三角形すら描けなくて



笑うと目がきゅっと糸みたいに細くなるところ。
グリムを追いかけてる時の、慌てた走り方。
オレが呼びかけた時に返ってくる、少し高めの元気な声。

あ、ユウって可愛いんだな、って思った。

でも、その"可愛い"はウチにいる小動物達への"可愛い"とは、少し違ってた。
ユウを見ると、腹がきゅっと一回り縮んだような気がする。何かを考えるより前に、手がユウに触れようと動いてる。少しでも距離を近づけたくて、自然と目で追ってる。

────いくらなんでも、その違和感の正体に気づかないわけじゃない。

多分、きっかけはウィンターホリデーの時だったんだと思う。それまでだってただの"仲間"として宴に呼ぶことはあったけど、ジャミルがあんなことになっちまって、オレはどうしたらいいかわからなくて……。
今までだって喉元を狙われたことなら何度でもあった。オレがオレとして生まれてきた以上、それは仕方ないことだって思ってたし、いつ消えるとも知れない命なんだったら精一杯楽しんでやろうって、そう……思ってた、つもりだった。
まさかそれが、オレが唯一信頼していたジャミルの首を────オレの首より大事にしていたはずのそれを────絞めることに繋がっていたなんて、露ほども気づかずに。

全てがひっくり返って、ジャミルが別人みたいになっちまっても、オレにはまだどうしてそんな状況になったのかがよくわかってなかった。そのせいで、いつも笑顔でいようと思っていたのに──── 一瞬だけ、笑い方がわかんなくなった。
そんなオレの背中を大きく叩いてくれたのが、ユウだった。
もう一度笑って、前を向いて生きて行こうと思わせてくれたのが、ユウだった。

ジャミルと積み重ねてきた時間や経験がユウにはないし、そこにあるのは同じ気持ちじゃない。
でも────そんな"時間"も"経験"も全部関係なく落っこちていくのが"恋"なのだと、オレはその時初めて知った。

「おーい、ユウー!」

だから今日もオレは、ユウのことを呼ぶ。
少しでも一緒にいたいから。少しでも────こっちを、見ていて欲しいから。

「カリム先輩!」

今日もその笑顔は月みたいに優しい。オレの名前を呼んでくれた瞬間、心臓が見事なでんぐり返しを決めたような動揺が広がる。でも、まだ駄目だ。今すぐに無理にユウの手を取ろうとしたら、きっと彼女は"先輩"としか思っていないはずの相手から急に迫られることに少なからず戸惑いを覚えるはず。
自分が経験したことはなかったけど、周りの様子は見ていたからよくわかる。恋愛は、ただ"好き"って気持ちを押し付けるだけじゃ成り立たない。特に相手が自分のことをまだ恋愛対象として見ていない場合、相手の様子をよく観察して、自分との距離感を正確に測って、"自分"という存在を特別な地位にのし上げる必要がある。
────言ってるほど、簡単なことじゃないんだろうな。でもだからこそ、時間をかけて少しずつユウの心をオレで満たしていかなければならない。そのために、持てる限りの知恵を絞らなきゃいけない。…まあ、オレの知恵なんて、ジャミルからすれば3秒で同じ回答が出てくる程度の幼稚なものなんだけど。

「なあ、この間学園の裏庭で鹿を見かけたんだ。あと、ウサギとかフクロウとか…結構人懐っこい動物が多くてさあ。ユウも良かったら一緒にあいつらと遊びに行かないか?」
「え、良いんですか?」
「もちろん! あいつらすげえ可愛いからさ、ユウにも見せてやりたいんだ!」
「わあ、嬉しいです!」

オレの大好きな笑顔で、ユウは笑ってくれた。それを見て、また頬が変に緩んでしまう。

「ちなみになんですけど、その日ってジャミル先輩も来ます?」
「ん? ジャミル? 多分来ないと思うぞ。あいつも四六時中オレの傍にいるわけじゃないからな」
「そうですか、わかりました。じゃあ2人で行きましょう!」

────好意的に捉えれば、"ジャミルのいないところで2人きりになれる"と思ってくれた、と解釈することもできる。
でもオレはその時、「そうですか」と言ったユウの声が一瞬だけワントーン低くなったような気がした。

…ジャミルと一緒にいたかったのかな。ジャミルのことも、誘った方が良かったのかな。
いや、でもこればっかりは譲りたくない。ジャミルがユウのことを好きだって言い始めたら…またその時は考え直さないといけないかもしれないけど…。
それに、いつまで何でもかんでもジャミルに頼ってばかりじゃ駄目だって、この間言い聞かせたばっかりじゃないか。好きな子を振り向かせることくらい、ちゃんと自分ひとりだけの力で成し遂げたい。

結局、明日の授業が全て終わった後に待ち合わせるという約束で、オレ達は解散した。
さて、次の授業は確か錬金術だったっけかな…。ジャミルがもう既に必要なものは用意してくれているから、安心してそのまま教室へと向かおうとする。

その、時だった。

「ジャミル先輩!」

────今しがた背を向けたばかりの彼女が、嬉しそうな声を上げた。
思わず振り返ると、ちょうど通りがかったらしいジャミルにユウが話しかけているのが見えた。

「ああ、お疲れ」
「お疲れ様です! これから授業ですか?」
「ああ、君のところは?」
「実は自習時間なんです。とは言っても、私はそもそも普通の授業でもついて行けないので、自習時間ですら必死なんですけどね」
「良いことじゃないか。"異世界から来た"ことを言い訳にしないで努力する姿は素直に尊敬するよ」
「ありがとう、ございます…」

────思えば、ユウの方からオレに話しかけてくれることはなかったような気がする。
いつもオレばっかり一方的に喋ってたから、ユウがあんな風に自分のことを話す姿なんて見たことがなかった。
いつもオレばっかり一方的に笑ってたから、ユウがあんな風に照れた笑いを見せる様なんて見たことがなかった。

ユウは結局、ジャミルと短い会話を終えてあいつが去った後も、その後ろ姿をずっと見つめていた。

────あ、あの眼差し、知ってる。
こっちを見てって言いたいのに、言葉がうまく出てこなくて、それでも目を逸らすことができないから、ただ黙って見つめていることしかできないんだ。

わかるよ。

だって────オレも、お前に対していつだってそう思ってたから。

ユウがジャミルに恋をしてるんだって知ってしまったのは、その瞬間だった。










こっちのきっかけはなんだったんだろう。やっぱりウィンターホリデーのゴタゴタが悪かったんだろうか。そういえばユウはオレがジャミルを最後まで守ろうとした時、「そういうところがジャミルを傷つけてるんじゃないか」っていうようなことを言ってた気がする。

なあ、ユウ。
お前はあの時のジャミルの気持ちがわかってたのか? 能天気なオレのことを、ジャミルと同じように心の底では嫌がってたのか?
だからジャミルのことを好きになったのか? あいつの方が────ユウと、似てたから?

ジャミルは────ジャミルはどう思ってるんだろう。

ジャミルまでもがユウのことを好きだって言われたら、もうその時こそオレには何もできなくなっちまう。せっかくユウに出会えたのに、せっかくユウのことが好きになれたのに、ジャミルにそれを全部、奪われてしまう。

嫌だ。いくらジャミルでも、ユウのことだけは譲りたくない。

「なあ、ジャミル」
「なんだ」
「ユウのこと、どう思う?」

そう訊いたのは、確信が欲しかったからだ。
好きじゃないって、いつものあの悪い顔でそう言ってくれたなら。

ユウがジャミルのことを好きだっていうのも嫌だけど、でも────ただそれだけのことであったなら、まだオレにもチャンスはある。ジャミルさえユウに興味がないって言ってくれたら────。

「どうも何も…厄介な奴だと思ってるよ」

ジャミルはその時、洗濯が終わったオレのシャツにアイロンをかけてくれているところだった。"わざわざその手を止めて"、ジャミルは小さな溜息をつく。

「魔力もないくせに、俺の一世一代の企みを阻止したような奴だ。あいつ自身は無力かもしれないが、あいつは自分でそれをわかってて、"力のある奴"を巻き込むだけの素質を持ってる。綺麗な花だと思って触れようとしたら、花びらを覆ってる葉が棘だらけで、気づいた時にはこっちが傷だらけになってた、って気分だ。まったく────」

────言わないでくれ、と思った。

ジャミルの声が、呪いのようにオレの脳内に反響する。すっと、自分の体温が下がっていくのを感じる。期待していたわけじゃなかった、でも、どこかで願っていたんだ。アイロンをかけながら、表情ひとつ変えずに「どうも思わないが」って言ってくれることを。

そうじゃなかった。

そうじゃない時点で、もう全てわかった。わかってしまった。

あのジャミルが、一度に3つも4つも同時並行でいろんなことをできるジャミルが、手を止めるような存在。必要以上のことは言わないように笑ってるジャミルが、ペラペラと"花"に喩えてまで語るような存在。

「────興味深くて仕方ないよ」

ジャミルも、ユウのことが好きだったんだ。

「そっ…かぁ〜! そうだよな、あいつすげえもんな〜!」
「すげえとは思いたくないけどな。…いきなりなんだ」
「いや、この間お前とユウが喋ってるところ見てさ。仲良さそうだなーって思って」
「仲は別に良くない」

…そんなことないよ。

お前ほどの奴が、ユウの視線に気づかないわけないだろ。
お前ほどの奴が、ユウに対する自分の気持ちを悟れないわけがないだろ。

お前は────ずっと前から、自分がユウと両想いだって、知ってたんだろ。

アイロンがけが終わり、「これから俺は夕飯の支度をしてくる。大人しくしてろよ。誰も呼ぶなよ」と言ってジャミルが部屋を出て行った後、オレはたまらずベッドの上に身を投げ出した。

「あーーーー…ジャミルもそうなのか…」

なんだろう、すごく嫌な気分だ。ジャミルのことが嫌いになったわけじゃないのに、ジャミルとユウが一緒にいる場面を脳が勝手に再生して、その度に心の灯りがバチンと消えていくような気がする。何か自分の中に、制御できない獣がいるみたいだ。誰に向けるでもない牙をずっと剥いて、低い声で唸り続けてる。

このままユウをジャミルに取られちまうんだろうか。オレはただ、幸せそうに笑い合うあの2人を、視界にも入らないような遠くから見ていることしかできないんだろうか。

せっかく見つけた綺麗な宝石。オレはそれを、ジャミルに譲らなきゃいけないのか────?

「お前の笑顔を見る度虫唾が走る」

「────……」

違う。
今までずっと、譲ってきたのはジャミルの方だった。
綺麗な宝石も、可愛らしい花も、あいつは何一つ手にすることができないで、横にいるオレに全部渡してくれた。

────ジャミルの方が、今までずっと、何もかも、オレに奪われてきてるんだ。
生まれだけで全てが決まっていた。"オレがいる"というそれだけのことで、綺麗なものも楽しいことも、目の前でそれを横取りされてきていた。

それに、ユウは物じゃない。意思のある、人間だ。
その子がジャミルを好きだと言って、ジャミルも初めてオレと同じ立場からあの子を好きになったと言うのなら────。

オレはきっと、ジャミルの幸せを喜んでやらないといけない。
ジャミルの友達でいたい。もうあんな風に裏切られたくない。
あんな風に────友達を、苦しめたくない。

オレがいるせいでジャミルが自分の気持ちを抑えなきゃいけないっていうんなら、オレはそれを解放してやらなきゃいけない。










「なあ、ユウってジャミルのことが好きなんだろ?」

翌日、オレは約束通り学園の裏庭へユウを連れて行った。
木漏れ日の下、興味深そうにオレ達の周りをうろうろしているリスと戯れながら楽しそうな声を上げているユウに、直接そう尋ねる。

「えっ!?」

言った瞬間、ユウはわかりやすく狼狽えた。構ってもらえなくなったリスがかりかりとユウの靴を引っかいているのが視界の端に見えたけど、オレはまっすぐ彼女のことを見つめた。

「────やっぱり、バレバレですか?」

そうして、ユウはあっさりと────自分の気持ちを、認めた。

ズキンと、胸を刺されたような痛みが走る。
わかってただろ。ユウのこの答えなら、ずっと前から予想してただろ。

笑え。

笑って、背中を押してやれ。

かつてオレがユウにそうしてもらったように。

「なんとなくだけどな、そんな感じがしたんだ!」
「うわあ、カリム先輩にバレてるってことはジャミル先輩本人にもバレてるのでは…」
「だと思うぜ。でもあいつ、なんか満更でもなさそうな感じだったんだよなあ。なあ、ジャミルに好きだって伝えないのか?」
「ええっ、そんな…私なんかじゃ絶対無理ですよ…」
「そんなことないって!」

そんなことないって。

だって、ジャミルだってお前のことが好きなんだから。

「ジャミルのことならだいたいわかるオレが言うんだ、自信持てって! な?」
「自信持てって言われても…」
「大丈夫、あいつは────」

一生懸命口元に力を込めて、唇の端を持ち上げる。

「あいつも、きっとお前のことが好きだよ」

ユウはうっと言葉に詰まり、顔を真っ赤にしながら「カリム先輩がそこまで言うなら…少しくらいは期待しちゃっても良いんでしょうか…」と言った。他の男の話をされているせいで既にこっちの心はズタズタだというのに、それでもそんな熟れた果実のような顔を可愛いと思っちまうんだから、恋っていうのは話に聞いていたよりずっと毒性が強い感情だったんだな。やっぱりオレには、持て余しちまうみたいだ。

だから、これで良いんだ。

「そうですね、私だっていつ突然帰されるかわからない身。言わずに後悔するより────伝えて、後悔した方がまだマシかもしれないです」
「おう! 後悔せずに済むように願ってるからな!」

これで、良かったんだ。










「なあジャミル〜、今日ユウと何か話したか?」

その日の夕方、キッチンで夕食の仕込みをしているジャミルの背後にひょっこりと顔を出す。ジャミルはスープの味身をしたその手を止め、あからさまに眉をぎゅっと寄せた。

「…あれはお前の差し金か」
「あれって?」
「────今日、ユウに突然告白されたんだよ」

ああ。

そうか。

ユウ、ちゃんと言えたんだ。

きっとこれで、ジャミルとユウはどっちも幸せになれるんだ。
大好きな人が2人とも幸せになれるんなら、オレだってそれが一番嬉しいよ。

悲しげに遠吠えをしている腹の獣の声を無視して、オレはジャミルに笑顔を向ける。
大丈夫。殺されかけた時だって、「あいつさえいなければ」って言われた時だって、オレは笑っていられた。今だって、きちんと笑えてるはずだ。

「良かったな! ジャミル、実はユウのこと好きだっただろ? 当然付き合うんだよな?」

しかし、ジャミルは余計に機嫌の悪そうな顔をしてしまった。

「はあ? そんなことするわけないだろ」

────獣が、オレの内臓を噛み切った。

「────…なんで?」

なんで。
だって、ユウはジャミルのことが好きで、ジャミルもユウのことが好きで────。

なんで、一緒に幸せにならないんだ?

なんで────。オレの覚悟は、なんだったんだ?

「なんでも何も…別に、俺はあいつのことそういう目で見たことがないからな」
「…嘘だ」

嘘だ。

"そういう目"で見てたの、知ってる。

ジャミルのことならなんでもわかる。一回わかんなくなった時もあったけど、ジャミルはあれ以来、前よりずっとわかりやすくなった。ずっと隠してた"好き"とか"嫌い"とかを、はっきり言うようになった。

だから、今なら自信を持って"わかる"って言える。

ジャミルは、ユウのことが好きなんだ。

「────それに、付き合ったところであいつにメリットがないだろ。あいつにはもっと相応しい、良い奴がいるよ」
「そんな────メリットとかデメリットとかで選ぶような奴じゃないだろ、あいつは!」
「あいつがそうじゃなくても、俺が損得勘定で動くからどっちにしろ成り立たないんだよ。それよりカリム、そろそろ夕食が出来上がる。さっさと部屋に戻れ」
「待ってくれ、ジャミル! まだ話は────」
「終わりだよ」

ぴしゃりと言って、ジャミルはそれっきりこっちを見てくれなくなっちまった。

「ジャミル…」

すごすごと部屋に戻ったオレに夕食を運んでくれた時も、ジャミルは何も言わなかった。
風呂上がりに寝室を整えてくれている時も、ジャミルは一言も発さなかった。
寝る前のホットミルクを入れてくれた時も、ジャミルは表情ひとつ変えなかった。

どれだけオレが「ユウは」と口にしても、「もう良いだろ」と言って取り合ってくれなかった。

良くない。良くないだろ。

今更無表情ぶったって、今までユウの話をしてた時にお前は必ず手を止めて、ちょっと優しい顔をしてたこと、忘れてないからな。
告白された途端に"何も関心がない"ふりをされたって、逆に"今までずっと関心があった"ことがバレバレになるだけなんだからな。

なあ、そんなわざとらしい演技なんかやめて、自分に素直になれよ。
これからは誰にも遠慮しないって、そう言ってたじゃないか。

「じゃあな、おやすみ」
「ジャミル、ユウのこと────」
「しつこいな、お前も」

ジャミルは遂にイライラしたような口調でそう言うと、一方的に部屋の電気を消した。

そして、扉を開いて出て行く間際。
真っ暗な部屋に漏れ入る廊下の明かりに照らされたジャミルの顔は、なぜだか今にも泣き出しそうなものに見えた。

「────そんなに言うなら、お前がさっさと幸せにしてやれよ。せいぜい頑張るんだな」

そう言って、ジャミルは部屋を出て行った。

「あいつにはもっと相応しい、良い奴がいるよ」

「────どうして…」

ジャミルのことを想って、身を引いたはずなのに。
ユウの幸せを願って、秘めたはずなのに。

ジャミルの考えていたことがわかってしまった瞬間、オレの目から今までずっと堪えていた涙が一粒零れた。







ジャミルもカリムの気持ちを知っていた話。

彼も監督生のことが好きでしたが、「アジーム家の従者」である自分と「大富豪の長男」であるカリムを比べ、どちらの方が監督生にとって明るい未来が待っているか考えた末、彼は監督生の好意を退ける決意をしました。

告白された時にも「君にはもっと良い奴がいるよ」と言って断っている設定です。

スカラビア…良い意味で面倒くさい関係…。









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