Dear puppy love-W



※ヒロイン名、名字名前ともにカタカナ表記をお勧めします










1978年、冬。
私達は、ホグワーツ最後の冬を迎えていた。

「今日も寒いねえ」
「ジェームズが雪の魔法を新しく作るって言ってたぞ」
「何それ、見に行きたい」

私の隣には、当たり前の顔をしたシリウスがいる。
3年前、新しい日常を始めた私達。もうすっかりと、この身にその"日常"が馴染んでいた。

付き合う前までは、私はこの日常を恐れていた。
関係が変わってしまったら、付き合う前までの"楽しい友達感覚"が失われてしまうのではないかと思っていた。彼のことで頭をいっぱいにして、肩を叩くにも特別な意味が含まれてくるのではないかと勘繰っていた。

────そんなもの、ただの杞憂だったというのに。

シリウスは、私の世界の全てが変わったあの日を経ても、何も変わらなかった。
ただただ優しくて、紳士的で、ちょっとだけ悪戯好きな王子様のままだった。

だってそんなもの…今となっては"当たり前"だ。
シリウスは────1年生の時から私のことが好きだったのだから。今更その気持ちが繋がったところで、彼の私への接し方は変わらない。
じゃあ私の彼への接し方が何か変わったかと言われたら────。

逆に、落ち着いた気持ちで接することができるようになっていたほどだった。

出会ったばかりの頃、私はシリウスのことを"ちょっと距離の近いただの友達"だと思っていた。ただそれだけで何の特別性もなかったからこそ、私はいつも"ひとりで"魔女になるべく修行に明け暮れていた。
彼を特別に思い始めた頃、私はシリウスのことでそれこそ頭がいっぱいになり、思いきり日常生活に支障を来たしていた。

そうして、付き合い始めた後。
シリウスに対して、とても穏やかな気持ちで────それでも"特別な何か"を感じていた。

私はもう、ひとりじゃない。

そんなこと最初からわかっていたけれど、こうしていつも隣にいてくれると、心強さは段違いだ。
ひとりにならなくて良い。全部背負い込んで頑張らなくて良い。マグル界の猿だって、立派な魔法界の魔女になれる。自信家な彼と一緒にいると、自然とそう思えるのだ。

もうこの気持ちが繋がったことを自覚しているから、下手に慌てたりしなくて良い。
好きだという気持ちを、素直に伝えられる。好きでいてという我儘を、素直に表現できる。

彼は私にとって、"安心できる居場所"だった。
私の心を乱すどころか、常に心地良い穏やかさを与えてくれる人。確かに私達の関係の名前は変わったかもしれないが、むしろそれによって私の精神状態は遥かに安定し、そして年相応────というより"魔法界相当"の人間性を備えられたと思う。

そうだな、入学した頃から変わらないものと言われたら────。
やはり、私に対する評判があまりにも極論状態のまま、というところだろうか。
"ヤマトナデシコ"として尊敬してくれる人もいれば、相変わらず"黄色い猿"と罵られることだって多い。
私は当初からあまり人の意見に左右される方ではなかったので、それに対する"無視"という対応自体も何も変わっていない。
そして、シリウスの反応も────。

「君は自分の肌が白いってだけで誰かより偉いと思っているのか? じゃあ君が次の夏休み明け、少しでも日焼けしていたら僕は君を見下してやるぞ」
「シリウス、ステイ」

────あの頃から何も変わっていなかった。いや、反論のボキャブラリーが増えたという意味では変化と言っても良いのかもしれない…が。

「ねえ、気持ちは嬉しいけどいい加減シリウスが疲れちゃうよ。私が気にしないことなら知ってるでしょ」
「だからこそ僕が代わりに怒るんだよ。あれは看過してたら悪化するだけだ」
「自分の悪口はあんなに軽やかにスルーするのに」
「良いんだよ。僕が悪く言われれば言われるほど、レギュラス坊ちゃまの株が上がるだろ。家を捨てて"ブラック家"を背負わせた償いと思えば安いもんさ」

こういうところ、ずるいなあと思う。
一見周りを見ずに突っ込んでいくタイプに見えるのに、実際は弟さんへの配慮をしてあげていたり…そういう"見えないところ"で気を遣ってくるんだから。私はレギュラスというシリウスの弟さんとほぼ面識がないままこの学年を迎えてしまっていたが、どうあれ一家の柱を背負う立場となれば、弟さんの受けるプレッシャーも小さいものではないはずだ。そんな中、理由が"私"という"別の場所"にあれど…とにかく間接的に"家を飛び出した兄"が暴れれば暴れるほど、"家を継ぐことを受け入れた弟さん"の品格が形成されていく。
それを弟さん自身がどう思うかまでは流石に思い遣れないものの────少なからず、彼の評価が下がることはない。そこまで見越しての喧嘩腰の態度だと言われたら、もう私は何も言い返せないじゃないか。

それに、シリウスは"一見"しないところでも、微細な変化を見せてくれていた。
まあ────なんだ、あえて引き延ばすと余計に恥ずかしくなりそうなので単刀直入に言うと、"優しさに磨きがかかった"。

元々優しい人ではあった。当然誰にでも、というわけではなく、私への好意ありきだからというのが前提なのだが。
人によってはそれを、「下心があるから」と言うのかもしれない。でも私は、あの心の壁の高すぎるシリウスが"私"に関心を持ち、"好意"があるからこそ優しく接してくれることにむしろ好感を持っていた。
下心? そんな下品な言葉を使わなくたって、好きな相手だったら"他の人と違う扱い"になるのは当然じゃない?

「君の髪はとっても綺麗だ。こういうの、なんて言うんだっけ…あー…"ハゲタカの尻尾"?」
「おそらくだと思うけど…"烏の濡れ羽"のことを言ってくれてる?」
「あ、多分そうだ。僕、君の髪が好きなんだ。全てを吸収するような黒髪なのに、太陽の元に照らされると少しだけ明るく反射する。君の顔によく似合う色だよ」

「イリスの笑顔を見てると、どれだけ機嫌が悪くなってもなんだか釣られて笑っちまうんだよな」
「なあにそれ、人を能天気馬鹿みたいに言って」
「違う違う…って君、本当はわかってるだろ、僕が珍しく本音で褒めてるって」
「うーん、最近ようやく皮肉と本気の褒め言葉の違いがわかってきたかな。…って言っても、シリウスの言ってることしか判断できないけど。他の人の言ってる皮肉、たまに真に受けちゃったりするし」
「僕のことさえわかっていれば十分だよ」

「なあ…キス、しても良いか?」
「えっ…と、突然どうしたの?」
「なんだか君の顔を見ていたら、無性に触れたくなったんだ」
「あ…う、うん…その…どうぞ」
「…はは、緊張する癖は絶対に抜けないんだな」
「だって、シリウスの手…」
「手?」
「うん。なんだか優しくて、柔らかくて…シリウスって粗雑なのにさ…」
「おい」
「でも、なんだか私に触れる手つきは違うの。すごく…その…」
「蠱惑的?」
「それ…自分で言う?」
「だってそれを意識してるからな。君には溺れてほしいんだ、僕に」
「っ────」

そんなこと言われたら────ううん、そこまで言葉にされなくたって、シリウスの中にいる私の存在がどんどん大きくなっていることならずっと感じていた。
初めてのキス。壁に追いやられて、選択を迫られて、まるでその場の流れのように受け入れてしまった私。

でも、もうあの時とは違う。

「優しく、触れてね」

シリウスのうなじに手を当てて、そっと引き寄せる。
彼の呆れたような吐息が唇に触れ、そっとそのまま柔らかな感触が重ねられた。

「────はは、"あの"シリウスがこんなに甘やかしだなんて知ったら、きっとみんなびっくりするだろうね」
「僕としては別に構わないぞ? 余計な顔やステータス目当ての女が寄り付かなくなるしな」
「やだな、このシリウスは私だけが独り占めしたい」

そう言ったら、彼は私のことを衝動的に抱きしめた。どうやら私の今の台詞は、彼に相当刺さってくれたらしい。良かった、良かった。

微細な変化を伴いながら、私達はどんどんその距離を縮め、いつしか相手の考え方をほぼ完全に理解し、そうして互いに少しの皮肉を混ぜながら恋心を露わにする、という付き合い方に昇格していた。

ああ、変化といえばついでに────。
ジェームズやリリー達のような友人との関係も、何も変わっていなかった。

日本にいた頃、中高生のお姉さん達が「彼氏が一番だから」と言ってたくさんの友達と縁を切ってきた例なら見ている。私はそれも少しだけ心配していたのだが、ジェームズは相変わらず私とシリウスがどれだけ見つめ合っていようとも割って入ってくるし、リーマスは苦笑するだけで止めないし、ピーターはオロオロと私達の顔を窺ってくるだけ。だからたとえどれだけ私が縁を切りたいと思っていても、向こうの方が切らせてくれないのだろうという変な確信だけはあった。

そしてリリーは────…これは驚くべきことだったのだが、この年、つまり7年生になってから、あれだけ嫌っていたはずのジェームズとデートをするようになった
まあ…そこに至るまでには本当に色々なことがあり、私も少ない恋愛経験値の中でジェームズからの相談に乗らせられたり、親友としてリリーの愚痴を聞かせてもらったりと、板挟みの痛い思いを経験してきている。
でも、この過程にはリリーがとても傷ついてしまうような出来事もあったので、ここではあえて語らないようにしよう。この話はいつかきっと、他の誰かがしてくれるから。

と、ということで。
今私達は、1年生の時からはとても考えられないような関係に成長していた。

"変化"…というよりも、きっと"成長"の方が正しい。

こんな未来になるなんて、7年前の私は全く考えていなかった。シリウスがいつか言った通り私は自分のことで精一杯で、自分が"何者か"になるべく前を向くことしかできなかったから。
でも今は、前よりずっと友人との距離が縮まったように思える。単に時間が経っただけではなく────その中で濃い付き合いをしてきたからなのだろう、前しか見られていなかった私の視野は、横や後ろを見られるほどにまで広がった。
友人として慕ってきた子達を、今では"仲間"だとはっきり言える。
敵だと思って避けてきた子達を、今では"わかりあえずとも尊重すべき人"だと諦められる。

全員17歳を迎え成人した今、私達の前には無数の未来が広がっていた。

人気どころはやはり、癒者や闇祓いを始めとした目立つ職業。学者になるという子もいるし、いずれホグワーツで教鞭を執るために世界中を周って来るという子もいた。
ただ、自分の人生をわざわざ公言して回る生徒がそう多くないのも、事実。

噂では、外の世を混沌に陥れている闇の勢力につこうとしている生徒がいる、という話も流れていた。
今、この社会は危険に満ち溢れている。純血思想を掲げ、新たな世を創造しようとしている"例のあの人"と────その名を呼ぶことすら憚られるような人が、何人もの罪なき人を犠牲にしているのだ。ホグワーツ城に匿われていると忘れがちだが、私達はその保護魔法を絶たれたが最後、自分で自分の身を守らなければならなくなる。

そして、陰があるところには必ず────。

不死鳥の騎士団の会合が卒業後すぐにあるんだって。僕らのお披露目も兼ねてるらしいよ」

────光があるもの。

不死鳥の騎士団。
それは、例のあの人に真っ向から対抗する、勇気と知恵と平和と野心の結晶。
ほとんどの魔法使いが自分の身を守ることに必死にならざるを得ない中、その組織は"自分と、自分の大切な人と、名も知らない多くの人"を救うために立ち上げられた秘密結社として闇の中に一筋の光をもたらしていた。

そんな"秘密結社"の名が今ここで声高に挙げられているのは、ひとえに────。

「まったく、騎士団への入団なんて、ダンブルドアがよく許してくれたよ…」
「ムーニー、君だって"一度断られたくらいじゃ諦めない"って息巻いてたじゃないか」
「"一度断られる"のは前提だって思ってた、ってことだよ。プロングズ、良いか、僕らは成人したとはいえまだ社会の中ではヒヨコ同然なんだ」
「堅いこと言うなよ、ムーニー。プロングズが脳味噌お天気なことなんて今更だろ。結論としてダンブルドアは僕らの入団を許可した。それだけで十分さ」
「ぼ、僕まで安直に入団しちゃって良かったのかな…」
「あらピーター、ダンブルドア先生やマクゴナガル先生の目を疑うの? 先生方は私達全員にその道を歩むことを許してくれたわ。何も俯くことなんてないのよ」
「流石! 僕のリリーは言うことが違う!」
「残念だけどジェームズ、私は私のリリーなの。履き違えないで」

リーマス、ジェームズ、シリウス、ピーター、リリー。
ここにいる全員が、その秘密結社への入団を自らの将来に据えているがためだった。

不死鳥の騎士団、とその単語を始めて口にしたのは誰だっただろうか。どうせおそらくジェームズかシリウスのどちらかなのだとは思うが、5年生の進路相談を越えてから7年生になる頃には、もうその未来はすっかり浸透していた。

ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーター。1年生の時から4人一組で行動していた彼らがその将来を共にすることなら、なんとなく予想していた。まあ…まさか世を騒がせる"例のあの人"に真っ向勝負を挑みに行く、とまでは流石に考えていなかったけれど。

どちらかというと、私が意外に思ったのはリリーまでもが騎士団に加入すると言い始めたことだった。
ジェームズと付き合い出した影響なのだろうか、と思わなかったわけではない。もちろんそれだって、ひとつの要素にはなっているのだろう。
でも、落ち着いて考えたら────その未来は、最も彼女らしいものだったのかもしれない。

後からシリウスに聞かされた情報でしか知らない、5年生の時のとある事件。それをきっかけに、リリーは今までにも増して闇の魔法を嫌うようになった。
元々勇気があり、公平で、とても優しい人だった。ただ────"スネイプ"という私と同じ学年の男の子(シリウスはよく彼を"すにべるす"って言っていたけれど、いくらなんでもそれが本名ではない悪口であることくらい、私にもわかる)と揉めてから、リリーの"光"は一層増していったのだ。まるで、そこに潜んでいた"闇"を意図的に捨て去るように。

────ちなみに私は、シリウス達とスネイプ達の確執についてはよく知らない。知らないというより、知らないようにしていたという方が正しいだろうか。
彼らの問題については、触れにくい部分があった。思想、目指すもの、信じるもの、彼らの間にある溝はあまりにも深すぎる。そこを覗こうとすれば、中に引きずり込まれるのは必至。
もちろん、"シリウスの彼女"としてなら、そういった彼の抱えている問題にも歩み寄るべきなのかもしれない。

でも────私は、それが全ての解だとは思っていなかった。

恋人だからって、全てを共にしなければならないわけではないと思う。
恋人だからって、自分の考えを捨ててまで相手に味方しなければならないわけではないと思う。

私は私、シリウスはシリウス。どんな関係であれ、私達は良い意味で"他人"だ。抱えるものが違うことなんて、当たり前なのだ。

他の人がシリウスをどう思っているかなんて知らないけど、私にとってのシリウスはいつだって、お日様カンカンの真昼間だって、その輝きを失わない一等星。ただそれだけで十分だったし、彼もそれをわかっているのかわかっていないのか────あまり私にそういった闇の部分は見せてこなかったので、裏事情を知らないまま私は今に至っていた。

「それで? イリスはいい加減、行くところを決めた?」

騎士団に入ったらどんなことをしようかと盛り上がっている最中、ジェームズが不意に私に声をかける。

「んー…」

私は曖昧に笑って、その答えを濁した。イギリスの人が"遠回しな皮肉"を得意としているというのなら、"そもそもの答えを濁して全てをうやむやにする"のが日本人の得意分野だ。
実はこの質問は、5年生の時から何度か掛けられている。私が毎度明確な答えを出さないので、彼らも何かしら察しているのか、そう頻繁に尋ねられるわけではないのだが────それでも、こういった機会には折を見て探られている気配を感じる。

「なあんだ、まだ決めてないの? 受け入れる側もリミットもそろそろ迫ってるんじゃないか?」
「そうだね、わかってはいるんだけど…」

まだ"進路を選んでいない"という体で、私は周りに接していた。
────実際、迷いがないわけではない。

もちろんジェームズの言う通り、ホグワーツの卒業生を迎える企業ないし団体にだって、"受け入れる準備"は必要だ。7年生の冬ともなれば、ほぼ99%の学生が進路先を決めて、既に相手側と受け入れ後の処遇について打ち合わせを行っている。
残っている1%は、希望しているところになかなか受け入れてもらえず本当に路頭に迷いそうになっている頑固な学生か────あるいは、私のように卒業後の進路を明かしていない学生。…もっとも、後者は厳密には"進路が決まっていない"わけではないので、その1%に含めて良いのかわからないが。

私が迷っているのは、卒業後どこに身を置くかではなかった。
決まっているのだ、私の行き先は。彼らにそれを伝えていないだけで、私を受け入れる先の人とも内々に打ち合わせを進めている。

私が迷っているのは────その進路で本当に良いのか、ということだった。

進路を決めるにあたり、私にはいくつかの選択肢があった。
まず、シリウス達と共に不死鳥の騎士団に身を置いて戦う選択肢。
それから、一般企業に就職する選択肢。
あるいは────日本に帰り、日本の魔法学校で教鞭を執る選択肢

ホグワーツに入学してから知ったことなのだが、魔法界にも国毎に魔法学校が存在していた。当然、日本にも。
通称"マホウトコロ"と呼ばれるその学校は、極東ならではの魔術を独自に学ばせており、私達のように杖を振り回して戦うというよりは、日本に棲息する魔法動物と共闘したり、星読みや死者との交信────まあ有体に言えば"降霊術"のようなものを使うそうだ(彼らの噂を読み解いてみると、卑弥呼もどうやら古代最強の魔女に挙げられているらしい)。

私はここで魔法を学ぶうち、外国の魔術にも興味を持つようになっていた。
自分が日本をルーツとしているからだろうか、「他の国(特に日本が挙げられるのは当然だが)ではどう魔法を行使するのだろう」というところに他の学生より強く惹かれていた。
だからこそ卒業後はその外国の魔術を実際に学ぶ────あるいは、イギリスの魔法を持ち帰って教える、という未来は十分選択肢としてありえた。

もちろん、イギリスに留まることだって考えた。
10歳の時に越してきた時から、私はずっとこの地に住み続けるのだと思っていた。現に7年経った今でも、父親の辞令は出ておらず、両親もイギリスを離れる気配がない。
長い時間をかけてこの身に馴染ませた"イギリス"という概念。案外私の肌にも合っていたらしいそれをわざわざ捨ててまで日本に戻る理由は、もはやホグワーツを卒業するイリス・リヴィアにはなかった。

だからもちろん、進路を決めるまでにも相当悩んだのだが────。

「なあ、本当は決まってるんだろ。行き先」

夜も良い時間になり、そろそろ解散しようかと6人の輪が散った頃、シリウスが私にそっと囁く。

「…たまには私だって、ちっちゃな秘密を抱えてみたって良いでしょ?」

やはり私は答えを濁したまま、ぴんと腕を最大限にまで伸ばしてシリウスの髪を撫でる。

もう決めたことだ。今更他の選択肢はない。
それでも、それを公言するだけの勇気が、私にはまだなかった。

卒業後。自立して、庇護の魔法から解き放たれた後。
その後、自分がどう生きていくのか。どういう志を抱えて、魔法という特別な力を生かすのか。

私にとってはホグワーツに入学することを決めた時以上に大きい────つまり人生で一番大きな選択肢。だからこそ、私は最後の最後、隠し切れないことが確実になるその時まで、自分の未来を誰にも告げないと────それだけは決めていた。

私が自分の人生に納得するまで。私が自分の未来に自信を持てるまで。
たとえシリウスにでも────いや、一番大事なシリウスにだからこそ、話せない。

「じゃあこれだけ教えてくれ。どうしてそんなに隠したがるんだ? 何か困っていることでも────?」
「…シリウスは優しいね。ふふ、昔とは大違い」
「話を逸らすな、イリス…」

しかしシリウスは私が頑として言わないことを早々に察し、大きな溜息をついた。そう、時を経て"おとなになった"のは彼だけじゃない。
私だって、ヤマトナデシコの端くれ。こうやって適当に微笑んでおけば、大抵の人は平安時代の貴族辺り(外国の人が想像するジャパニーズの模範的なイラストだ)のようなイメージを持ち、諦めてくれる。3年生の時に付き合ってから4年近く経つが、私はその"ヤマトナデシコごっこ"に磨きをかけ、遂にシリウスとも対等に情報戦ができるようになっていた(彼氏と情報戦だなんておかしい、って日本の子に聞かせたら笑われそうだけど、シリウスを知ってる人ならこの言葉の重要性、わかるよね?)。

結局私はその日も彼から逃げ切り、もはや私から情報を聞き出すことを早々に諦めてくれたリリーの元へと戻った。

「どこへ行ったって何をしたって構わないけど、私とはずっと友達でいてね」
「そんなの! こっちの方からお願いすることだよ、リリー。ごめんね、いつも濁してばかりで」
「良いのよ。進路なんて、みんなが自分から言ってる分には勝手だけど、本来人に無理矢理口を割らせるものじゃないもの」

リリーのこういうさっぱりとしたところが、私は大好きだ。
1年生の時から築かれていた友情は一度も揺らぐことなく、またひとつ時を別れの時にまで進めようとしていた。









────そして、来る学年末。

「ねえ、私の髪型変になってない?」
「大丈夫、とっても綺麗に結えてるわ。あ、ごめん、私の背中のファスナー上げてもらって良い?」
「もちろん」

今日は、卒業を控えた私達にとっての一大イベント────プロムが待っていた。
私とリリーは今、その準備に追われているところ。

何せこの7年間、私達はまともにおしゃれをしたことなんてなかったのだ。
夏休みに顔を合わせてお出かけしたことならある。でもそれは単に街中を歩くだけだったから、化粧だってこんなに濃くないし、着ているものだってこんなに難しくなかった。
"パーティー"の場に相応しい華やかな格好をするために、私達はもう少し────そうだな、あと2時間くらいは余裕を持っておくべきだったのだろう。

大広間での集合時間まであと5分。私達は最後にアクセサリーをいくつか見繕いながら、最後まで互いの姿をチェックし合っていた。

ああもう、ジェームズったら!!

ようやくイヤリングを両耳につけたところで、飛行機状に折られた紙がリリーのドレスの腰元をつっつく。中身を確認せずとも、それがジェームズからの催促のメッセージだということは私にもわかった。

「ジェームズには"女の子の準備を急かしちゃいけない"って教えないといけないね」
「その点あなたのシリウスは優秀よね。まったく、どこで学んできたんだか」
「さあ? 意外とあの人、そういうの"勉強してから"臨むタチだからなあ」
「あ、覚えてるわよ。ロマンチックなキスをしてくれたってあなたがドキドキしながら話してくれた翌日、ピーターが間違って"意中の女性を夢中にさせるためには"って本をシリウスの鞄から取り出しちゃったのよね」
「そもそもピーターに"僕の魔法薬学の本を取っといてくれ"なんてパシリみたいな扱いするのが悪いんだよ。あれは自業自得」
「あの後のシリウスの反応で十分罰にはなったんじゃない? 私、彼の顔が真っ赤になるところなんて初めて見たわ」

なんてことのない思い出話に花を咲かせながら、それでも手元だけは忙しなく動かし、ようやく私達は人前に出られる格好にまで自分を飾り立てた。最終チェックは共に念入りに行い、「よし」と頷き合って談話室へと降りる。

今日の談話室は、いつにも増して華やかだった。
基本的にその場にいるのは7年生。他の学年の生徒は授業に出ている時間帯なのでほとんどいないのだが、先輩からお誘いをいただいた後輩ちゃん達はいかにも緊張した面持ちで端の方に立ちながらパートナーとの合流を待っている。

プロム────卒業前に行われる、いわゆる学年末パーティーだ。
その日ばかりはみんな着飾って、それぞれ異性のパートナーを連れ、ダンスや飲食の時間を楽しめるようになっている。

こんなもの、日本にはない文化だった。もちろん、大学などでは独自の卒業パーティーが催されているらしい…という噂なら聞いたことがあったが、小学生だったあの頃の私にはとても縁遠い話だったものだから、あまりその辺りの知識はない。
しかしそんな私も今では海を越えれば高校を卒業する年。魔法界換算で言えば成人もしているし、来週にはこの箱庭を離れて一人前の社会人として扱われるようになる。

もちろん卒業セレモニーは別枠で設けられているものの、プロムは実質、私達にとって"最後のホグワーツでのお祭り"という認識になっていた。特に異性を誘い合って参加するパーティーということなのだから、盛り上がり方も尚更だ。
このためにダンス指導の授業まで受けてきた。男女が駆け引きしながら誘い合う様も、散々見て来た(特に下級生が憧れの先輩に誘ってもらおうと何度もアピールしている姿なんて、本当に微笑ましかったくらいだ)。

その点、私とリリーの相手が決まるのは早かった。
ジェームズはなんだかいつもより気取った様子でリリーの前に跪いて「僕の手を取ってくれるかい?」なんて言っていたけど、シリウスはもうただ一言「当日、僕と踊ってくれ」と言い捨てただけ。まあ…信頼されていると思えば悪い気はしなかったし、私もプロムに参加するのなら相手はシリウスしかいないと思っていたのでちょうど良かった。

リーマスとピーターは、それぞれグリフィンドールの同級生の女の子と"友人として"組むことになっていた。
別にこれはもちろん、「相手は誰でも良いから」とか「他に女の子がいないから」とかではない。

私達7年目のグリフィンドール生は、熱に差こそあれど、全員仲が良かったのだ。
特に悪戯仕掛人はどのタイミングでも一緒にいたし、5年生になってリリーがその輪に溶け込むようになってからは、残り2人いる同学年の女子も時折私達の会話に混ざるようになっていた。…当然、不死鳥の騎士団の話をする時だけは、彼女らのいないところを狙っていた…という点においては、"ジェームズと付き合っているリリー"と"シリウスと付き合っている私"が少し優位に立っていた、と言わざるを得ないのだが。
だからこそ、彼らがパートナーを決めるのも早かった。意中の相手がいないからこそ、そして"パーティーという華やかな場に行ってみたい"という目的も一致していたからこそ、彼らは"友人"のまま、その手を取り合っていた。

私とリリーが談話室に降りるやいなや、ジェームズが我先にと飛び出してきた。後ろからシリウスが、いつも通り首をかいて欠伸をしながらのたのたとついてくる。

「ああ、リリー…今日の君はまるで森の妖精のようだよ…。赤い髪を際立たせるグリーンの瞳、僕はずっとその瞳に吸い込まれ続けてきた────それがどうだい、全てを吸収するグリーンが、今日は却って世界ごと染め上げてしまいそうなほど溢れてる!」

ジェームズはリリーの瞳と同じ色をしたグリーンのエンペラーラインのドレスを見て、こちらが恥ずかしくなるほどの賛辞を述べた。恐ろしいのは、これが全て彼の本音だと、誰の耳に聞かせても明らかなところだ。もはやこの大仰(ジェームズにとっては至って普通のことらしいが)な言い方にも慣れている様子のリリーは、苦笑して「それなら、さっさとこの緑に染まってくれる?」とこれまた格好の良い返しをしてみせた。

その後ろから現れるシリウス。
彼は…驚いた、まるで結婚式で纏うかのような真っ白のスーツを着ている。
普段ローブを着ているせいで隠れがちな体形が、今日はぴったりと合わせられたオーダースーツのお陰で露わになっていた。程良く広い肩幅、逆三角形の形へ細まっていくウエスト、何メートルあるのかとメジャーを持って行きたくなるほど長い足(特に日本人は足の短い大人が多いので、こうして足の長さを改めて見せつけられると未だにびっくりしてしまう。ほら、シリウスって普段の制服の着方もだらしないから)。

「────君の手を取ることができて幸せだよ、ジャパニーズプリンセス。君の袖と裾はいつも気にかけているから、今日は存分に僕を頼ると良い」

そう言って、彼は足同様に長い腕を伸ばして、私の手を待つべく掌を上に向ける。

私は着物の袖を片手でそっと押さえると、もう片方の手でシリウスの掌に自分の掌を乗せた。

純白のタキシードと、深紅の着物。
傍目には、その姿がきっと異色に映っているのだろう。

それでも────なんとなく、私にはその意図がわかるような気がした。

そう、私が選んだのは着物だった。

ただ、それは1年生の時に着たような"本物の着物"ではない。

私がこれを着るにあたって考えていたのは、"イギリスと日本の親和"。
元々日本からやってきた私が、それでも7年間築いてきたイギリスでの人生。それは私に多くの学びをもたらし、多くの未来を切り拓いてくれた。

自分が日本人であることを誇りに思う。それはずっと、変わらない。
でも、自分が日本人であることには固執したくない。

だから────選んだのが、この"着物のドレス"だった。

まず、素材はサテン。
それから襟ぐりを大きく開き、オフショルダーのスタイルにする。ただそのまま襟を広げてしまうと、重ね合わせている2枚の襟がどんどんずれ落ちていってしまうので、その分掛襟を支える"帯"をもっと上に持く必要があった。
そうして思いついたのが、少し息苦しいところはあるが────"バスト部分に帯を持ってくる"という発想。ドレスで言うならコサージュにあたるところに、通常使われる帯より少し細い帯を巻き、幾重にも重なった花を咲かせた。着物自体の色が赤なので、帯の色は金色────グリフィンドールの、もうひとつの色だ。こうして最後に完成したのが、コサージュよりずっと大きく、ずっと目を惹く花型の帯である。
さて、帯をなんとか胸元で巻いた後。実は私は、襟先から褄下までの一部分────つまり、襟を帯で支えた後の"下半身"で途端に広がり出す布を、縫い合わせることを強いられていた。

普通の着物なら、しっかり胸元を締めた後で帯を巻く。襟先から褄下までは直線になっているので、胴元で帯さえ巻いてしまえば上半身の布も下半身の布もしっかりロックされるのが当たり前だ。

でも、私は"上半身をロックするため"に、既に帯を使ってしまった。しかも、今回使っているのは"あえて曲線を描いた"マーメイドライン"の布。襟や帯のようなパーツを"それらしく見せている"だけで、広げてしまえばそれはただの波打つ布でしかないのだ。
だから帯を上の方に持ってきたことにより、下半身部分の布は遊びたい放題になってしまう。ちょっと足を出せば、下着が丸出しだ。そんなヤマトナデシコがどこにいる。

────という理由で、私の足りない脳で考え出した苦肉の策が、"そもそも布を縫い合わせて足を出しても布が開けない"構造にすることだった。
当然、これは決して簡単な作業ではなかった。何せ、本来広がっているべき布をひとつに縫い合わせるのだ。着る前に縫ってしまえばこのドレスは体に入らなくなるので(マーメイドラインは…まあ、調べてもらえばわかるのだが、腰元から下にかけて極端に足幅が狭くなる)、どうしたって"布を前で合わせて帯を結った後"にしか作業ができない。

だからこれでも早起きしたつもりだったのだが────残念ながら私は、日常生活で使う魔法の習得を怠っていたらしい。魔法をかけて縫わせるはずだったのに、私の魔法では小学生がやるようないわゆる"並縫い"でさえ雑な下縫い程度の完成度しか出せなかったのだ。ある程度のことならなんでも流せてしまう性格が災いした────というわけで、急遽手縫いすることに。

そこまで終えてしまえば、あとは簡単だった。ストッキングを履いて、着物と同じ深紅のハイヒールに足を置くだけ。

さあ、イギリス風ヤマトナデシコ────私が7年かけて育てた"私"の出来上がりだ。

着物の模様は、睡蓮。まるで川が流れるかのように、金銀のラインに無数の睡蓮が乗せられている。花言葉は、"清純な心"、"信仰"。
素材だけで言えば、深紅のサテンのマーメイドドレス。ただ、そこにあしらわれた"テーマ"は金色の大きな華の帯と、睡蓮に彩られた"着物"のテイスト。

私が最後に残したかったのは、"イギリスと日本の親和性"だった。

ありがとう、ホグワーツ。ありがとう、魔法界。
私という異物を受け入れてくれて。私という異物を、"魔女"にしてくれて。

「ねえ、シリウスのスーツの色ってもしかして…"ブラック"姓を皮肉ってるの?」
「ああ、君とはきっと真逆だな。"包容"のドレスを選んだ君に対し、僕は"反逆"のスーツを選んだ」
「…なんだか、最後まで私達って私達のままだね」
「最初から、な」

真っ白なスーツを着たシリウスと、着物ドレスを着た私。
大広間に足を踏み入れた瞬間、周りの視線が集まることにも────もう、すっかり慣れてしまっていた。

「ねえ…」
「ああ…」

あ、今日はどちらかというと、優しい目の方が多いかな。
でももうそんなの、どうだって良いや

人々が集まると、広い広いホールに音楽が流れ始めた。誰が告げるでもなく、プロムの幕は開く。

私は7年前からずっと、この視線を浴びてきた。良いこともあったし、嫌なこともたくさんあった。
それでも、隣にはいつもシリウスがいた。良き友人として、楽しい悪友として、そして────何よりも愛しい、恋人として。

はみ出し者同士手を取り合ったあの日が懐かしい。ステータスだけで全てを判断され、魔法界、あるいは家から迫害されていたあの頃の私達も、今や堂々と互いにその手を繋いでホグワーツいち大きな広間の真ん中に躍り出る始末だ。

なんだか、おかしい。

私は自然と笑みが零れる口元を締めようともせず、シリウスと音に合わせてリズムを取り続けた。ダンスの練習なんてしたことがないけど、彼が完璧にリードしてくれるのだから何も不安はない。

ダンスに疲れて食事に手を伸ばし始めた生徒が、改めて私達を見る。
わざわざ辺りを見回さなくたってわかっていた。

今この瞬間、ここで一番目立っているのは私達だ。

何かそこに珍しいものを見出すとするなら、"その視線がほぼ全て温かかった"こと。少しだけ、嫉妬…と呼んでも良いのだろうか? 単に私達が嫌われているというより、目立っている私達への怨嗟に見えるような気がした。

ねえ、私達、世界…ひっくり返せちゃったのかな?

だって私達、今こんなに視線を集めてるよ。
まるで世界の中心にいるみたい。

最初はリズムに合わせて足を動かしていたのが、今では私のステップに合わせて音が鳴っているみたい。
最初は周りの人に合わせた動きを取っていたのが、今では周りの人の方が私達の動きに配慮しているみたい。

リリーとジェームズが、すれ違いざまにウィンクをくれる。「君達、今日の主役で間違いないよ」と囁くジェームズの声が、いつになく優しかった。「あなた達、とっても輝いてるわ」というリリーの眼差しが、いつも以上に慈愛に溢れていた。

お腹なんて、空かない。
疲れなんて、感じない。

シリウスとなら、一生踊っていられるような気がした。7年間、やはりどこか後ろめたさを感じていたのだろうか。こうして堂々と光の下を歩けることに、私はこれまで感じたことのない高揚と解放を覚えていた。

「楽しいね、シリウス」
「ああ、そうだな」

シリウスが、優雅に微笑んだ。白いタキシードを着た、王子様。彼は何も装飾なんて施していないのに、なぜかその体から不思議な妖精の光が漏れ出しているようだった。
彼がこんなに心から楽しそうにしているところ、見たことあったっけ? うん、きっと────見たことはあったのだろう。でも────そうだな、やっぱりこのタキシードと、この会場が幸いしているのかもしれない。出で立ち、振舞い、その所作のひとつひとつに、シリウス本来の優雅さを感じる。

ただ、いつになく彼の言葉が少ないのは────きっとわざとなのだろう。
これはあえて王子様ぶって、周りに「シリウスってこんな人だったっけ?」と惑わせる────今まで散々破天荒な振舞いをしてきたシリウスの、"最後の悪戯"といったところか。

だったら、私もそれに"初めて"乗ってあげようではないか。

お姫様のふりをすると決めたら、目を細めて唇を開かないまま口角を上げ、できる限り手足の動きをしなやかにしてみせる。せっかくマーメイドラインの波打つドレスにしたのだからと、ターンする時に合わせて裾を少し大袈裟に広げてみたりもした。

「わあ…」

私が回る度、シリウスが腕を上げる度、感嘆の溜息がどこからか漏れてくる。

「────では」

いつの間に、それだけの時間が経っていたのだろう。
音楽がだんだんとその音量を落としていく。楽しそうな笑い声に満ちていた観衆の声が、一瞬だけ潜まった。

ダンスの終了を告げたのは、いつも通りニコニコと優しい笑顔を浮かべたダンブルドア先生だった。

「君達、大いに楽しめたかのう?」

笑顔の生徒達が、こっくりと頷く。私もシリウスと目を見合わせ、そっと微笑んだ。

「老人が無粋な真似をしてはいかんと思って見守っておったが、諸君らの笑顔がホール中に溢れている時間をわしも非常に楽しく過ごさせてもらった」

空になることのなかった皿も、そろそろこちらの胃袋を配慮してか、量を減らしている。疲れた生徒も増えたのだろうか、ホールの脇に置かれていた椅子も既にかなり埋まっている状態だった。

"もう少し楽しみたい頃合い"が解散するに一番良い、とはよく聞くが、私達は既に"もうこれ以上は良いと思えるくらい楽しんで"いた。"楽しい"より"疲れた"が上回るその頃合いに、先生は号令をかけてくれた。

「この7年間、諸君らは本当に多くのことを学んでくれた。勉学に励んだ者、運動に精を出した者、そして────このように、この最後のパーティーの場にこれだけ集まれたということは、何にも代えがたい"愛情"を君ら全員が育んでくれたということなのじゃろう。そういった絆を大切にしてくれた者がここに多く集ってくれたことを、心から嬉しく思う」

そこで私は今日初めて、辺りの様子を窺った。どの寮の生徒も、欠けることなく参加している。前から校内で有名だったカップルもいれば、リーマスやピーターのように明らかに友人同士で参加しているペアもいる。下級生と一緒にいる上級生は、もしかしたら下級生からの熱烈なアピールがあってこの場に立っているのかもしれない。

でも、ダンブルドア先生の言っていることは最もだった。私達がこの場に立っているのは、"相手とのある程度の絆"があるからこそ。先生はよく人への情を"愛"と呼んでいたが、その定義に則るのであれば、私とシリウスのような恋人関係にわざわざ持っていかずとも、この場にあるのは"愛"だけなのだろう。愛に溢れた、おそらく私達庇護を受ける者として最後の────優しい空間なのだろう。

「では、これからプロムの形式に則り、"キングとクイーン"を決めて行こうと思う。みんな、キングとクイーンの立ち位置は知っておるじゃろうな?」

もちろんだ。プロムにおけるキングとクイーン────それは、参加者の中から投票で選ばれる、"最も輝いていたペア"に贈られる称号だ。その名を与えられた者は、文字通りキングとクイーンになり…────例えば学力におけるトップを"主席"と呼ぶのなら、"ホグワーツにおける最高のペア"を表す意味としてその言葉が用いられるようになる。

再び、ダンブルドア先生の号令が入る。
投票箱は、キラキラと輝く宝石箱。羊皮紙の切れ端に"一番素敵だ"と思ったペアの名を書き、魔法でその紙を飛ばすと、"書かれた文字"だけが紙から離れて宝箱の中に吸い込まれて行く仕組みになっていた。
総勢50名程度の投票が行われると、宝箱はその輝きを失わないまま宙に浮き、クルクルと回転し始めた。まるで中に入っている"名前"をシャッフルしているかのようだ。

「宝箱が今、計算しておるからの。ちょっと待っていておくれ」

────私はその時、組分け帽子のことを思い出していた。
自分でも気づかなかった潜在的な欲望。自分の力では進めないと思っていた未来への後押し。

なんだか、この宝石箱も"私達の全てを見ているのではないか"という予想が頭を掠めた。例えば、単純に投票された名前の数だけで判断するのではなく、日常生活における"ホグワーツに最も相応しいペア"としての振舞いを判断機軸に入れられるのではないかと────。

別に自分が絶対選ばれたい、と思っているわけではない。
私はただシリウスとの相性が良いと思っていて、それを幸せに感じている。それだけで十分だった。他にだって仲睦まじいカップルはいるわけだし、ここで無理にホグワーツいちのカップルになったからって何かの勲章をもらえるわけでもない。

ただ────。
少しだけ、期待してしまう自分もいるのだった。

はみ出し者同士で手を取り合ったあの日、悪ふざけをして一緒に先生に怒られたあの日、せっかくお互い想い合っていたのにすれ違い続けていたあの日、その空白を埋めようと言わんばかりにお互い寄り添い合ってきたあの日────。

こんなにも、一緒にいて心地良い人がいるなんて知らなかった。
こんなにも、自分を認めてくれる人がいるなんて思いもしなかった。

だから。
だから、もしかしたら────私達の名前が呼ばれるんじゃないかって。

そんな、淡い期待をしていた。

「────さて、投票結果が出たようじゃの」

宝石箱は些かその光を落とし、再び小さなテーブルの上にストンと舞い降りて来た。

大広間は静寂に包まれている。誰かの小さな咳払いですら、反響していつもより大きく聞こえるくらいに。

「では、発表しよう。今年度における、キングとクイーンの名を────」

そうして、宝石箱の蓋が、開く────。





シリウス・ブラック&イリス・リヴィア





────結果が出るのは、一瞬だった。
大広間の空を埋め尽くすほどの、金色の雪が降る。宝石箱から無数に放たれたその小さな小さな宝石の中に、私とシリウスの名前が大きく銀色に彩られて浮かび上がった。

…暫し静寂に包まれていた大広間の中から、いつしか自然と拍手が沸き起こった。もちろん全員ではないのだろう、が────間違いなく大多数の参加者が、この答えを喜んでくれていた。
隣にいたリリーにそっと肘を小突かれる。その更に隣にいたジェームズなんて、身を乗り出して「おめでとう!」と叫んでいた。少し離れたところにいるリーマスもピーターも、手がちぎれそうなほど勢いよく拍手してくれている。

思わず私はシリウスの方を見た。

彼は────すっかり"悪戯"をやめた、いつも通りのニヒルな笑みを浮かべてみせた。

やってやったな

その日────かつて2匹のはぐれものだった雛鳥が、7年かけて学校一の品位を誇る白鳥に成長したことを証明してみせた。










「忘れ物、ない?」
「待って────あ、ほらやっぱり。引き出しの奥に羊皮紙が────…ふふっ、見てリリー」
「え、なあに? …あはは、懐かしい。"明日の朝、一緒にご飯食べない?"ですって。これまだきっと入学してから一週間も経ってない頃よね」
「遠慮しすぎた私が声をかけられなくて、頑張って書いたメモなんだよね。頑張って隠そうとしたのにリリーが無理矢理私から取り上げるから…」
「そりゃあ、"待って、ううん、違う、ちゃんと言うつもり、だけど、ねえ"って…確かそんな感じじゃなかった? あんな無茶苦茶な溜め方されたらそりゃあ取り上げるわよ」
「よく台詞まで覚えてるねえ…」
「覚えてるっていうか、あの時のあなたはずっとそんな感じだったってことよ」
「そんなに挙動不審だった?」
「というより、知らない人にはどんどん話しかけられるのに、いざ"友達"になると色々配慮しちゃうって感じかしら。それも日本人の性?」
「なのかなあ…。でも、もうわかんないや

ホグワーツ、最期の日の朝。

私とリリーはバッグに全ての荷物を詰め込んで、7年間第二の家として過ごしてきた寝室に別れを告げようとしていた。

「────私達には、特急で話してくれるのよね?」

最後の荷物確認をして階段に足をかけた時、リリーが少しだけ眉を吊り上げてそう言った。
彼女が言いたがっていることなら、痛いほどにわかっている。

────私は未だ、卒業先の進路について親友達に話をしていなかった。

いくら私の意思を尊重してくれていたとはいえ、曲りなりにも親友としてずっと傍にいてくれたリリー達。今まではホグワーツという城の中で生活を共にしていたから秘密を抱えていても許されたが、明日からはそうはいかない。
私がこのまま黙り続けてしまえば、彼らとは一切音信不通になってしまう────私としても、それは避けたかった。

でも、私は「ごめんね」と何度も謝りながら、それを告げる機会を後へ後へと先延ばしにしていた。最終的に、ジェームズ達悪戯仕掛人もいる前で5人に向かって「明日、ホグワーツ特急できちんと私の行き先を話すね」と伝えたことで納得してもらっていたのだ。
溜めたからには、それなりの事情も話さなければ。そう思って、私は悩みに悩んだ末、後悔しない未来をきちんと思い描けるまでに自分と対話を重ね、そうして明日から行く道を自信を持って話せるようにまで仕上げてきた。

だけど、特急に乗る前に。

私には、それをきちんと誰よりも先に打ち明けるべき人がいる。

「じゃあリリー、ちょっとだけ先に行って待ってて」
「オーケー、ジェームズ達と合流してコンパートメントを1つ占領しておくわ。これだけ焦らされたんだもの。台本の準備、しっかりね」

リリーはそう言って悪戯っぽく笑うと、私から離れて先に談話室を出て行った。
途中、ジェームズがその背を追う姿が見えた。リーマスと、ピーターも。

下級生達が学年末パーティーの余韻を楽しみながらワイワイと戻ってくるのに反して、どんどんその拠点から遠のいていく卒業生達。
入り乱れる人の流れの中、時を止めてその場に留まっていたのは────たった2人だった。

私と────それから、シリウス

彼には昨日のうちから、「ホグワーツ特急に乗る前、少しだけ時間をちょうだい」と伝えてある。用件までは話さなかったが、きっと彼も内容を察しているのだろう。

人混みの中でも、しっかりと交差する視線。私がその距離を縮めるべく近づくと、彼も目を伏せて私が目の前に立つ瞬間を待った。

「────ごめんね、シリウス。ずっと黙ってて」
「良いさ。ただし、それなりの回答はもらえると思って良いんだろうな?」

はみ出し者同士で、世界をひっくり返そうと約束した。
結果そんなはぐれた雛鳥達は、立派な白鳥となって空へと羽ばたいた。

私達が出会うまでの11年は、まるでお互いの存在に巡り合うために用意された試練のようだった。
私達が出会ってからの7年は、絶対にお互いの存在なしでは成り立たない奇跡のようなものだった。
そうして、私達が卒業というひとつの岐路に立たされた、その時。

私達の18年の、その先にある────未来の話。

その話を、私は今からしようとしていた。

シリウス、大好きだよ。あなたのことをいつも尊敬していた。
あなたのこと、なんで好きになったのかなんて…もう思い出せない。多分、"あなたという存在"が最初から私にとって特別で、"私という存在"もあなたにとって特別で────そうだね、きっと私達、結ばれるべくして結ばれたんだよね。

一緒にいるのが当たり前だった。どんなことでも共に笑って乗り越えていくことが、心から楽しかった。そうやってただ気の向くままに隣で過ごしていたら────最後には私達、ホグワーツのキングとクイーンになってしまった!

ねえ、シリウス。

私ね。

あなたのこと、これからもずっと好きだと思う。
好きで好きでたまらないんだと思う。恋心のときめきが落ち着いたって、あなたを尊敬するこの気持ちは消えないと思う。

だから。
だからこの道を選んだの。

あなたのことが大好きだから。
あなたのことを尊敬しているから。
あなたと肩を並べるに相応しいと、私が自信を持ってそう言えるように、





────この答えを、用意してきました。





「シリウス、私ね、卒業したら────」









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