2週間後の満月の日。
私は前日のうちに4人に了解を取って、リリーに"ある話"をすることにした。
「次の満月の晩、リリーに協力をお願いしても良い?」
「エバンズに?」
「うん。リリーはリーマスが狼人間であることを知らないし、探るつもりもない────けど、満月の晩にだけ姿を消してることには、やっぱり気づいてる。あくまでリリーは"リーマスは病気なだけだ"って言い続けてるけど…私は、本当のところはリリーも察しをつけてるんじゃないかって考えてる」
「……まあ、そうだろうな」
「だから、スネイプが満月の晩に校庭を張ってることについては、その狙いをわかった上で────それで、止めようとしてくれてるんだと思う」
「…つまり、明日エバンズも校庭に呼ぶつもりってことか?」
「そうじゃない。リリーが"秘密"を"秘密"にしてくれている限り、私も伝えなくて良いと思う。ただ、スネイプの気を逸らすために────あの人に"校舎内"にいてもらえるよう、頼みたいの。そうしたら、校庭に行こうとしているあなた達の姿を見る前に、スネイプを校内へ戻せるかもしれない」
「なるほど…そういう形でなら、僕は賛成だ。リーマス、どう思う?」
「うん、エバンズだったら悪意のあることはしないと思う。頼むよ、イリス」
「わかった、ありがとう」
────そんな会話を経た翌日の昼休み、リリーとランチを取りながら、午後の授業の話をする。
授業が全て終わって寮に戻るまでは、できるだけいつも通りでいようと思ったんだけど、私は朝から今日の晩のことが気にかかりすぎて…そして、どうやらそれが顔に出てしまっていたらしい。パスタを絡めながら、リリーの方から心配そうに「何かあったの?」と訊かれてしまった。
「えーと…」
私は少し迷った末、周りに人がいないことを確認してから、少し早めに"計画"を打ち明けることにした。
「その、リリー…? あの、失礼になることはわかってて…でも、ひとつお願いしたいことがあるんだけど……」
「なあに、そんなもったいぶっちゃって。できることなら何でもするわよ、どうしたの?」
リリーは私に合わせて小声で話してくれていたけど、その返事にはまるで大きく胸を張って、どんと拳で叩いていそうな勢いがあった。
「ありがとう。────その、夏に話してくれたスネイプの件で」
しかしその勢いも、内容を伝えた瞬間急速に衰える。リリーの顔にわかりやすく陰が差した。それを見てつい私はこのまま話を続けて良いものか迷ってしまったのだが…仕方ない、これはひとりの人間の人権がかかっている問題。少しでも事態を丸く収めるためだろう、と心を鬼にして「やっぱりなんでもない」という言葉をなんとか呑み込んだ。
「…そういえば、今日は満月の日ね」
「うん。それで────確かにリーマスについては色んな噂があるじゃん。夜中に校庭をうろついてるとか、満月の晩だけいなくなるとか…。でも、スネイプはリリーが言ってた通りなら、一度は満月の晩にリーマス本人と会ったことがあったはずなんだよね。それなのにまだ"何か"を疑ってるっていうのが…その、何も後ろめたいことがなくても、色々と嗅ぎ回られるのはリーマスとしてもやっぱり嫌だろうなって、私もちょっと気になってて…」
この件については、知らないふりを突き通すことが本当に難しかった。
でもリリーはこの件について真相をある程度察しているはず。
リーマスが狼人間で、悪戯仕掛人と私が彼が平穏に満月の晩を過ごせるよう協力していることの…どこまでかはわからないけど、それこそ、ある程度のところまでは。
だったら、このくらいの"ぼかし方"でもリリーはきっと黙って続きを促してくれるだろう。信じた通り、彼女は「そうでしょうね」と短い同意を示しただけだった。
「…あのね、もし嫌だったら断ってほしいの。私、リリーが少しでも悲しい気持ちになるようなことは絶対にしてほしくないから。でも…まだリリーが、スネイプと友達でいられそうなら…」
「ええ、良いわよ。今日の晩、彼を呼び出すわ」
────彼女はあっさりと、私のお願い事を引き当てて、そして笑った。
「そういうことで良いのよね? セブが校庭を見張ってるのをやめさせたいから、私が彼をそこから遠ざけるっていう計画で」
「そ、そうなんだけど…。でも……私、」
ああ、また私の弱虫病が発症してしまった。
言い出したのは私なのに。リーマスにとってはこれが最善だと、わかっているのに。
でも、スネイプと話す度に泣いているリリーのことを、私はどうしても忘れられなかった。
友達に優先順位はつけたくない。そして友達ではなく、起きている事態への優先順位をつけるとするなら、明らかにリーマスの人権を守る方を優先すべきだ。
それを理解したからこそ、私は彼女に協力を仰ぐことを考えた。
だというのに。
スネイプと話す度、リリーが傷ついていく。
スネイプと関わる度、リリーが壊れていく。
それをわかっていながら「スネイプを呼び出して」なんて、私はなんて残酷なことを言っているんだろう。
「もう、どうしてあなたがそんなに泣きそうな顔をするの?」
「だって…リリーとスネイプは…難しい関係なのに…。私達の計画に巻き込ませるなんて…自分で言ってて情けなくなって…」
「大丈夫。セブと話すことならいっぱいあるから任せて。それにね、イリス。私がどうして夏にあなたに警告したか、わかる?」
「私達が、ちゃんと私達だけで事前に事を荒立てずに済むように…」
リリーは静かに首を振った。
「違うわ。私もこの件については、セブが卑怯だと思っているからよ。言ったでしょう、私もそんなことはやめてって言ってるって。なんなら、あなたに頼まれなくたって私は毎月セブを止めるために玄関まで出てたと思うわ」
フン、と鼻を鳴らしながら不機嫌そうに言うリリー。
「たとえ友達であっても、許せないことがあるのは当たり前。たとえ気に入らない人達であっても、守られるべきことがあるのは当たり前。大丈夫。私とあなたの利害はちゃんと一致してるわ。今晩は私、セブと楽しくお喋りしてるから、あなた達もうっかりセブの前に姿を見せないよう気を付けてね」
────泣いてしまうかと思った。
これは友情なんていう、優しい理由からの合意じゃない。
リリーは自分の正義のために、自分の信じたもののために、私の残酷な願いを聞き入れたのだ。
彼女のそんな強さを、尊敬して何度目になるだろう。
私はきっと一生、彼女には敵わないと思った。
その日の授業後、私はジェームズから透明マントを借りて彼らの傍に立っていた。
夕食前の時間に、私達"5人"が校庭にいると怪しまれる。だから私だけ透明になって、いつもの悪戯仕掛人だけが戯れているように見せかけていた。
私がそこにいた理由はただ一つ。
「リリーがスネイプの気を引いてくれることになった」
それを伝えると、さりげなく暴れ柳の近くで魔法の練習(という名目でただ火花を散らしているだけ)をしていたジェームズが「流石はエバンズ」となぜか自慢げに言った。
「細かいことは訊かれたか?」
「ううん、何も。リーマスについて色んな噂が立ってるのは知ってるけど、それをわざわざ暴こうとするスネイプは卑怯だと思うから、いくらでも止めるって言ってた。ただそれだけ」
「エバンズって…優しいんだね」
「いくら君にでもエバンズは譲らないぞ、ムーニー」
「あはは、そんな気持ちはないよ」
日が暮れていく。
彼らが叫びの屋敷へ向かうのは、月が昇る前────辺りが暗くなって、だんだんと人の顔の見分けがつかなくなってくるその頃だ。
今のところ、スネイプの姿は見えない。
「それより、僕は君達の方が心配なんだ。いくら同じ獣になったからといって、本当に僕と一緒に来て、もし君達を傷つけるようなことがあったら────」
「おいおい、君、授業中に一度でも僕らに傷をつけたことがあったか?」
「今のところ、僕と君の勝敗数は40戦中40勝0敗だな」
「それは魔法の話であって────!」
「良いか、ムーニー」
ジェームズがリーマスの言葉を遮った。
「君はあんまりにも歴史に囚われすぎてる。怖がりすぎなんだよ。狼がなんだ? 噛みつかれたら病気に罹るのなんて他の動物だって一緒だろ? それに僕は正直パッドフットの方が怖いな。あいつのデカい牙でうっかり噛まれたら即死間違いなしだ」
「うっからないように頑張るけどな」
「ワームテールはどっから伝染病を貰ってくるかわからないし」
「あっ…あんまり衛生的じゃないところには行かないようにする!」
「────だから僕らのリスクは同じなんだよ、リーマス。危険なのは僕らだけじゃない。君も同じだってことをよく覚えておくと良い。そんなところまで含めて、友達とは対等であるべきだ、そうだろ?」
そして、いつもの────心から"悪戯"を楽しむ時の顔で、ニヤッと笑った。
リーマスの顔に、ようやく強がりのない笑みが戻る。
「さて、じゃあそろそろ行くか」
「スネイプは?」
「うーん────いないみたい」
「じゃあフォクシーは気を付けて戻ってね。マントは明日の朝まで君が持っていて。そっちの方が安全だから」
「わかった、お借りします」
ピーターが最初にネズミに変化した。相変わらず派手に花火を散らしている彼らの中でたった1人、今"人間がネズミに変わった"ことに目を留める者なんていない。ピーターはそのまま暴れ柳の枝をかいくぐり、幹のコブにぺたんと触れた(あ、そこがスイッチだったんだ…)。すると、柳の動きが急に鈍くなった。
「今だ」
ジェームズが小声で言い、シリウスとリーマスを連れて、木の根元に初めて見えた隙間を当然のように通っていった。ピーターもちょろちょろとその後をついて行く。
4人はあっという間に木の中へと消えてしまった。
────頭の中では筋の通るシナリオとして構築していても、実際に見るとどうしても「現実離れしてる」としか思えなかった。
本当に、ここから叫びの屋敷へと繋がる通路が作られていたんだ。
私は注意深く周囲を観察した。もう生徒たちはみんな夕食をとるために大広間へと向かっており、校庭で私達の動きを見ている者は誰もいなかった。
周りを見ながら校舎に戻る。スネイプの姿は最後まで見なかったが────。
「本当に復讐なんてバカみたいなことするつもりなの? あの日だって、元はと言えばあなたの方から呪いをかけようとしてたじゃない。ルーピンはそれを"止めた"だけだわ────」
「でも、君も見ていただろう。ポッター達が僕を侮辱していたのを────」
「ええ、見ていたわ。だから私、決してあの人達を擁護するわけじゃないの。ただセブ、あなたの今のやり方じゃポッター達と同じよって言いたいだけ────」
────ああ、リリーと言い合っている声が聞こえる。
リリーがスネイプと"友達でいたい"と思っている限り、これは彼女にとっても必要な話し合いなんだと思う。
でも…こんなことを、毎月させることになるのかもしれないと思うと────どうしても、心が痛んで仕方なかった。
どうしたら良いんだろう。
リーマスもリリーも守るためには、どうするのが一番良いんだろう。
どうしていつも、大事な時に私は何もできないんだろう────。
翌朝、私はマントを返しついでに5年生の男子寝室を訪ねることにした。
「おはよう、おぼっちゃま方」
おおかた、朝方まで暴れ回っていたのだろう。シリウス、ジェームズ、ピーターはぴくりとも起きる気配を見せなかった。ただリーマスだけが、毎月のことで慣れているからか、私の声に反応してムクリと身を起こした。
「ああ────イリス、おはよう。マントを返しに来てくれたの?」
「うん。あとみんなは大丈夫だったかなって、ちょっと様子を見に」
リリーはあの後、ケロリとした顔で戻って来ていた。
「…ごめんね、リリー。大変だったよね」
「ううん、全然。なんかね、だんだん私、悲しいっていうより腹が立つっていう気持ちの方が強くなってきたの」
言葉の通り、リリーは怒っているようだった。
「最初はセブに"そっち側"に行ってしまわないで、って引き留めながら泣いた日もあったけど、もうなんかこれも…チュニーと同じ感覚って言ったら良いのかしら。こっちが何度もノックをしてるのにドアを開けてくれない人と、どうわかりあえって言うの? って気持ちになっちゃうの」
「そ、そうなんだ…」
ひとまず泣かせずに済んで良かった、とは思ったものの、予想以上に強い怒りに逆に戸惑ってしまう。
「もう、ダメかも。次に何かあったら、いい加減私、見切りをつけちゃうかもしれない。そういうわけだから、まだしばらく私、セブとは話し合いをする必要があるわ。満月の晩のことはこれからも引き受ける」
まるでリリー個人の問題だと言わんばかりの勢いで言われてしまい、私はつい「お願いします」とそのまま彼女に任せることにしてしまった。
────そんなわけで、ひとまずリリーの方は無事を確認したので(来月どうなるか考えるとまだちょっと気持ちが沈むけど)、今度は男子達の無事を確認しなければ、とここへ来た次第だ。
「大丈夫だった、と思うよ。僕、昨日はびっくりするくらい穏やかな気持ちでいられたんだ。人を噛みたいとか、誰かを傷つけたいとか、全然思わなくて」
リーマスは晴れやかな顔をしていた。まるで初めて学校に通った時の子供のようだ。「友達ができたよ! こんな遊びをしてきたよ! 楽しかった!」と言っているみたいに。
そして彼は、隣のジェームズを起こした。
「ジェームズ、ジェームズ、イリスだよ」
「イリス…? シリウスのベッドなら向こうだよ…」
「何言ってるんだよ、マントを返しに来てくれたんだよ」
「ああ…そっか…」
こちらは相当お疲れのようだ。むにゃむにゃと何事かを言いながら目をこすり、手をこちらに差し出す。
「ありがと…フォクシー…昨日はだいじょぶだった…?」
「うん、こっちは問題なし。スネイプもずっと校舎内にいたし、リリーも泣かなかったよ」
「よかった…エバンズが…なかなくて…」
マントを腕に引っかけたまま、ジェームズは二度寝してしまった。最後にリリーのことを心配している辺り、本当に惚れ込んでるんだなあ…。
私は次に、向かい側のシリウスの方を見に行った。
こちらも特に見える怪我はなし。お行儀よく眠っているので、起こさないでおくことにした。
隣のピーターのベッドもついでに覗いておく。
こちらはそこそこ不穏だった。「うーん…やめて…つぶされる…ああっ…ぼくのしっぽ…ちぎらないで…」という言葉で、なんとなく昨夜の彼らの様子がわかるような気がした。ごめん、ピーター。可哀想だとは思うけどちょっと笑ってしまった。
「とりあえずみんな元気そうで良かった。じゃあ私、自分のベッドに戻るね」
「うん。わざわざ心配してくれてありがとう」
早起きが苦手な私を気遣って、リーマスはにっこりと笑ってくれた。
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