あなたと、ワルツを。



まず思ったのは「しくじった」。それから「どうにかして寮に戻らなきゃ」。
急いで自分の体の状態を確認する。左足の膝下がパックリ割れていて、そこから血がどくどくと流れ出していた。出血部分はそこだけだが、頭と腹を何度も殴られたせいか痛みは体中に響いていた。

加えて、この雨。冷たくて寒いこの環境下では、ろくに動けやしない。鮮血が雨に流されて、勢いを増しているのも困りものだった。
少しでも気を抜けばすぐに意識が白い靄に包まれてしまいそうだったので、私は必死でグリムのことを考えながらなんとか正気を保つ。

どうすれば良いのかはわからないが、寮にさえ戻れればグリムも、そしてゴースト達もいる。応急セットもあるので、ひとまず止血はできるだろう。ここから遠い学校の保健室へ行こうと思えば、その道中で野垂れ死ぬことはわかっていたので、私は先に簡単な処置だけ自分で行って、それからグリムに保健室の先生を呼んでもらおうと思っていた。そこまでクリアできれば、あとは魔法による治療でたちどころに傷口は塞がるだろう。

打撲と切り傷。言葉にすれば簡単でたいしたことのない負傷だが、今の私には致命傷も同然だった。

そもそも私がこんなことになったのは、図書室で課題を終えた後、とっぷりと夜が更けてから寮に"ひとりで"戻ろうとしたことが悪かった。人気のない学校の裏庭で、私を良く思っていない上級生が待ち伏せていたことに気づけなかったのだ。
魔法の使えない雑魚、そのくせ皆が憧れている各寮長からは何かと目をかけられている私。しかも教師陣からは、ツイステッドワンダーランドの基礎知識すらない私に同情してもらっているお陰で、何かと優遇されている。

私自身はそこに胡坐をかいたつもりなどないのだが、元より性悪説を信じている子供を集めたようなNRCにおいて、そんな私が目の上のたんこぶになってしまうことは必然だった。
学園長に日頃から「ひとりで行動しないように」とは言われていたが、今日ばかりはグリムが腹が減ったとうるさいので、先に寮に帰してしまっていたのだ。学校からオンボロ寮までの道のりくらいだったら、慣れている道だし、ひとりでも大丈夫だろうと思って。

甘かった。私はもっと自分が恨まれていることをちゃんと知っておくべきだった。
そう気づいた時には遅かった。5人ほどの3年生、寮がバラバラの上級生達に殴られ、蹴られ、最後に魔法で大きな傷を拵えられて倒れるまで、私はまともな反撃ひとつできずにされるがままだった。ボロボロになった私を放置して、雨が降ってきたことを理由に笑いながら彼らが去っていくまで、私は情けなく地面に這いつくばっていることしかできなかった。

その瞬間は「雨に救われた」と思ったのだが、直後、その恵みの雨が私の命を必要以上に削っていっていることに気づき、私はなんとか立ち上がれないものかと腕と右足に力をこめた。しかしすっかり上級生と雨に体力を奪われていたことと、体を走る激痛に、私は立ち上がるどころか身を起こすことさえできなかった。

────悔しい。
私が無力なことはわかっていたし、この狭い箱庭の中ですら圧倒的弱者という立場を強いられていることもわかっていた。

でも。
知識も魔力もない、故郷にも帰れない。

私が前世でどれだけ悪いことをしたのかは知らないが、罰としてはもう"ここに来た"という、それだけで十分じゃないのか。元々喧嘩が強いわけではないから、どうせどこの世界にいたってこうして目をつけられてしまえばいつかこうなるだろうとは思うが、だからって何も、こんな虫ケラ以下の存在にしかなれない"この世界"でこんな目に遭わされなくても。

ああ、まずい。だんだん体から力が抜けていく。
オンボロ寮に帰らなきゃとは思うのに、考えることが面倒になってくる。

私はこのまま死ぬんだろうか。足の傷はしっかり膝から足首まで綺麗な一直線に深く入っている。変な神経や脈を切られていたら、私の体の中の血は全部雨に流されてしまうだろう。

こんなところで死ぬのは、少し嫌だと思った。
どうせ死ぬなら、元の世界に戻るためにもっと足掻いて、もっと困難なことに直面して、解決するなり絶望するなりしてから死にたい。
どうせ死ぬなら、世界にさえ嫌われている私をそれでも愛してくれた数少ない友人に、きちんとお礼を言ってから死にたい。

こんな風に、ありきたりな待ち伏せによる奇襲なんかで、死にたくはなかった。

「────…」

ああ、でも────ちょっともう、駄目かもしれない────。
なかなか帰ってこない私を気にかけて、グリムが来てくれたりしないかなあ。いや、あの子はお腹いっぱいになったら本能のままに眠っちゃうんだろうな。まあ、それでもあの子のことは責められまい、人間じゃないんだから。その代わり、朝になったら、ベッドにいない私を心配して学校中を探し回ってくれるのだろう。そしてその時には、きっともう私は────。

「────……たす、けて…」

誰に言うとも知れない哀願の言葉を最後に、私の意識は白んでいった。

「………」










「グリム!!」

がばっと身を起こした瞬間、左足と頭に金属で刺されたような痛みが走り、「ぐうっ…」と情けない声が出る。

しかしそこは、私が意識を手放した冷たい地面の上ではなかった。良い匂いのする柔らかい毛布が私を包み、ふかふかと弾力のあるベッドが私を支えていた。
周りを見て、そこがオンボロ寮の自室であることに気づくまで、数秒を要してしまった。その間、私の脳内ではずっと「生きてる? それともここはあの世で見てる夢?」という自分の声が鳴っていた。今までは死ねばそれきりだと思っていたが、魔法も幽霊もいるこの世界にいる限り、"死んだ後"の自分がこうして意識を保っている可能性も考えなければならない。

あの場で誰かが助けてくれた? いや、あの場には誰もいなかったはずだ。
もっとも、私が意識を失った後に誰かが来たというのなら話は別だが────魔法でつけられたこの切り傷を、ただの生徒が治せるとは思えない。もし誰かが私を見つけてくれたというのなら、私は今頃保健室の方へ運ばれているはずだった。

わからない。
自分にあの後何が起きたのか、何もわからな────「目が覚めたか」

その時、部屋の扉が開いて、のっそりと扉の外枠を屈みながら入ってくる大男の姿が見えた。NRCの制服を身に纏い、みどりの黒髪を肩まで流しながら、じっとエメラルドグリーンの瞳でこちらを見つめる男。その額には、立派な角が生えている。

「ツノ、太郎……」

それは、夜のオンボロ寮の前で時折邂逅する、秘密の友人だった。
時間は夜中の三時。私が上級生にやられてから、五時間近くが経過していた。

「ツノ太郎が助けてくれたの? ていうか、私、生きてる?」

彼はふっと、いつもの不遜な笑みを浮かべ、「どちらもその通りだ」と言った。

「散歩をしていたら、生き倒れているお前を見かけてな。放っておいても良かったんだが、お前を失ってしまってはつまらない。幸い、目立つ傷はその足の裂傷のみだったから、魔法で治しておいた。朝には動かせるようになっているだろう」

ツノ太郎がどこか他の生徒とは違うことは、魔力のない私にでもなんとなくわかっていた。こう、纏うオーラが違うというか、戦おうと思ったその瞬間に戦意を根こそぎ奪われてしまうような、そんな威圧感がある(戦おうなんて思ったことがないので想像に過ぎないが)。尋常でない魔力を持つ者はその佇まいのみで他者を畏怖させると教科書に書いてあったので、きっとそれがツノ太郎が恐れられる所以なのだろうと思う。

そうか、ツノ太郎が私を見つけてくれたから、私は保健室ではなくオンボロ寮に寝かされているのか。普通の生徒なら無理でも、彼なら自分でこの傷を治せるから。

「…ありがとう、ツノ太郎。あのままだったら私…多分、死んでた」
「そうだろうな。しかし気にすることはない、あの程度の傷を治すくらい、僕にとっては少し散歩中に寄り道をしたくらいのことでしかないのだから」
「すごいんだね、ツノ太郎は」

満更でもなさそうなツノ太郎の笑みに、私も自然と口角が上がる。

「しかし、お前はどうしてまたあんなところに傷だらけで倒れていたんだ」
「ひとりでいたところを、上級生に待ち伏せされてたんだ」
「なるほど、それで何も為す術がないままボロボロにされた…と」
「情けない限りです」

本当に、情けない。

「────私も魔法が使えれば良かったのにな」

魔法が使えたら、返り討ち…にはできなくても、あそこまでの酷い怪我は負わずに済んだかもしれない。ツノ太郎が助けてくれたことは素直にありがたいけど、私にもっと力があれば、彼をこうして煩わせることもなかったかもしれない。だって彼が今ここにいて私の目覚めを待っていてくれたということは、彼は私をここに連れて来てから5時間もの間、この何も面白いもののない場所にいてくれたことになるのだから。
散歩の寄り道とは言うけど、命を救われた上に彼の楽しい時間まで奪ってしまった罪悪感が、私の小さな笑みをすぐに消し去った。

「ごめんね、ツノ太郎にまで迷惑をかけて。何か、お礼にできることがあれば良いんだけど────」
「迷惑ではないと言っただろう。それに、お前にできることなら大抵僕にもできる。アーシェングロットじゃあるまいし、わざわざ対価を望むためにお前を助けたわけじゃない」

そうは言っても、この恩を返さずに彼を見送ってしまうことを、私の良心が許してはくれなかった。ツノ太郎にとっては本当に些細なことだったかもしれないけど、私にとっては生死を懸けた一世一代の危機だったのだから。

でも、彼が言うことが正しいのもその通りだ。私にできて、彼にできないことなどきっと何もない。体格や頭脳のように持って生まれたものが私より格段に優れていることは言わずもがな、彼にはその膨大な魔力がある。魔法で大抵のことが叶ってしまうこの世界において、彼が何かに困窮することなどとても考えられなかった。

彼はひとりでなんだってできてしまう。私だけでなく大多数の魔法使いができないことでも、彼ならひとりでやってのけてしまう。

そう考えて気落ちした私だったが、すぐにその思考に"穴"があることに気づいた。

ツノ太郎は、ひとりでなんでもできる人。人の助けなんて、要らない人。
なら、ひとりでは絶対にできないことだったら────?

誰にでもできるかもしれないけど、ひとりでは絶対にできないこと。
ツノ太郎はその実力に裏付けられた傲慢さ故に、やはり周りから敬遠されている節がある。彼はいつもひとりで、何不自由なく、"ひとりであること"に疑問も持たず、こうして夜中にふらふらとひとりで散歩をするような人なのだ。

だったら、私にできること、あるかもしれない。

「待て、まだ動くのは────」
「ううん、少し傷むけど、ツノ太郎のお陰でだいぶマシになってるよ」

私はツノ太郎の制止を聞かずに、ベッドから降りた。床に足をつけた時、彼の懸念通り全身を痺れさせるような痛みが走ったが、私は平気な顔を装って、片足を引きずりながら────キッチンへと向かった。

「待ってて、ツノ太郎。お礼がしたいから、まだ帰らないで」
「お礼…? だからそれなら必要ないと、」
「ううん。私の気が済まないから、ちょっと付き合ってほしいの」

お礼をするために我儘を言うなんて、随分と倒錯しているとは思ったが────きっと今は納得してもらえなくても、最後にはちゃんとこれが彼にとってお礼として成り立ってくれたら良いなと期待して、私は彼をキッチンの椅子に座らせる。

「えーと…確かこの辺に…」

冷蔵庫の中や戸棚を漁り、私は机の上にたくさんのクッキーやケーキ、プリンやチョコレートといったお菓子の山を積み上げた。ツノ太郎が細い瞳孔を開いて目を丸くしている間に、この間ジェイド先輩からもらった紅茶の茶葉を取り出し、お湯を沸かす。

「なんのつもりだ?」

ツノ太郎の戸惑いが手に取るようにわかったので、私はまた笑ってしまった。

「ツノ太郎、パーティーしよ」
「パーティー?」
「うん。私の生還パーティー…っていう名目の、お礼。確かに私にできてツノ太郎にできないことはないかもしれないけど、私にもツノ太郎にもできないことが、私達2人にならできるんだ」
「……それが、パーティーか?」
「そういうこと」

私の知る限り、この学園でパーティーのようなことをしているのは(公式行事を除けば)ハーツラビュルのお茶会か、モストロラウンジの季節イベントくらいしかない。親しい仲間内でお菓子を持ち寄って夜通しお喋りすることは、私達にとってはよくあることだが、ツノ太郎にはなかなかない経験なのではないだろうか(今までの会話や言動調べ)。

だったら、私にできる最大限のお礼は"友人と過ごす楽しい時間"だ。私がホストになって、精一杯ツノ太郎をもてなそう。散歩の途中にここへ寄ってくれたのなら、私はそれを心から歓迎しよう。私みたいなつまらない人間が彼を楽しませられるかはわからないけど、そもそもツノ太郎の方が、私みたいなつまらない人間を「面白い」と言って何かと気にかけてくれているのだ。だったら、嫌われてはいないはずだと自惚れて、彼が楽しめるような話をたくさんしようと思った。

熱い紅茶を淹れて、ツノ太郎の前に置く。彼はまだ、面食らった表情から立ち直れずにいるようだった。

「この僕を、パーティーに招待するのか?」
「うん。2人きりでごめんね。でもパーティーに必要なものは揃ってるよ。おいしいお菓子と香りの高い紅茶、それから友達と、楽しい話。私、魔法が使えないせいでかなり無茶苦茶な生活を強いられてるんだけど、その苦労話が結構エース達にウケるんだよね。ツノ太郎が面白いと思うかはわからないけど……」

聞いてもらえたら嬉しいな、そう続けようとした私の言葉は、ツノ太郎のびりびりと空間を震わすような笑い声に遮られた。

「ははははは…!!」

…まだ何も面白いことをしたつもりはなかったのだが、何かがツボに入ったらしい。驚いた顔が消えたと思ったら、顔の全部で笑われてしまった。これでは、余程ツノ太郎の方が面白い…というか、完全な変人じゃないか。

「お前は本当に面白い! そうか、この僕をパーティーに誘うか! しかもこんなにクオリティの低いパーティーに!」
「しれっと悪口混ぜるのやめてもらえます? これが今できる最大限のおもてなしなんですけど」
「良いだろう、謹んで参加しようじゃないか。さあ、パーティーを始めよう!」

なんだかよくわからないが、既にツノ太郎はカリム先輩もびっくりの上機嫌ぶりを見せている。まるでその笑顔は映画に出てくる悪役そのものだったが、それが楽しそうであることに間違いはないので、私も笑って学校生活の話をした。
ツノ太郎は私のどんな話も興味深そうに聞いていた。リーチ兄弟に追いかけられて木の上に上ったは良いが降りられなくなった話をした時には鼻で笑い、カリム先輩の絨毯に乗せてもらって見た夜空が絶景だった話をした時には優しく目を細めた。どれだけ些細な話でも、どれだけオチのない話でも、彼はずっと笑っていた。

「────お前の生活は毎日が彩りに溢れているんだな」
「そう言えば聞こえが良いけどね。大変なことばっかりだよ」
「それで良い。不変と安寧を求めたところで、得られるものなど何の価値もないものばかりだ」

そう言うツノ太郎は、少しだけ────今日初めて見る、寂しそうな顔をしていた。

クッキーの缶を(ほぼ私が)空にし、トレイ先輩から分けてもらっていたケーキを(ほぼ私が)平らげた頃、外に朝日が昇ってくるのが見えた。

「あ、朝だ…。そんなに話し込んじゃってたんだ」

朝になる頃には足も治っているだろうと言われていたので、私はそろりと再び床に足をつけて立ってみた。────痛くない。

「ツノ太郎、痛くないよ。足、本当に治ったみたい」

ツノ太郎は笑っていた。さっき寂しそうな表情を一瞬でも浮かべたのが嘘のように、慈愛に満ちた眼差しで私を見ている。

「それは何よりだ」
「本当にありがとう。私にできることなんて、こうやって"一緒にできること"を共有することしかないんだけど、それでも良かったら────いつでも歓迎するから、また遊びに来てね」
「ああ、今まで多くの者から貢ぎ物は受け取ってきたが、こんなにも庶民的で奇怪で、そして愉快な贈り物は初めてだった」

それは────褒められているのだろうか。ツノ太郎の言葉の真意を考えながら、足を踏みしめて完治していることを確認していると、おもむろに彼は私の前に立った。
こうして見上げると、やはり背が高いなと陳腐なことを思う。首を思い切り曲げて見上げても足りないくらいだ。そのツノ太郎が、私の前まで来ると────なぜか、すっと膝を折り曲げて跪いた。見上げきれなかったはずの彼の頭が、今は私の腰元にまで下がっている。

「!?」

突然のことに、私は声を出せなかった。まるで姫に謁見する騎士のように、片膝をついて、エメラルドの瞳で私を射抜くツノ太郎。

「────パーティーの最後はやはり、ダンスだろう? さあ、手を」

どうやら私の庶民的で奇怪なお菓子パーティーは相当ツノ太郎を楽しませたらしい。パーティーでダンスをするなんて貴族のやることじゃないか、と思ったが、そういえばどこかの会話でツノ太郎も良いところのお家の子だった…とかなんとか、そういうようなことを聞いたことを思い出した。
なるほど、それで帰る前に一曲踊るのが"当たり前"だと思ってるのね。こっちは当たり前じゃないからさっきから心臓が倍の大きさくらいになったんじゃないかと思うほどうるさく拍動してるんだけどね。

「でも、曲もないし、私、ボロボロの制服のまんまだよ…」
「なんだ、そんなことが気になるのか」
「え…逆にツノ太郎は気にならないの…?」

どうにも彼の判断基準がよくわからない。そう思った瞬間、ツノ太郎はなんと────指の一振りで、魔法をかけてしまった。

どこからともなく、ワルツの音楽が聞こえる。
そして彼は、一瞬にして黒いタキシードに着替えていた。こうして見ると、本当に貴族のご子息様みたいだ。
直後、私の体の周りに温かい風が吹いた。何事かと自分の体を見下ろすと────驚いた、私が今まで着ていたはずの、ところどころ破られた制服がものの見事に消えており、代わりにどこぞのお姫様のような水色のドレスが着せられていた。ローファーを穿いていたはずの足元では、踵が急にくんと上がり、少し窮屈な感覚に陥ったので、ドレスの裾を持ち上げてみる。そこには、さながらシンデレラのガラスの靴のような銀白色に輝くハイヒールがあてがわれている。

「これで良いか?」

見た目と会場が整ったところで、タキシード姿のツノ太郎がドレス姿の私に向かって再び手を差し出す。

「────私、ダンスなんてできないよ」
「構わない。僕がリードするから、お前はただそれに合わせて足を出して、回っていれば良いんだ」
「そんな簡単に────わぁっ」

いつまでもグダグダとできない理由を並べ立てている私に業を煮やしたのか、ツノ太郎は強引に私の手を取ると、私の片手を自分の背に回し、彼も片手を私の腰に当てた。もう片方の手は、繋いだままだ。

1、2、3、1、2、3……。

ワルツの三拍子に合わせて、ツノ太郎が優雅に体を揺らす。私はといえば、彼の言う通り本当に引きずられるように足を出したり引っ込めたり、くるりと回ったりするだけだった。自分でも恥ずかしくなるほどその動きはぎこちなくて、まるで油の差されていないブリキの人形のようだと思った。それでも、ツノ太郎はそんなこと全く気にしていないかのように、私をリードして踊る。

一瞬、オンボロ寮の談話室が、豪華な宮殿の大広間に見えたのは気のせいだろうか。
最初はわけもわからずに振り回されていた私だったが、リズムを聞きながらツノ太郎に導かれていくうち、自分の体が自然と動くようになってきたことを感じる。

「筋が良い」

ツノ太郎も、私の微妙な変化に気づいたようだった。
体が軽い。ツノ太郎に体を預けて揺らすのが、楽しい。自然と足が出るし、ターンするタイミングもなんとなくわかる。

すると、気づいたことがひとつあった。
ステップ、ステップ、体を揺らして、そしてターン。────このターンしたタイミングで、ドレスの色が変わるのだ。最初は水色だったはずなのに、今はピンクになっている。ほら、それにまた、今度は彼と一緒にくるりと体の向きを変えた時、ドレスはグリーンになっていた。

「ツノ太郎、これ────」
「お前はどんな色でも似合うな」

彼はとても満足げだった。ツノ太郎のタキシードはずっと黒で、オンボロ寮の風景もオンボロなままなのに、私だけがカラフルで、煌びやかだった。

「なんだか私の方がたくさんしてもらってばっかりだね、ありがとう」

お姫様って、こんな気持ちなんだろうか。とっても綺麗な王子様に優しく手を引かれて、優雅なリズムに身を任せて、不安や痛みを全て忘れてしまう。
一体誰が、目の前の何より優しいこの人を捕まえて「恐ろしい魔法士だ」なんて言うんだろう。恐れ遠ざかるどころか、今の私はツノ太郎を前にしてしまうだけで、何を考えるより先に引き寄せられずにはいられないというのに。

「あんなパーティーは初めてだった。これは楽しませてもらった礼だ」
「お礼って…そのパーティーがお礼だったのに」
「では、このダンスへの礼として、またパーティーを開いてくれ」

なんだ、それではいつまで経ってもお礼返しばかりが続いて終わらなくなってしまうではないか。
────でも、それでツノ太郎とこんな風に過ごすための時間を作る口実になるなら、それも良いかもしれない。

エース達と一緒にいる時のような疾走感はない。
他の先輩達と一緒にいる時のような緊張感もない。

ツノ太郎と一緒にいる時間は、ゆったりとしていて────とても、安心する。圧倒的な力を持っているこの人の前でなら、私が無力なことも気にならない(だって魔力があろうとなかろうと、この人には関係ないのだから)。

私が私でいられる、ただひとりの人。

ワルツの音楽が止まった瞬間、私ははっと夢から覚めたような錯覚に陥った。

「さて、すっかり日が昇ってしまったな。僕はもう帰ろう」

タキシードとドレスが、それぞれ元の制服に戻っている。私の破れた制服は、いつの間にか新品同様に綺麗な状態に戻されていた。

「もてなしに感謝しよう、人の子」
「こちらこそ、素敵な時間をありがとう」

私はそう言って、ツノ太郎を送り出した。
上機嫌なままシャワーを浴び、朝の支度をする。無意識に、さっきのワルツの旋律を鼻歌で奏でていた。

「グリム、朝だよ」
「ふな……まだオレ様眠いんだ……ゾ…っ!?」

むにゃむにゃ言っているグリムを起こしに行くと、最初ごねていたはずのグリムが途中で普段からは考えられないほど俊敏な動きで後ろに飛び退った。

「な、なななななんなんだゾ!」
「えっ…グリムの方が何、どうしたの?」
「お前、いつの間にそんな魔力を手に入れたんだ!? アズールの野郎とでも契約したのか!?」
「魔力…? そんなもの────」

────まさか。

"私も魔法が使えれば良かったのにな"

あの独り言が、ツノ太郎に届いていたのだとしたら。
ありえない話じゃない────ツノ太郎に実際何ができて何ができないのかは知らないが、彼が"規格外の魔法士"であることだけなら知っている。可能性のひとつとして、"他人に魔力を分け与える"ことも可能なのではないかと────そう、思ってしまった。

試しに、私はグリムがそれまで寝ていた毛布がたためやしないかと、エースがよく使っている風の魔法と同じ動きをしてみた。あれなら初歩的な魔法だと言っていたし、もし本当に私が魔法を使えるようになっているなら、この毛布は────。

────動かなかった。

「あ…あれ…?」

じゃあ、なんだ。やっぱり勘違いだったのか。

「魔法…が使えるわけじゃねえのか? じゃあなんでそんな魔法の匂いをプンプンさせてるんだ? オレ様、鼻がもげそうなんだゾ…」
「さあ…昨日、ツノ太郎と遊んでたからそのせいだとは思うんだけど…」
「また変な呪いとか引っ提げてくるのは御免なんだゾ」
「ツノ太郎に限ってそれはないと思う…。まあ、私自身が何も変わってないっていうのはわかったから、とりあえず学校に行こう」
「お前は本当に自分のことに無頓着すぎるんだゾ…」

グリムが私に付着していると言った匂いのことが気にならないわけではなかったが、私自身にはどうしようもないのだから仕方ない。散々文句を言われながら、私達は学校に行った。

すると、1限の授業の教室に向かう道すがら、廊下で昨日私を痛めつけてきた上級生達に遭遇した。
それを見た瞬間、無意識に体が強張る。また何か言われたらどうする? 何かされたらどうする?
ツノ太郎のお陰で吹き飛んでいたはずの不安が、再び腹の中をのたうち回るのを感じた。

しかし────。

「なんだよ、お前。生きてたのか────」
「お、おい、待て!」
「よく見ろ、こいつ…」
「嘘だろ、なんでこんな奴に神格の加護魔力が────!」
「待て、ってことは俺達────」
「ああ、バレたんだ…! あの…あの人に…!」

上級生達は、終始わけのわからないことを勝手に言い合って、逃げるように私の前から逃げて行った。

「……なんなんだ? 今の」

彼らの言葉の意味どころか、昨日私が襲撃に遭ったことすら知らないグリムが首を傾げる。

「…さあ?」

私にも、よくわからなかった。
よくわからなかったけど。

「よーっす、なんか今日いつもより元気そうじゃん。良いことあった?」
「あ、エース」
「早く教室に入るぞ。今日の授業の問題、僕らが当てられることになってただろ」

私に怖い思いをさせた人は勝手に逃げて行ったし。
大好きな友人達は皆いつも通りだし(グリムはちょっと変だったけど)。
昨日はツノ太郎と素敵なダンスを踊れてしまったし。

差し引きで考えれば、私の気持ちは十分晴れやかだった。
だから私もそれ以上のことを考えるのはやめ、エース達と一緒に教室に入った。

その日は抜けるような青空が広がる、とても良い天気の日だった。
どこかで一瞬、雷が一度だけ落ちたような音が聞こえた気がしたけど────空も気持ちも晴れている私には、もう関係のないことだ。次にツノ太郎が来てくれる時までに、またお菓子を買い揃えておかなきゃ。











加害者達はもれなくマレ様の制裁を食らっています。ざまあ。
マレウスが監督生にかけたのは茨の谷に古来から伝わる強力な加護魔法です。それに守られた者を害そうとすると魔法が発動し、もれなく雷が頭上に降り注ぐ感じです。グリムがその隠された魔法を検知できたのは、彼がより野生に近い獣だったからです。

いつかやりたかったんです、眠りの森の美女のラストシーンのダンスでオーロラのドレスの色が変わる演出。
それをマレフィセントモチーフのマレウスとのダンスでやるっていうところに妙味があると思ったので…書いてしまいました…。

ツイステッドワンダーランドでは、マレウスこそが王子様で、監督生こそがオーロラでしたとさ、という話でした。









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