Dear puppy love-U



イギリスの文化。魔法界の文化。難しい、血筋や考え方による派閥。
今までのんびりと"小学生らしく"生きてきた私にとって、それはまるで激流に飲み込まれた小石のような気持ちにさせられると同義だった。

順応するために、その流れにうまく乗る術を会得するために、私は必死に"生きる"ことへの力の術を注いでいた。
そうしたら────気づいた時には、もう3年生になっていた。

「おはようイリス、昨日の薬草学のレポート、終わった? 良かったら後で擦り合わせしない?」

「やあイリス、今晩ちょこっと校舎を抜け出して北塔の方を散策しようと思うんだ。君もどう?」

リリーやジェームズ、最初の頃から仲良くしてもらっていたこの2人とは、相変わらず良い関係を築いたまま今に至っている。私のわからないところを常に気にかけ補ってくれ、代わりに私が日本の話を聞かせる。これだけ言えば損得勘定による関係と思われかねないところもあるのだが、これは…イギリスだからなのか、"私達だから"なのかわからない…ただ、その距離感が私にとってはとても心地良かった。何かを"してもらう"だけじゃない。こちらからも何かを"する"ことができる。そうやって、友情が形成されていく。持ちつ持たれつ、互いに頼り合いながら楽しく日々を過ごす────そのことに落ち着きを感じるのは、これだけは、まず私が日本人だからというところに起因するのだろう。

この2年の間に、新しい友人も増えた。

「君はいつも自分のことを卑下するけど、僕からすればセンスがあって羨ましいよ。だって発音だって、一晩練習すればすぐ会得するじゃないか」

リーマス・ルーピン。少しミステリアスで自分の話をしたがらない節はあるが、とても紳士的で大人っぽい子だ。いつもジェームズ達と一緒にいるので、"私と"仲が良いというより、"ジェームズ軍団"と一緒に過ごす時間が多い。

「むしろ僕が君に教えてほしいくらいだよう…。言葉を噛み砕くくらいならできるけど、僕はその後の理論が全然わからないんだもん…」

ピーター・ペティグリュー。彼は私に"日本の文化"を教わる代わりに、"発音をクリアした後"の理論やパフォーマンスを乞う傾向があった。どうやらそこまで海の外には関心がない────というより、本人曰く「僕はもうこのイギリスだけで十分だから…」と完全に及び腰になっていた。

もちろん、他のグリフィンドール生とだって仲良くしている。それでもやっぱり私と接点が最も多い人がリリーとジェームズだからなのか、私がよく時間を共にするのは上に挙げた彼らであることが多かった。

さて、そうすると残るのが────。

「イリス」

シリウスである。

彼だって、1年生の時から仲良くしていた。なんなら私はその時から、彼には他の誰とも違う────なんと言えば良いのだろう、"親近感"に近しいものを持っていた。

彼は、私と似ている。
境遇も、立場も、そしてこれは他の人の発言に頼るしかないのだが────"雰囲気"も。

「シリウス、おはよう。朝ごはんなんだった?」
「僕はいつも通りフルーツだけ。あ、そういえば今日は卵料理がスクランブルになってたぞ。君、好きだろ」
「それは嬉しいな。今日は寝坊しちゃったから急いで食べに行かなきゃ」
「1限はスラグホーンだろ、ちょっとくらい遅れたって何も言いやしないさ」
「ごめんね、私はあなたと違ってどうやら"5分前には到着するジャパニーズ"らしいから」
「ヤマトナデシコも大変だな、貴重な5分を他人のために使うなんて」

いつものように皮肉を織り交ぜた声で優雅に笑い、シリウスは私と入れ違いで談話室の奥へと行った。

その後ろ姿を見ながら、思う。

話していることはリリー達とそう変わらない。別にわざわざ接点を持とうとしているわけでもない。
それでも、私は彼と交わす言葉が、過ごす時間が、一番落ち着くようだった。

それが先述の"似ている"という感覚からくるものかはわからない(おそらくそうだとは思うが)。他の子に自分の本音を明かせないというわけではないが、シリウスにはなんだか「言わずとも理解されている」というような安心感を抱くのだ。
1年生の頃、初っ端に腹を割って話したことが功を奏しているのかもしれない。ホグワーツに来て3年目、いい加減魔女見習いとしての毎日に慣れてきた頃ではあるが、こうして誰か1人でも心から頼りにできる存在がいてくれることはありがたかった。

そんな私の3年目が始まってから、まだ1週間と経っていない頃。

「なあ、良かったらホグズミードに一緒に行かないか?」

久々に全く馴染みのない言葉をシリウスから吐かれた。彼らは出会ってからこの方、私のわからないような固有名詞はあえて砕いだ易しい英語で言い替えてくれていたのに。

「ほぐずみーど?」

聞こえた単語をそのまま聞き返すと、シリウスは少しだけ目を見開いた。

まさか、掲示を読んでないのか? 夏にも手紙が来ただろ?」
「うん、教科書リストの外に何かどこかへ行ける許可証を親からもらえって…あ、それが?」
「ホグズミードだな。じゃあ許可証もないと?」
「ううん、その辺は"ホグワーツのことは信頼してるからとりあえず書いておくわ"って、私のお母さんが」
「…ホグズミードがどんなところかも知らずに、か。良い親御さんだな」
「なに、危険なところなの?」
「いんや、むしろ幽閉された城生活から解放される僅かな憩いの時間さ」

シリウスの言い方はまるで歌うようにのどかだった────からこそ、ちょっとした不安が胸をかすめる。規約を読まずに契約をするような気持ちで私は親から許可証をもらっていたが、"ホグズミード"という魔法界の言葉を調べる術を持たない私達にとってそれは、今思えば詐欺の契約を結ばされたも同然だったのかもしれない。
ホグワーツでわざわざ生徒を危険に巻き込むようなイベントを開催するとは思えないが────どこかそのイベントを楽しみにしている様子のシリウスを見ていると、どこか私も(もちろん悪い意味で)そわそわしてしまう。

「それとも、もうエバンズと約束があるのか?」
「え、リリーも行くの?」
「というか、3年生以上の生徒はだいたい行くもんだぞ。言っただろ、憩いの時間だって」

なるほど、リリーも行くのならとりあえず安心しても良さそうだ。生憎、リリーとはまだホグズミードの話が出ていない…というより、初回は確か10月とか言っていたような気がするけど、新学期早々にこんなお誘いをかけるシリウスの方がよっぽど気が早いだけのことだと思う。

「良いよ、一緒に行こう。まだ誰とも約束してないし」
「決まりだな。また日取りが近くなったら相談しよう」
「それは構わないけど…ジェームズ達は良いの?」
「ああ、今回は大事な初回遠征だからな。僕達は別行動を取ってそれぞれ散策する方針になったんだ」
「…ってことは、私はあなたの散策エリアに付き合うコースってことね」
「そりゃもう、草の根を掻き分ける作業になるぞ」

冗談のようにシリウスはそう言ったが、私としては未だ彼の言葉が本音なのか建前なのか判断しきれずにいた。
もちろん、彼単独(あるいはあの4人組)なら草の根を掻き分けて廃墟に入ることだって厭わないだろう。しかし彼は、私に対しては非常に紳士的な振舞いを見せてくれていた。それこそ、1年生のクリスマスの時のように。

まるで外の世界に興味深々な王子様みたいだ、と私はその様を見る度にそう思っていた。

ちなみに10月、ホグズミードに行く3日前、案の定というべきかなんというべきか、リリーからも同様のお誘いをいただいていた。既に1ヶ月以上前からシリウスと約束している旨を伝えて謝ると、気を悪くした様子こそ見せなかったものの、相当驚いた顔をしていた。

そんなに前からアポイントを取るの!? それも日本式!?
「いや…さすがにそれは…。私も日本にいた頃は"今日遊べる?"が普通だったから…むしろイギリスがそういう文化なのかと思ってた」
「さあ…そりゃあ少し前に声くらいはかけるけど…」

それから暫く思案顔をしてみせた後、リリーはなぜか含みを持たせた笑みを浮かべる。

「────まあ、良いわ。良かったら後でデートの様子、聞かせてね」
「デートだなんて、そんなんじゃないよ」
「あら、そうなの? 2人きりの時間を特別な場所で過ごすことは"デート"って呼んで良いのよ

そうなのかなあ。13歳の私には、まだその感覚は早いような気がするんだけど。

────リリーから"デート"だなんてわざとらしい言い方をされてしまったせいで、私はそれから当日までなんとなく落ち着かない気持ちで過ごす羽目になってしまった。

そして、初回のホグズミード行きの日。

まるで本当のデートでもあるかのように、私は珍しく着る服に迷ってしまっていた。アクセサリーなんてつけちゃったらあまりにも"それっぽい"感じが出過ぎてしまうだろうか。思案の末、結局いつも通りの格好に逆戻りした私は、シリウスがどう出てくるかと無駄に意識してしまいながら待ち合わせ場所と言われた談話室の暖炉前に降り立つ。

既に、彼はいた。
良かった、いつも通りの私服だ。シンプルで、ちょっとだけラフ。マグル風に言えばストリート系と言えば一番近いかもしれない。ただ、それでも彼の高貴さは覆い隠せていなかった。まるでこれじゃあ、高級ブランドの"あえて普段着と思われそうな超高級布"の服だ。

「待たせてごめんね」
「いや、僕も今来たところだから」

…少女漫画みたい────なんて思ってしまうのは、絶対にリリーのせいだ。
私は不自然にならないよう最大限気を遣って微笑み、あえて彼に顔を見せないようにして談話室を出た。

「それで────行き先はどうなったの? 確かに"ホグズミードのことは知らないからどこでも良い"とは言ったけど…」
「マダム・パディフットの店」
「待って、マダムしか聞き取れなかった」
「まあ、要は女子がいてくれないと行きづらい店ってことだ。意図は理解できたか?」
「理解した」

なるほどね。ジェームズ達は単独、あるいは他の男の子と散策コースを巡ると聞いていたから、唯一女子と一緒にいるシリウスがその任を負わされたということだ。マダムなんとかの店が何を扱っているのかは知らないが、この口ぶりなら大方、ピンク色に彩られた可愛らしいカフェか何かなのだろう。

「3秒で飽きたりしないでね、好みじゃないとか言って」
「そんな失礼なこと、君の前では言わないさ」
「どうだか」

今もなお、授業の難しい部分は彼らからの補講で賄っているが、途中で何度もシリウスが「もう終わりで良くないか? そこまで反復しなくても君の要領の良さがあればなんとかなるだろ」と投げ出している場面を見ている。お願いしている立場である以上それにとやかく言ったことはないが、彼の提案で連れて来られた場所において置き去りにされたら、流石に物申してしまうかもしれない。…まあ、英語の喧嘩なんて慣れていないので、途中で日本語と英語の飛び交うわけのわからない茶番になりそうな気もするけど。

私達はホグワーツ城を出ると、いよいよホグズミード村へと足を運んだ。
今まで特急に乗る時以外に城を出たことなんてなかったので、案外近くにあったその世界に、私は暫し言葉を失う。

全く違う。日本とも、イギリスで暮らしていた街とも。まるで時代に取り残された2Dの世界のようだ。とても古典的な壁材や三角屋根。チグハグで景観なんて気にしていないような嗜好丸出しの家々。家の周りは流石に整備されていたが、少し路地を逸れるとすぐに荒れた地面や膝丈まで好き放題に伸びた草が見える。それでも煙突からは煙が上り、ショーウィンドーに飾られる品々は今朝手入れをされたことがすぐわかるほど綺麗なのだから、そこに命が宿っていることはわかる。セピア色なのに鮮やか、だなんて相反した感想が私の胸を掠めた。

「わあ…」
「危険とは最も遠いところだろ」
「すごい、"魔法使いだけの村"って聞いてたからどんなところかと思ってたけど…小さい頃に読んだ絵本の世界みたい」
「わかってはいたけど、"魔法使い"ってそっちの世界じゃ本当に"おとぎばなし"なんだな」
「そっちは違うの?」
「僕達は────というか僕の家は、そもそもマグルの存在について無関心だったからな。魔法使いには魔法使いための童話があるんだ」

3年も経てば、こんな家の重たい話だって軽い世間話になる。特に私達は境遇こそ違えど立場は同じだ。はみ出し者として扱われることの苦痛をよく知る私は、「なるほどね」と軽く返し、シリウスの行き先にてこてことついて行った。

────そうして行き着いたのが、マダム・パディフットの店。

「あー…」

なんということだろう。私の予想は100%当たってしまった。
すごい。私はまだ小学生だったから行ったことがなかったけど、近所の高校生のお姉さんがよく話してくれた"原宿"とか"自由が丘"とか、その辺にありそうな店だ。リボンとフリルに彩られた、まさにピンク一色のお店。よく聞く女子会か、それこそデートでしか行けない雰囲気が漂っている。実際お客さんも、私達より少し年上の女子生徒や男女のカップルしかいない。

「…ちなみに、ここを探索するとどうなるの?」
「どこかにホグワーツと繋がってる秘密の抜け道がある可能性がある」

色々な意味でピンクに染まった店になど興味がないというように、シリウスは壁の端やカウンターの向こう側をなんとか覗こうとしていた。

健康的な体をした黒髪の────おそらく女性の店主さんなのだろう、彼女に案内され、どうやらカップルだと勘違いされたらしい私達は、ハート型の背もたれのあるペアシートに通されてしまった。日本人として、こういう時は是非とも対面型の4人掛けシートで斜めに座りたい…などと言えるわけもなく。やましいことなんて何もないはずなのに、私はモゾモゾと居心地の悪い思いでシリウスと1人分のスペースを空けながら隣にちょこんと浅く腰掛けた。

ようやくここがカフェであることを思い出したらしいシリウスが、メニューを開いて私に見せてくれる。────こういうところ、やっぱり優しくて大人っぽいと思う。

「君はどういうのが好きなんだ? ショートケーキ? モンブラン?」
「おまんじゅう」
「…コーヒーと紅茶なら?」
「緑茶」
「………」
「嘘だよ、ジャパニーズジョーク。なんでも好きだよ。気分で決めてる」

たまには私も一笑い取ってやろうと思ったのに、失敗してしまった。シリウスはすっかり呆れかえった様子で「なんにも参考になりゃしない」とぼやいていた。私の情報なんて入手させたが最後、一体何に使われるかわからない。ジョークを挟むくらいでちょうど良かったのかもしれない。

結局私は適当に目を瞑って、ガトーショコラとアールグレイを頼むことにした。シリウスはブレンドコーヒー一杯だけ。お菓子は要らないのか尋ねると、「腹は空いてない」のだそうだ。確かに、普段から彼が暴食している姿は見ない気がする。

暫く経って、私達のメニューが運ばれてきた。

「いただきます」
「ずっと聞きそびれてたんだが、そのイタダキマスってのも日本の文化か?」
「そう。食事前のお祈り…とはちょっと違うけど、食材になったものや作ってくれた人に感謝を込めて"戴きます"って言うの」
「ふうん。礼儀正しいな、本当に」

コーヒーを啜りながら、シリウスは私を観察していた。ただでさえ横並びで気まずいのに、わざわざその綺麗な顔をこちらに向けられていると余計に食べにくい。

「…ケーキこぼしたりしたら恥ずかしいから、あんまり見られたくない…」
「君の食べ方は綺麗だよ。それにこんな風に一緒に食事する機会なんてなかなかないじゃないか。日本人のフォークの使い方を見てみたいんだ」
「そんな、100年前ならともかく、現代はみんな一緒だよ。…まあ、テーブルマナーとかはさすがにわかんないけど」

なんとなく会話で濁しながら、その間にできるだけ綺麗にケーキの破片を掬い上げる。周りの濃厚な空気もあいまって、胃が痛くなるほど緊張しながら私はなんとか皿の上を空にした。ケーキを食べるだけでこんなにも神経を使うことは、きっと今後一切ないだろう。

その反動のお陰か、最初のうちこそそわそわしていた私の気持ちは店を出る頃にはすっかり落ち着いていた。シリウスが興味を持った店や屋敷に適当について行き、彼がひとりではしゃいでいる間に私はぼけっと陳列された商品や窓の景色を眺める。

そうこうしている間に、そろそろ学校に戻らなければならない時間になった。ホグズミードがどんな場所か知りたかっただけの私にとっては、行き先を明確に決めて動いているシリウスに同行させてもらえて良かったと思うばかりだった。

だから────。

「────悪かったな、僕の行きたいところにばかり連れまわして」

シリウスが少しばつが悪そうに笑いながらそう言われた時は、むしろびっくりして反射的に手を顔の前でぶんぶんと振ってしまったくらいだった。

「ううん、私ひとりだったら多分まずお店に入るところから苦戦してたと思うから…シリウスがいてくれて良かったよ。ありがとう」
「良かったら、次は君の行きたいところに行こう。今日散策してみて、いくつか興味が湧いた場所もあったんじゃないか?」
「うーん、そうだなあ…ゾンコとかも面白かったし、三本の箒で迷ったもうひとつのメニューとかも食べてみたいし…。言われてみれば、まだやりたいことはあるかも」
「じゃあ決まりだな。また次の機会に」

────さりげなく"次の予定"をロックされていたことに気づいたのは、談話室の寝室前で彼と別れた直後のことだった。





間違いなく、ブラックはあなたに気があると思うわ

身を乗り出して、緑色の目を輝かせながら言うのはリリーだ。

シリウスとのホグズミード帰り、リリーと合流したところで「楽しかったわね! 次は私と行きましょうよ!」と言われたので、正直にその場で次の約束を彼としてしまったことを話したところ、そんな発言に至った。

「えー…ちょっと急展開すぎない…?」
「恋なんてそんなものじゃないの? 私はしたことないからわからないけど」
「いい加減だなあ…」

まあ、恋に恋するお年頃なのはなんとなくわかる。私だって、これが当事者でさえなければ同じようにぐいぐいと話を進めようとしていたのだろう。
特に私達日本人にとって、"おとこのこ"と仲良くするというのは少しだけ特別なことだった。ここに来てからようやく性差のない"友情"が成立するのだということも学んだが、昔はちょっとクラスメイトの男子と笑い合っていただけで「あの子ってあの人のこと好きなんじゃない?」なんて噂を立てられていたくらいなのだから。

「でも、シリウスは"友達"じゃん」

だからこそ、こちらでは"笑い合う"くらいでは"そんな仲"にはならない。
ちょっと一緒に出掛けたくらいでは、"恋"なんて成立しない。

私はそのことをよく知っていたし、その空気感に安心すら覚えていた。どうやら私の性格的には、英国風の距離感の方が似合っていたようだ。

「今は、ね」

しかし、リリーはなかなか引き下がらない。

「他の男の子…そうね、例えばポッターとかルーピンとかと一緒だったと言われたら、"ああ、また楽しそうなことをしてるのね"くらいにしか思わなかったでしょうね」
「…なんだか含みのある言い方だけど…」
「あえて持たせてるのよ。わからない?」

もったいぶった言い方で、リリーは鼻を膨らませる。何をもってしてそこまで自信満々な態度を取れるのかわからなかった私には、首を傾げることしかできない。

「…本当にわからないの?」
「だから…ええ…何が…?」

しばらく無言の時間が続いたお陰で、ようやくリリーの勢いも萎む。狼狽える私の顔を覗き込むと、彼女は大きな溜息をついた。

「そうね…あなたはもう少し"周り"を見ても良いかもしれないわね。今までずっと自分のことで精一杯だったんでしょうけど、そろそろ他のところに目を向ける心構えもできてきたんじゃない?」
「言ってる意味がわかんないよ。周りを見る…ってそれ、シリウスと何の関係があるの?」
「あなたってそういうところあるわよね…。まあ良いわ、それなら私が正解を教えてあげるけど、最近あなた、ブラックとよく一緒にいるでしょう。ホグズミードにもわざわざ一緒に行って、次の約束まで取り付けて」
「うん、でも────」
「それに聞いたところじゃ、日本ではきちんと"好きです、僕のガールフレンドになってください"って言わなきゃ関係が変わらないらしいじゃない。こっちは先に既成事実を作ってお互いの雰囲気から流れで付き合うのに」
「うん、それは────」
「その時私、言わなかった? "こっちの文化と違ってとても丁寧なのね"って」
「うん、だから────」

リリーは全く私の話を聞いてくれない。辛うじて相槌だけ打たせておいて、目を輝かせながら────まるでただの野次馬のように────私に英国式の交際文化を説いてみせる。

「────…あ」

そして、私は気づいてしまった。
リリーがどうしてこんなに楽しそうにしているのか。どうして"周り"を見なければいけないのか。

「意外と周りの子は見てるわよ。ブラック家のご長男と、日本から海を越えて来たヤマトナデシコの組み合わせだなんて、目立って仕方ないんだから。"そういう関係"を疑われても仕方ないんじゃなくて?」
「確かに付き合い方が違うって話は聞いたけど、でもそれと同じくらい"簡単な男女の友情"が成立するのもこっちならではって言ってなかった?」

だから私にはわからないのだ。
イギリスにおける、友情と愛情の境界線が。

シリウスと恋人になるなんて、そんなことは考えたことがない。
そもそも日本で言えばようやっと中学生になったくらいの子供にとって、まともな恋愛感情なんて知る由がない。陰口を叩かれることなく、性差を気にすることなく、気楽に付き合える子と友達でいられる────その温い感覚が、とても好きだったのに。

結局同じなの?
結局、特定の人と一緒にいたら"付き合っている"って思われてしまうの?

「そりゃ、成立するわよ。私だって…ほら、レイブンクローのジャックとか、ハッフルパフのアルバとかと仲良いでしょ」
「まあ、あの2人はみんなと仲良いしね…」
「そこなの。私がわざわざ口うるさくあなたに自覚させようとしているのは、相手が"ジャックやアルバ"みたいなタイプじゃない、"ブラック"だからなの」
「…?」

いまいち呑み込めない私に対し、リリーは完全に子供を宥めすかす母親のような顔で懇々と語り出す。

「良い? 私、"ポッターやルーピンなら気にしなかった"って言ったでしょ。あれもジャックやアルバと同じよ。"誰とでもある程度仲良くできる子"だから、たまたま仲の良い女の子がいたって大して違和感がないの。でも、ブラックはどう? 彼が他の────女の子だけじゃないわ、男の子も含めて────誰かれ構わず愛想を振り撒いたり、してる?」
「してない…」
「そんな中で、あの悪戯仕掛人とか気取った"グループ"を除いた"個人"と親しくしている"女の子"がいたら、どう思う?」
「……」

いよいよ、反論できなくなってしまった。
友情と愛情の区別なんてつかない。でも、その状況を客観的に見た時自分がどう映るかくらいは想像がつく。それこそ、"相手がシリウス"だから。

「────何か特別な関係なんじゃないかって、思うよ」
「そういうこと」

リリーはようやく納得した顔を見せた。

「…シリウスと仲良くしてたら良くないのかな」
「それは違うんじゃない? 周りが何と言おうとも、自分達が"友達だ"ってきっぱり言えるなら、そんな戯言なんて聞き流せば良いだけなんだし。日本の子って聞いてるとそういう噂話に翻弄されやすいって聞くけど、あなたの場合────」
「…まあ、友達っていう認識がちゃんとあるから気にならないと思うよ」
「私もそう思ってるわ。せっかく気が合う友達ができたんだもの。その他大勢の面倒な噂に振り回されてその友達を失う方が、絶対に損よ」

私は残念ながら一生気が合いそうにないけど、と言い添えて、リリーは優しく微笑んでくれた。

自分達が友達だ、ってきっぱり言えるなら────。

────本当に、そう言える?

あまりにも突然こんな話題を振られたからだろうか。
自分が色恋沙汰の当事者に(根拠のないデマとはいえ)祭り上げられたことに慣れていなかっただろうか。

その時私は、言葉の上でこそリリーの話に同意する素振りを見せたものの、心の中でそれを"是"と明確に言い切れない自分が存在することにも気づいていた。










そして、それから半年が経つ。時は既に、春に移っていた(というより、少し寒さの和らいだ曇り空が続いているだけという方がイメージは近いが)。
ホグズミード行きはだいたい2ヶ月に一度のペース。
私はこれまでのだいたい3〜4回において、常にシリウスと2人で出かけていた。
それこそもう最初に"約束を取り付けた"ことが原因だ。初回、2回目とあまりにスマートな誘われ方をされてしまったせいで、なんとなく自分の中でも"ホグズミードに行くならシリウスと"という習慣が脳内に根付いてしまったらしい。

シリウスの方も、それに全く疑問を抱いていないようだった。それこそ初回は"次"の予約を取り付けるようなことを言ってきていたが、それ以降はたいした約束もないまま、当日迎えに来るだけになっていた。リリーと行こうかと思っていた時にさえそれは起き、彼女は談話室で私を待つシリウスを見るなり「楽しんでね」と意味深に笑って先に行ってしまうのだった。

しかも、彼との接点が増えたのはホグズミードだけではない。

「よう、チビ」

廊下ですれ違う度、彼は私の頭にぽいと乱暴に手を乗せる。
彼はこの半年の中でも明確にわかるほど背が伸びていた。夏休みも含めた上で言うが、彼の身体的な成長速度は著しいのだ。きっと日本にいたら、まだ身長は女子も男子もそう変わらなかったのだろう。

「心は私よりチビなくせに」

私にはそうやって皮肉を返すことしかできない。そして私がそう言う度、シリウスはなぜか嬉しそうに口を開けて笑うのだった。

「なあ、今夜空いてるか?」
「内容による」
「実は今日マクゴナガルの罰則を受けなきゃいけないんだが────」
「待って、初手が重い」
「今更だろ。────で、まあ僕としちゃそのまま大人しく書き取りだけして帰るのはもったいないと思っているところでね。良かったらそのまま外に出て────」
「もう一度、今度は私とも一緒に罰則を受けようってわけ?」

やはり、彼は私がどれだけ棘だらけの言葉で刺したところで堪えないらしい。むしろその顔に心から嬉しそうな笑みを浮かべ、「今度はうまくやるさ」と言うのだ。

「今夜は晴れだ。きっと綺麗な星空が見られるんだろうな。…ヨーロッパの星空はくぐもっていてつまらない、って前に言ってなかったか?」

…どこかで言った、かもしれない。
いつかの夜に空を見上げた時、星が"輝いている"というより"朧げに潜んでいる"ように見えたことが不思議だったので、素直にそう呟いた気がする。その時は確か、ジェームズも一緒だった。だから「こっちではこの空が普通だよ。良いな、日本はもっと星がくっきり見えるのか。それなら僕が片っ端から名前をつけてやれるのに」とこれまた的外れも甚だしいことを言っていたものだ────と、そこまで思い出したところで、そんな些細なことを覚えていたシリウスの記憶力に感服する。

「まさか君、校則のひとつも破らずにこのまま卒業するつもりだ、とか言わないだろうな?」
「それが普通なんだよ、シリウス君」
「僕らに"普通"なんて言葉が今更通じると思ってもらっちゃ困るな、ジャパニーズ。家のはみ出し者と世界のはみ出し者、僕らはその時点で"普通を逸脱した"仲間なんだ」
「確かにそれは言ったけど、そういう意味じゃ────」

軽やかに言い争いながら、なし崩し的に廊下を歩いていたその時だった。

「────黄色い猿が、偉そうに」

その言葉は、答えを求めない一方的な刃だった。
聞こうと思って耳を傾けていたわけじゃない。存在を認知しようと目を凝らしていたわけでもない。

それでも、そんな心の壁を透過して入り込んでくるのが、"悪口"というものらしい。

声の主は、2、3人で徒党を組んだ女子生徒だった。青色のトレードマークがついているからにはレイブンクローの生徒なのだろう────が、生憎私は彼女達を誰一人として知らない。
"模範的なヤマトナデシコ"あるいは"魔法界に相応しくない猿"。両極端な評価が校内に蔓延っていることなら知っていた。だから彼女達は、一方的に私を知っていたのだろう。私の名こそ呼ぶことはなけれど、その刺々しい視線と小さいはずなのに大きく聞こえるノイズは、的確に私を穿った。

────うん、私、今後何があってもきっと芸能人にだけはならないだろうな。

別に今更陰口を叩かれることなんて、気にしない。だって私の肌が黄色いことなんて、ただの国民的な特徴なのだから。魔力を認められた上でここにいるというのなら、条件的には何の問題もない。
でも、だからといって良い気分になるわけもない。表面的なステータスだけであれこれと(しかも陰で)言われるような立場は、あまり私には向いていないようだ。

向いている向いていないに関わらず、私は現状としてそんなステータスを持ってここに立ってしまっているのだから、もう残りの4年間は我慢するしかないけど。

言われ慣れてしまっているから、と達観している自分に若干呆れ笑ってしまいつつ、そこを素通りする。
それから再び夜のデートに誘いたがるシリウスを諫めようと隣を振り返ると────。

────そこに、シリウスはいなかった。

「え」

慌ててぐるりと周囲を見回す。
すると、今しがた通り過ぎたばかりの真後ろ────私のことを猿呼ばわりした女子の元に、シリウスが立っていた。その大きく伸びた背で、美しい彫刻のような顔を歪ませ、彼女達を睨んでいる。

「今、なんて?」

変わったのは、身長や顔立ちだけではない。入学した時より明らかに低くなっている声で威嚇された女子達は、わかりやすく身を縮ませた。

「────…」
「その…」

何も言い返せていない。
ああ、明らかにこれじゃあシリウスが一方的に攻撃をしているように見えてしまう。

何が彼の琴線に触れたのかは知らないが、私は溜息をついて仕方なく仲裁に入る。

「イリスの努力も考えも知らずに、よくも────」
「シリウス、ほら、シリウス」

まるで犬を呼ぶ飼い主のような気持ちだ。

「イリス、黙っていてくれ」
「それが仮に私のためだって言うなら、私はむしろあなたに黙っていただきたいです」

彼は"私の努力も考えも知らずに"と言った。私のことを、"黄色い猿"と言った輩に対して。
ということならつまり、シリウスは私のために怒ってくれたのだろう。そんな事実だけなら、なんとなく察せられる。私が侮辱されたことに対し、私に代わって彼が怒りを発散してくれているのだ。

────でも、なんで?

「ほら、もう行くよ。私はあんな言葉、気にしないんだから。穢れた血で、黄色い猿で、垢抜けない陰湿な人種なの。それでも"魔力"があってホグワーツにいるんだから、今更そんなわかりきった"自分の持ち物"をどうこう思ったりしないよ。ね?」

まだ牙を剥いているシリウスをなんとかひっぺがせないか、一生懸命彼の気を逸らそうと話しかけ続ける。それでも彼はまだ納得いっていないようだったが、私達が揉め始めたタイミングを好機と捉えたのか、私のことをそれこそ偉そうに猿呼ばわりしていた女子達はさっさと逃げてしまった。

「────君はもう少し、立ち向かったって良いと思う」
「立ち向かうべきものは弁えるべきだって、それこそそう思うんだけど。片っ端から相手してたら疲れない? シリウスは自分のことを"ブラック家の面汚し"って言う奴ら全員に呪いをかけるの?」
「そんな面倒なこと、するもんか」
「ほら見たことか」

そう言うと、彼はフンと鼻を鳴らし、先程までの上機嫌な素振りはどこへやら、ひとりで勝手に廊下を歩き去ってしまった。
────別に、その後を追いかければ、彼は待っていてくれたのだろうけど。

それでも私は────私は、なぜか"自分の言葉"のせいで、その場から動けなくなってしまった。

"自分のことを貶した奴ら全員を相手にするの?"と問うた時、彼は"そんな面倒なことはしない"と言った。

それなのに彼は、"私を貶した奴ら"のことは"面倒を放って相手しに行った"。

人情に厚いから? 自分はどうでも良くても友達を傷つけたら許さない、みたいな王道の展開?

それとも────?

なんだか、この間リリーと話し合ってから少し私の情緒はおかしいようだ。
結局シリウスとその夜出かけるのかどうか確かめられないまま、私はぼうっとした頭で談話室に戻る羽目になってしまった。

その夜。
昼間のシリウスとの会話が尻切れトンボになっていたことがどうにも気がかりだった私は、なかなか寝室に上がれず談話室の隅に座ったまま無駄に分厚い本に目を通していた。
外を回ろうと誘われたのは、本気だったのだろうか。
それが冗談だったなら良い。私をからかうために、彼ならそのくらいの嘘は挨拶代わりに吐くだろう。
でも、本気だったら? やはりまたここでも、「どうして私を誘ったの?」という問いが生まれる。
そういうことなら、ジェームズに言えば「そのまま外に────」まできたところで「────出て星空観察でもしよう」とでも返ってくるだろうに。ついでに「箒小屋からクリーンスイープでも2本くすねて夜闇のキャッチボールはどう?」という再提案付きで。
リーマスやピーターを巻き込んだって良い。だって彼らは常に4人で1人みたいなもの。その中でだったら、誰をいつどこへ誘おうが、違和感なんてない。

"私だから"、違和感があるのだ。
リリーに気づかされたじゃないか。シリウスのような壁の厚い人間の傍に特定の異性がいたらどう見たって怪しいと。
ましてや私は悪戯仕掛人というわけでもない。グループで仲が良いのではなく、"シリウス"と仲が良いのだ。
最初はそうでもなかったかもしれない。最初のうちに違う選択をしていれば、私は今頃悪戯仕掛人の5人目にカウントされていたかもしれないし、逆にリリーのように彼らと一切会話をしないつんけんした女の子になっていたかもしれない。

でも、時が経つと共に、私はシリウスとの絆を育ててきてしまっていた。
一番最初に「仲間だ」と言ったことが始まりだった。
はみ出し者同士、不自由な世界をひっくり返そうと提案してしまった。
どれだけ"4人と1人"で過ごしていても、その中にいる"シリウスとイリス"は、どこか特別だった。あの会話があったせいで、全てが始まってしまった。

その結果が、これだ。
夏休みには手紙を頻繁に交わし、自習の時間には2人にしかわからない話で笑い、今年はホグズミードに何度も2人で行っている。
リリーに言われたせいなのか、考えてみればみるほど私達の関係があやふやになっていくようだった。

どうしようか。今夜、このまま眠ってしまうのは簡単だ。だって、私は彼の提案に首肯したわけではないのだから。
でも────と、立ち上がろうとする足を止めるのは、日本にいた頃から自然と培わざるを得なかった"遠慮"の精神。

もし、シリウスが私とこの後外に出るつもりでいたら?
彼がわざわざ気に入らない人間と関わろうとしないことは自明だ。だから私が彼に少なからず人間として好まれていることは自覚している────とすれば、もし彼が本気だった場合、その時間を楽しみにしてくれている可能性だっておおいにある。
楽しみにしてくれながら談話室に戻ってきた時、私がそこにいなかったら?
次の朝、ケロッとした顔で「え、あれ本気だったの?」と言われたら?
シリウスなら気にしないかもしれない。でも私だったら、少し…そうだな、そもそも校則破りをするような提案をしないだろうが、「無茶な提案をしたかな」と反省をするのだろう。

シリウスに悪いところなんて何もない(校則破りは良くないが)。反省させることなんて、何もない。それに正直、夜の散歩というものはずっと前から気にはなっていた。先生の目を気にして校則は破らず生きてきていたが、もし破るならジェームズよりシリウスと行動を共にした方がまだリスクが低そうだ。

それに────。

「待ち人来ないず、しかしど私は待たんぞ…ってところかい?」

────まだ自分の中でも曖昧な話題に触れようとしたその瞬間、ジェームズの癖毛が私の視界と思考を邪魔した。あまりにも言葉のクセが強すぎて一体何を言っているのかわからなかった…が、そういえば一度、日本語の古語をあえて英訳するならどうなるか、といった遊びを5人でしたことがあったかもしれない。そのノリを持ち出しているのだろうか。

未だ待ち人来ず、さりとて我は待たんとす、のこと?」

私は結局古語の英訳を諦めてしまったので、あえてここは日本語で尋ねた。ジェームズに日本語で語り掛けたところでわかってもらえるわけなどないので、「つまり…"私は人を待ってるよ"ってこと?」と改めて簡単な英語で訊きなおす。

すると彼はあからさまに顔を輝かせた。どうやらジェームズは私との会話そのものより、異国の言葉で私が喋り出したことに歓喜しているようだ。

「イマダマチビト、コズ、サリト、テ、ワレハマ、タント、ス?」

区切りこそめちゃくちゃだったものの、今のたった一度で完璧に文を覚えるその才能は流石のものだ。ただこれでは、暫く彼は誰かれ構わず適当にぼんやり突っ立っている人にその謎の呪詛を吐いていきそうな気もする────ので、どうか「イリスに教えてもらった日本語だよ」と私を巻き込むことだけはしないでほしいと心の中で願った。

「────ところで、待ち人って何の話?」

またジェームズに古語を教えろと言われるのも面倒だったので、私はさっくりと本題に入ることにする。というより、この台詞で話しかけられるということなら十中八九内容は────。

「そりゃ、あの大型犬のことだよ。知ってるだろ、優秀な番犬で主君には忠実なくせに余所者にはすぐ牙を剥く黒い獣」
「それが私と何の関係が?」

正直、思い当たる節はある。
つまり────まだ予測しかできないが、シリウスは私との星空散歩を"本気"だと考えていたということになる────のが、一番自然な流れだ。だってこんなにもジェームズが茶化す気満々で、わざわざお忙しい合間を縫って私に構いに来てくださっているのだから。
それでもなんとなく、自分で「シリウスを待っている」と認めることに気恥ずかしさがあったので、私はあえてすっとぼけてジェームズが先に言葉にしてくれるのを待っていた。

「まさか、気づいてないとは言わせないよ? あのモテの権化を弄ぶなんて、君も案外強かなんだなあ」
「…そんなつもりじゃ」

言葉を待っていたのは悪手だったかもしれない。
まるで、それじゃあ────。

「────あいつは、君を待ってるよ。玄関ホールの真ん中、いつ人目についても仕方ないところで、堂々と」

暗い玄関ホール。ミセス・ノリスの目がいつ光ってもおかしくない状況の中でなお平気な顔をして立つシリウスの姿を想像するのは容易だった。いつものように片足に重心をかけて、手持無沙汰だからと杖をいじりながら、私が来ることを確信しているとでも言うかのように、階段の方になんて目もくれず────ただ、そこに突っ立っているシリウスの姿を。

「…ねえ、ジェームズ」

よせば良いのに、私はリリーやジェームズの撒いた種に水をやりたくなってしまった。

「なんだい?」

疑惑を、確信に変えたくなってしまった。

「シリウスは────どうしてあんなに、私のことを気にかけてくれるの?」

他の寮の子にやっかまれた時。私が困っている時。なにもない日常の中で、人混みを掻き分けてでもその笑顔を向けてくれる時。
シリウスは、いつも私の隣にいた。物理的な距離ではなく、心の距離として。

彼が校内でどう評されているかは知っている。"ブラック家のはみ出し者"、"ハンサムでクールなのに近づけない鉄壁"、"ずる賢いお騒がせ集団のひとり"。

異物で、壁が厚くて、まるでガキ大将のよう。

それでも、私にとっての彼はいつも、"私を見つける天才"だった。私をまるで宝石のように丁寧に扱う────少なくとも私にとっては、少年らしさを残した立派な"紳士"だった。

「────それは、君自身で確かめなきゃ」

ジェームズは笑っていた。いつもの馬鹿笑いではない、友人を思いやる優しい笑顔だった。

私はそれには答えず、静かに立ち上がる。真夜中、おそらく校内にはまだ校務に追われている先生方や、生徒から解放される時間を楽しむ大人達があちこちにいるのだろう。
それでも、ジェームズの言葉はそんなリスクを全て取り払うほどの力を私に与えていた。

ねえ、シリウス。
あなたはどうして私をそんなに"特別扱い"してくれるの。

ねえ、シリウス。
あなたはどうして私をあんな目でいつも見つめるの。

ねえ、シリウス。
あなたは────私を、どう思っているの。

道中、人の気配を敏感に感じては銅像の影に隠れるということを何度も繰り返しながら、私は普段の倍の時間をかけて玄関ホールまで辿り着いた。

────シリウスは、確かにそこにいた。

「よう、来たな」

いつも通り。ボールを放るようにいい加減で、それなのに────そこにあるのは、彼の傍にいなければわからないほど、小さじ一杯分の優しさ。柔らかくて、心の中で溶けていくような声。

「…来たよ。まったく、どうしてそんなに校則を破りたがるんだか。何かの病気なんじゃないの?」
「冒険病とでも呼んでくれ。そしてたった今、君もその病に罹ったというわけだ」
「そんなんじゃないよ。私は────」

────この空気の正体を確かめに来ただけなんだから。

「────シリウスがひとりぼっちで徹夜するのが可哀想で来てあげただけだから」

本音をそっとしまいこんで皮肉で返すと、シリウスは目尻をすっと細めた。それからいつものように、私に手を差し出す。ダンスに誘うかのような、もう今となってはすっかり見慣れてしまった優雅な仕草で。

私も当たり前のようにその手を取り、揃って校舎を出た。
待っていたのは、満天の星空。寝室の小さな窓から見える"狭い空"なんかじゃない。果ても制限もない、視界では追いきれないほどの大きな大きな空だった。

「────本当だ、今日はとっても星がくっきり見える…」
「こっちじゃ相当珍しいんだけどな。故郷でも思い出せそうか?」
「どうだろうね。こんな風に感傷的に空を見上げることなんてなかったから。…それにもう、私は半分以上"こっち"の人間になったつもりでいるし」
「違いないな」

未だに私は、周りから見れば異物だ。シリウス以上に、きっと"ここにいるべきではない"人間だ。
それでも私は、確実にこの3年を自分のものにしていた。入学した時の覚悟は、今もなお引き継がれている。だからこそ「私は魔女で、イギリスの人間だ」という自我は時間をかけながらも確実に成長していた。
そしてそれを素直に吐露できるのは、シリウスにだけ。案の定彼はあっさりと、そんな私の自惚れを受け入れてくれた。

「僕も────今のこの空の下では、自由だ。何にも縛られない、ただのシリウスだ」
「そうだね」

ほら、だって私も────シリウスの"限られた自由"をこんなに簡単に包容できる。

私達はそれからどこを目指すでもなく、校庭をぶらぶらと歩き出した。誰かに会ってしまったって構わない、そんな気持ちになってしまったのは、きっとこの大きな空に見守られている気がするからだ。

1時間くらいの長い時間をかけて、お互いとりとめもない話をする。何の授業が退屈だの、そろそろ昼食のメニューにバリエーションを増やしてほしいだの、この間仕掛けた悪戯とやらに引っかかった上級生が滑稽だっただの、普段ならわざわざ口にすることのほどでもないような、どうでもいい話ばかりを。

シリウスはずっと笑っていた。上品に口角を上げ、決して歯を見せることなく、小さく笑う。細められた瞼の隙間から、消えることのない淡い灰色が輝く。ゆったりと私に歩幅を歩くその足取りはまるでレッドカーペットを歩くように優雅で、すっかり首を真上に上げないとその顔を捉えられなくなってしまった私に合わせるように、少しだけ腰を屈めながら。

「ねえ、シリウス」
「ん?」

きちんと声に出して返してくれる彼の声は、今日の星空のように明るくて、どこか遠くて、守られていることを実感してしまうほどに優しかった。

「……」

私達って、どういう関係?
あなたは、私をどう思っているの?
私は────あなたをどう思えば良いの?

訊きたいことなら、はっきりしていた。
だからこそ私は、シリウスを呼んだのだ。

それなのに────。

────気づけば私達は、校庭を一周して再び玄関ホールの前まで戻ってきていた。
なぜだろう。尋ねたいことはとても簡単なことなのに、私は目の前にそびえる城の入口を見て現実に戻ってきた瞬間、その全てを喉に詰まらせてしまった。

「────明日、遅刻しないようにしようね」

結局、言えたのはそれだけだった。

どうしてだろう。
心臓が、やたらとうるさい。
この暗い闇の中でそれでも輝く隣の人を見ていると、得も言われない感情に襲われる。
胸が痛い。空気がうまく吸えない。急に視界が煌めいて見える。ドキドキと鳴り響く心臓の音が、彼にまで聞こえてしまいそうだ。

「僕が1限に現れなかったら、まあ…察してくれ」

シリウスはそう言って、玄関の重たい扉を開いて私を先に通してくれた。
校内では、会話などなかった。反響しやすいこの環境下では、普通に話していたんじゃ即刻誰かに聞かれてしまう。自らの存在を隠すように、私とシリウスはぴったり寄り添いながら談話室へと戻って行った。

「…ありがとう、シリウス」

急に、わからなくなってしまった。
シリウスはどうして私をこんなに気にかけてくれるんだろうと、それだけを訊けば良かったはずなのに。私の方が、すっかり言葉を失ってしまった。
この鼓動は何なのだろう。この────まるで世界がひっくり返ってしまったかのような、足場を失ったかのような浮遊感は何なのだろう。

シリウスは────いつも通りのはず、だった。
ただ笑って、私の頭をいつものようにぽんと撫で、それから────。

「────Sweet dreams, my dear」

それだけ告げると、男子寮の方へと上がって行ってしまった。







もなこへ
あなたの描いてくれたシリウスがナデシコの頭をぽんしているイラストがとても好きだったので作中に入れさせていただきました。最高のインスピレーションをありがとう。









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