れない3年の階の廊下、まるで世界が俺と彼女だけ置き去りにして消えてしまったかのよう────「なにあの人! むっちゃ可愛い!」────訂正、俺と彼女だけがいたはずの場所に、余計なやつがねじ込まれてきた。

「なあ、あの人3年よな!? 名前なんて言うんやろ! 追っかけて話しかけてみようや!」

軽やかに浮いた心が、一瞬で地に落ちるような感覚。のぼせた感情が、さっと冷めていくような感覚。

「突然顔も名前も知らん奴から話しかけられても迷惑に思うだけやろ。さっさと北さんとこ行くで」
「何クールぶっとんねん、お前だって立ち止まってぼけぇっと見とったくせに」
「綺麗な人に綺麗やなって思って何が悪いん。そんなに通報されたいなら勝手に行って来いや」
「おん! じゃあ北さんへの連絡は任せるわ!」
「は? おい、ちょっと待て!」

後で北さんにこっそりあの人が誰なのか聞こうと思っていたのに。腹立たしいことに、片割れはあっさりと用事を投げ出して名も知らぬ先輩の方へ駆け出してしまった。

「何しとるん」

僥倖。
俺ひとりじゃ抑えきれないと思った瞬間、後ろから北さんの冷たい声が降りかかってきた。途端、パブロフの犬よろしく侑の足も止まる。

「き、北さん…」
「お前らのデカい声が聞こえたから何事かと思ってな。俺の教室はこっちやぞ」
「あ、はい…知ってます…」
「向こうに何かあるん?」
「いえ…何も…ないです…」

ゴールデンレトリバーがチワワになったようだった。侑は先程までの勢いはどこへやら、北さんの前でしゅんと小さくなりながら「これ…コーチからの頼まれもんです…」と書類を手渡している。

良い気味だ、と思った。抜け駆けしてひとりで綺麗な先輩に声かけようとするから天罰が下ったに違いない。

多分、俺があの先輩に一目惚れしたということは、侑のアレもあながちただのナンパというわけではなさそうだ。お互いに本気だというのなら、これはもう時間の勝負になる。

「じゃあちゃんと渡しましたんで! 失礼します!」
「おん、廊下は走らんようにな」
「はい!」

一足早く北さんに挨拶すると、ギリギリ早歩きと言い訳できる速度で俺はさっと踵を返した。ただそこは流石片割れというべきか、「おいこらサム! 抜け駆けしようとしとるやろ!」と侑が吠えながら急ぎついてくる。

「先に抜け駆けしようとしたのはツムやろが!」
「先でも後でもやっとることは同じや! なんやねん、さっきは迷惑に思うだけや言うとったくせに!」
「アレは時間稼ぎや!」
「潔く言えば許されると思うなよ!!」

やいやいと喧嘩をしながら、3年の美女を追う俺達。
そうしたら、俺達の声が聞こえたのだろう────姿を見失いかけていた彼女が、曲がり角の向こうに消えてしまう前に、足を止めて振り返った。

あ、やっぱ可愛い。

「────あの!」

声を出したのは、2人同時だった。一瞬だけ侑と睨み合う時間を取り、お互い譲る気がないことを確認すると、同時に息を吸って同時に同じ言葉を吐き出した。

「名前、教えてください!!」











最近、2年生の男子からよく声を掛けられる。
名前は宮くんというらしい。バレー部に入っていて、食べることが大好きだと言っていた。

2年と3年の教室は階が異なるので移動するのも一苦労だと思うのだが、彼は朝のHR前、昼休み、そして夕方のHR後の3回のタイミングでほぼ必ず私の前に現れていた。そして昨晩こんな夢を見た、昼に何を食べた、これから部活だ、といった話を短い時間で弾丸のように打ち込んできて、最後には「なまえ先輩、今日もむっちゃ可愛いです!」と褒めてくれる。

私は自分の顔がそこまで恵まれていると思ったことはないし、実際モテた試しもないので、宮くんがどうして私に執着しているのかは正直わからないと言う外なかった。
ただ、悪い子ではないと思うし、好意的に思ってくれているのもわかる。こそこそとつけてきたり2人きりになろうとしたり、そういう気持ちの悪いことは絶対にしてこないので、私は毎回頭にハテナを浮かべながらも宮くんとの不思議な時間を共有していた。

「なまえも毎日よう付き合うなあ、宮くんの猛攻撃。いい加減嫌にならんの?」
「いや最初はむっちゃビビッたで。先生通り越して警察に通報したろか思ったくらいや。でもなんや慣れてくるとな、大型犬に懐かれてるみたいなもんとちゃうかって気になって…追い払うのが忍びないねん…」
「あんたも大概やったわ」

友人は呆れたように溜息をついて、「で、結局どっちの方がええの?」と訊いてきた。

「どっちって?」
「侑と治、宮ツインズならどっち派? って話」
「…どっち、って…?」
「はあ? なんべん言わすねん、やから、侑と治のどっち派なんやって!」
「あつむと…おさむ…?」

ちょっと待ってほしい。
私が話していたのは宮くん…宮…あれ…宮…なにくん?

「…宮くんって、2人おるの?」

ツインズというからには、双子なのだろうか。それともたまたま同姓の別人? じゃあ、私に話しかけてきていたのは…どっち?

一瞬にして混乱のどん底に落とされた私が素直な疑問を口にすると、呆れながらもニヤニヤとした表情を浮かべていた友人は顎が外れるのではないかと心配になるほど口をあんぐりと開けて私を見た。

「…え、そんなに知らんとマズかったこと…?」
「稲荷崎におってそれはないでなまえ…。宮ツインズ言うたらうちのバレー部名物やぞ…。イケメン、バレー上手、ほんで喧嘩上等! とにかく派手で目立つ! うちの学校で知らんのなんてそれこそあんたくらいのもんちゃう?」
「ええー…でも私がいつも喋ってるの、ひとりやで…?」
「阿呆。毎回かわりばんこに来てるのに気づいてへんのか」
「え、同じ顔やん」
「顔は同じでも色々ちゃうやろがい! 髪とか! 声のデカさとか!」

まっっっっったく気づかなかった…。
髪? 確かに今日は派手だなあとか、今日はちょっと大人しいなあとか、そういうことなら思ったこともあったような気がするけど…でも…気分でちょっと分け目変えてみたりとか、その日のコンディションでテンションが変わったりするのって、別に同一人物でも普通に起こりえることだと思っていたから…。

「あ、ほら、噂をすればや。ちゃんと下の名前まで聞いてやり」

昼休みの半ばになって、宮くんが「なまえせんぱーい!」と今日もお日様笑顔で声をかけてくれる。金髪、左分け目、元気。見た感じの特徴をいつもより熱心に叩きこみながら、私は宮くんの呼びかけに応じた。

「────あの、宮くん?」
「今日はですね────え、あ、はい! すんません、なんですか?」

いつも通りお弁当の中身を紹介しようとしてくれていたらしい宮くんは(本当に宮くんは2人いたんだろうか…? だって毎日話題が同じなのに…)、慌てて私の話を聞く姿勢を取る。

「あのう…今更こんなこと訊くのは大変恐縮なんですが…」
「なんでも訊いてください! なまえ先輩の知りたいことなら1から100まで全部喋るんで!」
「…その、あなたは何の宮くんですか?」

瞬間、痛い沈黙が降りる。

ああ、やっぱり1ヶ月も経ってから名前を訊くなんて失礼極まりなかったんだ。宮くんの目と口がぽっかりドーナツの穴のように開いている姿を直視できず、つい目を逸らす。

「あの…すんません、何の宮くんっていうのは…」
「さっき友人から宮くんは2人いると伺いまして…」
「え、そこから!?」
「ほんまごめん!! まさか宮くんが双子なんて思ってなかってん!」
「待ってください、じゃあ先輩が今朝話した"宮"は…"俺"やと思っとったんですか…?」
「その様子やと…違うんやな…?」
「その様子もどの様子も違います!」

宮くんは悔しそうにギリィ…と歯を噛むと、「ちょ、待っとってください! すぐ戻るんで!」と言って廊下を駆け出してしまった。

「…どやった?」

自席から私達のやり取りをぼんやり眺めていたらしい友人が、ニヤニヤしながら私の帰りを待っていた。

「名前…わからんかった…」
「なんで!?」
「なんか…待っててって言ってどっか行ってもうた…」
「はぁ!? ってかほんまやん! 戻ってくんの早っ!」

友人の声に慌てて振り返ると、教室の戸口には宮くんが"2人"、息を切らして立っていた。

「…そういえば、初日もあんな感じやった気がする…」
「あんなって?」
「今考えたらあの日の宮くん、2人おったわ」
「ほななんで1人って認識になったん。もう1人どこ行った」
「死んどったんちゃうん」
「殺すな」

ふざけた会話をしている間にも、宮ツインズの「なまえせんぱーーーい!!」という綺麗な二重奏が私を呼んでいる。

「ほんまに2人やったんやね…」
「最初の日も2人で話しかけに行ったやないですか!」
「どっちですか、先輩の認識的にはどっちの印象の方が濃厚やったんですか」
「えー…」

本当のところを言うと、あの日は別の誰かが宮くんに変装して私に悪戯でもしに来たのかと思っていた。何の交流もない私にそんなことをするメリットはあるのかと問われるとそれも難しい話ではあるのだが、今まで生きてきて双子に出会ったことがなかったので、すっかりその選択肢が頭から抜け落ちていた。

「なんやろ…どっちがっていうか…私の中の宮くんは…声がおっきくて…」
「俺やな、サム」
「ご飯をよく食べて…」
「これは俺やぞ、ツム」
「待って待って、サムとツムって何? 声のおっきい方がサムくん?」
「いや、それはツムです。まあ俺も声デカいですけど」

突然よくわからない英語の名前が入ってきてしまい、一気に私の頭が混乱する。

「その…サムとツムっていうのは…」
「あ、あだ名です。俺が治なんでサム。こいつは侑なんでツム」

サムはともかくツムって。このごつい子がツムって。

「なんでわかれへんのですか! 俺こんなに見た目派手にしとるのに!」
「いやあ、気分によって黒スプレーかけてるのかなーみたいな…分け目変えたくなる時は私にもあるし…」
「俺の方が男前やないですか!」
「2人とも男前だよ…寸分違わず…」

コメントに困って言った言葉が新たな火種になるのではないかとハッとして様子を窺ってみたが、彼らは揃ってぽっと顔を赤くして照れているようだった。こんないい加減な褒め言葉で良いのか…?

「その…なんで私なん?」

「一緒に照れんなや! キショい!」「お前のは世辞や、世辞!」と言いながら結局喧嘩に発展してしまった双子を見ながら、根本的なことを尋ねる。好意を寄せてもらえるのは満更でもない…のだが、私は今さっき失礼にも相手の見分けがついていないなどとほざいた身。それでもなおまだこうして私に目をかけられようと一生懸命になっている理由が、わからなかった。

すると双子は取っ組み合いを始めようとした手を止め、ぴったり揃ってまるで新年の目標を訊かれた時のように胸を張って答えた。

「可愛かったからです!」

見事なまでのデュオ。そこに既視感を覚えたのは、初めて話した時も確か…同じようなハモりで名前を訊かれたからだろう。

「かわ…いやあの、自分で言うのもなんやけど、私そんな可愛くないで…?」
「いや、先輩はむっちゃ可愛いです」
「あとええ匂いがします」
「ツム、今のは通報」
「なんでやねん! 知っとんのやぞ、お前がなまえ先輩はシャンプーどれ使とんのかリサーチしようとしとること!」
「はぁ!? それもお前やろ!」

なんとなく…本当になんとなくだが、私は空き時間に彼らが決して"2人"で来ない理由がわかったような気がした。2人揃って来られると、途端に私を置いて喧嘩が始まってしまう。彼らの性格など知る由もないが、(恐れ多いながら)憧れの先輩と話す時間をきちんと確保するため、順番に教室に出向くという不戦協定でも結んだのではなかろうか。…そう思わされてしまうほど、私は今置いてきぼりになってしまっていた。

「可愛くてええ匂いのする子なら、うちのクラスのまゆちゃんとかもおるで。あとはそうやなー、いっこ隣のとこの山川さんとかもクールビューティー言うて人気高いし」
「…なんで別の女に気逸らせようとしてはるんですか」

とりあえず喧嘩を仲裁しつつ私のような者に時間をかけるより他の可愛い子を追いかけた方が時間的にも有効なのではないだろうかと提案してみると、黒い方…ええと…サム、くん? が急にその怒りの矛先を私に向けた。

「他の誰が、他でもないなまえ先輩が何言ったって、俺らはなまえ先輩がいっちゃん可愛いって思ってるんです。可愛い人に会いたい思って、可愛い人に可愛い言って、何が悪いんですか」

…ここで凄んでなければもう少しキュンとしたかもしれないのになあ…。え、これ私が悪いの? なんで私が怒られてるの?

「いや、悪くはない、けど…その、センスが独特だね?」
「俺らの審美眼貶しとるんですか!?」

だめだ。何を言っても怒らせてしまう。

「悪いんやけど、ほんとにわからんのよ…。なんで私にそんな懐いてくれるの…」
「ビビッと来たからです」
「運命やと思ったからです」

よ、要領を得ない…。

「それだけであの…こんな毎日来てくれるん…?」
「当たり前やないですか」
「好きな人には毎日会いたいですもん」

私の頭上には疑問が消えるどころかハテナが増えるばかりだったのだが、この双子はそんなこと自明の理だとでも言わんばかりの顔をしていた。

「せやけどまさかなまえ先輩に認知すらされてなかったとは…」
「サム、ちょっとお前校舎の壁で顔削ってこい。顔ガッタガタになれば見分けもつくやろ」
「ほんならお前はいっぺん車轢かれて来い。体ガッタガタになればすぐわかるで」
「俺の背負うもん重ない!?」
「あのう…もしまだ会いに来てくれるんやったら、最初に名乗ってもらえると…ありがたいかなあと…」

そしてすぐさま終わりのない喧嘩を始めてしまうので、私はすっかり疲弊した心でなんとかそれらしい案を出してみた。見分けがつかないのはこの際申し訳ないが仕方ないとしても…これから頑張って覚えるので、どうかそこまで体を張らないでほしい。

「流石なまえ先輩、頭ええですね」
「わかりました、それでいきます」

なんとか納得してもらえたところでちょうど昼休みも終わったので、仲良く言い争いながら2年の階へと戻っていく双子を手を振りながら見送った。ええと、金髪の方がツムくん、黒い方がサムくん、声のおっきい方がツムくんで、ご飯をたくさん食べる方がサムくんで、ええと…良い匂いがするって言ってくれたのが…ええと…どっちだっけ?

「まさかバレー部名物・双子乱闘を教室から見れるとはな」

一部始終を見ていたらしい友人が机に頬杖をつきながら笑っていた。

「あの2人、知らんけどどっちも本気なんちゃうん。あんた彼氏欲しい言うとったやろ、この際どっちかに応えてやりや」
「えー…冗談が形になって飛び出してきたみたいな勢いやったであれは…。それに私、バレー部って言われたら北くん派やし」
「無情なもんやな」
「まあ北くんしか知らんとも言う」
「よーし、あんたはまずうちの有名人をちゃんと覚えるとこから始めろ」











「なまえ先輩! 今日の俺はどっちでしょうか!」
「えーーーーーーー…あーーーーー……サムくん」
「あーつーむーでーすー! 2分の1の確率なのになんで毎回間違うんですか! もはや奇跡やないですか!」
「いや私も毎回それで間違えるからな、今日は最初に思った方と逆を選んだんやけど…。それで考えると初手はツムくんやって思ったわけやし正解で良くない?」
「最初に俺のこと考えてくれはっただけで大正解です!! でもなんやろこの釈然としない気持ち…」

なまえ先輩は、出会った時からずっと、俺達のどちらにも興味がない人だった。
でも、出会った時からずっと変わらず可愛くて、ずっと変わらず良い匂いで。
サムと一緒にされることが良いことだなんて、そんなことは思わない。それでも、間違えられることによって少しずつ縮まっていくこの距離感が、なんともむず痒い。

「この間友達に新しい見分け方教えてもろてん」
「え、なんですか」
「ちょっとガラの悪い方がツムくん」
「なんで俺が落とされてんですか!!!!」

だから俺達は、抜け駆け禁止の不戦協定をあの日、再び結び直した。
まずは足並みを揃えて、2人が並んでいてもぱっと見分けをつけてもらえるようになるところから。
勝負は、それからだ。








この双子はコテコテの"美人"より、ちょっと独自路線の"可愛い"基準を持ってると嬉しいなっていう話でした。
宮ツインズは割と見分けもつきやすい方だと思っているのですが、いつまで経ってもわからない(実はあまりわかる気のない)先輩に翻弄されていると良いですね。









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