Re;start



「恋愛ぃ? いやあ、全くキョーミないわけじゃないけど、メンドーだからいいや」

仮にもお年頃、顔も良ければ愛想も良し、基本的に気も利いて、ちょっと素直じゃないところまで含めてとっても人間味がある。
その気になれば相手なんて選びたい放題だろうというのに、このエース・トラッポラという男は、仲間の出歯亀な質問をあっさりと一蹴した。

ここ、ナイトレイブンカレッジは全寮制の男子校だ。身分を偽って半ば強引に入学した(というより、せざるを得なかった)私のような例外は置いておくとして、基本的にここの学生に女子との交流はない。だからこういった浮ついた話をする時は、具体的に"彼女が〜"とか"好きな子が〜"とか、そういった話より、"付き合うならどんな子が良いか"とか"デートではどこに連れて行ってあげたいか"とか、そんな抽象的な話が目立つようだった。

そんな中、「エースはミドルスクールの頃、彼女がいたんだろ? 次付き合うならどんな子が良い?」とクラスメイトに振られて彼が答えたのが、冒頭のそれ。

「なーんか息が詰まるんだよな。やれ記念日だ、なにプレゼントだって、女子ってなんかこう…なに、形式的なやつばっか好むっていうか?」
「なんだよ、ちょっとしか付き合ってなかったくせに女子のこと知ったかぶったようなこと言いやがって〜!」
「ははは、まあ俺の場合確かに付き合う相手との相性が良くなかっただけかもしんないけどー? とりあえず今はこーやって、」

そう言うとエースは隣にいた私の肩をがしっと抱き寄せた。

「ムッサい男共とでもワイワイ気ぃ遣わずに楽しくやってる方がよっぽど性に合ってるわ!」

ムサいは余計だわ! なんて野次が飛び交う中で、エースは実に楽しそうに私の肩を抱いたままゆらゆらと揺れていた。

────そんなこと言われたら、私がエースのこと好きだなんて、一生伝えられないや。

そう────私は、今しがた「恋愛なんて興味ない」と簡単に言ってのけたこの男に、どうしようもなく恋をしてしまっていた。

きっかけなんて、そんな大仰なものはなかったように思う。
入学早々派手にぶつかって、それを乗り越えて、ちょっと他より仲の良い友達になれた。エースがいるハーツラビュル寮で問題が起きた時には、一緒に無力ながらも立ち上がって戦った。エースが自業自得としか言えない不利な契約を結んだせいで頭からイソギンチャクを生やされた時は、一生懸命助けに向かった。逆に私がスカラビア寮に軟禁された時には、公共交通機関を乗り継ぎながら、ホリデー中にも関わらず実家から駆けつけてくれた。
ひとつひとつは、なんてことのない些細なものばかりだった。

それでも、ウィンターホリデーが明けて、いよいよ私とエースとデュースとグリム、この4人で一緒にいることが恒常化するようになった頃には、私ももう自分の気持ちを誤魔化せなくなってしまっていた。
デュースのことは、良い友人だと思っている。ただ、もしそこにエースとの差があったとするなら、エースの方が…なんだろう、話が弾むって言えば良いのかな。ノリが、なんだか私と似ていたのだ。きっかけがきっかけなら、理由も理由だ。
でも、16歳の…言ってしまえば情緒が揺らぎやすいこの時期に、エースの存在はあまりにも簡単に、そして鮮やかに私の心を奪ってしまった。

軽やかな笑顔が眩しい。ちょっと皮肉を言われた時、なんて言い返してやろうか考えるのが楽しい。口は減らないくせに、本心では異世界から来た私のことを本気で案じてくれているのが、嬉しい。

ひとつひとつの"小さな塵"が積もっていって、気づいた時にはその感情は大きな山になってしまっていた。エース・トラッポラという存在が、私にとっては何にも代えがたいほど大きな感情の波を巻き起こす…もうこれは、自然災害のようなものにさえなってしまっていた。

でも…。

エースは、恋愛なんて面倒なだけだと言った。
彼女なんていらない。そんなものを作ってしまえば、"自分の楽しい時間"を"彼女のために尽くす時間"に充てなければならなくなってしまう。

エースはきっと、何より自由に生きていたいんだろう。
口先だけで「彼女欲しーなー」だとか、「将来結婚したら、子供は2人が良い」なんてほざくことはあっても、そこに真実味はいつだって感じられなかった。

だから、私は自分の感情に蓋をすることを選んだ。
せっかく今、彼とは一番の友達と言える立場にいられるんだ。それをわざわざ壊してまで、自分の気持ちを押し通そうなんて思わない。

今こうして彼が何の他意もなく肩を組んでくれることが嬉しい。それだけ私のことを信頼して、"無二の友人"として扱ってくれることが、何より幸運なことだと思っている。

この距離感を壊したくない。
私が自分のこの儚い恋心を伝えてしまったら、きっと今の関係は維持できないから。

「監督生、お前は彼女とか欲しくねーの? お前、全然自分の恋話とかしねーよな」

だってエース、私の好きな人が他ならないあなただって言ったら、あなたは一体どういう顔をするの? 今あなたは、私のことを「恋愛感情なんて絡まない、気の置けない友人」だと思ってるからこそ、そうやって毎朝一番に声を掛けてくれるんでしょう?
もしここで私が「エースのことが好きで、恋人になってほしいと思ってるよ」なんて言ったら、もう私達はその瞬間から"友達"じゃいられなくなっちゃうよね。

「…うん、僕も今は良いかなあって。エースと同じだよ。学校の皆とワイワイやってるだけで十分」

だから私は、"エースの求めている答え"を笑顔で返してあげた。
ちょっと我慢するだけで、私は今も、そしてこれからも、エースの隣に居続けることができるんだから。恋人っていう特別な関係じゃなくたって、エースの傍にいられるのなら、このくらいの隠し事も、胸の痛みも…我慢できるよ。

そうやって私は、年次が上がって、少しはこの世界の何たるかを学習するようになっても尚、この胸を焦がす感情をなんとか隠し続けていた。

「エースおはよう、今日も好きだよ!」

抑えきれずに溢れ出す感情は、冗談に乗せて。

「エースのそういうとこ、ほんっとに尊敬するなあ…」

隠し通すのがあまりに辛い時は、"人として好きだ"っていう、そんな小さな枠に閉じ込めて。

私はあくまで「エースのことが好きだよ」というそれ自体は伝えながらも、決して一線を超えようとはしなかった。
怖かったのだ。ここに恋愛感情が絡んでしまえば、すぐにこの関係が瓦解することはわかっていたから。

それに、エースだって言っていたじゃないか。

「相手に片思いしてる間が華ってな〜。理想を押し付けてる間は楽しいから良いけど、そこに"お互い"の感情が絡み合っちまったら、嫌でも楽しいことばっかとはいかないじゃん? 楽しいことだけを共有できる"友達"の方がよっぽど楽だと思うね。"恋人"なんて下手な関係を作ったら最後、相手に勝手に抱いてた理想が崩れてくのは当たり前。お互いにとって苦しい局面が来た時、一緒に乗り越えるっていうのは思ったよりしんどいと思うんだわ」

────それは、16歳の男子高校生が言うには、あまりに悟りを開いた言葉だと言わざるを得なかった。そしてそれは、私からしてみても真理だったのだ。
片思いをしている間なら、相手の良いところだけを美化してキャーキャー言っていれば良い。でもそこに"相手"の存在を絡ませてしまったら、その"理想"は"現実"になる。
お互いの価値観がすれ違った時、きちんと向き合えるか。自分が落ち込んだ時、ちゃんと相手を頼れるか。そして相手が打ちのめされた時、自分はちゃんと相手の支えになれるか。お互いに────辛いことがあった時、それを共に乗り越えられるか。

ただ付き合うって話を持ち出しただけでそんなことまで考えるのは、些か重たい話題かもしれない。でも、不特定多数とその関係を結べる"友情"と違って、"恋情"は本来、特定の人とだけ交わす一対一の約束だ。当然、楽しいことばかりじゃないし、楽しくないことがあったからってあっさり切り捨てられるような浅い縁でもない。
エースはそれをわかっている。そして、私もそれをよく…わかっている。

だからこそ、踏み込めなかった。
今はまだエースと"友達"でしかないから、楽しい時に楽しいことだけをシェアしていれば良い。
でも、もしその先を望むとするなら────きっと、エースのような"面倒くさがり"な人と、私は立ちはだかる困難に真っ向から向き合える自信がなかった。

きっと、今のままの関係が一番私にとって幸せなんだ。
そりゃ、エースの特別になりたいとは思ってる。あの笑顔を、私にだけ向けてくれたらどんなに嬉しいかと、何度オンボロ寮の寂しいベッドの中で涙を流したことか知れない。

でも、だめなんだ。
エースは私のことを"マブ"だって思ってるから、こうして何の気もなく笑いかけてくれるだけ。そこに私の我欲が露わになってしまったら、もう二度と元の"友人らしい"居心地の良さは…戻ってこない。

エースとの関係を切りたくない。それだけのために、私はいつだって彼と一線を引いていた。










ツイステッドワンダーランドに来てから、1年程が経った。
エースは相変わらず、私のことを"無二の友人"として扱ってくれている。

この距離が一番、お互いにとって良い間隔のはずなんだ。
私は今日もそう言い聞かせて、頑張って感情を押し殺していた。

そんな折。

「監督生君、元の世界に帰る手立てが見つかりましたよ!」

学園長が唐突に、私を元の世界に送り返そうとしてきた。
どうせ私の帰還願望なんてそこまで重要視していないんだろう…そう思っていたのに、彼は意外なことに、職務の合間を縫ってずっと異世界との行き来の仕方を調べてくれていたらしい。

異世界への道に続く鏡が、今は使われていない倉庫の奥に眠っていたのだそうだ。
なんて簡単な結論なのだろう、と思った。
そうか、そんな簡単なことで、私は────呆気なく、元の世界に帰ってしまうのか。

元の世界に戻る日は、方法がわかったその翌晩に決まった。
付き添いで来てくれたのは、いつもの仲良し3人組だ。エースとデュース、それからグリムが、三者三様の表情を浮かべながら、私に最後の挨拶をしてくれる。

「寂しくなるが…ご両親の元に帰れるのは、本当に良かった」と、デュースが言う。
「いつかお前の世界にもオレ様の名前が轟くほどすげぇ大魔法士になってやるからな!」とグリムも言う。

「ま、元気にやれよな」

エースはいとも簡単にそう言って、"友人"との離別を特に惜しむ様子もなく笑ってみせていた。

「……」

私の想いは、最後まで伝わらないままだった。伝えない、ままだった。

それは────この関係を壊したくなかったから。明日も変わらない笑顔と態度で「おはよう」って言いたかったから。

でも、もうそれも最後。ここでこの鏡を通り抜けてしまえば、私は一生エースに会うことがなくなる。

だったら────。
もう、"この先"の関係なんて、考えなくても良いんじゃない?

私はデュースとグリムをそれぞれぎゅっと抱きしめた。それから最後にエースに向き直り────ずっと隠していた秘密を、最後の最後で打ち明けることにした。

「エース、好きだったよ。今までずっと」
「は────?」

エースは私の突然の告白に、戸惑いを隠せないようだった。その顔を見て、思わず私は笑ってしまう。
ああ、これで私達の関係は本当に終わりだ。そう思ったら、これまでずっとこの気持ちを秘めていたのも存外悪いことではなかったな、なんて思う。

さよなら、エース。
今までずっと"友達"でいられて、良かったよ。
恋愛なんて面倒な関係に持ち込まなくて…いや、そもそも私みたいなのじゃ持ち込むことそのものができなかったかもしれないけど…とにかく、我慢しただけのことはあった。
だって、彼がこうして最後に見送りに来てくれたのは、私が"友達"だったからなんだもんね。

こうして考えたら、私は異世界から来て本当に良かったのかもしれない。
こんな気持ちを一生秘したまま生きなければならなかったかもしれないなんて、考えただけで悲しくて胸が張り裂けそうになる。
友達だろうが知人だろうが、"いつか終わりが来る"関係だとわかっていたから、私は今日まで秘密を貫けた。そして、最後の瞬間に、ようやく自分を開放してあげられた。

いきなり友達としか思っていなかった人から「好きだった」なんて言われたら戸惑うかもしれないし、それまで友達だったからこそ詰めてきた距離感を気持ち悪くすら思われてしまうかもしれない。でも────もう、全部私には関係ないことだし。今までずっと頑張って感情を殺してきたんだから、最後くらいは我儘を言ったって許されるよね。

「ちょっと、おい、待て────」
「ありがと、エース。私に恋をさせてくれて。何も気づかずに、友達でいてくれて」

私は一方的にそう言って、異世界へと繋がる鏡をすり抜けて行った。
後ろは振り返らなかった。何かエースが叫んでいるような気はしたけど────もはや、ツイステッドワンダーランドから隔絶されようとしている私には、何も届かなかった。










それから5年程が経った。
私は元の世界に戻り、今は日本の大学で経済学を学んでいる。

あの嵐のような1年間は、今でも私の心に鮮烈に残り続けていた。

元の世界に戻ってからは、私は逆に"普通の少女"に擬態することにかなりの時間を要してしまった。しかし幸い、周りには「ちょっとミステリアスな子」と良いように捉えてもらうことができ、そのお陰というべきか何というべきか、何度か素敵な男性から告白なんかもされるようになっていた。

始めに付き合った人は、とても優しい人だった。いつも私をエスコートしてくれて、完璧なデートプランを立て、記念日もいつも覚えていてくれるマメな人だった。
でも、だんだんとそれが窮屈に思えてしまい、3ヶ月で別れてしまった。

次に付き合った人は、ちょっとヤンチャしていました系の人だった。いつも風を切るように歩いていて、ちょっと怒りの沸点が低いのが難点だったものの、義理にとても厚い人だった。
でも、だんだんとその温度差に耐えられなくなっていき、今度は1ヶ月で別れてしまった。

3人目は、至って平凡な人。会話が少し苦手なのか、沈黙が多くて、付き合っているというよりお互いに同じ空間だけ確保してそれぞれ自立した時間を送っているような人だった。
でも、その人とはだんだん付き合っている意味がわからなくなっていき、半年後には別れてしまった。

────どの人と付き合っても、なんだか物足りなく感じてしまう。
友人にそう告げると、「なんて贅沢な」と怒られてしまった。まったくもってその通りだと思う。

でも────誰かと付き合う度に、手を繋いだり、キスをする度に、私の脳は勝手に16歳だったあの頃に戻ってしまうのだ。

大雑把だけど、一緒にいておおらかな気持ちになれたあの人。
ちょっと薄情だけど、同じ温度差でいられたあの人。
沈黙の時間はほとんどなくて、いつだって一緒に笑えていたあの人。

すぐ隣に、好きで付き合った男の人がいるはずなのに、どうしても別の人のことを考えてしまう。────なんだかんだ理由をつけて、私が別れを切り出した理由の全ては、そんな不義理なところにあったのかもしれない。

エース。
あの別れの時、私は彼に永遠の離別のつもりで告白をした。あの告白をもって、私達の関係をわざわざ破壊したつもりだった。

それなのに、今でも私はあなたのことを思い出してしまう。
秋、初めて出会った時のこと。今でも覚えてる、最悪な第一印象。
冬、ホリデーを放り出して駆けつけてくれた時、一緒に余暇を楽しんだ日々のこと。
春、ハッピービーンズデーのイベントで本気の勝負に挑んだ時のこと。
夏、ホリデー前に、みんなで花火をして遊んだ時のこと。

いつどんな時だって、私の記憶にはあなたがいた。
あなたにとって私は"友達"でしかなかったけど、私にとってあなたはいつだって"大切な片思いの相手"だった。その距離感がむず痒くて、それなのに、どこか心地良くて。

こちらの世界に戻って来た時、あの「好きだった」という言葉でそんな記憶の全てを"過去"に置いてきたつもりだった。どちらにしろ、あんなことを告げた後では、たとえ向こうの世界とこっちの世界が再び繋がったところで、もう合わせる顔なんてないと思っていたから。

でも。それなのに。

「どうして────…」

私はすっかり、この世界で恋愛のできない体質になってしまった。
あの時「好きだった」なんて口にしたせいで、その感情が身に染みついて離れなくなってしまった。

エースの笑顔が、頭から離れない。エースの声が、心から消えない。

いつだって等身大で、表情が豊かで、素直じゃないあなたのことが────私は、今でも好きだった。

「…こんなことなら、帰らなきゃ良かったかなあ」

好きだなんて伝えないで、あんな覚悟なんて持たないで、いつまでもぬるま湯に浸かりながら、不毛な片思いを続けていれば良かったのかもしれない。あれはあれで辛かったけど、今こうして二度と会えないとわかっていながら忘れられない現状の方が、余程拷問を受けているかのような気持ちにさせられた。

大学のお手洗いで顔を洗いながら、鏡に映る自分の顔を見つめる。

エース、好きだよ。今でもとっても大好き。
私、どうしてよりによってあなたなんかに恋をしちゃったんだろうね。
もっと別の…せめてもう少し恋愛に興味を持ってくれている人を好きになれていたなら、私だってもう少し素直になれたかもしれないのに。

でも、仕方ないんだろうね。
私が好きになったのは、そんなあなただったから。恋愛なんて興味ないってあっけらかんと笑って、男友達と遊んだり、バスケに打ち込んだり、補習でゲロ吐いてるようなあなただったから────きっと私は、好きになっちゃったんだろうね。

だったら、もう諦めるしかないのかな。
私はいつまでも、この気持ちを背負って────「監督生」────他の人の中に、あなたの面影を探して────「監督生!」────その声は、誰?

一瞬目を離した隙に、目の前の鏡がぼうっと光を放った。しかも、その光の向こう側から、誰かの声が聞こえる。
ぎょっとして洗面台に身を乗り出し、鏡の奥を見通す。

すると、その光はだんだんと膨張していき────突如として、消えてしまった。

「!?」

その光が消えた後。鏡の向こう側から手を振っていたのは────。

「どうして────…」

────今しがた私が思いを馳せていた…エース、だった。

「うまいこと繋がったみたいだな。良かった」
「繋がったって…え、どうして…?」

どうしよう。これは…本物のエースなの?
それとも、あまりにも彼に焦がれ続けてしまったせいで、都合良く見せられた幻覚?

現状を呑み込めずにいる私に、エースは鏡の向こうからにょきっと腕を伸ばしてきた。

「う、わ」

鏡から飛び出してきたエースの手に頬をつままれて、私は情けない声を上げてしまう。
────でも、知ってる。これは、紛れもなく────エースの手だ。

「言い逃げとか良い度胸してんじゃん。まさか別れ際にあんな大告白かましておいて、返事する暇さえ与えてくんないつもりだったわけ?」

5年の歳月が経ったからか、エースの顔は随分と大人びているように見えた。当然だ、こっちとあっちの時間軸が同じなら、彼だってもうナイトレイブンカレッジを卒業している年なのだから。
それでもエースは、私のよく知っている不敵な笑みで、私のことを見つめていた。

「俺が気づいてないとでも思ってた? お前の気持ち」
「え…」

知って、たの…?

「まあ男子校っていう体裁もあるし、そうでなくともお前は何かと目をつけられやすいから、あんまり個人的に肩入れしない方が良いかなって思って知らないフリをしてたんだけど。…まさか最後の最後であんな風に言われるなんてな。デュースやグリムの反応なんて、面白いったらありゃしなかったぜ。見せてやりたかったな」

私の頬を摘んだまま、エースは実に楽しそうに笑った。

「────でも、もうこれで鬼ごっこはおしまい。お前は俺に捕まって、ジ・エンド」
「…どういう…」
「俺がさ、ダチ以上の感情を持ってない奴にそこまで構うと思う?」

ま、そう思われてたからあんな別れ方になったんだろーな、とエースは私の戸惑いなどどこ吹く風といったようにうんうんと頷いていた。

「────俺もさ、ずっと好きだったよ」

そうして彼は、信じられない言葉を────6年以上望んじゃいけないと言い聞かせながらも心のどこかで望まずにはいられなかった言葉を────簡単に、口にした。

「本当は女子なのに男子のフリをしてるのは何か理由があるんだろうなって思って、黙ってた。恋愛なんて今は良いって言ってたから、友達って立場に甘んじてた。でも、俺だってお前のこと、好きだったんだよ。恋人になりたいって思ってたし、お前だけの特別になりたいって思ってた」
「ちょっ…と、待って…」

理解が追いつかない。え、今私は元の世界の大学の鏡の前に立っていて、そうしたらエースがなぜか鏡の中から突然現れて、開口一番に「私のことが好き」って…。

「ゆ、め…?」

こんなこと、現実で到底起こるなんて考えられない。
こんな簡単に私の秘めていた恋心が叶うなんて、ありえない。

どうしても、エースのことを疑うことしかできない。そんな私の視線に気づいてか、彼は笑いながら「その慎重なとこ、全っ然変わってねーのな」と────それすら、笑い飛ばした。

「でも残念ながら夢じゃないんだな、これが。知ってっか? この5年でこっちの世界、かなり異世界についての研究が進んだんだよ。こうして"行き来"する手立ても無事に見つかって、今は現地調査員がそっちの世界にうまーく入り込みながら、文化やら技術やらを学んで────いつかはお互いの世界を共存させようって取り組みが内々に行われてるわけ」

この世界と向こうの世界を、行き来────?

「それで、俺はNRC卒業後、その研究施設に入所して、ニホンの現地調査員になりましたってわけ。研究を兼ねてではあるけど、しばらく俺もお前の世界に世話になることになったから、よろしくな」

情報の洪水に押し流される私に対し、エースは実にあっけらかんとした態度だった。

「じゃ、じゃあ…なに、エースはこの後ずっとこっちの世界にいるってこと…?」
「うーん、まあとりあえず向こう数年は。その後は一旦ツイステッドワンダーランドに戻ることになるだろうけど、こっちとそっちを行き来する方法はさっき言った通りもう確立されてるから、俺もお前も好きな時に好きな世界で過ごせるよ」
「それで、私に…会いに来てくれた、とでも言うの?」

未だに目の前の光景を信じられずにいる私。エースは私の頬から手を離すと、そのまま優しく頭を撫でてくれた

「そうだよ」

ぐっと、一気に目頭が熱くなる。

「本当にエース? 本物の、エース・トラッポラ?」
「おう」
「私のマブの?」
「もち。あーでも…言っただろ、俺もお前のことが好きだよって。お前は? ────元の世界に戻って、他に好きな奴とかできちゃった?」
「っ────できないよ!」

できるわけがないじゃん。
エースとの思い出に侵蝕されてる私に、もう今更新しい恋なんて無理だよ。

そうだよ。
いつだって私の中にはエースがいた。なんてことのない、ひとつひとつは取り上げるまでもないような些細な思い出のくせに、どれもこれもキラキラ光ってしょうがなくて。どれだけ新しい思い出で塗り替えようとしても、その度に原色のあなたが何よりも色鮮やかに浮かび上がってきて。

「ずっと…ずっとエースのことだけが好きだった…。新しい恋をしようとしたって、結局最後に行き着くのはエースばっかりだった…。ずるいよ、きっかけなんて思い出せないし、理由だって取るに足りないもののはずなのに…」

そう言う頃には、エースはもう鏡の奥からゆっくりとその身をこちらに移していた。お行儀悪く洗面台に足を掛けて、器用に床に降り立つ。「げ、まさかとは思ったけど…ここ女子トイレじゃん! やば!」なんて言いながら、ぼろぼろと涙を零す私にそれでも優しく微笑んでくれた。

「良かった、まだお前の中に俺がいて」
「いるよ…ずっといたよ…」
「学生の頃は全然そんな素振りなかったからなー。俺、結構不安だったんだ。せっかく会いに行っても、簡単に追い返されるんじゃないかって」
「そんなわけないじゃん…」

会いたいなんて、願うだけ無駄だと思っていた。
ままならないこの気持ちは、一生私の中で死ぬまで燻り続けているのだと思っていた。

「嘘じゃない…?」
「うん、全部嘘じゃないよ」
「本当にエースが…私のことを好きだなんて…いや、やっぱり信じられない」
「なんでだよ! ここまでして会いに来ておいてそんなみみっちい嘘つくかよ! 変なとこで強情なのほんと良くないよお前!?」

もう一度会えたというだけでも、まだ夢の中の出来事なんじゃないだろうかと疑ってしまっているのに。最後だからと捨て身で告げたこの想いが報われるなんて、それこそありえない。
それでもエースは辛抱強く「俺はお前のことが好きなんだけどな」「ずっと好きだったんだけどな」と繰り返していた。

「わかったよ。じゃあここからリスタートな。とりあえず俺が今ここに実在してることだけでも信じてよ。あとはゆっくり時間をかけて、わかってもらうから」

最終的に出た提案は、そんなものだった。

私はおそるおそる、自らエースの手に触れる。
────温かかった。それは、確かに実在する人の体温だった。

「…触れる」
「そうだろ?」
「…あったかい」
「だからそうなんだって」
「本当に…ここにいるんだ…」
「いるよ」

疑い深い私の言葉にも、彼はひとつひとつ丁寧に返してくれる。

「私のことなんて、どうして好きになったの? いつから?」

────そこまで確認して初めて、私はようやく彼が最初に伝えてくれた言葉にまで立ち返ることができた。エースは些か恥ずかしそうに頭を掻きながら、「…うん、ちゃんと説明するよ。とりあえずここ出て、どっか腰落ち着けねえ?」と笑う。

私もようやく自分が今いる場所のことを思い出し、エースと一緒にそろりと辺りを見回しながら女子トイレを抜け出した。…なんだかこうしていると、深夜に校舎内を徘徊した夜のことを思い出す。

ほら、こんなところにまで、あなたとの思い出の残滓が。

ここからリスタート、か…。
なんだか状況が全く呑み込めないけど、6年越しに見る彼の顔は大人びていて…それなのに、確かに記憶の中のエースその人のままでもあった。そんな不思議な矛盾が、私の胸をきゅうっと締め付ける。

会いたかった。
会いたかったよ、エース。

会って話がしたかった。こんなこと望むだけ無駄だって思ってたけど、私、確かにあなたからの「好き」が欲しかった。

ねえ、本当にエースなんだよね。
私は────今度こそ、あなたからの答えを…求めても良いのかな。

隣に並ぶエースとの距離感は、学生時代の時のままだった。つかず離れず、触れてもお互い何も言わない。ただの友達と同じ間隔。

でも。

「俺さ、お前にもう一度会うために猛勉強したの。褒めてくんね?」

彼の言葉と表情は、今まで見たことのない────それでも、幾夜と知れず想像しては律してきた、"特別"なものだった。

「…うん、すごい」
「なんだよその反応。こうもっとさ…"キャー! エースったら素敵ー!"くらいのこと言ってくれても良いと思うんだよなー」
「…っふふ、私がそんなこと言うキャラに見える?」
「ぜーんぜん」

お互いちょっとだけ、恥じらいが残った笑い方をする。
あの日捨てたはずの気持ちが、捨てきれずにずっと灰のままどこへも飛ばせなかった思いが、再び着火したような心地だった。

さて、どこから話を聞かせてもらおうかな。
そして、私も────封じ込めてきた気持ちのどこまでを、話そうかな。









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