はい告白して
「あああ無理っ!! これもう本当無理!!」
「無理とか言うな!」
時刻は午後8時。もうすっかり外は暗いというのに、それにも気づかず目の前の彼女は真っ白な問題集と格闘していた。
「シンタローに勉強を教えてほしい。IQ168を持ち腐れるより私に伝授する方が、絶対シンタローにも得だ」
そう言ってわざわざ休日に教科書と問題集を持ってきたのが、今日の朝。
正直人に教えるという事に気乗りはしなかった。
それでもお願いを引き受けたのは、
「いやぁ…次のテストで学年1位取らないとクラスの子に昼ごはん奢ってあげなきゃいけなくなっちゃって…」
「なんでそんな約束したんだよ!!」
「すいません、私を1位にしてください!!」
と泣きべそかきながら言う彼女に根負けしたから。
…簡単な話、彼女が好きだったから。
そういう訳で最初はアジトで始めた勉強会だったが、カノとマリーがとんでもなく邪魔になるのでやむを得ずうちに連れてきた次第である。
決して連れ込んだ訳じゃない。ついでに言えばこいつがうちに来るのは初めてじゃないし、いつの間にかモモや母親とも仲良くなっている始末だから、互いになんというか…変な慣れのようなものはあった。うん。だから大丈夫。何も問題ない。
「…ったく、こんなもん基礎問題の答え捻るだけで充分だろ」
「天才の教え方は馬鹿だ…」
もうかれこれ半日、ずっとこの繰り返し。
別に彼女は勉強ができない訳じゃない。それどころか昔の同級生なんかよりずっと要領は良いように見える。しかし学年1位となるとまぁそれは簡単にいく話でもないだろう。
だから市販の問題集じゃなく、応用の問題を作ってやらせてみたら、こんな状態になってしまった。
「こ…こんなの高校生が履修できるレベルじゃありません…」
「学年1位を取るなら俺より出来なきゃ意味ねーだろ」
「無理言わないで!!」
「つーか良いのかよ。もう8時だけど」
ついでに時間を告げてやると、ナマエはバッと時計を見て、それから机にぐでんと突っ伏した。何かぼそぼそ言っているのが聞こえるようで聞こえないが、どうせ"もう1日が終わるなんて…"とかそんな所だろう。
なんでも良いがコイツはもっと危機感を持つべきだな。
「一緒に徹夜してくれます?」
と思ったら伏したまま俺を見上げてそんな風に訊いてきた。
顔が赤くなっていないか心配しながら、やっとの事で顔をそむける。
「何言ってんのお前…付き合ってもいない男女が」
「…シンタローこそ何言ってんの……。私に何かするワケ?」
「い、いやっ!! んな事あるかバカ!! 誰がお前なんか!!」
「でしょ? じゃあいいじゃん。キドカノセトだって付き合ってない男女だけど清廉潔白に同居してるよ」
鉛筆を掌で持て余しながら俺の同意を待つナマエ。
その物憂げな目、結構心臓に悪いんですケド。
「……解ったよ。その代わり」
「はーいはい、もう1位取りますよぉぉぉ〜〜」
ナマエは俺の言いたい事なんて聞き飽きたというように言葉を引き取り、再び問題集と向き合い始めた。
その横顔を見ながらこんこんと考える。
(ほんと、俺コイツ好きだわ…)
それから更に2時間が経った頃、やっとの事でナマエは俺特製の問題集を解き終えた。
「ちょ、センセ、できました! もうこれ完璧でしょ!!」
ざっと目を通してみると、確かに間違いは見当たらない。
「…お前、実は頭良い?」
「救いようがなければ1位宣言はしないよね」
「解けた途端に偉そうなツラすんなよ」
デコピンかまして丸付けをしてやる。ナマエは額を押さえて暫く悶えていたが、復活してからは嬉しそうに赤丸が増えていくのを眺めていた。
「シンタローってさ、良い家庭教師になりそうだよね。塾講師でも良いけどヒキコモリだから家庭教師」
「誰かれ構わず教えてたまるか、面倒くせぇ」
「……え、じゃあそれって私、意外とシンタローに甘やかしてもらってる?」
「甘やかし過ぎて溶けそう」
それは完全にその場のノリで出た言葉だった。
なのにナマエは黙りこみ、居住まいを正してしまう。
「…?」
「………なんでもない」
別に何を訊いた訳でもなかったが、彼女はそれ以上何も言おうとしなかった。
若干唇が何か言いたげに開いたのは、見なかった事にした方が良いんだろうか。
「ほれ、完璧」
「……! や、やった!! ありがとうシンタロー!」
俺の手から問題集を受け取り、それをぎゅっと抱きしめるナマエ。
正直そんなに喜ぶ事じゃないだろうに、まるで綺麗な宝物を貰ったかのような笑顔だった。
…可愛い。
「微妙な時間に終わっちまったな。ま、でもどうせ徹夜するつもりで来たんならまた問題でも作ってやろうか」
調子に乗ってそんな事を言ってみたら、さっき自分だって同じ提案をしてきたクセに、ナマエはさっと頬を朱に染めて慌てだした。
「あっ…えと…っ………め、迷惑じゃない!?」
「は? 別に迷惑じゃない…つーか自分から言ってきたんだろ」
「そそそそうだよね、あっははーごめんごめん」
「? 変な奴だな……あぁ、そうだ。ついでにキリも良いし風呂でも入ってくれば? 着替えとかは…モモに借りれば良いだろ」
このままずっと勉強するのもスッキリしないだろうし、何度も言うがどうせ徹夜するんだから、ここでシャワー浴びてきた方が良いんじゃないか?
至極常識的な事を言ったつもりだったのだが、ナマエは更に慌てて両手を振り出した。
「な…なんか今更図々し過ぎるように思えてきたんだけど…やっぱ帰」
「バカ言ってんじゃねーよ。俺も嫌だわこんな時間に家まで送ってくの」
下手すりゃ俺達は補導される時間だぞ。そう付け加えると、ナマエはちょっと迷うような表情をしてから頷いた。
だからことごとくなんなんだよ、自分から言い出したんだろ!!
そんなこんなで「ごめんねモモちゃん、何か羽織るものとか借りても良い…かな。もう着なくなった奴とか、もう捨てるつもりだった奴とかで全然良いんだけど!!!」なんて言葉を遠くで聞きながら(あんまりアレなの着られると俺が困るんだが)、俺はナマエの持ってきていた問題集を開いてみた。
簡単な問題ばかりの羅列。偉そうに言葉並べてるのはいいが、生徒の事なめてんのか?
…なんて、昔はよく思っていたな。
すると、ぱらぱらめくっているうちにページに挟まっていたメモを取り落としてしまった。問題集くらい勝手に見ていたからってそうそう怒られないだろうが、何か大切なものだったら流石に申し訳ない。
「やべ、どこのページだ…?」
何かヒントになるかと思ってメモをひっくり返すと、そこにはナマエの字と、誰か他の(女子っぽい)字で何かが書いてあった。
なるほど、手紙のように使っていたようだ。
"ナマエ、嘘はつかないよね"
"当たり前でしょうが。1位取れなかったら絶対告白してやるから"
「…え」
飛び込んできた"告白"の字。
良くないと解っていたけれど、好きな女子の恋愛話と知って止められる程、俺は理性的ではなかった。
1位を取らなきゃいけないって…昼食を奢らなきゃいけないからじゃなかったのか…。
"でもどうするつもり? いきなり1位なんて取れるの?"
"言っちゃった以上やるよ! シンタローに教わるもん!"
"あーあのIQ168とかいう。…ってそれ好きな人じゃん!!"
"良い機会だし"
"もーそれならまどろっこしい事してないでさ、勉強教えてもらってる時に告っちゃえば?"
"え、それ1位取っても意味ないじゃん。そしたら教えてもらう必要ないじゃん"
"でも教えてもらわなきゃ1位は無理でしょ?"
"パラドックス…"
"じゃあチャンスがあったら告白しなよ。そのシンタロー? とか言う人にさ"
"シンタローの方はそういうのないと思うよ…"
"本当なんなのあんた!!!!"
やり取りはそこで終わっていた。
……目を疑った俺の気持ちを解ってほしい。
どういう事なのか、理解しきれない自分がいた。
告白…俺に?
ナマエが俺を?
いや…まさかな。
「は、はは…」
乾いた笑い声が出てしまったが、そんな事で状況が変わる筈もなく。
目に浮かんだのは、徹夜すると言い出した彼女の顔。
俺の作った問題集を、大切そうに抱き締めた彼女の顔。
突然恥ずかしげに遠慮しだした彼女の顔。
「マジか………」
もしも、これが自惚れでなければ…
俺……両……
「ありがとう〜、スッキリした!」
「ああああああああああい!!!!!!」
超絶悪いタイミングでナマエが戻って来てしまった。
モモに借りた服はゆったりとしたニットで、露出を最低限にとどめている様子が伺える(どうせ俺を警戒して大きめのを貸したという所だろう)。
ただ妹よ、甘かったな。
ゆったりの服というのはむしろ体の華奢さを強調し、見えない部分の想像を掻き立てるというか…いや、やっぱり今のはなかった事にしよう。
「シンタロー?」
湿った髪のナマエが俺の顔を覗き込んでくる。
こうなるともう全てが確信犯にしか見えなくなるから困る。帰ってきた時に慌ててメモを挟み直したが、バレないだろうか。
えー…なんて返事しよう。つーかえと、とりあえずなんでも良いから…
「お前さ…何かするって言ったらどうするつもりだったんだよ」
って、俺えええええええええ!!!!?
沈黙を作ってはいけない、何か言わなきゃ、言わなきゃ…そう思っていたら、とんでもない地雷を踏んでしまった。
なんだ何かするって言ったらって!!
さっきの"何かするワケ?"が意外と心に引っ掛かっていたらしい自分の浅ましさに嫌気が差してくる。
「何かって何? …違う教科の勉強とか?」
…察しの悪さに感謝。
どうやらナマエは本気で俺が彼女に何も恋情系の想いを持っていないと思っているようだ。
幸か不幸か、いやもうこうなったら不幸でしかないか。
いっそ1位を取れないようにしてしまおうか。
いや、でもな……
「…もう全部やるか」
「うそん!?」
「ほら座れ。問題出すから」
「あーーーーい……おなしゃーす…」
「それやめろ」
やっぱり彼女には1位を取ってもらおう。
その上で今晩、その"チャンス"とやらを作ってやればいいじゃないか。それが良い、そうしよう。
なんて事を考えながら、同じシャンプーの匂いをさせるナマエに、俺は少しだけ近づいて座った。
はい告白して
(……な、なんか近くない?)
(いい匂いすると思って)
(なっ、ちょ……あーもう、ばかっ…)
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