類は恋を呼ぶ



「なまえっち助けて〜!」

放課後、帰ろうと荷物をまとめていた私を邪魔するがごとく勢いで黄瀬君が駆け寄って来た。私のクラスと彼のクラスは一番離れているのに、やっぱり運動部の脚力は伊達じゃない。ホームルーム終了のチャイムが鳴り終わる前にもう私の眼前までやってきているのだから。

「なに、今日は宿題の手伝い? それともテストの補習? それとも次のテスト対策?」
「全部ッス!」

きらきらと星の飛びそうな笑顔で言う黄瀬君。あまりにも清々しいものだから、私の席の周りの子達がクスクスと笑いながら「じゃあね、頑張ってなまえ」なんて無慈悲に手を振って去っていく。

「…今日部活は?」
「今日からテスト前の休みッス! ほんとは練習しようと思ってたんスけど、笠松先輩から今回赤字取ったら補習期間が試合と被るからってバスケ禁止令出されちゃって…」
「で、ひとりで勉強しようにもどうしたら良いかわかんなくて行き詰まったから私のところへ来た、と?」
「さっすがなまえっち、あったまいい〜」

あったまいい〜、じゃないよまったく。月に一度は同じ理由で私のところにヘルプ出しに来るくせに。

「…仕方ないな、2時間だけね。報酬はスタバの新作で」
「お安い御用ッス!」

まぁ、その度に私は言い値で報酬を貰ってるわけだから、そこまで大声で言う文句はないわけだけど。






「……で、ここがマイナスになるでしょ。だからグラフはこっちに伸びるの、わかる?」
「わかる」
「オッケー、そしたらここの値を代入して、あとはこっちの方程式を解けば出るよ……そうそう、そう、正解!」

テスト前で部活もないと、学校からはあっという間に生徒が消える。ましてうちは別に進学校ってわけでもないし、放課後まで残って勉強しようとする人はまずいない。
私と黄瀬君が残る教室はとても静かだった。一つの机を挟んで、向かい合って座る彼の顔は真剣そのもの。斜めに入る夕陽にきらきらと綺麗な金髪が輝いていて、とても眩しい。目を細めながら見る逆さまのノートには、私の発言が細かくメモされていた。

「うわー、そういうことかぁ…。なまえっちの話、先生より断然わかりやすいッス」
「まぁ授業は一人ひとりのペースに合わせてらんないから、特に数学みたいな全部連続する説明はこんがらがりやすいよね」

黄瀬君は赤マルのついたノートを嬉しそうに眺めている。考えるクセがついていないだけで、この人は本当は頭が良いんだろうな、と彼の解く姿を思い出しながらぼんやりと考えた。まぁあまり顕在化しない頭の良さではあるが、彼の場合それをカバーして余りある要領の良さが目立つ。
毎月何かしらのテストや大きい宿題が出る度に私のところへ泣きつきにくるが、その度に結局なんとかなっているのは私の教え方が良いからではなく、彼自身の実力がなんとかしてくれているからなのだ。もっとも、何度言っても彼はそれを認めようとはしないけど。

「毎回思ってたんスけど」

次の問題で使う公式を探しながら、軽い口調で黄瀬君が言う。

「なんでなまえっち、海常来たんスか? なまえっちの頭の良さはうちレベルなんかじゃないっしょ」
「…本命の受験日、風邪引いた」

もちろん理由はそれだけじゃなかったかもしれない。狙ってたのは県で一、二を争うほどに偏差値の高いところだったから、簡単な戦いじゃないことは最初から知っていた。でも、私は一生懸命勉強した。できることは全てやって、直前まで気を抜くことなく全力でやりきった。

「……努力が報われなかった瞬間って、死にたくなるッスよね」

合格発表を見る前からわかっていた。頭がぼーっとして全然解けなかったから。気持ち悪くて全然集中できなかったから。悔しくて、焦って、それが余計に解答を妨げて。
見るまでもなく、私は失敗したのだとわかっていた。時間をかけて、全てを懸けて臨んだ試験は、一瞬で水の泡と消えた。

黄瀬君は私の方を見なかった。ただ、いつもの元気な声が掠れるほどに小さくなって、ノートと向き合ってるせいでよく見える睫毛の先が少しだけ揺れていた。

黄瀬君は、きっとそんな瞬間を知っているんだろうな、と漠然と思う。

「…黄瀬君はなんで海常に?」
「推薦ッス。スカウトで海常の人が中学に来てて」
「バスケだっけ」
「うん」

全然詳しくないけど、黄瀬君はバスケの神様らしい。1年生にして、全国レベルのうちのバスケ部のエースだと聞いた。キセキの世代がうんぬんかんぬんっていうのもどこかで聞いた記憶があるけど、正直それがどうすごいのかはよくわからない。

「スポーツが苦手な私と勉強が苦手な黄瀬君がこうやって友達やってるのってなんか不思議な感じするね」

多分、趣味や関心のあることは全然違う。補習なんていう一見ネガティブなコンテンツがなかったら、私達は永遠にすれ違うことすらなかっただろう。しみじみとそんなことを言うと、意外にも黄瀬君はきょとんとしていた。

「……そうッスか?」
「うん。だっていつだったか黄瀬君が赤点回避の特訓をしてくれって私のところに来てくれなかったら、きっと私は今も黄瀬君のこと知らなかったよ」

初めて会った時も、今日みたいな感じだった。授業が終わって帰ろうとしてる時、突然見知らぬ美形が私のところまでまっすぐやってきて、何の前触れもなく「勉強を教えてください」なんて言い出すんだ。
聞けばクラスメイトの飯田君がバスケ部で、赤点をとったら試合に出られないと嘆く黄瀬君に私を紹介してくれたんだとか。
最初はあまりの美しさとデカさとなんかよくわかんない芸能人みたいなオーラのせいでかなり気圧されてしまっていたけど、実際慣れてしまえば黄瀬君はとても良い人だった。素直で、よく笑って、何より優しいのだ。

「確かに。俺も飯田君から君のことを聞いてなかったら、知らないままだったと思うッス」
「全然タイプ違うもんね、私達」
「うん、会えて良かった」

まっすぐ笑いかけてくる黄瀬君に、思わずどきりとしてペンを止めてしまう。

「……ありがとう、私もだよ」

他意なんてない、特別なんかじゃないとわかっているけど、美形にこんなことを言われたら超平凡な私はどうしたってときめいてしまう。
ここで恋なんかしたところで不毛なだけなのはわかってるから、そんな気の迷いは起こさないけど……でも、こうやって黄瀬君の長い睫毛を眺めているのは、割と好きだった。

「………」

黄瀬君が、一瞬動きを止めてこちらを見る。なんだかその眼差しはとても真剣で、何か変なことを言っただろうかとこちらの胸にも不安が押し寄せた。

「あ、ねえなまえっち、この公式のbに入れる値ってここの数字で良いんスか?」

しかしそんな視線はすぐに逸らされ、再び彼の顔は問題集を見下ろす。気のせいだろうか、と思いつつ私も彼の言っている数式に目を向けた。

「ああうん、合ってるよ」

理解しやすいように、テキストに手を伸ばして直接数字を指し示す。
するとその瞬間、黄瀬君の手が私の手首を捕まえた。痛くはないけど、振りほどけない、そんな絶妙な力加減で掴むと、ぐいっとその腕を自分の方へと引き寄せる。

「…で、なまえっちはいつまでその不思議な友達関係を続けるつもり?」

勢いに負けて机越しに身を乗り出すと、それを迎えるように黄瀬君の綺麗な顔が私の顔に近づく。

「俺が君のところに毎月毎月欠かさず行くの、本当に補習のためだけだと思ってた?」

低い囁きが耳孔に直接吹き込まれる。触れてないのに耳がくすぐったくて、勝手に体温が上がるのを感じる。

なに、これ。
さっきの視線、気のせいじゃ――――なかったの?

「きせ、くん……」

耐えきれず、かといって抵抗もできずになよなよと名前を呼ぶと、黄瀬君はにやりと笑った。形の良い唇から覗く白い歯と、すっと細められた瞳から向けられる射抜くような視線は、あまりにも挑戦的で、そして色っぽくて。

「………」

数秒の沈黙ですら永遠に思えた。
そして、黄瀬君は次に………

「なーんちゃって!」

と明るく言うと、ぱっと私の腕を離し両手を挙げてみせた。

「乱暴しちゃって申し訳ないッス! 大丈夫ッスよ、毎月君のとこに行くのはちゃんと勉強教えてもらうのが理由ッスから!」

さっきまで抑えた声音を聞いていたから、いつもの大声がいつも以上にわんわん響いて聞こえる。

…さっきの黄瀬君とは、別人みたいだ。まだ心臓がばくばく言ってる。

「や…やめてよ…心臓に悪い」
「ごめんって」
「黄瀬君みたいな人にそんなこと言われたらだいたいの人が勘違いしちゃうんだからね…。いつか刺されても知らないよ」

胸を抑えながら、呼吸を整えながら、苦し紛れの憎まれ口を叩く。黄瀬君は相変わらず楽しそうに笑いながら、

「ははは、勘違いじゃない場合もあるんスけどね」

なんて、また思わせぶりなことを言ってきた。

「……人を口説きの練習台にするのはやめていただきたい」
「え、それ本気で言ってるんすか?」
「本気以外の何があるってんのよ。ほら早くbに63を代入して」

これ以上こういう話を続けてたらまたなんだか痛い目見せられそうだ。もう本心では勉強するどころの話じゃなかったけど、とにかくこのページだけは進めてもらわないと困る。黄瀬君に早く早くと急かしながら解かせようとすると、彼はあからさまに不満そうな顔で渋々向き合い出した。

「もー、なまえっちは堅いんすよー」
「黄瀬君が軟派なの」
「……ふ」
「何がおかしい」
「ふふ、いや、そんなとこも俺らって真逆なんだなぁって思って」

なんだかよくわからないけど、黄瀬君は不満げな表情から一転して楽しそうに笑いだした。無邪気な笑顔を見ているうち、いい加減私の心臓も大人しくなってくる。

「ねえ、なまえっち」
「なに?」
「次のテスト、平均点以上取ったらその後の試合見に来てくれないッスか?」

いつも勉強の時のダメダメな俺しか見せられてないから、たまにはスポーツしてる俺にも歩み寄ってみてほしい、とのこと。

「…うん、いいよ」
「やった! 頑張るッス!」

それをきっかけに黄瀬君との共通項が増えるなら、それはそれで楽しいと思う。だって本当ならすれ違うはずのなかったご縁なのに、今は机一個分の距離しかないところまで近づいている。せっかく仲良くなれる機会があるというのなら、お言葉に甘えておきたいところだ。

…でも、バスケをやってる黄瀬君なんか見ちゃって、うっかり恋にでも落ちてしまったらどうしようね?

「…ものすごくダサいミスとかたまにしてね」
「えっ、なんで!?」

結局黄瀬君は、テスト範囲の問題集を終えるまでに最初提示した時間の倍になる4時間をかけていた。ここまでやったんだから平均点くらいとってくれという気持ちと、平均点なんてとるなという気持ちが胸の中で混ざり合う。

なんで私こんなに混乱してるんだろう、とは思いつつ、さて出た結果は――――













「どの子?」
「あの子」
「あーあの地味なね」
「別に普通だろ。つかお前の周りがギャルギャルしいだけ」
「んでなんだっけ、なまえちゃん? って実際どんくらい頭良いんスか?」
「全科目で全国偏差値70」
「……進学先間違えてねッスか?」
「だから臨時教師頼むなら彼女って言ってんだろ。彼女はあれだ、勉強界のホープだ、バスケ界のお前みたいなもんだ」
「成程、天才は天才に教われってことッスね」
「似た者同士、類は友を呼ぶ、はい行ってらっしゃい!」
「えー…そんな勢いだけで…」
「この際勢いだろうがなんだろうが利用しないとお前まじで次の試合出られないだろ! 本来全く関係ないのに黄瀬が試合出られるようになんとかしてやってくれとか監督に頼まれる俺の立場考えろ!」
「へいへい、わかりましたよ…。類は友を呼ぶ、ねぇ…」

…って言ってたのに実際全然似てねーし、と思ったのが初対面の時。
つかそもそも地味な真面目ちゃん系から教わってもあんま楽しくないっつーか、なんだかんだで酷い点とっても結局試合には出してもらえる気がするし、これ適当に切り上げて帰ってもいんじゃね?

「勉強って、冒険みたいなもんなんだよ」
「……はい?」
「新しい知識を手に入れて、装備して、問題を解く。そうするとレベルが上がって、更に強い知識を手に入れられるようになる」
「……まぁ、言わんとしてることはわかるッスけど、それが簡単にできないから……」
「大丈夫、頼ってもらった以上私も全力でやる。そうだなぁ、私のことは武器屋さんだと思って」
「ふっ……武器屋さんスか…こんな華奢な子が…」
「褒めながら貶すとは器用な真似をするね」

つまんないガリ勉少女、と思っていたその印象を撤回したのは、会ってから二度目の勉強会の時。
彼女は物をよく知っていた。そして物を伝える術をよく心得ていた。

「古典はねー、与えられる学校教材やってもあんま面白くないってパターンが多いから、私はこれおすすめ」
「漫画じゃねッスか」
「いきなり原本…はどのみち手に入らないけど、そういう難しいやつ開いてもやる気削がれるだけでしょ。まずはこういうので世界観を知るとこから始めよ」

こんな子周りにはいないな、と思ったのは、五回目の勉強会の時。なんだろう、難しいけど、彼女は中身がぎゅっと詰まっている気がするのだ。
勉強のための勉強じゃなくて、冒険のための勉強を。教養のための勉強を、と彼女は常に言っていた。
頭の良い子。かといって赤司っちみたいに人を置いて行くタイプの天才ってわけでもない。
彼女はこちらに降りて来てくれる子だった。自分の知っているその豊富な事柄を示しながら、一緒に歩いてくれる子だった。

「物理はあれだ! とりあえず絵を描こう!」
「なまえっち実は物理苦手っしょ」
「だ、大丈夫、黄瀬君に教えるために今回の範囲は完璧にしてきたから!」

自分なんかのために、自分以上に一生懸命になったりしちゃって。

勉強なんか嫌いだし相変わらずやる気は待った起きないけど、それでも彼女と過ごす時間は好きだった。そう思ったのが、今日の勉強会の時。

だから、俺は不意に検証したくなったのだ。

勉強の関係ない時でも、同じように彼女と共にいたいと思うかどうか。全く似ておらず何もかもが正反対な自分達はどこまで歩み寄れるのか。ちょっと強引な真似もしてしまったけど、なんとか繕って最終的には穏便な方向にもっていくことに成功した。

そうして数週間後、遂に俺は彼女をこちら側へと呼ぶ。

「なまえっち聞いて! 数学平均点越えたッス!」
「えっほんとに!? おめでとう、嬉しい!」
「てことで土曜日、うちの第二体育館来てね! じゃ、お疲れッス!」
「え、待ってまだ心の準備が…」

さあ、待ちに待った答えは土曜日に全て出る。
もし…もしも、この間みたいに衝動に突き動かされなくても 自然と手を取ることが許されるくらい歩み寄れたら、きっと楽しいと思うのだけど。









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