理由



「なあ、なんであかんの」
 
追いかけて来ながらも、追いつめる気配はない…そんな感じの目つき。それは彼自身の甘さ故。私にあえて、逃げ道を渡しているのだ。
 
「人の身を得て…なぜわからないの」
 
しかし私はその甘さに気づかないふりをする。あるいはそれがただのふりであることに気づかれているのだろう。それでも、逃げることをやめない。
 
「人の身を得たからわかれへんのやろ…」
 
淀みない、もっともな答え。私だって、彼が人の身さえ備えていなければ、今こんなにも涙を堪える必要はなかった。
 
────明石は焦れたように、指先をこちらへ伸ばした。一歩後ろに下がり、届くはずのない彼の手をあからさまに避ける。

明石は悔しそうにぐっと唇を噛み締めた。
 






 
 
 
事の発端は、今晩行われた政府主催の宴会。地域ごとに開催され、各本丸の審神者と近侍が招待されることになっている。
 
「そんなことまで近侍の仕事なんて聞いてへん……今日だけ別の男士にやらせてくれれば良かったんですけどなぁ…」
 
ぶつぶつ言いながら堅苦しいスーツを身につけ、大きな会場に連れてこられた明石。料理が出された後も、「これは自分より蛍丸達に食わせたりたかった…」と全く気乗りしない様子だった。
 
それでも根は真面目な彼が勝手に帰ったり、恥を晒すようなことはしない事を心得ているので、私は私で挨拶周りに専念する。
 
10人程終えた頃だろうか、ふっと間が空いた瞬間、後ろから声を掛けられた。
 
「なまえさんですよね、僕、あなたと同じ月に審神者として召還された、花江と言います。はじめまして」
 
花江と名乗るその男は、私と同年代くらいの、爽やかな色男と形容するに相応しい容姿を持った男だった。切れ長の目をしていながら、鋭い印象を与えないような屈託のない笑顔。それでいて、ふとした瞬間の真顔にはこの世の酸いも甘いも知ったような深みが窺える。
 
「はじめまして、なまえと申します。ごめんなさい、私、勉強不足で同期? の方のお名前を存じ上げなくて…」
「ああいえ、僕が興味津々なだけなので、気にしていませんよ」
 
審神者の中には、他の審神者のことをいたく気にする者もいる。もちろん各本丸それぞれに守秘義務がある為 詳しい事は知らされないが、こうして公式のパーティーが開かれたり、日々演練が行われていたりするくらいなので、他本丸の審神者の名、就任時期、通常時近侍のほか、特に芳しい者の場合は戦績などについての情報は調べようによっては容易に手に入る。
 
「同年代の審神者の方は、私達だけなのでしょうか?」
「そうですね。やはり審神者の責務は大きく、それなりに素質も必要とされる為、最初はこのエリアでも10人程いたそうですが、皆辞退してしまいました」
 
悲しそうに目を伏せる花江。しかし次に私を見つめたその時の顔は、子供のように晴れやかだった。
 
「だから僕、なまえさんと仲良くなりたいんです。よろしければ、少し外でお話しませんか?」
 
特定の審神者と懇意になる気はないのだが、逃がしてくれる雰囲気ではない。私の何をそんなに探ろうとしているのかわからないが、騒ぎにはしたくなかったので、警戒を解くことなくついて行くことにした。
 
戸口から出る直前、据え置かれている椅子に腰掛けた明石の姿が目に入る。彼はこちらの様子など見ておらず、ぼうっと明後日を見つめていた。
 
「花江さん、近侍の方は」
「ああ、うちの光忠なら今は料理に夢中ですよ。彼が料理に興味を持っているというのはうちの本丸に限った話じゃないですがね。なまえさんの方は?」
「まあ、適当にやってるかと」
「明石国行でしたよね。彼を近侍に据えている審神者は珍しい。出現率そのものが低い上、あまり働きたがらないですからね…っと、すみません、今のは失言でした」

外の冷えた空気に触れたからだろうか、彼の声は少し固くなっているような気がした。
 
「……ところでなまえさん、今日この後どこかへ行きませんか。審神者同士で話し合って、色々学びたいんですが」
「…この後ですか」
 
警戒の色が出ないよう、慎重に尋ねる。日を改めてでさえあまり他の審神者とプライベートな交流は持ちたくないというのに、こんな夜更けからの誘いなどどうして乗れよう?
 
「審神者に就任してからしばらく経ちましたが、まだまだ勉強不足だなというのが僕の率直な自己評価です。共に意見交換をし、互いの成長に役立てませんか」
「…申し訳ありません。せっかくのお申し出、ありがたいのですが…今日はすぐに帰ると男士達に伝えてしまったので」
「では、明石さんにあなたの帰りが遅くなることを代わりにお伝えいただいてはどうですか?」
 
成程、明石は要らないと。
機密情報狙いか、ただの好色家か───目的はわからないが、この押しの強さは下心が見え透いていていただけない。
 
「そういうわけには────…」
 
なおも断ろうとした時、緩やかに手首を掴まれた。ひんやりとした体温が脈を押さえる。大して痛くはないが、簡単に振りほどけるものでもなかった。
 
「………今晩は、残念ですがお断りいたします」
「良いじゃないですか。あなたの為にもなると思います」
 
そう思うなら私の都合も聞きなさいよ。
助けを呼ぼうにもここは人目に付きにくい木の陰。叫んでも良いが人が来る前にどこかへ連れ去られても困る。
 
早く、来てくれないだろうか………。
 
「ちょっと失礼」
 
焦れったくなってきた頃、やっと安心する声が聞こえた。いつの間に近づいていたのか、振り返ると同時に掴まれていた手首をぐいと奪われる。
 
明石が、笑みを消した顔で、立っていた。
 
「………どうも、うちの主はんがお世話になってます」
 
そのまま私は彼に肩を抱かれた。慣れた彼の香りに体の力が抜けたことを感じ、その時初めて多少なりとも自分が緊張していたのだと気づいた。
 
「…なまえさんの、明石さんですね」
「楽しそうに話してはるとこにすんまへん、うちの主はん、政府のお偉いさんに呼ばれとったんで、ちょお向こうに戻らせてもらいますわ」
 
花江は穏和な笑みを浮かべたまま、「そ、それは…あー、独り占めしてしまいすみませんでした。なまえさん、その…またお会いすることがあればよろしくお願いいたしますね」と言い、あっさり引き下がる。
 
……さすがに男士に逆らう気はなかったか。
 
「ええ、こちらこそ」
 
私も笑顔で返し、明石に肩を抱かれるまま彼の傍を去った。
 
「すんまへん、自分、主はんの金魚のフンなんで、主はんを誘った時はもれなくついて行きますけど…よろしゅう」
 
その明石の言葉が、聞こえたかどうかはわからなかった。
 
 





 
 
本丸に帰る道中、そして帰ってからも、明石は無言だった。
 
「…ごめんなさいね、あなたを当てにして」
 
政府の者が呼んでいた、というのはもちろん嘘。明石は私を助けに来ただけ。そして私は、何かあれば彼がすぐ助けに来ることを最初から見込んで、花江に軽率について行った。
 
最初からわかっていたのだ、お互い。
 
「………わざと、自分に見せつけて行ったでしょう」
「あなたが私を見失っていたら困るから」
「……主はんから目を離すわけないやろ」
 
いつもより低い声。目を合わせてはくれない。
…怒っているな。
 
こんな空気のまま自室に戻るのは少し憚られ、そして明石もすぐ来派の部屋に戻る様子がなかった為、私達はどちらからともなく執務室に足を向けた。
 
本丸の中に気配はない。みんな眠っているか、執務室から少し離れた居間や稽古場辺りにいるのだろう。
 
「……なあ、なんでですの」
「…何がかしら」
「わざと、あんな隙のあるような言動して、あんな風に気安く触らせて、自分が行かんかったら今頃どうなってたと思いますか」
「どうにかなるようならそもそもついて行かないわ」
 
嘘だ。
 
どうにかなるかもしれない、その恐怖はずっとあった。
 
明石は助けに来てくれるかもしれないし、助けてくれないかもしれない。
でも私は、助けてほしかった。だからあんな風に自分を商品のように賭けた。助けてくれる方に。
 
――――全部全部、明石のことが好きだから。
 
好きだけど、思いを伝えてはいけない。まして結ばれるようなことなどあってはならない。だから私は、それが酷いエゴだと解っていながら、主従関係を崩さない範囲で明石のことを試し続ける。
 
何故なら私は――――
 
「……あんま、心配かけんとってほしいんですけど」

――――私は、明石の方も私を好いていると、知っていた。

「悪かったわ」
 
疲弊したその物言いに、さすがに反省を禁じ得ない。呆れているのだ、彼は私の振舞いに。
 
彼もまた、私の好意に気づいている。
そして言葉のないそんな応酬に、耐えかねている。
 
「こんな試すようなこと、いつまでするつもりなんですか」
「……………」
「なあ主はん、」
「…子供っぽいと、笑ってくれたら嬉しいんだけど」
「笑えるわけ、ないやん…」
 
さっきはあんなに大きく見えた明石の姿が、今はとても小さく見える。
 
「なあ、なんであかんの」
 
人と神の恋が、なぜ禁じられなければならないのか。それはまさに、人と神だからとしか言いようがない。
 
私だって彼が愛しいのだ。彼と共に生きたい。彼は特別なのだと笑顔で言いたい。 
 
でもそれは禁じられているから、いけないことだから、だからあんな風に試すような真似をして、決定的なことは言わずに傍にだけ置いて、"主として"彼を頼るのだ。
 
「人の身を得て…なぜわからないの」
「人の身を得たからわかれへんのやろ…」
 
私の方に伸ばされた指先。避けたのは、反射的な行動。
 
ひとたび受け入れてしまえば、今までのように距離をとることができなくなると、わかっていたから。
 
「主はん」
「言わないで」
「自分も、主はんも、辛いだけや」
「辛いと認めたら、その後の方が辛くなってしまう。それなら私はずっと耐えるわ」
 
秘密にすれば良いなんて、そんな簡単なことではない。関係を生んでしまえば、秘密にしようがどうしようが必ず綻びは生じる。
一瞬たりとて、絆されてはならない。この関係に、主従関係以外の名をつけてはならない。
 
「………ほんならせめて、理由をください」
「…理由?」
「怖かった、て、言うて…………それだけでええから」
 
あの男に触れられて、
 
「…怖かった」
 
と。
 
そう言った瞬間明石は、まるで私達の間にそびえる壁が消えたかのように、一気に距離を詰めてきた。そのまま私の肩を抱き寄せ、背中に腕を回す。
 
「っ、」
 
温かい体温が、耳元に、胸に、腰に、足に、伝わる。回された腕はきつく結ばれているが、痛みは感じない。
 
ああ、理由とは、このことだったのか。
 
私を抱きしめる理由。私に、触れる理由。
知らない男に連れ去られそうになり、怖かったと。よく慣れた人の温もりによって、その怖さを和らげようと。
 
「………馬鹿ね」
 
理由をつけないと行動できないなんて、まさに人間のようだ。そして彼をそうさせているのは、他ならない私。
 
明石の肩にそっと頭を寄せる。彼は私の頭に顔をうずめ、いっそうきつく抱きしめた。
 
……このまま2人がくっついて、1つになってしまえば良いのに。
 
しかしそんな願い、叶うはずもなく。
今はただ、この時間が少しでも長く続くようにと祈りながら、彼の心音を聞くことしかできなかった。









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