私は校庭から動けないまま、ずっとその場にへたりこんでいた。
ジェームズとスネイプが戻ってくるのを、待っていた。

何十分、何時間経ったのだろう。
現実にはきっと10分と経っていなかったに違いない。ただ私は永遠にも近い時間を過ごしているような絶望感の中、呪文が解けても動けない体を地面にへたり込ませ、ただひたすら暴れ柳を見つめていた。

そして、遂に彼らは戻ってきた。
先にトンネルから出てきたのは、足を引きずりながら歩くスネイプ。その背に杖を突きつけながら、後ろからジェームズがついてくる。

彼らは何か会話をしているようだった。ただ大声を荒げている様子はなく、何を言っているのかまでは聞こえない。
ジェームズが、少し離れたところに座り込んでいる私の姿を見つけた。最後にスネイプに何かを低く告げ、それを最後にまっすぐこちらへと走ってくる。

「フォクシー、大丈夫か? 怪我は?」
「……どうしてわかったの?」

ジェームズが心配そうな顔で私を見ている。私は大丈夫だし怪我もないけど、そんなことより、どうしてあのタイミングで彼が現れ、何も事情を聞いていないのにまっすぐスネイプを追えたのかがわからなかった。

「パッドフットから聞いたんだ」
「えっ…」

でも、シリウスは今医務室にいるはず。授業終わりにまっすぐお見舞いにでも向かったんだろうか?

「シリウスは何て…?」
「僕も詳しい話を聞いたわけじゃない。あいつはただ、"詳しいことはイリスが知ってる"、"とにかくスネイプがトンネルを抜けようとしてるから止めてくれ"って言ったんだ」

苦しみに悶えながらも、リーマスを救うことだけを考えて最低限の情報を渡したシリウスの声を想像する。そしてリーマスのことを思い浮かべた途端、私の胸には再び恐怖がこみ上げてきて────そうだ、リーマスは────。

「…リーマスは?」

ジェームズは、間に合ったんだろうか。リーマスは…ちゃんと、守れただろうか。
縋る思いで尋ねると、彼は少し表情を曇らせ、私から視線を逸らした。

「まさか────」
「…多分、少しだけだけど…姿を見られたと思う」
「…!」

最悪だ。
私達はリーマスのために動いていたのに。全ては、彼の秘密と尊厳を守るためだったのに。

スネイプへの怒りがふつふつとこみあげる。
あの無神経で無作法な男。人の気持ちを平気で踏みにじり、自分の地位と名誉と腐った恋心のために、他の誰かを平気で傷つけるような男。

そんなの、許されるわけがない。
あんな人間、この世に置いて良い存在じゃ────「フォクシー」

ジェームズが、私の名を呼んだ。

「怖い顔してるぞ。リラックスして。大丈夫、ムーニーの正体はバレたかもしれないけど、それが周りに漏れることはないから」

にっこりと笑って、私の肩をぽんぽんと叩く。
触れられたところから、じんわりとバターのように憎しみが溶け出していく。

「リーマスの正体が漏れることはない、って…?」
「うん、まあ、端的に言うとエバンズの名前を出した。僕が言うのもなんだけど、スネイプのエバンズへの執着はハンパないな。"もし君が今日見たものをあれこれ言いふらすなら、僕もエバンズに君についてあることないこと喋り倒すからな"って言ったら黙っちまったよ」

結局、全部リリーが動機なんだ。
再びスネイプの歪んだ思いに、どす黒い感情が湧き起こるのを感じる。

「ほら、だからそんな顔しないで」

するとまた、ジェームズが私の目を見て笑った。
スリザリンの生徒をバカにしている時の顔じゃない。悪戯仕掛人達との間で皮肉っぽく笑みを交わしている顔でもない。クィディッチの試合後に自慢げに空から降りてくる時の、高慢ちきな顔でもない。

────それは友達を心から案じる、優しい気遣いに満ちた顔だった。

「────私、今…どんな顔してた?」
「完全にブチぎれた時のパッドフットと同じ顔してたな、うん」
「シリウスと…」
「あ、そういえば聞いたぞ。君、この間せっかくパッドフットとデートしたのに、あいつのこと嫌いだって言って泣かせたんだろ。やーいやーい」

途端に10歳の子供に戻ったような声で囃し立てると、気まずい思いで唇を噛み締めた私を見て、また表情を緩めた。

「一応今夜は事なきを得たと思うから、改めて話を聞かせてくれるね? 談話室に行けばパッドフットとも話せるようになるから、安心して」
「え、でも今シリウスは医務室なんじゃ…」
「はは、そんな物理的な距離で僕らを引き離せると思ったら大間違いだよ」

彼は器用にウィンクをして、まだ足取りの覚束ない私を寮まで優しく連れて行ってくれた。
────私はまた、我を忘れてしまっていたようだ。憎しみと後悔と、それから迷い。いくつもの良くない感情が心の中で渦を巻き、心だけでなく体までどんどん疲弊していく。

もう何も考えたくない。さっさと温かいベッドに戻って眠りたい。

でも────今は、そんなことを言っていられない。どれだけ苦しくても、逃げたくても、せめてジェームズに事の次第を話して、シリウスとちゃんと会話をするまでは────。

グリフィンドールの談話室に戻った時、いつになくそこはざわついているようだった。
理由はすぐにわかった、皆がさっきの授業でシリウスが大怪我を負ったことを囁き合っていたのだ。
実際火蟹による火傷の治療はそう難しくないはずだけど、一瞬でも全身を炎に包まれた彼の姿は、視覚的に相当なショックを与えたのだろう。女子寮の寝室に続く階段の前で、シルヴィアがさめざめと泣いているのが見えた。

「こっち」

そんな喧騒の中では、誰も私達に目を留めない。ジェームズは迷わず私を寝室まで導いた。
5年生用の部屋にいたのはピーターだけ。震える手を握りしめながらベッドに座っていた彼は、私達の顔を見ると、目に涙を浮かべて大きな溜息をついた。

「ジェ、ジェームズ…イリス…この時間に戻って来れたってことは、リーマスは…」
「ああ、大丈夫だよ」

ジェームズの気楽な口調でようやく彼も安心できたらしい。我慢していた涙と一粒こぼして、もう一度溜息をつく。

「じゃあ────早速、当事者のお2人から話を聞こうかな」

そう言ってジェームズが取り出したのは、ひとつの鏡だった。

「…鏡?」
「そう。まあ見てて」

何をするつもりなのだろうと思って見ていると、ジェームズは鏡に向かって「パッドフット、いるか?」と声を掛けた。
御伽噺に出てくる魔法の鏡みたいだ────そんなことを考えた瞬間、鏡の向こう側から『すまなかった、プロングズ』と────シリウスの声が、聞こえた。

「!」

驚いた顔をする私に、ジェームズが微笑んで鏡面を見せてくれた。
そこには、鏡の前にいる私ではなく────シリウスの顔が映っていた。

「イリス…」

悔しそうに、私の名前を呼ぶシリウス。

「これって…」
「"両面鏡"。元は対になった2つの鏡で、名前を呼びかけると繋がるようになってるんだ。君の言った通り、パッドフットは今医務室にいるけど、これならいつでもどこでもリアルタイムで話ができる。────パッドフット、マダム・ポンフリーは?」
『事務室の方にいる。大声さえ出さなきゃ気づかれないよ』

シリウスは小声でそう言った。

そうか、これでシリウスはジェームズに助けを求めたんだ。鏡を使って、事情もろくに説明する時間もない中、ただ暴れ柳へ行ってスネイプを止めてくれと。そしてジェームズは、それを受けたからこそ間髪入れずに暴れ柳へと向かってくれたんだ…シリウスの言葉を一切疑うことなく。

ジェームズは自分のベッドに私とピーターを招くと、ベッド脇のサイドテーブルに乗っている、私達5人とポッター夫妻の映った写真立ての前にうまいこと鏡を立てかけた。

これで、全員がシリウスの顔を見ることができるようになった。

「パッドフット、改めて話してくれ。どうして今日、スネイプは暴れ柳をかい潜ってリーマスを追えたんだ?」

シリウスが途端に黙り込んだ。あの日の話をどうしたら良いものか、迷っているのだろう。

『────そもそものきっかけはこの間、ホッグズ・ヘッドの前で、スネイプに会ったことなんだ』

しかし、彼は全てを話すと決めたようだった。一番最初の起こりから────2週間前のことから、遡って話し始める。

『まあ、いつも通り喧嘩になったさ。もちろん結果は僕があいつを一方的に痛めつけて終わり。イリスが途中で制止に入ったから、あいつが動けなくなったところで僕も杖をしまって立ち去ろうとした。そうしたらその時、あいつが言ったんだ。────"穢れた血、穢れた血に惚れ込む名家の面汚し、人狼とつるんでる奴ら"ってな』

ピーターがハッと息を呑んだ。ジェームズはわかりやすく顔をしかめている。

『満月の晩、お前達が何をしているのかは知っている。どこで何をしてるんだ、今まで何人襲ってきた────そう挑発されて、僕は────』
「ついカッとなって本当のことを喋っちまった、か」

ジェームズは呆れたように天井を仰いだ。シリウスが気まずそうに目を伏せたのが見えた。

「僕が言うことじゃないけど、君、ちょっと短絡的すぎだぜ、それは」
『ああ、反省してる。今日君に迷惑をかけたのは…まあ、それもすまないとは思ってるけど、僕は何よりムーニーに対して許されないことをした』
「そうだな、僕はあれくらいの労働、たいしたことないと思ってるけど…ムーニーが戻ってきたら、まずあいつには謝るべきだろう」

思った以上に彼らは冷静だった。もう全て事が終わったからだろう、そこにあるのは重たい沈黙の中に時折訪れる、ボソボソとした小さな会話だけだった。

「じゃあまさか、それが原因で君達は喧嘩したのか?」

そしてジェームズは私の方に顔を向けた。

「…そう」

シリウスの顔を見られないまま、私はジェームズに向かって頷いてみせる。

「スネイプが戦えなくなってもまだ呪いをかけようとしたこと、そもそもスリザリンっていう名前だけで敵視してること、そしてリーマスの秘密を話したこと────さっきジェームズも言ってたけど、私も彼のあまりの短絡さに耐え切れなくなって、色々とひどいことを言ったの」
『いや、あれは僕が悪かった。君の言う通りだったんだ』

でも、私だって────さっき、スネイプの行動に対して完全に理性を失った思考をとっていた。ジェームズがいなければ、もしかしたらスネイプを追って呪いのひとつやふたつ、かけていたかもしれない。

私もシリウスと同じだった。
あの時はただ、自分が当事者じゃなくて────自分以上に冷静さを欠いている2人を目の当たりにしていたから落ち着いていられただけ。
私だって、"敵"を目の前に2人きりになったら、あっという間に獣のように相手の喉元に食らいついていたに違いない。

今まで14年以上、"理性"で生きてきたから気づかなかった。
私だって、十分"感情"に動かされる人間だったのだ。簡単に感情に支配され、相手の状況など考えもせずに、自分の気が済むまで攻撃するような一面を持っていたのだ。

そんな私に、どうしてシリウスを責められようか。

「まあ…2人の問題は後日ゆっくり2人で語り合ってもらうとして」

互いに黙り込み、掛ける言葉を失っている私達に割って入ったのはジェームズだった。

「僕は正直、スネイプの問題をあれでチャラにする気はないんだけど、どう思う?」

これまでずっと一番冷静だったジェームズ。今だって話を円滑に回して、事実を落ち着いて受け止めているように見えていたけど────改めて彼の横顔を見ると、その目は怒りの炎に満ちていた。

彼は、怒っていた。

ジェームズは決してスネイプを助けたわけじゃない。ジェームズが助けたのは、人殺しになりかねなかったリーマスと、そして決して悪意なく友人を危険に晒してしまったシリウスの方だった。

「2年以上も僕らのことを尾け回して、あの汚い足で僕らの秘密を踏みにじったんだ。あれはいつもの僕らの"私闘"じゃない。リーマスはいつだって、僕らの争いには加わってこなかった。これはスネイプの、リーマスへの一方的な加害行為だ」

静かなジェームズの言葉が、威圧的に寝室に響く。

『…そのことについて、僕からもひとつ…これは推測なんだが、話しておいた方が良いことがある』

それに答えたのはシリウスだった。賛成するでも反対するでもなく、彼もまた冷静に言葉を繋ぐ。

『セクタムセンプラ、覚えてるか?』

私達の全員が頷いた。忘れるわけがない、去年度末、彼を襲った謎の呪文だ。

『ホグズミードで喧嘩になった時、あいつがそれを唱えようとした

「ほう、それでもまだ闘志を失っていないのは────」
「セクタム────」
「ディフィンド!」


武器を取り上げられ、その間に滑って転ばされ、鼻血を出しながらもシリウスに呪いを返そうとしたスネイプ。シリウスは一瞬感心したように笑っていたが、スネイプが何事かを唱える前に咄嗟に彼の手を裂き、杖を取りこぼさせた。

セクタム────。
スネイプがその後何と言うつもりだったのか。

それが、"セクタムセンプラ"だったのか。
言われてみれば、セクタムなんていう音から始まる呪文は他に聞いたことがない。
私は目の前で繰り広げられる呪いの応酬をどう止めるかに集中していたので気づけなかったが、彼はその瞬間、スネイプが何をしようとしていたのか咄嗟に悟ったのだろう。何せ、一度同じ呪文で体を八つ裂きにされているのだ。反応速度は並の人より数段速いに決まっている。

『僕は、あの呪文はスネイプが考案したものじゃないかと思っている』
「…え?」
「おいおい、まさか…」
「スネイプが?」

私達は揃って疑問の声を上げた。
確かにスネイプがセクタムセンプラを使おうとしていたことはわかった。しかし、元々あの呪文を私達に向かって放ったのは、バートラム・オーブリーだ。どうしてそれが、"スネイプの考えた呪文"という結論に行き着くのだろう?

『去年あの呪いをかけられてから、僕は徹底的にあの呪文について調べた。当然既存の文献には記載なし。教師陣の会話も盗み聞きしたが、これといった情報はなかった。ある程度予想はしてたけど、あれは生徒の誰か…あるいは誰か邪悪な大人が子供に吹き込んだ"新しい魔法"だ』

そこまでは、私達の間でも既に意見が一致していることだった。

『そこで僕は、狙いをスリザリンに絞ってずっと噂を集めていた。…ああ、色々したよ。単純に生徒の後を尾けたこともあったし、ちょっと他の生徒と揉めた時にカマをかけてみたこともあった。とにかくこの数ヶ月、僕はあらゆる手を使って、スリザリンからセクタムセンプラに関する情報を集めていた』

…知らなかった。
"あらゆる手"の具体的な中身は結局わからなかったものの、"悪戯"の天才のシリウスのことだ、きっと私には想像も及ばないような手法で隅から隅まで調べ上げたに違いない。

『そうしたら、呪文の発案者としてある1人の生徒の名前が上がった』
「────それがスネイプか」

ジェームズが唸る。シリウスは神妙に頷いた。

『あいつが闇の魔術に長けていることは知ってるだろ』
「ああ」
『あいつは既存の魔法を"うまく使える"だけじゃない。まだ誰も知らない、誰も考えたことのない新しい呪文を"新たに考案していた"んだ』

────あのスネイプが、魔法を考案していた?

『名前は忘れたけど、どこかのスリザリン生が言ってた。"スネイプは新しい闇の魔法を考えるのがうまいんだ。人を宙吊りにする魔法、聴覚を妨害する魔法、人をズタズタに切り裂く残酷な魔法、みーんな全部あいつが考えた。解除呪文を知らない奴らは、誰も彼もが僕らの思うがままになるんだ"…ってな」

人をズタズタに切り裂く残酷な魔法。それがセクタムセンプラだというのなら、本当にそれはスネイプが作った魔法ということに────。

「────あっ!」

その時私は、あることを思い出して思わず声を上げた。

「どうした?」
「リリーが…前、"セクタムセンプラ"って名前をどこかで聞いたことがあるって言ってた…!」

誰も知るはずのない、邪悪な呪い。
どこにも指南書がなく、あらゆる知恵を持ったホグワーツの先生ですら知らない魔法。
去年度末、シリウスに起こった事件の話をした時、リリーはなぜかそんな魔法を聞いたことがあると言っていた。

「セクタムセンプラって…私達も、先生方でさえも知らない呪文だった。それでね、」
「セクタムセンプラ……待って、私、それどこかで聞いたことがある気がするわ────」
「セクタムセンプラを知ってるの!?」
「ううん、なんかどこか…聞き間違いかしら、似たような言葉を聞いたことがある気がして」


あの時は、どうしてそんなものをリリーが知っているのかと不思議に思っていたけど…。

『情報源がスネイプなら、納得だな。それがどんな魔法かは言わなかったにしろ、"セクタムセンプラという詠唱が効果を発揮することがわかった"くらいのことは言ってたかもしれない』
「何せ、エバンズに認められたくて必死だからな、あの野郎」

ジェームズが憎しみを込めてそんな皮肉を付け加えたが、確かにそれは辻褄の合う話だった。
リリーの気を引くために闇の魔術に浸かっていくスネイプ。闇の魔術こそが最も強く魅力的なのだと盲信している彼が、そんな魔法を自分の手で編み出した時────その成果を、誰よりも聞いてほしい相手は誰だろう?
そんなの、誰よりも愛しているリリーを他に置いてないのではないだろうか。

『それに、あいつは僕を名家の面汚しと罵った。覚えてるか、オーブリー達は徒党を組んでたんだ。ブラック家の名を捨て、グリフィンドールに染まりきった僕を恨んでる奴ら同士でな』
「…スネイプがそのグループにいて、自分の考えた魔法を教えていたってこと…?」
『ありえない話じゃない』

改めて、自分達の"敵"を思い知る。
スリザリンがみんな邪悪なわけじゃない────それはそうなのかもしれないけど、それでもスリザリンの中には確実に"敵"がいて、彼らは────思っている以上に、私達を恨んでいる。殺すことさえ厭わないと言わんばかりの態度で、私達を憎んでいる。

『だから、僕はこれはリーマスへの一方的な加害行為であると同時に、僕ら全員への宣戦布告だと思っているんだ』

シリウスの声は、ひどく神経質だった。まるで大人が戦争を始めようとしている時のようだ。とても16歳の未成年が喧嘩を吹っ掛けるような口調じゃない。

「…どうする?」

ジェームズが尋ねる。

『この情報収集をする中で、ある程度僕も奴らが使う"新しい呪文"を覚えた。セクタムセンプラは確実に邪悪な魔法に分類されるが────身体的にそこまで害のない魔法も、いくつかあった。それこそ、単に逆さ吊りにするだけのやつとか』
「対抗策はあるってことだな。わかった。受けて立つよ」

淀みないシリウスの答えに、ジェームズは深く頷いた。
"受けて立つ"。つまり、スリザリンの一部の"敵"による宣戦布告を受け入れ、真っ向から戦うということだ────。

一体どうなってしまうのだろう。シリウスは言外にセクタムセンプラほどの邪悪な魔法は使わないと表明している。でも、全面的な抗争になってしまったら────もしかすると、あんな怪我だけじゃ済まなくなってしまうかもしれない。

『────イリス』

すると、そんな迷いを見抜いたのであろうシリウスが私の名を遠慮がちに呼んだ。

『君がこのことを良く思わないだろうってことは、わかってる。いくら吹っ掛けられた喧嘩であっても、僕らはヒートアップしやすいし…そうなったら、きっと相手が降参しても許さないかもしれない。ただ…』

────シリウスの様子から、私以上に迷っているのが伝わる。
彼は今、"彼の価値観"を見つめ直しているところだ。スリザリンは悪と信じて育ってきたその16年を、私のために…そして彼自身のために、改めて振り返っているところなのだ。

そんな合間でこんなにも明白な宣戦布告をされて、迷わないわけがない。

私は、2週間前に「変えるべき価値観と変えられない価値観を整理して、もう一度"僕"を再認識したい」と言った彼の言葉こそが、紛うことなき本心だと信じていた。
だからこれは、彼にとっても苦痛を伴う決断なのだろうと思う。
落ち着いて自分と向き合いたいはずなのに、敵の方が彼を放っておいてくれない。またしても"スリザリン"が、彼を攻撃する。

彼が"グリフィンドール"だからという、それだけの理由で。
彼が"穢れた血"を好きになったという、それだけの理由で。

だったら、今回私が味方をする方は決まっている。

「────仕方ないよ、避けられない戦いだと思う」

私が嫌っているのは、罪のない者を一方的に傷つけるものだけ。
今のシリウス達は誰かを進んで虐めようとしているわけじゃない。ただ"売られた喧嘩を買う"だけだ。

彼は自分がまたホグズミードに行ったあの日のように自我を失うことを恐れているのかもしれないが、今回については────そんな"起こるかどうかわからない"ことを恐れていても、仕方のないことだと思う。
黙っていればやられるとわかっていて、呑気に攻撃されるまで待っていろ、反撃しても冷静に、イーブンなダメージを与えられるまでに留めておけ、だなんて無茶なことを言うつもりはない。

そこに"敵"がいて、そこに"害意"がある限り、それを排除することは"私の価値観"も正当だと言っている。やり方はともかくとして、相手がもう二度と攻撃したいなどと考えられなくなる程度には無力化しておかないと、シリウスは永遠に危険に晒されてしまうのだから。

「仮にあなた達が巧妙な罠を張ってスネイプやオーブリー達を徹底的に攻撃しても、元々"その気"があったのは彼らの方。私はちゃんと"待ってる"から、それまでは"あなたの考え"で自由に動いて」

シリウスはホッとしたように息をつき、『ありがとう』と一言言った。

「今の、何の話?」
「さあ。痴話喧嘩の続きでもしてたんだろ。じゃあひとまずこの件については僕らも臨戦態勢をとっていくってことで良いかい、パッドフット?」

そろそろ黙っていることに耐えられなくなったのだろう、私とシリウスの会話が一段落したところで、ジェームズが口を挟んだ。

『ああ。決行はいつでも』
「そうだな。あいつらが自分のしたことは愚かなことだったと、一番思い知らせてやれるタイミングを狙おう。まあまずは明日、君とムーニーが戻って来るのを待ってるよ」
『世話をかけたな、プロングズ』
「なーに、安いもんさ」

そう言って、鏡の中のシリウスは消えた。

「詳しいことはわからないけど、君はあんまり僕らのやろうとしてることを良く思ってないみたいだね」

鏡をぽんと枕に投げ出し、ジェームズはこともなげに言った。

「まあ…うん、戦わずに済むなら一番それが良いよ、そりゃ」
「このまま僕らと一緒にいたら、君も"僕らの仲間"として一緒に攻撃されるかもしれないよ。巻き込まれて、君自身も戦わなきゃいけなくなるかもしれない。離れておくなら今のうちだと思うけど、大丈夫?」

それは、私を心配してくれているようでいて────同時に、試されているようでもあった。
ジェームズは、シリウスほどに私の価値観を正しく把握していない。私の許せるライン、許せないライン、それがどこで引かれているのか────数年前に一度話したきりで、それを正しく理解できてはいないはず。

だから、まだ私に若干の疑いを持っているんだろう。
どっちの味方をするのか────とまでは言わずとも、"私が彼らの行為を否定するのではないか"と。

でも、違うんだ。
私はただ、平等にものを見てほしいと思っているだけ。
平等に見て、そして明確に"敵"だとわかっているのなら、そんな相手にまで手を差し伸べる必要はないに決まっているじゃないか。

ましてや────そんな綺麗事を言っている私でさえ、すぐに怒りや憎しみで杖を上げそうになってしまうと気づかされたばかりなのだ(これについては、私もちゃんと考え直さないといけない)。

迷うことはない。これは、"私達の正義"のための戦いだ。

「大丈夫だよ。もうとっくに私だって、あの人達の"敵"になってる。黙ってやられるつもりはないから」

そう言うと、ジェームズは安心したように笑った。

「まあ、オーブリーを沈めたあの日のことを思い返せばそれは明白なことだったな」
「もうその話、そろそろやめない?」



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