大人しく奪われろ



バイト先の先輩に、恋をした。
最初はセトに感化されて始めたバイト。慣れない作業に戸惑う私に、優しく指導をしてくれた先輩。

落ちるなって方が、無理だった。





「でね、その時先輩が」
「ねーもうセンパイは飽きた」

その日も私は大好きな先輩の話をする。
しかし目の前に座るカノは全く聞く耳持ってくれない。

「そうつれない事言わないでよー。年中暇そうにしてるのなんてカノくらいじゃん」
「僕忙しいよ」
「ごろ寝するので?」
「そうそう」

そうそう、じゃないわ!

知らない人の話をされた所で面白くもなんともないのはちょっと解る。でも、きちんと反応してくれなくたって良いから、

「この溢れ出る思いをぶちまけさせてください…」
「ナマエきもーい」





そんな先輩に彼女がいるらしいと解ったのはバイトにもやっと慣れた頃。

最近よくお店に綺麗なお姉さんがいるなと思っていたら、彼女はいつも先輩の所へ行っていた。
そしていつも親しげに言葉を交わし、迷惑を掛けない程度に去って行く。

「…綺麗でスタイルも良くて気遣いもできる彼女サンですか。おうらやましい」
「あ、今の恨めしいに聞こえた。てゆーかもういい加減落ち込むのやめなよ」

このつれないのは言わずもがなカノである。相も変わらず私の相手をさせられているカノは、なんだかんだ言っていつも聞いてくれるんだから良い奴だ。

「むりっ! 落ち込むわ!」
「じゃあ略奪すれば?」
「それもむりっ! てゆーか別に付き合えるとか思ってた訳じゃないんだよね。好きでいたいだけ、みたいな」
「…なら良いじゃん」

ふいと雑誌に目を戻すカノ。
解ってない。こいつ全く解ってない。

付き合えるだなんて図々しい事は思っていないけど、彼女がいるなんて知ったらどうしてもショックは受けるというか。
恋してるだけで充分だけど、それは相手がフリーな状態で、つまり"もしかしたら可能性あるかも…?"なんてちょっと自惚れちゃうようなもどかしさがあって初めて生まれる"充分"というか。

片思いなんて所詮ワガママなんだ。その辺の複雑な心理をぜひとも理解してほしい。

「わかんなーい」

……必死の説明に返ってきた言葉がそれだ。

「だって、好きなら奪ってでも手に入れたいもんじゃん」
「……男子ってそういうもん?」
「男子っていうか、僕がそういうもん」

しかしそれには些か驚かされた。カノって激情型なんだ、へー。

「…それは経験論?」
「さあね」

ちょっと探りを入れてみた途端にお決まりのはぐらかし。若干今更な気もしたがあまり突っ込まず、意外な面の片鱗を胸の中で反芻するに留めた。





翌日。バイト終わりに先輩に呼び止められた。

「名前さん、ごめんね、頼みたい事があるんだけど」

見よ、私が必死こいて縮めた距離のお陰で、下の名前で呼んでくれるくらいにはなったのである。
嬉しさに胸を弾ませて返事をした。頼みたい事ってなんだろう?

「来週の土曜日って暇かな」

ちょっ…これは………でででデッド!? あ、いや、それは違ったデッドしちゃ駄目だデートだ。ってはっきりデートなんて言っちゃった!!!!

混乱しきった脳内からとりあえずイエスだけ取り出し、私はこくこくと頷く。
先輩はほっとしたような表情でこう言った。

「実はその次の日が彼女の誕生日でさ。プレゼントを渡したいんだけど、女の子の好むものがあんまり解んなくて…名前さんのセンスの良さを見込んで、ちょっと選ぶのを手伝って欲しいんだ」

さぁっと、急速に冷めていく。

センス良いって誉められちゃった。
一緒にお買い物できるチャンスだ。

先輩の言葉達が私の中で空回りする。
どんなに嬉しい言葉も、"彼女"という最初の単語に邪魔され消えてしまった。

やっぱりあれは彼女だったんだ。
解ってた、解ってたよ。
期待もしてなかったよ。

でも、さ………

片思いのワガママはやっぱり聞き分けがなくて、私は泣かないようにするのが精一杯だった。

「他の女の子の見立てで買ったなんて解ったら、彼女さんに怒られちゃいますよ! どんなものでも、好きな人が一生懸命選んでくれたものなら喜んでくれる筈です。だから、申し訳ありませんがお手伝いはできません!」

ぱっと早口で謝る。
先輩は頭を掻きながら「そっか、そういうもんか…」なんて言っていた。

「じゃあ、お先に失礼しますね。お疲れ様でした!」
「アドバイスありがとう。色々探してみるよ。お疲れ様」

先輩の笑顔に見送ってもらっているのに、どうしよう、全然嬉しくない。

アジトへ帰る道のりがひどく遠く感じた。

「ただいま…」
「おかえりー。キドは買い物、マリーは散歩、セトはバイトね」

いつもの調子でソファに寝転がるカノを見た瞬間、私の中で何かがぶつんと切れた。

「かっ……カノ〜〜〜〜!!!!」

立ったまま堰を切ったように泣き出した私に、カノはばっと起き上がって駆け寄って来る。

「ちょっとナマエ、どーしちゃった?」
「せっ、先輩、がぁっ!!」

それから私はカノにさっきの事を説明した。
しゃくりあげながらだし、文もめちゃくちゃで自分でも何を言っているのか解んなかったけど、カノは黙って聞いてくれた。
いつもは適当に流すくせにこういう時ばっかり真面目になるカノを見ていたら、余計に涙が止まらなくなる。

「片思いで、いいって言った、けどっ……やっぱ、つらい…! 片思いつらいよ…っ!!!!」

更にカノは途中で腕なんか広げてくるもんだから、今日に限ってなんでそんな優しいんだとか悪態をつきながらそこへ飛び込んだ。
聞こえるのは心臓の音。カノの腕の中はとても暖かい。

「じゃ、僕にすれば良いじゃん」

――――そんな風に甘えていたから、突然の発言に頭が追いつかなかった。

「……え?」
「そんな先輩なんかじゃなくて、僕にすれば良いじゃん。僕は彼女いないし、てかナマエひとすじだし、泣かせないし辛くもさせない」

抱きしめられたままだからカノの顔は見えない。
けれど、嘘をついている時の軽さは、どこにもなかった。

「私ひとすじって…」
「好きな人は奪ってでも手に入れたいって言ったでしょ」
「……うん」
「僕ね、現在進行形でそんな感じなわけ」
「え」
「ナマエの事ずーっと好きなのに、ナマエときたら先輩が先輩がってそればっか。だから叶わなきゃいいって思ってたよ、本当はね」

告げられていくカノの想いに愕然とする。
先輩との恋が失敗すれば良いって思われてた事にじゃない。

カノが、私なんかを好きでいた事にだ。

「僕ならナマエを絶対幸せにするのになって、いつも思ってた」
「カ、ノ……」
「ん? あ、もしかして私の失恋を望んでたなんて最低、とか、それにつけ込んで来るなんて卑怯、とか思ってる?」

何も言えない私に、カノが小さく笑った気配がする。

「最低で良いし、卑怯でも良い。だってそれだけ僕はナマエが欲しいんだから。ね、だから大人しく奪われちゃいなよ」

私はその時耳元で囁かれた言葉に、体全部を絡め取られていくような錯覚に陥った―――――。




(身も心も、溶けきるまで愛してあげるよ)









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