きみのおと



デュースが慌てた顔で教室に駆け込んできたのは、朝一の魔法史の授業開始30秒前だった。

「おはよう、ギリギリだったね」

手を振って、彼のために取っておいた席を空けてやる。5分前から教壇で待機していたトレイン先生は、廊下を全力疾走してきたデュースの姿も当然目に留めていた。しかし一応始業時間には間に合ったからか、特に何も言うことなく、30秒後きっかりに通常通り授業を始める。

「悪い…ちょっと忘れ物して、途中で寮に戻ってたんだ…」

急いで私の隣に滑り込むデュースの呼吸は、普段から走り込んでいるその鍛錬の成果の表れか、あまり乱れていなかった。ただ相当焦っていたのだろう、かなり慌てた手つきで鞄から教科書類を引っ張り出している。

バサバサッ!

乱暴に中身をまさぐっていたものだから、その時魔法史の教科書と一緒に関係のなさそうな参考書やノートが床に散らばってしまった。一瞬、トレイン先生がこちらをじろりと睨みつける。
急いで足元の本を拾い上げるデュースを手伝おうと、私も机の下に潜り込む。2限の魔法薬学の課題レポート、午後の授業で使う防衛魔法の教科書、それから…『本物の優等生とは』なんていう本まである。中身はよくある啓発書のようだが、もしや愛読本として持ち歩いているのだろうか。
ふと、そんな雑多に詰め込まれていた彼の鞄の中身を集めている私の視線が、ひとつのノートを捉えたところで固定された。

"ユウ"

私の名前だけが表紙に記入された、装飾のない薄いノート。真っ白なノートに黒いインクで書き込まれたその一言は確かに私の名前のスペルなのだが────。

────え、このノート、何?

最初に抱いたのは、素直な疑問だった。
私の名前が書かれているノート。普通に考えれば、その"署名"は"持ち主の所在"を表すもの、とするのが普通なのだが────当然、そのノートは私のものなどではない。
これはデュースの鞄から滑り落ちてきた、デュースの所有物だ。

でも、どうして?

ノートを拾い上げ、デュースの方を見る。言葉なく戸惑いを露わにする私を見てデュースは一瞬首を傾げ、それから手元の白いノートに視線を移すと────。

「うわっ!」

授業中だというのに、大きな声を出して私からそのノートをひったくるデュース。どう見ても怪しい挙動に、小声でこれは何なのか尋ねようとしたのだが────彼を見咎めたのは、私だけではなかった。

「スペード! 先程から騒がしいぞ!」
「すっ、すみませんっ…!」

ずっとワサワサとうるさい物音を立てていたデュースに一喝するトレイン先生。これ以上一言でも発そうものなら、即座に追加課題を出されてしまいそうだ。仕方なく、私もデュースも解放されるまで、その後はずっと黙ったまま授業に集中しているふりをした。

授業後。

「デュース、あのノート何?」

「さっきは迷惑かけてすまなかった」とだけ言って、いそいそと次の授業が行われる植物園へ向かおうとするデュースを追いながら、私は先程の謎を蒸し返す。

なんで私の名前が書かれたノートをデュースが持ってるの?
いや、ていうかそもそもあのノートの中身は何?
私、あんなもの見たことないんだけど。

あのノートを手渡した(正確にはひったくられた)瞬間から、デュースの様子は明らかにおかしかった。私と目を合わせようとしないし、発言の頻度も普段と比べて激減している。
何かやましいことがあるのは明白だ。

「き、気にするな!」

案の定、私が"ノート"と言った瞬間デュースの肩が跳ね、早口で弁解の言葉が返ってくる。

「別に全然お前に関係あることとかじゃないから! 常に持ち歩いてるものでもないし、本当に大したものじゃないんだ!」

…この人は本当に…素直だな。
これじゃあ「これはあなたに関係のある内容が書かれていて、常に持ち歩いている大事なものなんです」と言っているのが筒抜けだ。

「────いや、流石に自分の名前が書かれてるのに関係ないっていうのは────」
「おーい、遅刻と騒音で先生に怒鳴られたユウトウセイ〜!」

追及を続けようとした私の声は、笑い混じりの楽しそうな声に遮られてしまった。

「エース!」

馬鹿にされているのに、助かったと言わんばかりの晴れやかな表情で声の方へと振り返るデュース。その先には、貶したつもりが笑顔で名前を返されてしまい、拍子抜けしたような顔をしているエースがいた。

「ちょうど良いところに! 次の授業の予習課題のことなんだが────」

そのまま、私の疑問をスルーして会話を始められてしまった。当然私のことも視界に入れていながら話しかけてきたエースは、突然私と距離を取り出すデュースの様子に目敏く気づき、眉を顰める。

「なにお前ら、ケンカでもしたの?」
「いやっ、全然してない! 僕の秘蔵ノートを見られて焦っているとか、全くそんなことはない!」

本日、3度目の自爆。
ノートを見られた時のあの顔、私に追及された時のセリフに加え、最終的にエースのなんてことないフリにですら過剰な反応を見せるデュースに、私とエースは揃って顔を見合わせる。

(何こいつ、何言ってんの?)
(いやそれが私にもわからなくて)

そんな会話を、視線だけで交わす。
相棒のエースでさえ知らないというのなら、デュースは本当に(あまりに杜撰だけど)そのノートの中身を誰にも見せていないのだろう。

でも、だからこそ────私はそのノートの中身がより一層気になって仕方なくなっていた。

────そもそもデュースと付き合い始めたのは、1ヶ月前のこと。

真面目で義理堅く、でもたまに空回っては暴走している彼の姿を見ているのが面白かった。
どれだけ失敗してもめげることなく、何度も挑戦を続ける彼の姿を見ては眩しく思っていた。

だからそんな彼に、「付き合ってほしい」と言われた時は、素直に嬉しかった。
今までちゃんと誰かとお付き合いをしたことなんてなかったけど、そこはお互い初心者同士一緒に成長していけたら良いね、なんて言いながら笑い合ったものだっけ。

そう、私達は"一緒に"────それこそ何の秘密も作らず、お互いに試行錯誤しながら一番居心地の良い関係を模索してきたはずだった。
それなのに今、他ならない"私"にまつわる秘密を、デュースは抱えている。

私はどうにかして彼のノートの中身を見られないものかと、ずっとそのことばかりを気にかけていた。










好機は、それから更に1ヶ月経った頃に起きた。
図書館で授業の課題をやっつけようと足を向けた時、ちょうど探していた本の近くでデュースが机に突っ伏して眠っていたのだ。

彼が頭を乗せているのは────見間違いようもない。あの時の、私の名前が書かれた謎のノートだった。

どうしよう。
中身を見るのなら、彼が眠りこけている今がチャンスだ。それ以外の時間となると、彼はあの日以来より一層警戒してこのノートを隠していたので、私は中身を見るどころか、ノートの存在自体を見ることができなくなっていた。

でも、デュースがそこまで必死に隠したがっている秘密を勝手に暴いてしまっても良いのだろうか────私の道徳心が、そっと好奇心を諫める。

────どうだろう、デュースがノートを見開きにしたまま眠っている、その顔からはみ出した部分だけを読んでみるというのは。偶然を装って、たまたま目に入ったということにしてしまうのは────。

なんだか自分がとても姑息なことをしているように思えてしまう。
でも、表紙に名前が書かれている以上、このノートの中身に私のことが書いてあることは容易に想像がつく────つまり、私もこの話においては無関係ではないはずだ。

そんな言葉を免罪符にしながら、私はそろりとデュースの背後に忍び寄った。
ごめん、デュース。あなたは秘密にしたがってるみたいだけど、私やっぱり、自分のことが書かれている(のであろう)ノートのことを、気にせずにはいられないよ。

そして、背後から彼の寝顔にそっと顔を近づけ、ノートに書かれていることを読んでしまった────。

『好奇心おうせい。何にでも興味を持つところは尊敬してるけど、僕の秘密までもを暴こうとするやり方はちょっとどうかと思う。』

────それは、私に対する"文句"だった。

「────…」

どこか冷たい気持ちで、私はその文面を眺める。
わかってるよ、人には誰でもひとつやふたつ、知られたくないことがある。いくら彼女だからってなんでも詮索して良いわけじゃない。

でもさ────何度も言うけど、これは"私にまつわるノート"なんだよ。逆にそれを当事者に明かさずに隠し持っているなんて────むしろ、何かそっちの方がやましいことがあるんじゃないの?

私は少し躊躇った後、デュースを起こさないよう最大限の注意を払いながら、その頬の下に敷かれている薄いノートを引き抜いた。余程疲れていたのか、彼はそれでも起きなかった。

『10月12日。僕がすっかり他のりょうの生徒のケンカを買うつもりで立ち向かっていたのに、止められた。僕には僕のプライドがあって、僕のやり方がある。それをユウに割って入られたことが、気に入らなかった。』

『11月1日。錬金術の実験で失敗した後、これ見よがしにカンペキな宝石を作り出したユウが僕にそれを見せびらかした。うらやましかった。少しだけ、ねたましかった。』

『11月20日。ユウはいつもグリムばかりを優先する。今日は僕との先約があったはずなのに、グリムのワガママを聞いてあげなきゃいけないからとドタキャンされた。正直、腹が立った。』

────そこには、私に対する文句ばかりが連ねられていた。

私は────それを見て、愕然と彼のスヤスヤ眠っているその後頭部を眺めてしまった。

だって────「私のことが好き」だと言ってくれたのは、彼の方だったはずなのに。
これじゃあまるで嫌われているだけじゃないか。こんなにも苦情ばかり並べ立てられて────。

────彼は、私のことを好いてくれていたんじゃなかったの?
本当は嫌いだったの? じゃあなんで、付き合ってほしいなんて言ったの?

確かに彼の書いていることは、私に非があるところも多かった。
デュースと知らない生徒のいざこざに勝手に首を突っ込んだことは、ちょっとお節介すぎたかなと思っている、
錬金術の宝石を見せびらかしたつもりなんてなかったけど、クルーウェル先生から「補習だ」と言われたデュースに対して、私は「よくやった、ユウ」と手放しに褒められたのだから、決してそれは彼にとって面白くなかったことだろう。
グリムのせいでデートをドタキャンしたことは本当に申し訳なく思っている。実際、翌日にはうざったがられるほどに謝り倒した。

でも────でも。
そんなに、ノートに書きこむほど────それは、彼の恨みを募らせていたんだろうか。

私は────じゃあ、なんでデュースと付き合ってるの?
こんな風に悪いところばかりあげつらわれているのに、どうして彼はまだ私と付き合ってるの?

なんだか悲しくて涙が出てきそうだった。自分がひどく惨めで、情けない生き物のように思えてしまって────。
まさか、あの優しいデュースがこんな風に誰かの悪口をコソコソと書いて、しかもそれを肌身離さず持っているなんて、想像もしていなかったのだ。彼はいつだって、何か思うところがあればそれをハッキリ言える人だと思っていた。そんなところに、惹かれていたはずだった。

どうしよう。
今、私の膝がとても震えている。

デュースからの好意が信じられない。ついさっきまでは彼のことを心から好いていたはずなのに、私の知らないところでそこまで嫌われていたことを知って────私は、なんだかもう誰のことも信じられないような絶望感に襲われてしまっていた。

デュースは、本当は私のことが嫌いだったの?

それなのに、嘘をついて私と付き合っていたの?

私は────私は、デュースのことが本当に好きだったのに。

そりゃあ、私だってデュースの喧嘩っ早いところや、妙に鈍感なところにイラッとしたことくらいはある。
でも、そんなことは人付き合いをする上でなら"よくあること"だ。ましてや恋人という親密な関係なんだったら、その欠点が目立つことあって"よくあること"。

私には、そんな"些細な欠点"をわざわざノートに記して保管しておくなんてこと、想像もしなかった。ちょっと目を咎めてしまうような言動も含めて、デュースのことが好きなつもりだった。

だから────私の目から、涙がほろりと零れ落ちた。
私に欠点があることなんて、わかってる。でも、こんな風にそれをいちいち書き込まれて、ことあるごとに思い出させるような真似を、"私のデュース"がするなんて────思ってもみなかったのだ。

もう、嫌だ。
こんなノート、見ていたくない。

私は涙に滲む視界の中でノートを閉じると、デュースの手元にそれを返した。

しかし、ノートを取り上げた時には身じろぎひとつしなかったデュースが、ノートを置いた瞬間ぱっと目を覚まし、身を起こした。きょろきょろと辺りを振り返り────私の泣いている顔を見て────ぎょっとする。

「ど、どうしたんだ!? 何か困ったことでもあったのか? 僕で何か力になれることがあるなら────」
「ごめん、デュース」

今まで私の拙い恋心に突き合わせて。
嫌なところばっかり見えていたはずなのに、それでもそうやって心配する"ふり"をしてくれて。

でも────。

デュースはオロオロしながら立ち上がり────そして、席を立つために机に手をついたその先に、ノートが"閉じられた状態"で置かれていることに気づいたようだった。

「────まさか」

信じられないといった口調で、デュースが呟く。

「中身、見ちゃった…。私への悪口がたくさん書いてあるの。ごめんね、今まで気づかなくて。私、あなたに告白されてとても嬉しかったから、きっと浮かれすぎてたんだと思う。あなたがその心の底で何を考えているかなんて、知りもせずに────」

そうだ。ここはNRC。特定の生徒とつるんでいる者はもちろん大勢いたが、基本的に彼らは"人を疑い、敵と分かれば攻撃することも厭わず、たとえ味方だろうと、そもそもそう簡単に相手を受け入れない"ような────そんな、少しばかり捻くれている者の集まりだった。

それでも、そんな中でも、デュースはまっすぐな人だと思ってた。
誠実で、公平で、優しい人だと思ってた。

ああ────でもやっぱり、彼も違っていたんだ。
2ヶ月前、彼が何を思って私に告白してきたのかは知らない。でも────少なくとも"今"、彼が私を快く思っていないことだけは明確だった。

「────違うんだ」

涙を流す私に触れるか触れまいか、そんな調子で迷いながら、デュースはとても悲しそうな顔をしてみせた。

「何が違うの?」
「…このページを見てくれ」

デュースの声は、これまた泣きそうなものになっていた。まるで必死に自分の無罪を訴えている罪人みたいだ。私は躊躇いながら、開かれたページの文字を読んだ。

『・どうしても暴力が避けられない時は、ユウを心配させないように見えないところでやる。
・錬金術で負けたのが悔しいから、もっと勉強する。
・グリムのワガママには困らされたものだ。ユウだけじゃなくて、僕達もあいつを見張って、少しでもユウのストレスを減らしてあげたい。』

────書いてあったのは、そんなことだった。
デュースが何か魔法で取り繕っているのだろうかと、私は慌てて前のページを見直す。しかしそこにはさっきと同じように、私への不満が綴られているだけだった。

でもこれじゃ、前のページに書いてあることと真逆だ。
私への恨みなんかじゃない。私を嫌ってるわけじゃない。「今日はこんな気に入らないことがあったから、次はこう反省しよう」という────これはただの、"デュースの日記"だった。

「多分、お互いにそうだと思うんだが────"付き合う"っていう親密な関係を築く以上、どうしてもお互いの欠点が目についてしまうと思うんだ。ごめん、僕は確かに、お前にイライラしてしまった日もあった。でも、よく考えてみたんだ。これは本当にユウが悪いんだろうかって。そしたら、"それは違う"って僕の心の声が言った。僕が勝手にユウの行動にいちゃもんをつけてるだけで、別にお前が間違ってるわけじゃない。僕はこのモヤモヤを、自分で片づけられると────いや、片づけたいと思ったんだ」

だって、お前のことが大事だから。どれだけの欠点があっても、好きだから。

デュースはそう言った。

「だから、"何があったら僕がイライラしてしまうのか"、"どうしたらそのイライラを解消できるのか"、二度も同じような苦しい気持ちを味わって、お前の心から離れてしまわないように────こうやって書き出していたんだ。僕はあまり頭が良くないから……こうやって、書き留めておくしか手段がなくて」

そしてデュースは私からノートを再び取り上げると、今度は別のページを開いて見せてきた。

「それに、このノートに書いてあるのはそれだけじゃないんだ。見てくれ────」

『・10月15日。宿題が終わっていなくて困っていたら、ユウが助けてくれた。対価も求めずに、"大事な人が困ってるんだから当然だよ"と笑っていた。こんなに優しい人を、僕は今まで知らなかった。
・10月27日。僕がまたアーシェングロット先パイに良いカモにされようとしてくれたところを、ユウが守ってくれた。僕は彼女が"それはもはやサギです"と言うまで、アーシェングロット先パイの言っていることを信じてしまっていたんだ。もしそのまま契約に持ち込んでいたら、また頭からイソギンチャクを生やしかねないところだった。
・11月3日。今日はデートをしようと約束していた日だった。彼女は早起きが苦手だと言っていたはずなのに、予定の10分前には着いていて────そして、とてもそれが可愛かった。』

────それは、これでもかというほどの私への賛辞だった。
さっきまでの文句なんて嘘のようだ。

「…どういうこと?」

不満ばかり書いていたくせに、後ろの方では私を褒めちぎっている。
文句を言っていたことについては確かに、「二度と同じことをしないように」という戒めが込められていたということで納得している。

でも、だからといってこんな風に掌返しされるのは、なんだか不思議な感じだった。

「こっちは、"お前との楽しかった思い出"や"お前から受けた恩"を忘れてしまわないように書いたページなんだ。さっき見せた通り、僕はたまに────うん、お前に少しだけイラッとする時もある。もちろんお前だけじゃなく、他のどんな奴らにもそれは同じだ。でも、お前だけは────誰よりも大事な存在だから、イラッとした時でさえそれを吹き飛ばしてくれるような、こういう幸せな記録も、一緒に残しておきたかった」

デュースは再び私の手から日記を取った。

「こんな形で教えるつもりはなかったんだ。僕はただ、お前のことが知りたかっただけなんだ。何が嫌いで、どんなことをされたら怒って、どういう部分が僕と合わないのか、それをちゃんと把握したかったんだ。その上で────お前が喜んでくれたことや、お前が当たり前のように俺を助けてくれたことを、覚えていたかった」

私はすっかり返す言葉を失っていた。

あまり自分の記憶力に自信がないと言っていたデュース。これは、正真正銘"私のノート"だった。私の悪いところを書いて、どうやったらその障害を乗り越えられるか考える。私の良いところを惜しみなく褒めて、そのプラスの感情をもっと盛り上げる。

知らなかった。デュースがそこまで私のことを想ってくれていたなんて。
さっき一度でも、デュースは私のことを嫌っているんじゃないか、と思った自分を恥じた。
とんでもない。彼は私のことを誰よりも理解しようとしてくれていた。恋人として、誰よりも近い場所で、本当ならわかりあえない価値観の部分までなんとかわかり合おうと────努力してくれていたのだ。

「本当に悪かった。こんなんじゃ、誤解を招くのは当然だよな。でも────真実は違うんだ。僕はお前のことがどうしようもなく好きで、理解したいって思ってる。だからこそ、僕がお前に対して納得できなかった行為まで一緒に書き込んでしまった。その結果、こんな形でお前を悲しませるなんて想像すらしてなくて…。僕は本当に馬鹿だった」
「ううん」

馬鹿は私の方だ。いかにデュースが私のためを考えてくれているかなんて全く知らず、好奇心に殺されて勝手に絶望していたのだから。
もっと私は彼のことを信じるべきだった。誰よりも誠実で、公平で、優しい人だと────そうわかっていたはずなのだから、そんな彼が私に言ってくれた"好き"という言葉をもっと信じるべきだった。

「ごめん。私こそ、早とちりしてた。────でも、デュース」

デュースには本当に申し訳ないことをしたと思う。ノートを盗み見て、絶望して、危うく私はデュースのことを"不誠実な人だ"と責めてすらいたかもしれない。

でも、こうも思うのだ。
それだったら、もっと良い方法があったんじゃないかと。

「なんだ?」
「それだったら、私にもっと直接話をしてくれないかな。そんな紙に言葉を書くんじゃなくて、私の声を────私の発する"音"を、もっと聞いてもらえたら嬉しいな」

もし喧嘩を止められたことが不満なんだったら、その場でそう言ってほしかった。
錬金術で私が褒められたことが嫌だったのなら、素直にそう拗ねてほしかった。
グリムのせいでデートをドタキャンしたのは本当に申し訳なく思っているし、あの場で何度も謝った。でも、それで納得がいかなかったというのなら、気が済むまで怒ってほしかった。

「きっとデュースは、私を大事にしようとしてくれるあまり、自分の中で発生した負の感情を全部自分で処理しようとしてくれたんだよね。遠慮…してくれたんだよね」
「…ああ、そうだ」
「でも、せっかく恋人になれたっていうのに、言いたいことを我慢してたら…きっと、その我慢はいつか限界を迎えて、そのうち一緒にいることすらできなくなっちゃうよ。私はそっちの方が嫌だな。私だって自分にいっぱい欠点があることはわかってるから、あなたが納得できないところがあるのなら、それをどうか指摘してほしい。全部いきなり変えるのは難しいかもしれないけど、私は"デュースと一緒に"未来を歩くために、"デュースが少しでも好きになってくれる"自分にこれからもなりたい、って思ってるよ」

デュースは目をぱちぱちと瞬かせて、私のことを見ていた。

「で、でも────。錬金術の件なんて、完全にお前は関係ないのに」
「文句を言われたって煽り返すだけだから、関係ないよ。ねえ、デュース。人が恋人って深い関係で繋がっていくためには、感情をひとりで抑制するんじゃなくて、ちゃんと全部共有することが大事なんだと思うな」

自分の何もかもを話すべき、というわけではない。何一つとして秘密を作るな、というわけでもない。
ただ、相手に対して抱いた不和は────それだけでも、早めに口に出して発散し、ガス抜きをする必要があると思った。だってそれは"話し合い"をしなければ解決しない違和感なのだし、そんなものを抱えたままズルズルと時ばかり過ぎ去らせてしまえば、いつかそれは爆発してしまう。

私はそちらの方が嫌だった。
私のノートをつけてくれることは嬉しいけど、私はもっと、彼と"話"をしたかった。

「ね、デュース。だからそのノートはもういらないよ。本当に────本当に、色々考えてくれてありがとう。だからこれからは、私にも一緒に考えさせて」

断固たる気持ちでそう言うと、デュースは一瞬手元のノートに目をやって────。

「────ああ、そうだな。僕も、お前の言ってることは正しいと思う。現に僕が勝手に自分の感情を処理したせいでお前を傷つけてしまったわけだし」
「ううん、それはデュースのノートを盗み見た私が悪いよ」
「でも、お前の悪口ともとられかねないことを書いていたのは事実だ。これからは────ちゃんと本人に言うよ」

デュースはそう言うと、本をひょいと空中に放り投げて、地面に落下する前にその本を魔法で燃やしてしまった。

「ちゃんと話そう、ユウ。僕もノートなんてつけてないでお前の"音"をちゃんと聞くから、どうかお前も────」
「うん。何か思うところがあった時にはちゃんと話すね」

────なんだかまるで、付き合い始めたばかりの時のようだと思った。
お互いにどう"恋人"と接したら良いのかわからなくて、どこまで相手に本音をぶつけて良いのかわからなくて(ましてやそれが相手の悪い部分となれば尚更だろう)、負の感情も正の感情も全て自分の中に封じ込めようとしてしまっていた。

でも────もうきっと、大丈夫だと思う。
もしかしたらまだこれから先、私達の予想していなかったような問題が次々と現れるのかもしれないけど────何事もまずは"話し合い"から。その下地が今日ようやっとできた私達は、言ってしまえばこの時に初めて"本物の恋人"になれたような────そんな気がしたのだった。





「デュース! 深夜にアポなしで来るのはやめてって言ってるでしょ! こっちは魔力がないんだから、不審者が来たらどうしようって毎回怖くなるんだから!」
「いつでも来て良いって言ったのはお前じゃないか!」
「あのね、私が責めてるのは何もオンボロ寮に来ること自体じゃないんだよ。アポなしなのが問題なの! せめてマジカメで事前連絡するくらいならできるでしょ!」

昼食時、ガミガミと言い争いをする私達を、エースは面白そうな目でずっと見ていた。

「なんだか最近お前ら、元気いーね?」
「良くない!」
「良くない!」

良くないけど────これが私達の"恋人"としての在り方だから、決して不幸せなんかじゃなかった。本気の怒りや、ましてや憎しみなんてものもなかった。

ただただ私は、爽快だった。










きみのおと=君ノート=君の音

そんな話でした。

恋愛をする上で一番大事なのは、"ちゃんと正面切って、腹を割っていつでも話せるか"ってところだと思ってます。皆さんにとっての恋愛における一番大切なことはなんですか?









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