GIRL



今年のクィディッチ杯の第一戦、グリフィンドール対ハッフルパフ。
その日は晴天、風向きは南。冬が近づきひんやりと冷え込む空気の中、広い楕円に囲われたコートの内側は熱気に溢れ季節を忘れさせるようだった。

今日は今シーズン最初の試合であり、僕達がホグワーツで過ごす最後の年…つまり、少しずつ"最後の試合"へと向かうその一歩目でもあった。ジェームズは昨日からやたらと興奮した様子で「最後だ」、「今年で終わっちゃうんだ」と騒いでいたが、僕はいつも通り欠伸をしながら、試合が始まる瞬間を待っていた。

そして間もなく、競技場に選手が揃う。
序盤は、もちろんジェームズの派手なパフォーマンスから。もはやこれは、我が寮のお家芸だ。他の寮の人も、この瞬間だけは勝敗を気にせずあいつのパフォーマンスを楽しみにしている。

と、思っていたのに。

────ジェームズが空中で一回転を決め、ピッチの端から端まで一周しながら観客に手を振る、その反対側で────。

みんな、盛り上がってる!?

拡声魔法のかけられた少女の大声が、一瞬だけジェームズに向けられていた観衆の視線を逸らした。

「グリフィンドールの皆はすっごく強い、そんなの、とっくの昔にわかりきってる!! でもね、私がこの慣習をきっと破ってみせるよ────だから────みんな、私を見ていて!!

"物語"の始まりはいつも、静寂を切り裂き突然に訪れるもの。
────皆がどこかで、「ジェームズには勝てない」と思っていた。その空気を、彼女は勢いとその笑顔だけで──── 一瞬とはいえ破ってみせた。そのあまりに異例と言って過言ではない状況に、嫌でも鳥肌が立つ。

この感覚は、僕達だってよく知っている。今まで誰も踏み入れたことのない場所に足を付けた時のような。今まで誰もなしえたことのない偉業に手を掛けた時のような。

こんな選手────今までハッフルパフなんかにいたか?
穏やかな生徒の多いハッフルパフの中で、彼女は不思議なほど溌剌としていて、まるでたったひとりで派手に、そして葉にも周りの花にも隠されることなく剥き出しに咲き誇る一輪の花のようだった。

『────ハッフルパフのリヴィア選手、開幕早々威勢の良い登場の仕方ですね! 確かにグリフィンドールの試合となると、ポッターが目立ちやすい…それはきっと、皆がわかっていることだと思います。だからこそ、この檄はハッフルパフ勢にとっての希望なんじゃないでしょうか! そしてあの伝説のポッターを破った暁には、新しいヒーローが登場するというわけです!』

実況席の声も、いつも以上に盛り上げようと、イリスと呼ばれるこれまで存在を一切知らなかった少女の啖呵を賞賛する。ハッフルパフの観客席が沸いたことはもちろん、"中傷"のような害意の一切ない純粋な"宣戦布告"は、ジェームズの大好物だ。早速あいつはリヴィアのところまで行き、ご丁寧に自分の喉にも拡声呪文をかけると「今日は正々堂々と戦おう、イリス!」と────既に知り合いだったのだろうか、親し気にハイタッチをしてみせている。

そうして、試合開始。

リヴィアのポジションは、チェイサーらしい。ジェームズと同じだ。
試合前にあれだけ豪語していたのだから、相当白熱した試合を見せてくれるのだろうと期待していたのだが────。

結論から言うと、その思惑は完全に外れた。

やりたいことはわかる。グリフィンドールチームの穴をつき、パスを回したいのだろう。ゴールに向けてクァッフルを積極的に投げている姿勢にも、努力とやる気を感じられる。
ただ、彼女は圧倒的に実力不足だった。

実力が伴っていない以上、ジェームズのような派手なパフォーマンスにまで手を回す余裕はきっとないのだろう。真っ向勝負、あんなに笑顔に溢れていた顔は今や真剣そのものの表情だけを浮かべ、必死にクァッフルを追っている。

それでも、その姿勢がウケているらしい。ハッフルパフの生徒は全員ジェームズのミラクルパフォーマンスに魅せられているグリフィンドール生をよそに、「イリス! イリス!」と大歓声を上げている。

ゴールを決められた瞬間、拡声呪文がかけられていないのに「あーーーっ! 悔しい!」という声が響く。顔をのけぞらせた勢いで空中一回転をかますと、「負けるな!」、「次があるぞ!」という声援が浴びせられる。
逆にゴールが決まった瞬間は、「みんな見ててくれてた!?」と言わんばかりのブイサインでホーム側の観戦席を飛び回ってみせる。そこでも巻き起こる、「イリス!」のコール。

確かに彼女は、ジェームズより目立っていた。
誰もが、リヴィアを見ていた。

それでも、結局地力の差は出る。
試合開始20分後くらいにジェームズの仲間がスニッチを射止め、試合は終了。
220-70。スニッチを手にしたことで入る150点を抜きにすれば、70-70で得点率は同格だ。確かにジェームズは得点よりもパフォーマンスに力を入れている。でもそれができるのは、パフォーマンスに手をかけられるだけの実力を持っているから。

それでも今回、そんなジェームズという稀代の大天才、ピッチの華、ホグワーツのヒーローと箒に乗ったまま肩を組んで笑い合う、"対等"な存在がいた。「試合が終われば、勝っても負けてもそこにいるのは全力でぶつかりあったクィディッチ狂だけさ」と言っていたジェームズの言葉が蘇る。誰もがどこかジェームズに対しては尻込みしがちな中、その"ただのクィディッチ狂"を体現するように、仲間として笑っているリヴィアの存在はどう考えても異質に映った。

「────やあ、随分と華々しいシーズンデビューだったじゃないか」

試合終わり、清々しい汗を大きなタオルで拭くジェームズを労いに行く。反省会を終えた頃を見計らって行ったお陰か、ちょうど控室から出てきたジェームズは、さっとチームメンバーに挨拶を済ませるとこちらに駆け寄ってくる。

「見ててくれたかい? サイコーのシーズンオープンだよ。しかも最初の相手があのイリス擁するハッフルパフ! 勝敗関係なく盛り上がること間違いなし、その上で立派な勝利を収めて終了! いやあ、イリスみたいな子が相手にいてくれると、クィディッチそのものが盛り上がるから良いね!」

いつもより興奮している要因は、まず間違いなく何度も口にされたリヴィアの存在だろう。相棒の晴れ舞台を見守り始めて7年目になるが、こんなに会場全体が盛り上がった試合はこれが初めてなのではないだろうかと思わされた。

「一体何者なんだ? あのリヴィアってやつ────」
「ああ、イリスは今年になってハッフルパフのクィディッチチームに抜擢された6年生だよ。マグル生まれで、箒に乗ったのもクィディッチの存在を知ったのもここに来てからが初めてのことなんだって。面白いんだよ、運動神経が悪いくせに、毎日必死で箒に乗る練習をして、6年目にしてようやく戦力になることができたんだってさ。よくクィディッチの練習に混ざろうとしては追い返されたり、違う寮の僕に飛び方を教えろって言ってきたり────…前から気にはなっていたから、戦える日をずっと楽しみにしてたんだけど、まさかああまで盛り上げてくれるなんてね! 君も感じたろ、あの熱気!
「ああ────そうだな」
「おや、噂をすれば、だ! 挨拶に行くけど、君もせっかくだから一緒に来れば良い!」

そう言うと、ジェームズは反対側の控室からちょうど出てきた黄色いユニフォームの選手達に目を留め、僕に手招きをするなりズンズンとそちらの方へ進んでいった。負けたとはいえ、試合全体の空気が良かったからだろうか、ハッフルパフの選手達もジェームズを歓迎するムードで「お疲れ!」と声をかけている。

いつもながらの勝手な行動に溜息をついたは良いが、ジェームズにとっての"良い試合"が終わった後は、大抵僕も相手チームへの挨拶に連行されるのが常だった。そして大抵、不思議な顔ひとつされずにそれが受け入れられるのもまたいつものこと。良くも悪くも僕達が離れるのはクィディッチの時くらいだというのに、どうやら周りはそうは思っていないらしい。

「シリウス、見ててくれたかい? うちのニューエースの初試合!」
「ああ、見てたよ。リヴィアだろ、ええと────」

見知ったハッフルパフのキャプテンは、自慢げな顔でリヴィアの名を呼んだ。少し離れたところでこれまたユニフォームを着ていない同級生らしき女子生徒と談笑していたリヴィアは即座にその声に反応すると鳥のヒナのように僕らの元に駆け寄ってくる。

「今日はありがとう、ジェームズ! 負けちゃったのは悔しかったけど────」
「ああ、でもMVPは間違いなく君だったよ、こちらも悔しいことにね!」

こんなにも仲良く見えるのは、ジェームズが以前彼女に飛び方を教えていたからなのか。兄妹のようにハイタッチをして、2人は楽しそうに笑っている。

「そうだ、紹介しよう。これがシリウスだよ」
「ああ、ジェームズと双子の! 名前と顔はよく知ってるよ、なんてったってホグワーツの有名人だもの。私、イリス・リヴィア。よろしくね」
「会うのは初めてだが、今日の試合は鮮やかだったよ。ジェームズのお騒がせプレーの後継者ってとこかな。シリウス・ブラックだ、よろしく、リヴィア」
"後継者"だなんてとんでもない! あなた達が卒業する前には二大巨塔として横並びに私の名前を挙げさせてみせるから!」
「おうおう、威勢の良いことだ」

この勢いの良さは、確かにジェームズと瓜二つだ。あとはここにもう少し実力が乗れば、名実共にジェームズと並ぶプレイヤーとしてラインナップに挙がることは間違いないことだろう。

「じゃあナット、私、またちょっと飛んでくるからー!」
「はいはい、門限には気を付けろよー」

リヴィアはどうやら"落ち着く"ということを知らないようで、キャプテンであるナットに一方的にそう言うと、先程まで人で溢れていた競技場の方へ戻って行った。その足取りはやはり鳥のヒナのようで────あ、転んだ。ジタバタと走りながら、地面に蹴躓いてすっ転んで────あれじゃあ、まるでアヒルみたいだな。運動神経が悪いと言われていたのは、どうやら本当のことらしい。

「元気なもんだな」
「いつもああなんだよ。本来誰よりへたくそなくせに、誰よりも頑張ってたんだ。今年、あいつがチームに入ってきてくれて良かったと本当に思ってる。まあ、今日は特に浮かれてるみたいだが…イリス自身にとってもこの試合は悲願だっただろうからな。まあ、少しくらいはあのお転婆にも目を瞑ってやろう」

ジェームズも満足そうに頷いていた。何をするにおいても頭一つ抜きんでていたこいつにとって、きっと何の分野においても"競い合える"友人は貴重なんだろう。

「妬けるな、プロングズ。僕じゃ埋められない"クィディッチの相棒"の座を、卒業目前にして遂に射止めるやつが現れるとはね」
「なんだいパッドフット、可愛いところもあるじゃないか。心配しなくても、僕がこの人生で命まで簡単に預けられるのは君以外にいないよ」

こちらはこちらで冗談を飛ばしながら、寮に戻る。
────後ろの競技場からは時折、何か重たいものが金属に当たるような(つまり、クァッフルをゴールポストにでもぶつけたのだろう)音と、「あーっ、違う!」という賑やかな声が聞こえていた。










それから、だいたい2週間が経つ頃。
門限を過ぎてからホグワーツの抜け道を潜って校庭に出る。禁じられた森でも散歩してやろうかと冷えた空気を切って歩いていると、ちょうどこちらに背を向ける影を1つ見つけた。小さい体を更に縮めるように、足音を忍ばせているのはわかるのだが、その腕から伸びている箒が隠密行動の全てを台無しにしている。更に森の方から大きな音や何かの鳴き声が聞こえる度に「わっ」と小さな驚きの声を出してしまっているので、残念ながらその影が誰のものなのかすぐにわかってしまった。

「────こんな深夜に堂々と箒遊びかね、リヴィア。ハッフルパフから50点減点」
「あっ違うんですごめんなさい! 私じゃないです!!」

ちょっと湧いた悪戯心。声をあえて低くして適当な教師の色を真似ると、影の主であるリヴィアはその場でバッとしゃがみこみ、どこからどう突っ込めば良いのかわからない言い訳をしてみせた。

「…じゃあ、きみは誰なんだ?」
「え? それは、その…って…、シリウス!?」

さっと演技をやめると近づいて顔を覗き込む。リヴィアは驚いた顔から一転、怒った顔をして「ああもう! 紛らわしいことしないでよ!」と僕の膝を叩いた。

「いつもこんなことしてるのか」
「あー…ごめんなさい…。いつもではないんです…ただ、ちょっと、その…たまに…ウン…」

驚いたり怒ったり、かと思えばシュンとしてそのまま俯いてみせたり。表情が豊かで結構なことだ。

「また練習か?」
「そんなとこ、かな」
「門限は守れってナットに言われてただろ」
「でも、ナットは夜の女子寮で1つベッドが空いたところで気づかないし」
「知らないからな、スプラウトにナットが"監督不行き届きだ"って怒られても」
「うっ…」

運動神経のみならず、頭の出来も少々悪いらしい。こちらも「決して悪意はない」といったところか、あからさまにショックを受けた顔をして「ごめん、ナット…」とおそらく寝室で良い子におねんねしているのであろうキャプテンに謝っている。

「や、やっぱりだめだよね。本物の先生に見つかる前に帰ろうかな…」
「勇気を出してここまで来たのにか? 深夜にまで出てくるってことは、相当飛びたかったんだろ?」
「それはそうなんだけど、人に迷惑をかけてまで勝手に動くのかと言われたら……」

そう言いながらも、リヴィアの目線は競技場の方を向いており、箒をぎゅっと握る手の力も抜けていない。

「ようやくチームに入ることができたんだ、1秒だって無駄にしたくないし、1秒でも時間を作れるなら飛んでいたいよ」

────5年前、ジェームズがそう言いながら明け方まで競技場を飛び回っていたことを思い出した。散歩がてらついて行っていた最初の2ヶ月こそ、2人揃ってしょっちゅう誰かに見つかってはマクゴナガルに怒られていたが、彼女もかなりのクィディッチフリークだったせいか、3回目になる頃には「目くらまし術でも使って人目につかないようにしなさい!」というまさかの校則破り斡旋のお説教を食らったものだった(以来、それは僕達2人の間では"伝説のアドバイス"としてよく与太話のネタになっている)。

「────…」

どこの世界でも、飛びたがるやつってのは同じことしか考えないものなのか。

溜息をつき、目くらまし術をかけてやる。杖を向けられた瞬間、反射的にリヴィアは身構えたが、その姿がこちらから見えなくなるころには「え、え、何?」と、自分が何をされたのか全くわからない様子で戸惑う声を出していた。

先程までリヴィアがいたところに、手探りの感覚で上に伸ばした人差し指を向ける。「な、」と言いかけた乾燥した唇に、指の横腹が触れる感触を得る。

「静かに」

身を潜めるのなら、徹底的に。唇がここなら、きっと耳はここ。もう片方の手で彼女の髪をかき上げると、確かにそこに耳独特の形をした造形があった。念の為、そこから離れてしまわないように耳の形を指でなぞりながら、自分の唇がギリギリ振れない程度の距離まで縮めて囁きかける。

「今、きみには目くらまし術をかけた」

耳孔に直接音が入るよう、最低限まで声量を落として吐息と共に声を出す。突然唇に触れられたり、耳元まで近寄って声をかけたり────彼女からすればあまりにも驚かせてしまう出来事だったことだろう。わかりやすく体を身をすくませ硬直される。

「これで周りから君の存在が認知されることはない。競技場についたらどうせ人なんて来なくなるし、そこで魔法は解除する。一応不測の事態が起きた時に備えて、君の気が済むまで僕も傍にいるようにはするよ」
「えっ、でもシリウスだって、何か目的があったからここにいるんでしょう? そんな、私のつまんない練習に付き合わせるのは申し訳ないよ」
「いや、それこそ僕の徘徊なんて何の目的もないものだったからな。それに────きみを見てると、重なるんだ。どこかのクィディッチフリークが見せつけてきた、"どれだけ無茶をしようが箒にしがみついていたい"っていう姿とね。姿は見えないかもしれないけど、きみはどうせピッチに立った瞬間騒ぎ立てるんだろ。せいぜいへっぽこスタールーキーの騒音でも楽しむとするよ」

懐かしいな、と思うのだ。まるで全てが、ジェームズの面影を見ているようで。
応援したい、という気持ちが少なからずあったのかもしれない。珍しいことに。

「────あ、ありがとう」

姿の見えないリヴィアは、顔を俯かせて(自分の手が彼女の後頭部に当たった感触があったので、そんな些細な動きも見えた)消えそうな声で言うと、そのまま僕とはぐれないように、というつもりでもあったのだろうか────ローブの裾をつままれていることを感じながら、競技場へと向かった。

「シリウスも、ジェームズ達以外の人と話すことがあるんだね」
「…一体僕をなんだと思ってるんだ」
「ツンケンしてて、他人に興味のない冷たい人…と、までは、言わない…けど…」
「言ってるじゃないか」

まあ、気持ちはわからないでもないけどな。基本的に何の面白みもない他人になんか興味がないのは事実だし、興味のないものに時間を割くほど僕は暇じゃない。

でも、"面白みのある"他人になら、面白い出来事や悪戯と同じくらいの興味は持つさ。
どうしても7年前にホグワーツ特急でくしゃくしゃ頭の眼鏡と出会った時のことを思い出すんだ。きみを見ているとね。

────2人とも高い観客席の内側に守られたことを確認したところで、目くらまし術を解く。なぜか先程よりも緊張した様子のリヴィアが、まるで硬直術をかけられたかのようにぎこちない姿で「ありがとう」と機械のように繰り返した。

「明け方くらいまでならちょろまかせるはずだから、好きなだけ飛ぶと良い」
「うん……行ってくるね!」

しかし、やはりクィディッチ選手にとってピッチは全ての感情から解き放たれることのできる空間らしい。僕が観戦席に座り込んでようやく落ち着いた空気が流れ始めた頃、彼女はまた元気よく箒を握りしめて、ぐんと上空へ一気に飛び上がった。その姿は生意気にも、手練れたクィディッチ選手そのものだ。

…まあ、時折箒から落ちたり(地上50メートルのところから急降下を試みた挙句のことだったし、別段大怪我を負ったわけでもないので、特にフォローはしなかった)、ゴールポストには何度もクァッフルを入れ損ねたり────なまじ勢いの強さがジェームズと似ていただけに、そのプレーの粗がやたらと目立っていたのも事実なのだが。

それでも彼女は、ずっと1人で練習を続けた。何度落ちても、何度失敗しても変わらない。
形振り構わず、息を切らし、恥も外聞も捨て、広い競技場を縦横無尽に飛び回る。

それからたっぷり3時間は経っただろうか。
彼女はようやく満足したようで、地面に着地するとこちらの方まで駆け寄ってきた。

「満足か?」
「ううーん…満足はしてない…けど、今日はこれでおしまい。1日2日で成長できるものじゃないからね、忍耐強く、何度だって"明日"に挑戦し続けるって決めたんだ」

忍耐強く、勤勉に。
こうまで元気で破天荒なタイプは確かにハッフルパフでは珍しい。しかし彼女もまた、確実にその寮の素質を備えた少女だった。

「ジェームズから聞いたぞ、元は運動が苦手なのにクィディッチの練習だけはジェームズに頼み込んでまでやってたってな」
「あはは、恥ずかしいな。彼のプレーは私が"こうなりたい"って思ったそのものだったから────初めて見た時すっごく感動したの! でもただ真似るだけじゃ面白くないでしょう。だから私、決めたんだ。卒業する頃にはきっと、ジェームズより巧くて、ジェームズより魅せられる選手になるんだって! …まあ、でも結局チームへの入団はこの年になっちゃったから、本当はもっと焦らないといけないんだろうけどね」
「────妬けるな」

少し前に、同じようなことを口にした気がする。
あの時はジェームズがやたらリヴィアを買っているところを見て、冗談交じりに言ったものだったのだが────。

やはり、あいつは他のやつとは全く違うんだ、と思った。
ただ立っているだけで、歩いているだけで、喋っているだけで、人を惹き付ける力を持っている。

自分だって、遺伝子によって作られた顔や家で叩き込まれてきた作法、そして家柄────…人が表面的に寄ってくる要素は十分に持っていると自覚している。
それでも、"ジェームズ・ポッター"という人間の魅力と、"ブラック家の長男"というステータスの魅力には根本的な違いがあることを、僕は入学した時からずっと知っていた。

コンプレックスなんて、そんな矮小なものを持ったことはないさ。僕達はいつだって対等で、他のやつらが僕達をどう比較しどう評価しようが、そんなものは知ったこっちゃない。僕達はただ、他のやつらにはできないことをどこまでも追求し、僕達だけの時代を作る────そんな"楽しい未来"を共に目指す仲間として一緒にいるだけ。

それでも、思う。
例えば、その時のチェイサーが僕だったら────僕はきっと狡猾で闇に紛れるような戦い方(それこそレギュラスが良い例として今スリザリン寮のクィディッチチームにいるじゃないか)をしていただろうし、こんな風に他寮の生徒から人懐こく慕われ、自分を超えるべき目標として掲げられ、僅かな間も惜しんで生活を捧げられるほどの人間になれるわけもなかったと思う。

まったく、誇らしいことだよ。我が相棒に目をつけるところが、また見どころのあるやつじゃないか。

「────応援してるぞ、新米パフォーマー」

ハッフルパフの寮の前まで送りついでにそう言うと、リヴィアはにっこり笑って「ありがとう」とその拳で僕の胸をトンと小突いてみせた。










それから、また半年が経って。
時期はクィディッチシーズン閉幕直前、優勝杯はほぼグリフィンドールのものとなっていたが、実質2位決定戦になりえるこの試合はハッフルパフとスリザリンの間で行われることになっていた。

「おや、珍しい。シリウスがハッフルパフの試合に乗り気だなんて」

いつもはまだベッドで睡眠の余韻を楽しんでいる僕が既に着替えて靴下を履いているところを見たジェームズが、すっかり外出の支度を済ませた姿でヒュウと口笛を吹いた。

「イリスかい?」
「さあてね」

いつも通りの適当な返事で濁したのだが、やたらジェームズがニヤついているのが癪だった。

「行くなら一緒に行こう。今回は快晴、風も全くない絶好のクィディッチ日和だ!」
「風は多少あった方が良いんじゃないのか」
「ばかだなあ、風があったらどっちかが有利になっちゃうじゃないか。あくまで今日の僕らは観戦者。いくらスリザリンが嫌いでも、この時ばかりはフェアじゃないとね」

2人でしきりに命の騒がしい空気の中を進み、開幕したあの頃よりずっと明るくなった競技場の最前線に席を取る。
賑やかな音楽と共に、選手入場。相変わらずゴツいやつらで固められたスリザリンチームと比較すると、ハッフルパフの選手達はみんな木の棒に見える。

「堅牢でとにかくパワープレイが強いスリザリンに対して、繊細で小回りの利くハッフルパフ。選手起用の基準が違うだけに、どう試合を展開していくのか楽しみだな」
「相変わらず誰よりも楽しそうだな。きみも実況者になったらどうだい」
「一回打診してみたんだけどさ、まずプレイヤーが実況者になるのは無理だって言われたのと、『ジェームズが冷静に実況できるのは試合前だけでしょ、始まった瞬間雄叫びしか上げられない実況者はパス』って言われちゃったんだよね」
「…それもそうだな」

案の定、試合が始まった途端、あれだけチームの分析に精を出していたジェームズが「いいぞ!」、「やっちまえ!」、「今のは突っ込めたぞー!」と完全なる野次馬と化していたので、僕はひとりの選手を追いつつ、本物の実況者の声に耳を傾けながら冷静にピッチ全体の戦局を見ていることにした。

────イリス・リヴィア。

ジェームズに言われた通り、僕は彼女を気にかけていた。
こいつの双子の妹だと言われても納得してしまいそうな、あの元気とやる気。校則を破ってでも上達したいという、前のめりな姿勢。
僕は彼女に、未来を見ていた。このアヒルは、いずれどこへ飛んでいくのだろうと。

今日もリヴィアは、元気に飛び回っている。あくまでクァッフルを追う間はそれに集中しているようだったが、点を取れば一回転して歓声に応え、点を失えば項垂れる観戦席を鼓舞し、チームの要兼名パフォーマーとして競技場の空気を全て呑み込んでいた。

────ただ、そこに若干の、違和感が。

…彼女、もっと飛べたんじゃなかったか?
もっと速く飛んでいなかったか? もっと声を腹から出して……笑顔も、もっと輝いていなかったか?

いや、気のせいなのかもしれない。ハッフルパフの集団はいつも通りリヴィアにエールを送っているし、どう見ても一番目立っている人が彼女であることに変わりはない。
他の人が気にしていないなら、僕があまりに過剰に彼女の一挙手一投足に気を囚われすぎているだけという可能性だってある。
基準をジェームズに置いているからなのだろうか? クァッフルの駆け引きをしている間、ジェームズほど派手なパフォーマンスをかませないことならわかっている。でも────なんだろう、少しだけ、"辛そう"に見えるのだ。

点を入れれば歓声を。点を失えばもう一度! とやり直しの声を。
やっていることは変わりのないことなのに、なぜだかその声に、いつもの張りがないように見えた。

────そして、試合結果は。
270-90。スリザリンにスニッチを取られ、試合終了。スニッチで獲得できる150点を差し引いても、120-90……単純な得点差で言っても、惨敗だ。

リヴィアは、最後まで笑っていた。ナットの方が、むしろ悔しさを噛み締めた顔で、満足げな顔をしているスリザリンのキャプテンと握手をしている。
彼女のお陰で、試合自体はとても盛り上がるものだったと思う。スリザリンのメンバーだって、そりゃあ7年も見ていればアンフェアなプレーをする代だってあったものの、今年のメンバーはスリザリンが掲げる"高潔な精神"に則って正々堂々としたプレーを見せていた。ナイスゲーム、と十分いえるものだった。

それでも、その日は流石に、控室に行くようなことはなかった。ジェームズと「惜しかったなあ」、「惜しかったか?」なんて会話をしながら、まっすぐ談話室に戻る。

「なんだか、ハッフルパフの陣形がたまに乱れていたような気がしたんだ。何が理由なのかはわからないけど────あれが最高潮に整っていたら、余裕の勝利だってありえるような展開だった。ただ、ここぞって時のミスが目立ってたかな…。スリザリンの選手はそういうところには特に敏感だから、その小さなミスをことごとく拾われて点差が開いた…ってところだと思う」
「────リヴィアの様子がおかしかったような気がしたんだが、それも関係あると思うか?」
「ああ────…まあ、プレイヤーも常に絶好調ってわけにはいかない。確かに僕もイリスの動きにこの間みたいなキレはないなとは思ったよ。でも、彼女はなんせチームに入ったのが今年初めてなんだ。ベストコンディションを保つのは、きっと周りが思ってる以上に難しいことだからね。逆に、イリスが崩れたらチームが崩れる…っていう体制をナットが許容してるなら、そっちの方が問題だと思うよ」

なるほど、それもそうなのかもしれない。

でも、ジェームズ。気づいてるか?
チームが"全員"足並みを揃えて飛んでいるなら、確かにひとりの不調を理由に崩れる軍団は脆弱としか言えないだろう。擁護のしようはない。

でもな────例えば、きみみたいな"存在だけで周りの空気を作る"────良くも悪くも存在感の大きいやつが普段の調子を崩した時っていうのは────本人が思ってる以上に、周りに与える影響も大きくなるんだ。きみは今のところ不調を疑うプレーをしたことがないから、きっとわからないのかもしれないが。
目立てば目立つほど、無意識に周りの期待は高まっていくんだよ。そしてその期待を無意識に背負っている人間が"いつも通り"を維持できなくなった時────無意識に期待していた人間のパフォーマンスは明らかに下がるんだ。

────これはきっと、"天性の人に愛される力"を持っているジェームズにはわからない感覚なんだろう。驕りと知って言うが、"才能があって、人の注目を集める"ことだけなら僕にでもできる。でも、"愛されないことを知り、愛されないが故の人間関係の残酷さを知る"僕の方が、むしろこういう機微には気づきやすいのかもしれない。

人間は、簡単に周りの人間に影響されるんだ。
期待をしていれば、その期待値が大きいほど。

きっと影響された側の人間は、自分が失望してパフォーマンスを落としたことにも気づきやしないだろう。
でも、影響を与えた側の人間は────自分が失望されたことに、悲しいことだがすぐに気づくものなんだ。きみみたいに、良い意味でそういう部分に鈍感になれない人間は────そのことで、自分を追い詰めてしまうものなんだよ。










だから僕はその夜、人目を忍んでクィディッチの競技場へ向かった。
多分、"いる"んじゃないかと思ったのだ。

きっと"彼女"は、満足していない。
自分が、最高潮の状態でプレーできなかったことに。
そのまま、敗北を喫してしまったことに。

これまであんなにもがむしゃらに前を向こうと頑張ってきた彼女のことだ────たった一度の負けでへこたれるような人間ではないはず。

折れるのならそこまでだ。もうきっと、僕が彼女に興味を持つこともなくなるだろう。
でも、もしここで────。

「────っ!」

ああ、箒から落ちて声にならない声を上げている(痛みより、悔しさだろう)その姿があるのだとしたら────。

「よう」

────きっと僕は、これからも彼女に目を掛け続けることだろう。大切な片割れによく似た、妹のような彼女のことを。

「シリウス!?」

リヴィアは地面でひっくり返った姿勢のまま、驚いた表情を覗き込む僕の顔を見上げた。

「どうして────」
「なに、敗北の夜をひとりで過ごすには、少し寒すぎるんじゃないかと思ってね」

邪魔はしないから思う存分にどうぞ、と告げて、観戦席の方へ上る。最前列に腰を落ち着けて膝に頬杖をつき、顔だけで「飛ばないのか?」と伝えるまで、彼女はぽかんとした表情のままこちらを見ていた。

どうやらこのタイミングで僕が現れたことが余程想定外だったらしい。それは当たり前のことだろうな、と内心笑っていたのだが、彼女も冷静さを取り戻したところで箒を再びグッと握りしめる。
────そしてその瞬間、僕を視界から外した。

飛ぶ。クァッフルをゴールに入れる。パフォーマンスがどうのというより、これは単純な飛行訓練だ。彼女の頭の中には仮想の敵でもいるのだろうか。ジグザグ飛行の練習、箒にぶら下がるような体勢から一瞬で高速飛行ができる体勢まで戻す練習、ゴールポストの前で一回転を見せ、シュートまでのタイムラグを作る練習。
彼女の動きはまるで、"攻める"も"守る"も完璧にしようとしているかのような隙のないものばかりだった。それこそ、2年生の時のジェームズのことを再び思い出してしまうような。────まあ、あいつはそれに加えて「どうやったら観客は僕のことだけ見るかな!?」と妙な奇術師になる練習も含めていたような気がするが。

一通り飛び終え、少し疲れたのか(前回見た時には3時間ぶっ続けだったのに、今回は1時間だけだった)、彼女は地上に軟着陸して座り込む。
そろそろ、声をかけても良いだろうか。

「今日は一体どうしたんだ?」
「どうって…何か変だった? どうもしてないよ? ただ負けたのが悔しかったから、無性に練習したくなっただけ」
「あのジェームズの隣に7年も居続けた僕の目をナメないでほしいところだな。箒にも乗らないような男に言われたくないこととは承知だが、今日のパフォーマンス、いつもよりノッてなかっただろ。今だって実際、持っている時間の全てを練習に充てたがっているはずのきみが、1時間で休憩に切り替えた。────何か、いつもの調子を狂わせるようなことがあったんじゃないのか?」

生憎、僕は女性に気を遣って言葉を選ぶことがうまくできない。単刀直入に思ったことを言うと、リヴィアは暫くの間黙り込み────そして、急に鼻の先を赤くした。目には、震える下瞼が必死に零れさせまいと抑えている涙が溜まっている。

────ああ、やっぱり。
きっとあの試合は、彼女にとっても不本意な結果だったんだ。

だって、グリフィンドールとの試合で負けた時には、もっとずっと晴れやかな顔をしていたのだから。

「────男の子にこういう話するのも良くないし、そもそも私がこんなこと、言い訳に使いたくないんだけど」

特に何も言わず、続きを促す。

「……生理が来てたの」
「…あぁ…」

────成程、それは確かに僕が理解しがたい痛みだ。それこそ気の置けないグリフィンドールの女子生徒が生理の重さについて愚痴を吐き合っているところを談話室で聞いたことならあったが、大抵その痛みも、なんなら出血の多い時にも、マダム・ポンフリーから薬をもらってある程度凌いでいると聞いていた────から、もしかすると僕は、その現象について軽視していたところがあったのかもしれない。

「今まではずっと、試合の前には痛み止めも、本当はそこまでするのは良くないって怒られちゃうんだけど────止血剤ももらってた。元気爆発薬だって飲んでたし、毎回その前の夜に、よく眠れる効果のあるハーブティーを飲んでた。月に一回来るものってわかってるんだから、今まではそれでなんとかやってたの。なのに────今回、朝起きたら────急に、生理が来ちゃって。風邪気味なのかと思って飲んでた薬が全然効かないのも当然。出血と体調の悪い原因がわかった瞬間、心身どっちもダメージを食らっちゃったみたいで、さ。────ごめんね、こんなこと言ったって、ただの言い訳にしか聞こえないよね」
「────いや、僕自身には確かに経験がないけど、本来周期がわかっているのにそれを不意に乱されて、生活の全てがめちゃくちゃになる…っていう経験をした友人がいてね。それを傍で見たことならあったから、その理不尽さも、ままならない悔しさも、想像ならできるよ」

リーマスが、満月の日に向けて毎月夜を凌ぐ準備をしていることを思い出す。それでも満月付近の日にはどうしたって体調を崩しているし、そればかりは薬でもどうしようもないらしい。基本的に満月の周期だって決まっているのだから、できる限りのことはしているものの、限りなく満月に近い日に半端な心だけの変化をしかけてしまい、慌てて3人でその姿と不本意な獰猛さを隠した時だってあった。

「────全然…いつものプレーができなかったの。箒を握る手にはうまく力が入らないし、いつもみたいに声を張り上げようとすると、どうしてもお腹や腰が痛くなるし、そうこうしてる間にどんどん点を取られて、挽回しようって頑張れば頑張るほど頭がクラクラしていって…」
「でも、それはきみのせいじゃ、」

ないだろう。
そう言いかけた言葉が、止まる。

リヴィアが意地だけでなんとか堪えていた涙が、遂に一筋流れてしまったのを見たから。

────ああ、そうだ。
こんな時に、気休めの「きみのせいじゃない」なんて"優しい言葉"がむしろ残酷な刃になることなら、流石の僕にだってわかるさ。だって物事が自分のせいでうまくいかなかったと僕が悔やんでいる時、「シリウスにもそんなことがあるんだね。でも、それってきみのせいじゃないよ。きっと環境が悪かったんだ」なんて聞こえの良い言葉を吐かれたところで、胸糞悪くなるしかなかったのだから。

「私は男でも女でもない、"クィディッチの選手"なんだ。ハッフルパフチームの、伝説を作る名プレーヤーなんだ。ただでさえデビューが遅れてるのに、こんな、こんな…"自分の手に負えない原因が理由でチームに貢献できませんでした"なんて言い訳は、したくない」

悔しさのあまり────無意識なのだろう、リヴィアは足元の芝生をぎゅうと小さな手で握りしめた。性別によるビハインド、それは男女どちらにでもありえることだ。僕は生憎化粧品モデルや女優には興味がないが、きっとああいうものになりたいと思っている男達は、同じように「生まれた性だけで自分の夢が制限されることには耐えられない」と思うに違いない。

「私は、ずっと誰より高いところで、誰より速く飛びたかった。どんな逆境にだって負けずに飛んで、飛び続けて、"不可能なんてない"ってみんなに思わせられるような奇跡を起こしたいの。こんな…こんな負け方は、したくないの」
「────前から思っていたんだが、どうして6年もクィディッチに固執したんだ?」

ずっと当たり前のように彼女が飛ぶ姿を見ていたが、立ち返ればそれはとても単純な疑問だった。運動は苦手な分野だというし、魔法に初めて触れてはしゃぐマグル出身の生徒はよく見てきたものの────最初からこの年まで何かひとつに特化してのめりこむやつなんてそういない。

慣れと飽きは、人間の好奇心に必ずついて来る裏の顔。
僕が良い例じゃないか。なんにでもとりあえず手は出すが、ひとつとして長続きした試しはない。卒業後だって僕が"面白い"と思うものを奪おうとしてくる気に食わないやつらを片っ端から倒していくために────そして、僕が正しいと思うものが本当に正しくなるように、できるだけ派手に暴れてやりたい…考えていることなんて、そんなものだ。

リヴィアは躊躇うように僕の顔を見た後、まるでそれを恥じているかのように顔を背けて、昔の話を語り出す。

「────私、1年生の時にあんまり授業についていけなくてさ。呪文もうまく効果を発揮しないし、人の名前もなかなか覚えられなくて。お前が魔女だなんて嘘だったんじゃないのか、って言われて、とにかく毎日が悔しかったの」

ピーターが似たようなことを言われていた時のことを思い出し、やつの泣き顔を彼女に重ねる。ああ────知れば知るほど、この子は僕の大切な人達に似ている。

「でも、泣きながら最後の飛行術の時に箒に"お願い、上がって"って言ったらね…」

ジェスチャーで、何かを掴む仕草をして顔を輝かせるリヴィア。その時にはもう、涙も恥ずかしげな表情もなくなっていて、ただその顔には希望だけが浮かんでいた。きっと守護霊を出せ、と言われたら、彼女はこの時のことを思い出すんだろうな。

「箒だけが、初めて私に応えてくれたの! ────だから私、その時に決めたんだ。他に何ができなくても、何の才能もなくても、ここで応えてくれた"箒"にだけは私も呼びかけ続けるって」

その輝く瞳が映していたのは、満点の星空だった。
良いものに目を付けられたな、と思った。ジェームズも確か、2年生の時に同じような瞳をしていた気がする。空に魅入られ、空に愛された者の瞳だ。

だから、がむしゃらに箒を掴んでいたのか。
チームメンバーに選ばれなくても、試合に負けても、きっと"そういう人"にしか見えない世界に憧れ続けていたから。なんでも、"そういう人達"は、一度その景色を見てしまったらそこに囚われて離れられなくなってしまうらしい。どれだけの苦渋を味わっても、たまに嫌になって全てを放り出して、道草を食ったりすることがあっても、最後に彼らは必ず空へと戻って行くのだ。

「きみがどれだけ苦労してもクィディッチに固執し続けた理由…やっとわかったよ」
「まあもちろん、いっぱい強い人も、速い人もいた。女だからってバカにされることもあった。運動音痴なくせにって笑われることもたくさんあった。でも、私は、自分が何もできないなんて、そんなことはないって証明したかったの。自分の好きなことを極めるのは何も悪いことなんかじゃない、好きの気持ちだけでどこまででも飛べるんだって…そう、大きい声で言ってやりたかったの!」

わかるよ。
生まれたものだけで、未来なんて決められたくないもんな。生まれた環境だけで、自分の行動を左右されたくないもんな。

「────なら今日は、もう意地を張るのなんてやめて、好きなだけ泣けよ。その大きい声が届かなかったなんて、本当は悔しくてたまらないんだろ。幸か不幸か、今は昼の晴れ間が嘘みたいなこの曇天だ。ついでに、僕は1年生の時からあちこちでやらかしていたせいで、"聞きたくないものは聞かない"都合の良い耳を持ってるもんでね。つまり、今ここにいるのは実質きみひとり。────そういう夜があったって、たまには良いだろう」

いっそ、声を枯らすまで泣けば良いさ。
どうしたって叶わないことがあったとしても、きみがその運命に抗い続けてきたことも、これからだってきっと抗い続けるだろうことなら、僕はもう知っているから。

するとリヴィアは、再びその目にみるみる涙を溜め(ここまでよく我慢してきた、と思えるほどに早かった)、鼻声で、子供のように「本当はあれがしたかった」、「いつもならこれをするはずだった」という"言い訳"を羅列し始めた。
でも僕は、それを言い訳だと素直には思わなかった。この都合の良い耳はそれを言い訳とは受け取ってくれないようだった。

だってそれは全部、彼女が雨の日も風の日も飛び続けたからこそ出る"反省"の言葉。確かに弱音のひとつではあるかもしれない。挫折を経験して、泥濘に何度もハマッて、こうやってひとりで涙に暮れて────その苦しさを知ったからこそ出る、"強い者"の吐く弱音。

ただ、それを正直羨ましい、と思ってしまった────そう言ったら、きっと余計に彼女のプライドを傷つけてしまいそうだったので、僕は宣言通りいないものとして空気を薄めることに徹するしかなかったのだが。

僕には、そんな風に打ち込めるものがなかった。こんな風に、全てをかなぐり捨ててでも得たいと思えるものがなかった。強いて言えば"自由"が欲しい────そう思うことならあるかもしれないが、自由を手に入れるのは僕が今自分の境遇を不自由だと感じているから…それだけだ。

だから、その涙でさえ眩しかったんだ。

────それなら僕は精々、自分には成しえないそんな"ひとつのものに打ち込む"後輩の背中を今だけでも支えてやることにしよう。きみがこの泥濘を飲んで、もっと成長できるように。この経験を糧に、もっと高く飛べるように。

その夜は、彼女の涙が止まるまで静かに隣に居続けた。
別にここに、彼女を甘えさせてやろうなんて優しい考えはひとつとして持っていない。

────それでもきっと、彼女は僕にとって特別な存在だった。
かつての相棒の姿に似ている、それでもやはりあいつの域には届かない、小さなアヒル。
無視は、できなかったんだ。大空を優雅に舞う鷹のような相棒の存在に憧れるというのなら、その飛べない翼に飛行の力を少しでも分けてあげられるならと。

…こんな考えを持っていると知られたら、珍しい、って、ジェームズはきっと言うんだろうな。
でも僕にとっては、これはとても自然な行動なんだよ。僕に情がないなんて、そんなことはないんだ。尊敬に値する人間が相手なら、それに相応しい言動で応えたいと思う────当たり前のことだろう?










その後、今年のクィディッチシーズンは閉幕した。
優勝杯はグリフィンドールに。2位はスリザリン、3位がハッフルパフで、4位がレイブンクロー。どのチームもその結果を真摯に受け止め、"来年"に向けて既に新体制を整えながら各々次の優勝枠を狙い始めていた。

ただ、僕達にはもう"来年"がない。

「────勝ち逃げしちゃったなあ」

満足げに言うのは、卒業帽を被って、主席バッジを胸につけ、ついでに"ホグワーツ始まって以来の名クィディッチプレーヤー"の称号も手に入れた、名実共に王者であるジェームズ。
僕は────王者にこそなれなかったが(そもそもなる気がなかったが)────まあ、うん、そこそこ楽しいホグワーツ生活を送れたよ。最後まで派手に動き、ホグワーツに隠された秘密も可能な限り全て暴き、"カリスマ"なんて面白い呼び名も貰って────限りなく"自由"だったこの7年は、僕にとって貴重な財産だった。これからはこの宝を持って、もっと広い世界で自由を謳歌してやろうじゃないか。
僕は生憎、ジェームズみたいに周りの評価を気にするタイプじゃないからね。自分が楽しければ、それで良いのさ。僕は誰にも縛られない、誰にも何も言わせない、僕だけの人生を歩む。それがきっと、一番性に合ってるんだ。

「卒業おめでとう」

セレモニーの後、寮の後輩に続いてリヴィアが僕ら"2人"に祝いの言葉をかけてくれた。

「僕はもちろん、今後もグリフィンドールが来年も優勝杯を取ることを願うつもりだよ。でも、ハッフルパフがクィディッチ杯を取って、そのMVPプレーヤーとして君の名が轟いたら…それはそれで、面白いだろうなとも思ってる」

ジェームズはニヤリと笑い、リヴィアといつも通りのハイタッチを交わしていた。最初から最後まで、この2人はどこまでも…どれだけの実力差があっても、そこに根差すポリシーが同じである限り、"対等"なんだろう。

「シリウスも、たくさん…そう、本当にたくさん、助けてくれてありがとう」
「おや? きみもうちの可愛い妹君を支えてくれていたのかい?」

茶化すジェームズのことは置いておくとして…リヴィアの瞳に、空を見上げたあの日のような熱がこもっていたことには、すぐ気が付いた。

…そうか。きみは…。

「────そんな大層なことはしていないさ。まあ、これも支えるってほどのもんじゃないけど…そうだな、最後に…未来ある若者にお守りでも託していこうか」

────僕のことを、そういう風に見ていて"くれた"んだな。

その気持ちに名前を付けるのは、野暮ってもんだろう。彼女自身がその感情に気づいているのかすらわからないし、気づいてしまった僕が勝手にそこで答えを出すのはあまりにもナンセンスってものだ。────だって僕は、最初から"決まったパートナー"を作るつもりがなかったのだから。

お互い、気づかなかったことにしよう。
僕にとって、確かにきみは特別な存在だった。そして、もしかしたら"特別"の意味は変わるのかもしれないが────きみにとっても僕が特別であったのなら、それは素直に嬉しく思うよ。

だから、この"お守り"が、きみの翼になってくれたら良いと願うばかりだ。

「これは────?」

僕はポケットの中から小瓶を出して、適当に実家の部屋から持ってきていた深紅の革袋に入れてから彼女に渡した。小瓶の液体は、サラサラと透き通った青色に染まっている。

「僕が調合した、"いつでも体調をそれなりに一定に保てるシロップ"だよ」
「!」

あの涙の日を思い出したのか、リヴィアの顔がぽっと赤くなる。
意図せずして体調を崩した日。思ったパフォーマンスが出せず、翼を広げたアヒルがへなへなと地面に落ちた、あの日。

あの日僕は彼女の"本気"を見て、旅立ちの日にはきっとこれを渡そうと決めていた。
"薬"じゃあ、もしかすると試合前の服用が禁じられるかもしれない。だから、簡単な材料で調合できて、選手の体に"変化"ほどの大きなものはもたらさない…それでも、ある程度の調子は"整えて"くれるような、その程度のおまじない。それを、卒業前の最後の発明にしてやろうと思ったのだ。

「クィディッチの試合の日に使っても、問題は何もない。きみが雨の日も、風の日も、思いがけない嵐の日でも変わらず飛べるようにおまじないをかけておいた。基本的には、毎晩寝る前に小さじ一杯分舐めておくこと。レシピも袋の中に一緒に入れておいたから、慣れたらある程度自分でもストックを作っておくと良い」

ジェームズは「おや、2人の間に何かあったのかな」なんて冗談ぽく言っていたものの────こいつはこういう時にはちゃんと空気を読むから────変に茶化すことはなく、優しい眼差しで僕の手からリヴィアの手に革袋が渡る瞬間を見守っていた。

「あ────ありがとう、シリウス」
「…応援、してるぞ」

そう。
僕は彼女のことを、応援していた。
僕達が取り返そうとしている光とはまた別のところから、人々に光を────笑顔をもたらせる存在。暗がりに潜む闇を追い払うのではなく、明るい場所で声を上げ、太陽の真下で勇気を与える存在。

眩しかったんだ。上だけを見て飛び続けるきみの姿が。
寒く厳しい現実に襲われながら陽だまりの夢を見るきみの涙は、僕にとっては一種の希望でさえあったんだ。

僕がこの手で世界を変えられるなんて、そんな大層なことは考えていない。
でも、もし何か────そう…間接的にでも、後発的にでも守れる"何か"があるのだとしたら────それが、こんな真っ直ぐな笑顔であれば良いと思ったから。

「私────飛び続けるね」
「ああ」
「ジェームズとシリウスがどんなに暗いところにいても照らせるように、どんなに狭いところにいても声が届くように、空に居続けるから」
「それは頼もしい限りだ」

目尻に光るものを滲ませながら、リヴィアは笑った。
何も言わなかった。何も、求めなかった。ただそこには、初めて出会った時よりいくらか落ち着きを得た、それでも何一つ変わらない煌めきを宿した笑顔が残されただけだった。

学校を出た後、ジェームズが前を向いたままボソリと言う。

「────イリス、きみのことが好きだったんだよ」
「…ああ」
「わかってたんだろ。きみだって、本当は────」
「いや、」

良いんだよ。
住む場所が違う。見る世界が違う。望む景色が違う。

彼女はきっと、

「────僕の手の中に収まるような子じゃないのさ」










それから、だいたい2年後。
ある日の夜明け。死喰い人との戦闘の果てに体力も気力も使い果たした僕は、一部を焼き払ったせいで土埃と灰に囲まれた"かつて森だった場所"の中で仰向けに横たわっていた。

こういう日に限って、朝日は眩しい。せめて捕えるなり、最悪殺すなり…とにかく向こうの手数を減らすことができていればもう少し僕の心だって晴れてくれただろうに、生憎その背中に呪いを放つ前に、やつらは尻尾を巻いて逃げていった。────いや、それとも愛しい"ご主人様"からの呼び出しでも入ったのだろうか。昨晩は何やらダンブルドアも動いていたようだったし、あながち見当外れというわけでもないだろう。

風が気持ち良いな。こんなに五体を広げ日光を浴びたのは、いつぶりだっただろうか。
環境保護をしている団体に見つかったら即座に連行されそうな、こんな荒廃とした場所で自然を感じているなんて、随分と皮肉なものだ。これまでずっと夜中の奇襲やら隠密行動にばかり駆り出されていたせいで、光がやたらと目を焼いてくる。でも、その明るさも、炎に巻かれずに済んだ緑の香りが微かに鼻孔をついてくるのも、まあ、嫌な感覚ではなかったさ、もちろん。

なんだか、ホグワーツの校庭で昼寝をしていた時を思い出すな、と立ち上がるための力が溜まるまで、僕は何も考えず懐古に浸ることにした。
無邪気な生徒の笑い声。ジョークグッズを鳴らす派手な音。そして、遠くの方から聞こえるのは────。

「ねえねえ、今日はどこまで飛ぶ?」
「そうだなあ、いつもの一番高い木の…倍は飛びたい! …って、あっ!?」

遠くの方から聞こえる…なんだって?
思い出の中で再生していた幻であるべき声は、思いがけず身近なところから、現実のものとして聞こえてきた。

「…?」

思わず身を起こすと、ちょうど僕が焼き尽くした範囲の際のところに、10歳くらいと思われる女子が2人、身をすくめてこちらを恐々と見ながら立っていた。
────彼女達が身を寄せるように抱えていたのは、"流れ星"が2本。家に置かれていたものでも借りてきたのだろうか。まるで犯罪者と変わらない風体をした僕に、昨日までは青々と茂っていたはずの森の一部消失。そりゃあ、怯えるには十分だ。

転がるように去っていく女子2人の後ろ姿を見ながら、僕はそこに────再び、幻を見たような気がした。
校則破りをして、コソコソと空を目指したあの子。臆病なくせに、箒から手を放すことだけは決してしなかったあの子。

────ああ、今彼女は、どうしているんだろうな。
柄にもなく日の目を見たせいなのか、無性に過去の記憶ばかりが蘇る。
たった2年しか経っていないのに随分と老いてしまったようで…それが少しだけ、腹立たしい。

僕は未だに晴れない心のまま、再び脱力してザラザラとした砂塵の上に横になる。
ホグワーツは、過去だ。自由に遊び、暴れ、怒られながらも守られていたあの日々は、全てもう遠い昔のことなのだ。今度は僕達が、その箱庭を、あの空を守ってやらなければならない。

さて…一足先に外の世界に足を踏み入れてしまった大人は、精々"外の世界"の闇でも払っておくとしようか。あの小さな少女の背中も、きっと僕が守らなければならない"未来"のひとつなのだろうから。────もしかしたら、あの子だって数年後には、あの元気なアヒルのように、空を舞っているかもしれないのだから。その時には、今日みたいな晴れ間を存分に見せてやりたいと、そう素直に思う。
────自他共に皮肉屋と認める僕がそんな風に思えたそれはきっと、"彼女"のお陰なんだろう。

拡張魔法をかけた巾着袋から、小型のラジオを取り出す。周波数を合わせるのは、いつも聞いている月刊預言者新聞のラジオ版だ。だいたいの情勢は、毎日ここから得ている。

『────登場したのはホリヘッド・ハーピーズお抱えのニューヒーロー、イリス・リヴィアです!!

いつもならもっと暗い話題ばかりを垂れ流しているくせに────その時の女性コメンテーターの口調は、まるで祭りが開かれたかのように高揚していた。
…チャンネル、間違えたか?

『ホグワーツ卒業後、単身でトライアウトに臨んだリヴィア選手。学生時代は6年生にしてクィディッチチームに起用されるという遅咲きの選手でしたが、デビュー後の活躍はそれはそれは輝かしいものでした! ハッフルパフ寮の卒業生らしいフェアプレーを見せながらも、溌剌とした勇気溢れるパフォーマンスに、既に固定ファンもついているとのこと。今回の試合も大変楽しみですね!』

外で起きている凄惨な事件や戦争のことなど、まるでなかったことのように浮かれた口調で話すコメンテーター。いや、それよりも僕は、その女性が口にした名前の方にすっかり気を取られていた。

『さあ、そうこうしている間に試合は開始! ああ、やっぱり! 開始早々、リヴィア選手の大胆な空中一回転! 観衆の目を一気に惹き付けます!』

────あの頃は、そんなことをしている余裕なんてなかったじゃないか。

『それでもリヴィア選手の目線はクァッフルに集中しています。早速クァッフルを奪い、ゴールへ一直線へと叩き込むのかと思いきや────おおっと、ゴールポストを一回転してキーパーを翻弄! その動きに、観衆の大歓声────聞こえますでしょうか! 急上昇からの急降下、そして────再び急上昇をした後────……わぁあ、決まりました!』

なあ、リヴィア。君が本当にリヴィアだって言うのなら────。

『完全にキーパーの不意を突き、横からのスライドシュートによる得点! 王者としての実績もしっかりと残しているパドルミア・ユナイテッド相手に余裕のパフォーマンスと実力を見せつけています!』

本来公平な立場であるはずの実況者が、完全にホリヘッド・ハーピーズに…いや、リヴィアに魅せられ、それ以外の選手を見られなくなっている。
まるで、目の前で試合の展開を見せられているかのようだった。幻聴だとわかっているのに、数年前に散々聞かされた「イリス!」のコールが聞こえるような気がする。
初めて彼女の姿を見た時の、あの気温を一気に上昇させるような「私を見ていて!」という彼女の声が、木霊するような気がする。

『まるで白鳥のような優雅な飛びっぷりですね────…!』

白鳥の、ような。

そうか────。

君はあのまま飛び続け、空を支配し────ジタバタともがいていたあの小さなアヒルから、大きな翼をはためかせる白鳥へと成長したんだな。

ちょうどその時、空を大きな鳥が飛んでいく様が見えた。魔法動物だろうか。それとも、マグルの世界で生きる動物だろうか。いずれにしろ、その真っ白な鳥は、自分の体よりも大きな翼をはためかせ、遥か高みを遊ぶように飛んでいた。

その姿が────見たことがないはずなのに、ちょうど今ラジオから流れてくるリヴィアの姿と重なるような気がする。

『それにしても、リヴィア選手の胸元に輝く赤の革袋は、今日もよく目立っていますね。リヴィア選手といえばあの革袋がトレードマークと言われていますが…以前、そこに何が入っているのかインタビュアーが尋ねた時、なんでも"憧れの人から貰ったお守りだ"と言ったそうですよ。それがあれば、彼女はいつも無敵なんだそうです!』

温かい笑みを漏らしながらそう語る実況者の声に、僕の動きが再び止まる。
────赤い、革袋?

あれは、別にクィディッチそのものに影響するわけじゃない。ただ、彼女のコンディションを少しでも整えるためのおまじないに過ぎな────…ああ、成程、"おまじない"、か。

餞別を渡した時の、あの小さな手の感覚を思い出す。あの時触れた手を空にかざすと、指の隙間から漏れる陽光が柔らかく滲む。

遂に、"好き"の気持ちが天を突き抜けたな。
体中を泥まみれにして、それでも宙に浮く透明な階段に足跡を残し続けながら、きみは未来を、空を、確かに掴んだんだな。

『────再び決まりました、リヴィア選手のミラクルシュート!! 聞こえますでしょうか、会場いっぱいに響き渡るリヴィアコール!! 今この空間を支配しているのは、間違いなくリヴィア選手です!! 汗を滲ませ、息を切らしながらも大きな笑顔でガッツポーズ!!』

ああ、まるで目に見えるように、その情景が思い浮かぶよ。
きっとその笑顔は────誰よりも、素敵なものなんだろうな。

おめでとう、幼いアヒル君。
そして頑張れ、優雅な白鳥君。
きみの"物語"は、きっとまだ始まったばっかりなんだろうから。









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