この地獄のような時間の中で唯一幸いしたことがあるとするなら、最後の科目が変身術だったということだろうか。
情緒が乱され、精神は不安定になり、少しでも気を抜くと…いや、気を張っていてもすぐにさっきのことを思い出してしまう。

杖を向け合っていたシリウス、ジェームズとスネイプ。
スネイプの口から遂に出てしまった「穢れた血」。
涙を隠そうとしているかのようにその場を離れて行ったリリー。

4人の姿が浮かんでは消え、浮かんでは消える。

それでもこの5年間、伊達に変身術を得意としてきたわけじゃない。
気が散っていても、無意識でも、私はなんとか最後まで回答を書き終えることができた。とは言っても、出来については過去4年間ほどの自信はない。何か読み書きしようとする度に余計な思考が邪魔をしてくるので、もはや問題文すらろくに読めなかったのだ。良いところ8割、下手を打てば半分も正解を導けたかどうか…もう、それすらわからない。こんなに手応えのない試験は初めてだった。

試験終了後、私がリリーの姿を探すより早く、リリーの方が私の元へやって来た。

「イリス、少し時間をもらっても良い?」
「うん、もちろん。どこが良い? 談話室? 寝室?」
「ううん…人のいないところが良いの…。あなたなら、どこか知ってるかと思って」

少し考えた末、私はリリーを必要の部屋に連れて行くことにした。
一瞬、さっきのことを責められるだろうかと思った。
どうして加勢しなかったのかと。どうしてシリウス達を止めなかったのかと。

しかし、まるで幼い少女のように唇を噛み締めているリリーを見ていたら、自分がどんな責め苦を受けようとも関係ないという気持ちになってしまった。
中央塔の8階までリリーと一緒に行き、バカのバーナバスの前で廊下を3往復する。

リリーが好きなだけ泣いて、暴れられて、叫べて、怒れる場所をください。

リリーは私が突然8階に連れて行っても、そこで私が突然廊下を往復し始めても、何も言わなかった。
何もなかったはずの壁に突然扉が現れても、表情ひとつ動かさなかった。

「ここなら誰も来ないから」

感情も言葉もどこかへ置いてきてしまったようなリリーの手を引き、中に招き入れる。いつもなら「ここ、何? どうやって見つけたの? どんな部屋?」と質問責めに遭っていただろうに、彼女は一言も言わず、人形のように私に連れられて部屋へと入った。

中は、グリフィンドールの談話室によく似ている場所だった。
ふかふかのクッションが添えられたソファがいくつか置いてあり、脇の本棚にはリリーの好きそうな本がたくさん詰まっている。中央の暖炉からはパチパチと薪の爆ぜる音が聞こえていたが、どういうわけか夏の気候の中でも全く暑さが気にならない、ほっとする暖かさに満ちていた。
奥の方には大きい浴室も見えるし、反対側には大きい木の人形やボロボロになったクッションも置いてあった。

なるほどね。ここなら泣けるし、暴れられるし、叫べるし怒れる。

リリーをソファに座らせ、紅茶か何か飲ませたいなと思った瞬間、すぐ隣のテーブルの上に紅茶のポットとティーカップが置いてあることに気づいた。なぜかポットの中には既に程良く温められた紅茶が香り立っていたが、この部屋で起きることならもう何にも驚くことはない。

私は迷わずカップに紅茶を注ぎ、リリーの前に置く。

「大丈夫、もう安心して吐き出して」

そう言って、リリーの内側に溜め込まれているものが溢れ出るのを待った。
スネイプへの恨み言でも良い。私への怒りだって良い。シリウス達への憎しみだって良い。

なんでも良いから、ここでは素直に発散してほしかった。

黙って紅茶を飲んでいると、突然リリーの目から涙がぽろりと流れた。
一瞬動きが止まってしまったが、水を差してはいけないと気づかなかったふりをする。

やがて、その涙はぽろぽろとした水滴から一縷の細い水流を作り、その勢いが増す頃には、リリーは声を上げて泣き始めた。

「セブ…セブ、は…! 友達で…っ、いられると…! いつか…また…!」
「うん」

良かった。今まで詮が詰まって出て来られなかった感情が、ようやく濁流になって外へと出て来てくれた。
今はその中身が何だって良い。きっと色々なものがごちゃごちゃに混ざっているのだろう。彼女の中には、今までずっと色々なものが溜まっていたはず。そして今日、遂に限界が来たのだろう。

切れたのはきっと、リリーとスネイプの友情の糸だけじゃない。

リリー自身の心の糸も、同時に切れていた。

「わた、し…のことっ…! あんな…ふうに…! やっぱ、り…思って…!」
「うん」

私はリリーの隣に移動して、彼女の豊かな髪を撫でた。
リリーはいつもなら気を遣ってひとりで泣いている。でも今日ばかりは、私が隣に来た瞬間、我慢できないといった風に私の胸にすがりつき、シャツをぎゅっと握って私の服を涙と鼻水で濡らした。

「だって…小さいころ、から…ずっと…! セブが…セブ、は…私を…」
「わかるよ」

セブが、セブが、と言いながら泣き続けるリリー。
彼女と彼のすれ違い続けた5年間を思う。

入学した時はまだ、リリーは絶対にスネイプの"味方"だったはずなのに。

いつからだっただろう。
スネイプが闇の魔術に長けていることを吹聴し始めて。
差別主義者や、面白がって人を呪って遊んでいるような人と付き合い始めて。
学校のカリスマと讃えられるようになったジェームズを憎んで。
ジェームズと仲の良いシリウス達のことも憎んで。
どんどん闇の魔術にのめり込み、会う度シリウス達と呪いを掛け合って。

それらは、全てリリーのためだったはずなのに。
やり方が間違っているとしても、スネイプの望みはいつだって「リリーに見てほしい」と、変わっていなかったはずなのに。

でも、そんな彼も最後には「穢れた血」と口にしてしまった。

リリーのためを思っていたのなら、絶対に出るはずのなかった言葉。

スネイプが自分で気付いていたのかはわからない。
でも、"リリーのため"に闇の世界を生きていた彼は、いつしかそんな暗い世界の方に呑み込まれてしまった。心の隅ではずっと灯っていたはずの白い僅かな光を、失ってしまった。

リリーのために生きていた彼は、手段を目的を取り違えた結果、そのリリーを傷つけてしまったのだ。

あれは、リリーから決別を申し出たんじゃない。
あの言葉を吐いたその瞬間こそが、スネイプの悲しい末期だった。

リリーのために、と言っていたはずなのに。
気づいた時にはもう、彼は身も心もリリーの最も嫌うものになり果ててしまっていた。

どんな慰めの言葉も陳腐になるような気がしてならなかったので、私はリリーが嗚咽を漏らす合間に「うん」、「そうだね」と繰り返すだけに留め、ただただその綺麗な髪を撫で続けた。

涙が止まれなんて思わない。気持ちが落ち着けなんて思わない。
無理にそんなことはしなくて良いから、今は溜め込んだものを全部吐き出してほしかった。

1時間も経った頃だろうか。ようやくリリーの泣き声が止まり、小さくしゃくりあげる程度に収まった。

「…ごめんね…ずっと、私泣いてて」
「ううん。ここは何を言っても、何をしても良い所だから」
「…あなた、こんなすごい場所知ってたのね」
「ちょっと、偶然でね。…あ、無理に笑わなくて良いよ」

機械よりぎこちない笑みを浮かべようとするリリー。要らない気遣いをしようとしているのだと察し、先回りして制すと、また彼女の目から涙がひとつぽろりと零れた。

「あなたがいてくれて本当に良かった。ありがとう、イリス…いつも傍にいてくれて」
「そんなこと…。それよりごめんね、私、あの時何も言えなくて」
「良いの。あなたがセブに味方する理由はないわ」

俯きながら、私の謝罪を受け入れるリリー。
スネイプとの友情も、ジェームズ達との確執も、全部リリーが抱えていたものだ。
全部リリーが、ひとりで抱え続けていたものだ。

「あの後、どうなった?」
「ジェームズがまたスネイプを逆さ吊りにしたから、ジェームズとシリウスの杖を吹っ飛ばしてこっそり校舎に戻った」
「…ありがとう」

その感謝が、どこに掛かっているのかはわからなかった。
同じ寮の生徒の暴走を止めたことへなのか、かつての友人がこれ以上醜態を晒さずに済んだことへなのか。

ただ私は、責められる謂れこそあれど、感謝される理由などどこにもないと思っていた。
私は私の価値観で静観を貫くと決めていたが────リリーから見れば、あれは我慢のならない弱い者いじめでしかなかったのだから。

「イリス、訊いても良い?」
「なんでも答えるよ」
「あなたという客観的な立場から見て、あれ…どう思った?」

客観的に、と言われると難しい話だった。
だって私は、先週からずっとこのことを知っていたのだから。
シリウスの、決意に満ちた眼差しを真正面から受け止めてしまっていたのだから。

何も知らない状態であの場に立っていたらどう動いていただろうか、と推測する。
客観的な私だったら、何を思った? 何を言った?

────しかし、私はすぐに考えることをやめた。

今、ここにいるのは誰よりも大切な友人だ。
そんな友人の前で、私まで不誠実な"優等生"を演じるわけにはいかない。

正直に、話そう。

「────私は、いつかああなることを知ってた」
「ええ、そりゃあ、いつか全面的に────」
「ううん。シリウス達が、公衆の面前で一方的にスネイプを"スネイプの魔法"で襲う計画を、知ってた」

リリーが目を見開いた。

「ねえ、リリー。セクタムセンプラ、って覚えてる?」
「ええ。どこかで聞いたことのある名前だなって…」
「あれ、スネイプが考えた魔法みたいなの」

残酷なことかもしれない。悪戯仕掛人との話をどこまで彼女に打ち明けて良いのかもわからない。
それでも私は、もう彼女に隠し事をしていたくなかった。リーマスのことのように、友達の尊厳がかかっていて、他者の手の介在する必要がないような秘密だったら、これからも守り抜くつもりだ。でも、今回のことは彼女にも同じだけの情報を開示するべきだと思った。もう彼女は、この件について"第三者"ではない、明確な"当事者"になってしまったのだから。

「じゃあ、去年ブラックが切り裂かれたのって…」
「スネイプが考えた魔法による、そうだよ。そして同じ時期に、名家ブラック家からグリフィンドールを体現するような生徒が現れたことに対して不満を持ち、明確な敵意と攻撃を仕掛けてくるグループがいることもわかった。メンバーを皆知ってるわけじゃないけど、聞いた範囲では、全員スリザリン生だった」
「…それって…」
「これは推測だけど、私はスネイプもそこにいたんじゃないかと思う。もっともスネイプは、シリウスがどうのっていうよりジェームズの方が気になってたみたいだけど…。ほら、ジェームズもリリーのことが好きだし」

リリーは悔しそうに唇を噛み締めた。

「それだけじゃない。スネイプはずっと、リーマスを謂れのない噂で追い回し続けた。卑怯な手を使って、毎月毎月校庭に張り込んでた。臆病なピーターが1人でいるところを見かけたら、後ろからこっそり呪いをかけていた」

聞きたくないだろう。知りたくないだろう。
でも私は、真実を語って聞かせた。
もしかしたら、これだって偏った真実なのかもしれない。

その時にスネイプが何を考えていたのかなんてわからない。
スネイプが私の知らないところで、彼らに何をされていたのかもわからない。

もしかしたら、私が知らないだけで、スネイプはとっくに悪戯仕掛人から必要以上の復讐を受けている可能性だってある。

それでも。

「──── 一方的に弱い者いじめをしていたのはシリウス達に限ったことじゃない。…いや、スネイプは決して弱いものなんかじゃない。人数の不均衡はあったかもしれないけど、スネイプは彼ら1人ひとりではなく、あの4人を全員まとめて"敵"に回した。隙を見て相手に怪我を負わせようとしていたのは、シリウス達だけじゃない」

もちろん、シリウス達には他のスリザリン生との確執だってある。
でも、それを挙げ始めたらきりがなくなるだろう。

だから、「私があれを見てどう思ったか」と問われるなら、その答えはこうだった。

「────私は、あの復讐は起こるべくして起こったものだと思う。最後には誰かが止めないといけないのはわかってたから止めたけど、私は…シリウス達の怒りと憎しみを聞き入れてしまった以上、ああして黙っていることしかできなかった。だから、誰が正しいとか誰が間違ってるとか、そういうことは言えない」

リリーはもしかしたら、「どうして私が動かないのか」と思ったかもしれない。
"私"のスタンスをどこに置こうか迷っていた頃、「ポッターには"その辺にしておいて"って言って、セブには"ジェームズを傷つけないで"って言えば良いの」とリリーに言われた。
それでも"どちらかの味方をする"というのは難しくて、彼らが対立する度に私はオロオロしていたものだった。
つまり、うまく手を挟めなくても、確かに2つの勢力の間で慌てているザマは見せていたのだ。

それが今回は、全く動く気配を見せなかった。まるで周りを静かに観察しているだけのように、表情ひとつ動かさずに、彼らの揉めている姿を見ているだけだった。

「…助けてなんて、思ってはいなかったわ。でも、どうしてあなたがブラック達の味方すらしないのかしら、とは思ってた」
「そうだよね。ごめん、ずっと話せなくて」
「…ううん。そうだったのね。あなたも……ずっと、板挟みだったのね」

リリーがすっかり腫れてしまった目で私を見上げた。幸い部屋にはたくさんのティッシュが置いてあったので、私は1枚抜き取って、優しくリリーの頬に当てる。

「私はリリーほど強くなれなかったよ」
「そんなことないわ。あなたはいつだって優しくて、公平で…誰よりも強かったわ」
「ありがとう。でも、私はスネイプもシリウスも止められなかった」
「そんなの…そんなの、私も同じよ…」

多分、私達じゃどちらも無理だったんだと思う。
これは男の子達の問題だった。私達がいくら介入したところで、その溝を深めるだけだったのかもしれない。私達にできることがあると思うことすら、既におこがましいことだったのかもしれない。

「本当のことを言うとね…セブが私以外のマグル生まれの子を"穢れた血"って呼んでいたのは知ってたの。それがただ友達に調子を合わせているだけなのか、それとも本心から言ってるのかはわからなかったけど…。でも、その時点で私は…どこかでもう、あの人のことを許せなくなってた」

知ってたんだ。
スネイプが、もうとっくにその言葉を常用していたことを。

「でも…ダメね。私、甘かったみたい。彼が陰で何をしてるのか知ってたはずなのに…いざ目の前にすると、昔のセブに戻ってくれるんじゃないかって、期待しちゃって…。何も言えずに5年も過ぎちゃって……私、驕ってたわ。嫌な奴だった。まさかセブが私にまでそう言うなんて、思ってなかった。自分が特別だって思ってたの。差別用語を平気で口にする人を軽蔑していながら、いざセブからその言葉が自分に向けられるまで、私は結局希望を捨てきれなかった」

…それは、当然のことだと思う。
どこからどう見たって、スネイプがリリーを特別に思っていることは明らかだった。
リリーの方はスネイプを"良い友人"としか言ったことがなかったが、幼馴染で、自分の本当の力のことを教えてくれて、いつも味方でいてくれた"あの頃の小さなセブルス"は、確かにリリーにとって特別な存在だったのだろう。

だったら、そう思ったって仕方ない。
差別しないで、と思うリリーの心が偽善だなんて言うつもりは微塵もない。
だって自分にさえその言葉を使わないでいてくれたら、2人は友達のままでいられたかもしれないのだ。友達のままでいながら、「そういう言葉を使わないで」と、これからも正面から堂々と言い合えていたかもしれないのだ。喧嘩になっても、泣いてしまうことになっても、彼らはまだ"向き合えていたかもしれない"のだ。…どこかの優等生とカリスマの関係みたいに。

リリーは確かに正義感が強い子だ。

でも何より…リリーは、"勇敢なグリフィンドール生"である前に、"ただのひとりの女の子"だった。
友達思いで、優しい普通の女の子だった。

騎士道精神を発揮するより先に、かつての友情を取り戻したいと願って、何が悪いというのだろう。

「それが当然だよ、リリー。私はリリーのこと、甘いとも傲慢だとも思ってない。私にとってリリーは、友達を大事にして、どんな時だって希望を失わない明るい女の子だよ。迷うことも、感情的になることもあったかもしれないけど、そんなところも含めて全部好きだよ。それ全部が、"リリー"だと思ってるよ」

リリーの目からまた涙が流れ出した。おっと、まだ残っている涙があったのか。
今日は枯れるまで泣いた方が良いと思う。喉が潰れるまで喋った方が良いと思う。

「イリス…私も大好きよ」
「うん、ありがとう。ずっとそう言ってくれるよね、リリーは」
「だって、ずっとそうなんだもの。初めて会った時から、あなたは絶対にその場で見たものだけで物事を決めつけたりしなかった。あなたは平等だったの。昔から、ずっと」
「いやあ…あの頃はとにかく"無難に"やり過ごすことしか考えてなかったから…」

当時の自分を思い出して、恥ずかしくなる。
八方美人であれと言い聞かせていた自分。できるだけ敵を作らないように、思考を選んで、言葉を封じて、ただ空気に合わせて笑っているだけだった。

「私もバカだったなあ…」
「今はすっかり変わったのにね。…でも、どれだけ変わっても、あなたのその公平さは変わらない。感情じゃなくて、理性で物事を考えようとするあなたの在り方は、家の教えとかじゃない、あなたが本来持つ優しさだと思うの」
「ありがとう」

一生懸命私のことを正当化しようとしてくれているリリーの手を、優しく包み込んだ。
ありがとう、リリー。いつもそうやって、私のことを助けてくれて。

「でも、今は良いんだよ」

私のことなんて考えないで。

「今は自分のことだけ考えて。あなたが優しいと言ってくれる限り、私はきっとその"優しい私"のままでいられると思うから。だから安心して、今日はあなたが思っていること、全部聞かせて。スネイプへの悪口でも、辛くなければ楽しかった頃の思い出でも良い。私のことなんて気にしないで、ジェームズがムカつくって話だっていくらでもして良い。今日はね、リリー。5年間ずっと頑張ってきたリリーが、自分で"頑張った"って思えるまで、ここを動かないから」

最後は冗談めかしてそんなことを言ってみた。
リリーは少し恥ずかしそうにぽっと顔を赤らめて、そして笑ってくれた。

「本当に、全部良い?」
「良いよ」
「セブの話をしてる時、また泣いちゃうかも」
「良いよ」
「ポッターの話なんて、あなたが聞きたくないっていうほど酷いことを言うかも」
「私も普段からまあまあジェームズには当たりキツい自覚あるし、気にしないよ」

そうして、リリーは話し出した。

スネイプとの出会い、ホグワーツに入るまでの交流。
それは確かに、近所の仲の良い友達が遊んでいるだけの和やかな風景だった。
穏やかで、優しい時間だった。
魔法使いという特別な存在は、周りの中でも彼ら2人だけ────その時は、2人の世界は"2人きり"だった。

それが変わったのは、ホグワーツに入ってからだった。

どれだけ話しても、噛み合わない会話。
どれだけぶつけても、溶け合わない思考。

穏やかで優しい時間が、どんどん色褪せていく。
手を取ろうと伸ばすほど、遠くへ行かれてしまうような感覚。
歩み寄ろうと足を出すほど、避けられていくような感覚。

どうしてだろうね。
スネイプはただ、リリーの隣に座っていたいだけだったのにね。
スネイプだって、リリーと同じようにあの穏やかで優しい時間を続けたかっただけなのにね。

彼らの関係を壊したことに、ジェームズ達が関わっていると思っていることも告白された。

それは、マグル生まれの私達にはわからない感覚だった。
生まれた時から憎しみ合う運命というものが。魔法界の長い歴史に脈々と受け継がれてきた、思想による対立というものが。

放っておいて。ただ放っておいてくれたらそれで良い。
それなのに、ジェームズ達は決してスネイプを見過ごしてはくれなかった。

何が悪かったのかわからない。それこそ、彼らからすれば"スネイプが存在していることそのもの"が悪かったのかもしれない。
理由はどうあれ、彼らは互いを憎しみ続けた。その狭間で、ずっと苦しんでいたのがリリーだ。彼女の心がどれだけスネイプの傍にあっても、その体は常にグリフィンドールにあった。

そして────今日、二度と元には戻せない別れの言葉が告げられた。
リリーが大切に胸の中にしまっていた、キラキラとした思い出のガラスドームが、ガシャンと音を立てて割れてしまった。粉々になった破片はまだ微かにきらめいているけど、それが元々どんな形だったのか、もう誰にもわからなくなってしまった。

「────ねえ、イリス」

最後に、リリーは再び私に問いかけた。

「私…ポッターが嫌いよ」
「うん、知ってるよ」
「…でも、彼が何もかもにおいて全て間違ってるとは思わない。邪悪な人だとも思わない。だから…もし…彼らの"復讐"は終わったのなら…………もう、彼らが理由もなく誰かを傷つけたり、対立を生んだりすることはないのかしら…?」

そうしたら、リリーはジェームズとも友達になれるだろうか。

彼らは、スネイプへの復讐を終えて、何か変われるだろうか。

「────どうだろう、わからない」

私には、もうこれしか言えなかった。

「でも、そうだと信じてる」










結局、談話室に戻ってきたのは門限ギリギリになってのことだった。
静かな空間の中、2人きりでずっと話し込んでいた後だと、程良く人の気配がある談話室はどこかホッとしたものを感じられるようだった。

私もリリーもすぐには寝室に上がらず、OWLやNEWTが終わって喜んでいる5、7年生やいつも通りの夜を過ごす他学年の中にしれっと混じり、空いたソファでくつろぐことにした。

「イリス」
「なに?」
「本当にありがとう…。全部、何もかも」

リリーは少し穏やかな顔になっていた。
もちろん、あの場で思いのたけを全て打ち明けたからといって、すぐに彼女が全てから解放されることはないだろう。もしかしたら翌日の朝は、また泣きながら目覚めてしまうかもしれない。

それでも、あの時この子を放っていたら、きっと思い出なんていう綺麗なものだけじゃなく、彼女自身までもが壊れてしまうと思った。
彼女の細い体に溜め込むにはあまりに多すぎる淀みだった。

それが少しでも外に流れ出てくれていたのなら、私も嬉しいと思う。
だって彼女は、入学した時からずっと傍にいてくれた、私の一番大切な友達なのだから。

「こんなの、お安い御用だよ。代わりに私が落ち込んだ時にはよろしくね」
「もちろんよ。でもあなたは────あなたはどうか、ブラックと────」

こんな風にならないでね。
リリーは最後まで言葉にしなかったけど、そんなことを言いたがっているような気がした。

「────ありがとう」

その時だった。

「リリー、イリス、話し中にごめんね。ちょっと時間大丈夫?」

同室のメリーが珍しく私達に話しかけてきた。どうやら今談話室に戻ってきたところらしい。寝室に向かいしな私達を見かけた彼女は、なぜかしかめ面をしながら近づいてくる。

「ええ」
「どうしたの?」
「外にスネイプがいて、リリーを呼んでる」

メリーの言葉を聞いた瞬間、リリーの顔があからさまに歪んだ。

「行かないわ」
「うーん…それがね、私もリリーはずっと談話室に戻って来てないし、ほら…今日のことって結構話題になってたからさ…今は戻ってたとしても、多分会いたがらないんじゃないかなって言ったんだけど」

迷うように、メリーは溜息をつく。

「でも、リリーが出てくるまで談話室の前から動かないって脅してくるんだ。私は別に構わないけど、これから出入りする人とか、見周りの先生とか、明日の朝あそこを通る人とか…ちょっと、びっくりさせちゃうんじゃないかな」

明らかに困っている様子だった。そして実際、メリーの言うことは正しいのだろう。門限を少し過ぎたせいで慌てている様子のグリフィンドール生が、入口を通り抜けながら「スネイプが…」「嘘でしょ…」と囁き合っているのが聞こえる。

リリーはメリーのよりずっと大きな溜息をついた。

「今更何なのよ…。ごめん、イリス。先に寝てて」
「うん、また明日ね」

どうせまた長期戦になるのだろう。話すべきことはもう話した。私は疲れ切ったリリーの背中を見送り、「おやすみ」と言って上がっていったメリーにも小さく手を振った。

「…でも、彼が何もかもにおいて全て間違ってるとは思わない。邪悪な人だとも思わない。だから…もし…彼らの"復讐"は終わったのなら…………もう、彼らが理由もなく誰かを傷つけたり、対立を生んだりすることはないのかしら…?」

────シリウスは、あの復讐を経て、どう思ったんだろう。
あの復讐に至るまでに、何を考えたんだろう。

時間をくれと言われてから半年。
彼は一体、答えをいつ出してくれるんだろう────。

「イリス」

ぼんやりとシリウスのことを考えていると、いつの間にか私の前にいた本人に突然声をかけられた。

「えっ、な、なに?」

予期していなかったことだっただけに、あからさまに驚いてしまう。急いで彼の周りを見回すが、悪戯仕掛人の他の3人はいつもの談話室の隅で楽しそうに話しているだけだった。こちらを見ようともしていない。

シリウスは、1人で私のところに来たのだ。

「────話したいことがある」

そしてその時、私は────シリウスもまたこの時、私と同じことを考えていたのだと知った。

「ジェームズ達にはしばらくここにいてもらうように言ってある。5年生の寝室で────2人で話す時間を、少しくれないか」

その顔からは、相変わらず表情が読めなかった。
私はひとつ息を吐き、ソファから立ち上がる。

「わかった」



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